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「HOBOP」と「HOBOT」の販売と、 『国境なき医師団』などのことについて。 『HOBOP』と『HOBOT』を販売する際に、 「ほぼ日」は、やってみたいことがあるんです。 それは、 「商品ひとつにつき、100円ぶんの医療寄付」 を、(もちろん、希望者からのみではありますが) 集めてみる、ということです。 寄付は、「ほぼ日」の売り上げぶんから払われますので、 寄付に同意される方も、同意をできないという方も、 購入時の値段は、まったく変わらないことになります。 ※つまり、購入の際に 「寄付に同意をしない」をクリックすると、 代金はすべて「ほぼ日」の売り上げに充てられ、 「寄付に同意をする」をクリックする場合には、 「ほぼ日」の売り上げから、ひとつの商品につき 100円ぶんが、医療寄付に充てられることになります。 なぜ、こういうことをするのだろう、 と疑問を持つ人も、いるのかもしれません。 寄付を「ほぼ日」で試したい、というのは、 「ほぼ日」の"darling"こと糸井重里の意見から はじまったことなので、本人に、 もうちょっと詳しく聞いてみました。 寄付についてのスタンスや動機を、お読みください。 テレコ回し係は、木村です。 約15分間の話から。 『ボランティア』や、 『世界のどこかで人が困っていること』 というようなものについてのさまざまな話は、 協力してくださいってかたちで、 ものすごくたくさん、あるんです。 それは、若い頃から、ずっとそうだったと思う。 確かに、もう、さまざまに困っている人がいるし、 さまざまな形で署名を求めている人はいるし、 寄付や、文章やら、講演やらの手伝い方もあるし。 ぼくみたいな立場にない人だって、 そういう種類の訴えが、 毎日のように、目に飛びこんで来ますよね? 街を歩いたり、雑誌やテレビや 新聞を読んでいたりする時に、 うっすらとは、感じているのでしょう。 そして、ひとつずつの呼びかけが、 知らぬ間に、フェイドアウトしていく。 たとえば、ぼくのことなんかを 「協力的でない」からと犯罪者あつかいしていた人が、 もうすっかり忘れていたりするわけだよね。 どうしていいか、わかんないよ、俺も。 でも、正直なところ、 もしも、さまざまな依頼にすべて応えていたら、 いつしか、仕事の種類は、年がら年中、すべて、 「援助やボランティアに関係のあること」に なってしまうだろうことは容易に想像できます。 それに、ボランティアというものは、 本気でやろうとしたら、そんなに 生半可でできるものじゃないでしょうし。 ぼくも、縁あってという感じで、 ボランティアの仕事を時にはしてるんですけど。 かかわり方の距離感が、実はけっこう難しい。 「冷たい」と思われちゃうくらいで、ちょうどいい。 協力しない人を絶対に責めない、というのが、 ボランティアの憲法だっていう考えなんです、ぼくの。 今回の医療寄付は、「国境なき医師団」という 団体に送らせていただく予定です。 雑誌『BRUTUS』(マガジンハウス)の 2001年2月号で、BRUTUSの斉藤編集長のつくる 最後の号が、ボランティアの特集だったんですよ。 これからの社会の有りようを考えるときに、 このことを、どうとらえるかが、 斉藤さんという編集長も、 『BRUTUS』編集部の人たちも、 すっごく気になっていたんじゃないかなぁ。 で、ぼくが、そのテーマでの実際の広告をつくるっていう 仕事を頼まれて・・・。 「国境なき医師団」っていうのは、 その企画で知ることになった団体なんです。 ![]() (『BRUTUS』2001年2月号) 今回、100円の寄付ということをやってみよう、 と思いついたのは、この『BRUTUS』での仕事が かなり大きなきっかけになっているんですよ。 ぼくは、ボランティアに関しては、 さっきまで言っていたようなスタンスを とっていたのですが、『BRUTUS』編集の人たちとも、 そういうことをずいぶん話し合ってね。 みんなが気になっていたことを、いちど あらためて考えてみるって感じで、 「じゃあ、いったい何なんだ、ボランティアって」 という気持ちで雑誌の特集が作られていったんです。 