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LIFEのBOOK ほぼ日手帳

LIFEのBOOK ほぼ日手帳

ことし、ほぼ日手帳から
「ザ・ビートルズ」とコラボレーションした
手帳カバーが生まれました。
さまざまなブランドやアーティストと
コラボしてきたほぼ日手帳ですが、
ロックバンド(しかも、世界一有名な!)や
音楽をテーマにしたカバーを作ったのは、
はじめてのことです。
このうれしい出合いと手帳カバーの発売を記念して、
80名のお客さまといっしょに
ビートルズの曲を聴きながら楽しむ
トークイベントをひらきました。
ゲストにお招きしたのは、ほぼ日との親交も深く、
現存する日本最古のロックバンドを率いる
「ムーンライダーズ」の鈴木慶一さん。
ビートルズのレコードデビュー当時、
糸井は高校1年生、慶一さんは中学1年生でした。
のちに時代の「カルチャー」となっていくビートルズを
リアルタイムで目撃し、憧れ続けてきたふたりが
今あらためて語る、
「ビートルズとは、何だったのか」。
全4回でお届けします。

トークイベント「ほぼ日のビートルズ・ナイト」は
2017年10月5日、六本木のライブハウス
「アビーロード」にて行われました。
迫力ある生演奏を聴かせてくれたのは、
ビートルズのトリビュートバンド
「ザ・パロッツ」のみなさんです。
このコンテンツでは、イベント内でおこなわれた
鈴木慶一さんと糸井による公開対談をまとめました。
(イベントのレポートはこちら

鈴木慶一さんプロフィール

ミュージシャン、作曲家。
1951年、東京生まれ。
1972年に「はちみつぱい」を結成、74年に解散。
翌年「はちみつぱい」を母体に
弟の鈴木博文らが加わり「ムーンライダーズ」を結成、
1976年、アルバム「火の玉ボーイ」でデビュー。
バンドやソロの活動だけでなく
任天堂のゲーム「MOTHER」「MOTHER2」の音楽や
北野武監督「座頭市」「アウトレイジ」シリーズの
映画音楽なども幅広く手がける。
「ほぼ日」とも関わりが深く、
・「MOTHER」の音楽は鬼だった。
・がんばれ、ゆうがたフレンド。
・おじさん少年探偵団、江戸川乱歩の家を行く
・ほぼ日レコード
ほか、数々のコンテンツに登場。

