くろはた ひさよ

1979年 富山県生まれ
1999年 能登島ガラス工房吹きガラスコース終了
2001年 岐阜県立多治見工業高等学校
     陶磁科学芸術科卒業
     多治見市のレンタル工房「studio MAVO」を経て
     現在福岡県にて制作


私は中学生のときに将来の夢を決めていたんですね。
雑貨デザイナーになるって。
中学生なりにどうしたらなれるんだろうと考えて、
夢をふくらませていました。



でも、高校生になって、
卒業後の進路を決める頃に
ふと疑問に思ったんですね。
雑貨デザイナーになったときに、
作り方もしらない私が、作り手に
「これを作ってください」というのは
失礼なんじゃないかな? と。
例えば陶器だったら
テレビでろくろをまわしているのを見たことがあるから
だいたいこんな感じでつくるのかな、
けれどもガラスの食器の作り方が
どうもよくわからなかったんですよ。
なので、よし、勉強しなきゃ!
と思って母に相談して、
隣の石川県にあった、能登島ガラス工房の
宙吹きガラスコースに入りました。



ところが、すんごい‥‥大変だったんですね。
みんなは本気で学びにきているのに私はそうじゃない。
毎日しんどくて、このままガラスの道に入って本
当にいいんだろうかと悩んでいたときに
同じガラスを学びに来ていた仲間に
そういえば日本の真ん中にやきものの学校なんだけど
おもしろいところがあるよ、
日本中からいろんな年代の人が集まっているから
いろんな意見も聞けていいんじゃない? と言われて。
そうだな、やきものやってみようかな、って
受験して受かったのが
岐阜県立多治見工業高等学校陶磁科学芸術科です。

ところが、このときもガラスのときと同じように
好きでもないしよく解らないまま入っちゃったんで
また大変なことになって‥‥。
どうしよう、私?! と思いながらの辛い2年間でした。
卒業したらもうやきものは向いてないから
やらないだろうな、
でもこのまま実家に帰っても
どうなんだろうと思っていたときに
多治見市で「studio MAVO」という
レンタル工房を始められていた安藤雅信さんに
「(工房の)部屋が空いているけど
 よかったら入らない?」と声を掛けてもらって。
同級生も何人か入ると聞いて、
このまま諦めるよりはまず1年やってみよう!
と思って「入ります!」と言いました。
卒業間近に父から電話が掛かってきて
帰ってくるのかと訊かれたときも
「いや、やきものやります!」って言いました。



その時点で
雑貨デザイナーの道はなくなったんだと思います。
自分はもう完全に作り手で作るほうが面白いと、
思っては、いたんでしょうね。





学校を卒業してから、
ドラム缶の窯と出会いました。
仲間といっしょにしばらくはみんなで
わいわい焚いていたんですけど、
次第にみんな工房の他の窯を使うようになって。
私は焼きあがりが面白かったので
ひとりちょこちょこ焼いているうちに
なんとなく自分の形ができてきたんです。
ドラム缶の窯をみんなが使わなくなったのは、
当時この窯では楽焼(らくやき)をしていたんですね。
楽焼の器は焼成温度が低いため
強度が無いし吸水性も高いので
日用食器としては使いにくいんじゃないかなと
話していました。
実際にその当時焼いていたものは面白いんだけど
使いにくいものです。
でも、ほんとに日常で使えないのかな?
ほんとにそうかな?
って、ひとりで思ってて。
そうだ、土を変えてみよう
どうしたらもっと焼き締まるようになるのかな、
窯の温度はどうしたらもっとあがるようになるのかな、
と何度も実験するうちになんとなく
こうかなというのが解ってきて、
結構焼き締まるようになってきました。
そうして、MAVOをやめたあと、
じぶんの窯をひらきました。



私は温度計は使わずに目で炎をみて決めるんです。
ガラスの勉強をしていたからか熱いのが平気なほうで。
うまく活きてるんですかね(笑)
だいたい温度はこれくらいかなって
炎を見て釉の溶け具合を見て焼いています。

1回の焼成時間が1時間半から長くても2時間半です。
短時間の勝負なので集中しています。
だからこどもが傍にいるときは焚けないです。
気持ちがこどものほうにどうしてもいってしまうので。
だからこどもが保育園へ行っている間に
怖い顔して焚いています(笑)。
近所のみなさんは不思議に思っていると思うんですけど、
頻繁にこうやって窯の中を見ていますね。
毎回同じにようはいかないので、
反省しながら繰り返し焚いています。



つくり方はいろいろありますが、
この湯のみは土の塊をくり抜いています。
私の焼き方だとつくり方で
土の焼きしまり、歪み、貫入が
変わってしまうんですね。
ろくろをひくと、
ろくろの回転に貫入がつられていくんですが、
このつくり方だと土の粒がほぼ止まった状態なので
焼く前の土の状態の空気を残すことができる。
手にしっくりくるようにぎゅっと握っています。
そいうところが自分が気になるところなので
大切にしてつくっています。





今回の器は焼成段階のときに新聞紙を使用しています。
窯から器をはさんで取り出したときに
そのまま冷ますと急冷して割れてしまうので
新聞紙の入った缶の中で徐冷します。
もみ殻を使ったりしてもいいんですが、
なかなか大量には手に入らないので、
身の回りにある新聞紙を使用しています。
そう、新聞紙を使っているんです。
ちぎった新聞紙を缶の中に入れといて、
そこに器を入れたら、また新聞紙入れて
新聞紙で囲む感じで、蓋して、30分ぐらいで出して
水に浸けます。
新聞紙で囲んでいるときに煤が出て、
ひとつひとつ違う模様になります。
この、ひびのようなところは、
貫入‥‥とはちがうんです。
貫入は釉薬が割れること。
これは器に浅いひびが入って、
そこに煤が入って黒くなっています。
でも、割れてはないんですよ。
もれないです。
そう、かたちも模様も一点ものに近いですね。
そこをたのしんでいただけたらと思います。



煤が、ちょっと水墨画のように見えますか?
そう言ってもらえたらうれしい。
じつは台湾のお茶の先生が、同じようにおっしゃって、
「水墨画でお願いします」って、
器のオーダーが入るんですよ。

焼き方の、名前ですか? ついていないんですよ。
スタートは楽焼で、ルーツはそこですけれど、
楽焼には、口当たりがよくてやわらかくて、
手が出ないくらい高いお茶碗って
イメージがありますよね。
わたしの器は日常づかいしてほしいものですし、
いわゆる楽より丈夫です。
もう、別のやきものだと
思っていただいたほうがいいかもしれませんね。


2012-03-08-THU
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