ぼくはこの仕事で、ボランティアというものの中でも できるだけ具体的な実感の持てるものを、 題材としてまな板に乗せてみたかった。 そこで、「国境なき医師団」を知りました。 この団体は、何というか、ちょびっとのお金は、 ちょびっとなりに注射針になる、だとか、 たくさんのお金はたくさんなりに、医師を災害地に 派遣するための費用になる、というように、 寄付金の使われ方や、参加したという事実の結果が、 とても見えやすいかたちで具体化してるんですね。 ですから、ボランティアに関する思想などの 根底のところを問わないままでいても、 「この程度のお金でも、注射針に変わったら こういうことができるんだ」 「へえ、これがペニシリンになるのか?」 というような、ふだん見過ごしてきていた お金ってものの具体的な価値を知ることができるんで、 ぼくにとっては、すごく明解だったんです。 そこで「国境なき医師団」の広告を、 ぼくが作るとしたら、ってのが、ぼくの仕事でさぁ。 ぼくとしては一所懸命にコピーを書いたし、 「国境なき医師団」のかたからは、おかげで 「『BRUTUS』を見て、寄付をしたいのですが・・・」 という問い合わせがすごくあった、と おっしゃってはくれたんですけど、 何か、自分としては、まだ、 「広告を、作りきれた」という実感がないんです。 コピーライターとしては、 最善を尽くして仕事をしたつもりなんだけど、 これだと、実はまだまだなんだよな、 という気持ちが、ほんとうは、残ったんです。 「この気分を乗り越えるには、 自分が次に何かをする時に、 次の仕事で返していくしか、ないだろうなあ」 と思っていました。 「俺はいいことをしている」だとか、 「善意」とかいうことを考えないで、 注射針をたくさん買う費用を作るには、 というような発想から、とりあえずぼくは 考えを出発させたわけなので、 あ、それなら、新しい「ほぼ日」で、 この続きを読者に問いかけてみよう と思いついたんです。 いつもある程度「ほぼ日」を読んでくださっていて、 「ほぼ日」のスタンスを理解してくれている人たちが、 こういうことを、どうとらえるんだろうってのは、 実はぼくにも、ほんとはわからないんです。 買い物をする時に、透明の寄付を入れる箱があってさ、 そこにお釣りをチャリンと入れるような感じ。 たったそれだけなんだけど、 医療を受けられずに死んでいく子供の 治療のための注射器とか、薬とかが けっこうな数買えるもんなんだよ、と。 それを、みんなでできるとしたら、いいなあ、と。 ひとりずつの100円は、100円にしか過ぎないけど、 集まった時には、それで生き延びる人がいたりする。 だったら、そのままにしておくよりは、 ぼくらにとって、100円を寄付をする、という位なら、 実質上は、手間をほとんどかけないでできますよね。 ボランティアに詳しい人から、 「そういういいかげんなスタンスは、だめなんだ」 「手間をかけない程度で、というのは、よくない」 と言われるかもしれないんだけど、もうそれは、 ごめんなさいと言うしかない、とは思います。 でも、俺たちは、自分たちで注射針も作れないし、 死にそうな子がいても何かをできるわけでもないので、 実際に、ちょっと何かできるかもしれない、 というのを、まずは一回、手間をかけないかたちでも、 やってみようかなあ、と思ったんです。 寄付した人が、 そのあとに継続して何かをしてもしなくても、 ぜんぜん、構わない。 ぼくはコミュニケーションを仕事にしているので、 これからのコミュニケーションの可能性を探る意味でも、 今回の試みをやってみたいなあ、と考えているんです。 ![]() (『BRUTUS』ボランティア特集より) 「ああ、よかったなあ」という気持ちだとか、 「意外と自分も社会と影響を与えあいながら 日常的に、暮らしているんだな」ということを、 寄付したあとにリアリティを持って感じられたら、 それはそれで、おもしろいじゃないですか。 100円の寄付をした時には、寄付をした、と ほとんど、感じないくらいと思うんですよ。 