1誰も解明できない「ジャーン!」

糸井
今日はたぶん、ビートルズの曲を目当てに
来られた人がほとんどでしょうから、
ちょっとぐらいマニアックな話になっても
大丈夫だと思うんですけど。
鈴木
うん。
糸井
(客席に向かって)
ためしに
「ビートルズについてあんまり詳しくない」
っていう人がいたら、
手を挙げてもらえませんか。
会場
(80人中、5~6人が手を挙げる)
糸井
ほら、あんまりいないんだよ。
弱ったね(笑)。
だから、慶一くんの持ってるトリビアを
はなから出しちゃおうか。
さっき話してくれた、あの話。
鈴木
うん。さっき演奏された曲のことね?
糸井
そうです。今日の1曲目に演奏された
「ハード・デイズ・ナイト」の
出だしの「ジャーン!」。
あの音は、どうやって出しているのか。
鈴木
まあ、諸説あるからねえ。
糸井
(客席に向かって)
ね、「諸説ある」らしいんですよ。
そんな話からいきましょう。
鈴木
あの音は、90年代は、
コードネームで言うと「G7sus4」で
やっていたんです。
糸井
でも、たぶん厳密に言うと
「G7sus4」ではないんですよね。
やってみたらわかると思うんだけど、違うんです。
ぼくもやってみました。
そのコードでやってみたら
「違うな、これは」って。
鈴木
そう。ライブの映像の指使いを見ても、
もうわけがわかんないコードなんですよ。
糸井
わけがわかんない?
鈴木
いわゆるコードネームとして書きようもないコード。
たくさんのミュージシャンとか、
数学者の方も研究しているみたいなんですけど。
12弦ギター2本、ベース、ピアノが
たぶん鳴っていて、
それで複雑なコードを生み出してるんだと思う。
誰か、わかっている人いませんか?
今日のお客さんのなかにいたら、
教えてほしいんですよ。
わたしも、一応ミュージシャンなんですけど(笑)。
会場
(笑)
糸井
きっと本当にあの音を出せる人はいないのかもね。
当時、コンピューターで
音を変えたりとかはしてないですよね?
鈴木
してないですね。
だって、当時のコンピューターのイメージなんて、
カタカタカタって
機械から紙テープが出てくるような時代ですよ。
糸井
ああ、あったね。
穴の開いた紙テープ!
鈴木
現在は、和音を分析できる
コンピューターソフトがあるから、
それで見ればわかるんじゃないですかね。
ただね、そのコードを弾いた本人が
今、もういないので。
糸井
あぁ、ジョージさんもジョンさんも
いないもんね。
鈴木
そうです。
だから本当のところは
やっぱりわからないんです。
糸井
あとで、パロッツのみなさんが
どうやって音を出しているのかも
聞いてみたいよね。
鈴木
うん、ぜひ。
糸井
それから、これは
バンドをやっていた鈴木慶一さんに
お聞きしたかったことなんですけど、
ビートルズがいなければ、
「はちみつぱい」はなかったんですか?
鈴木
それはわからないです。
でも「音楽家としてのわたし」は
ないですよ。
糸井
あぁー。
鈴木
ビートルズから何を学習したかっていうと、
やっぱり、「過剰なまでの好奇心」なんです。
糸井
まだこんなにおもしろいことができるんだ、
みたいな?
鈴木
そうそう。
彼らは1966年ごろにライブをやめて、
スタジオでの曲作りに専念してから、
次々にいろんなことをやり始めるでしょう。
糸井
うん、そうだね。
鈴木
あとは「集団でものを作る」ということですね。
話がぐっと戻るけど、
わたしの場合は、中学・高校の6年間で、
ビートルズが染み込んだわけです。
糸井
あぁ、中学・高校で。
いい時ですね。
鈴木
それで高校を出て、音楽を始めるので。
そのへんが一番大きいですね。
糸井
でも、そのころって
まだビートルズについての情報量が
少ない時代じゃないですか。
鈴木
少ない、少ない。
最初に見たのは、
いわゆる新聞とか雑誌の写真だけでね。
動くビートルズを見られるのは
1965年になってからですもん。
糸井
『ハード・デイズ・ナイト』の映画で?
鈴木
いや、その前の
「エド・サリヴァン・ショー」。
放映されたのが1964年アメリカで、
日本でのテレビ公開は1965年ですからね。
そして1966年に来日公演があって。
だから、動くのを見るまでには
けっこう時間がかかった。
糸井
「エド・サリヴァン・ショー」の
映像は貴重でしたね。
エド・サリヴァンって
何者なんだよって思ってました(笑)。
鈴木
猫背でね。
ちょっと顔がニクソンに似てて(笑)。
糸井
あの人の正体は?
鈴木
いわゆる芸能を紹介していく人ですよね。
音楽評論家じゃないと思いますよ。
だって手品とかまでやるんだもん、あの番組は。
糸井
あの番組を見れば、
いつでも「いま一番楽しいこと」が
感じられるだろうなっていう存在でしたよね。
鈴木
エド・サリヴァンが、たまたま
ロンドンのヒースロー空港にいた時に、
ビートルマニアがたくさん
集まってたんですって。それで
「ギャーギャー言ってるけど、これは何事だ?」
ってことになって。
糸井
「あいつらを呼んでみようか」って?
鈴木
そうそう。
糸井
あぁ。それがなければ、
ビートルズがアメリカに渡ることもなかったわけか。
鈴木
それよりもまずね、
(マネージャーの)ブライアン・エプスタインと
ビートルズが出会った。
これがなければ、たかだか
リバプールの人気バンドで終わったかもしれない。
そして(プロデューサーの)
ジョージ・マーティンと出会った。
糸井
あぁー。
鈴木
だから、本当にラッキーが
積み重なっていったわけだよね。
あの4人だけじゃ、できなかったでしょう。

(つづきます)

おまけのショートムービー

■ザ・ビートルズ
1964年「エド・サリヴァン・ショー」出演時の
『抱きしめたい』

■ザ・ビートルズ
1964年「エド・サリヴァン・ショー」出演時の
『ツイスト・アンド・シャウト』

もしもビートルズがいなかったら。