100円を落っことしたからといっても、 一日じゅう探す人はいないでしょ? でも、そのくらいの程度の数字のものが、 実は「何か」になって、 あとで、ありがとう、というか、 命に関わるところに触れるくらいになる・・・。 その循環のようなものを、感じるということは、 これから自分のスタンスがどうなるのかは別にして、 一度、何かを考えるチャンスにはなるのかもしれない。 そういうものとして、ぼくは、 この場を借りてみたいと思いました。 ですから、ある意味で、 そういうような寄付について、 迷惑だと思う人もいるかもしれないのはわかります。 「俺はそういうのはいやだ」 という気持ちも、それはそれでいいんだと思います。 人は、自分がいちばん大切だよ、という考えが、 思想としてあるのはよくわかりますので、 寄付をしたくないよ、というところを クリックした人のぶんは、もちろん、寄付しません。 そういうかたちで、 今回、実験をさせて欲しいなあ、と思っています。 こんな簡単な実験でも、効果があるんだったら、 これからどういう方法があるかを考えるための、 ひとつのきっかけには、なると考えています。 このあとにも、「ほぼ日」が こういうことをやるかどうかは、わからないけども、 偶然これに巻きこまれた人が「へーえ」って思ったり、 あるいはお金が使われる現場の人たちは、 ここで何か言っていることとは関係なしに、 「ああ、医療のために良かった」って思ったり、 みたいな、それぞれの場面での別々の気持ちが つながるということを、見てみたいんです。 それって、 Only is not Lonelyだと思わない? 呉越同舟っていうのかな、あははは。 そういう理由で、実験として、今回の HOBOPとHOBOTを販売する時には、寄付の希望の有無を おたずねする項目を、ひとつ入れようと思います。 どうぞ、よろしくおねがいいたします。 ※最後に、『BRUTUS』2月号で、 darlingが書いた文章を抜き書きいたしますね。 ![]() (『BRUTUS』ボランティア特集より) お金はいのちです。 お金をめぐって人を殺す人もいるし、 お金で武器も買えますが、 お金が人を救えるということだって、あります。 「国境なき医師団」の活動資金は、 ほとんどが個人の寄付によって支えられています。 突然そう言われても、寄付しない理由はいくらでもある。 恥ずかしい、ダサイ、偽善的だ、 政治のやることじゃないの、 自分のほうが金ほしい、よくわかんなーい。 それらの「しない理由」を否定するつもりはありません。 ひとりひとりの考えや思いは、自由なのだから。 でも、寄付する人が少しいたり、遠い不便な場所まで わざわざ出向く医師や看護婦が少しいたり、 そのおかげで助かったり治ったりする人が、 世界中に少し、いまもいます。 これは、ただの事実です。 ポケットの小銭で、人のいのちが助かる。 それは、マジックでもなんでもなく、事実です。 寄付しない理由は、きっと山ほどあるでしょうが、 私たちは、ひとりでも、 「この事実」の世界に加わってくれる人がいたら、 また少し、いのちを助けられます。 もし、恥ずかしいとか、ダサイとか、思わない日がきたら、 ぜひ、あなたのお金を私たちにシェアしてください。 そのコインや、その紙幣が、誰かのいのちになります。 国境なき医師団は、いつでも、待っています。 早いほうが、もちろん、ありがたいです。 「国境なき医師団」の1日50円キャンペーンを、 どうぞ応援してください。 日本の50円で、なにができるかを、列挙してみます。 50円で、重症のマラリア患者に必要な点滴針を提供できます。 50円の11日分で、1人の性感染症患者を治療、 新たなエイズ感染を予防できます。 50円の2ヶ月分で、 3人のマラリア患者を治療することができます。 50円の4ヶ月分で、HIV感染者で肺炎を併発した患者に、 抗生物質による治療を行えます。 どれも、そのままにしていたら、そのまま、です。 50円の力は、続けて寄付される50円の力は、 日本で想像しているよりずっと大きなものです。 (アートディレクター:秋山具義 コピーライター:糸井重里 コーディネーター:石川拓治) |
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2001-04-01 |