5人の
Beautiful Songs

LIVE Beautiful Songs
〜ほぼ日読者レビュー その4〜

【Beautiful Songs 日和】石川篤史


10月7日土曜日の午後。
少し肌寒くなってきたとは言え、見事な快晴。
ぼくは、自分のへなちょこラジカセを持って
セントラルパークへやってきた。
その目的はただひとつ、
貴重な「Beautiful Songs」のライブのテープを聴くためだ。

日本からテープが届いたその時から、
なんだか、ここに来て空の下で聴くのが
一番の正解のような気がしていたのだ。
はやる気持ちを抑えつつ、深呼吸を一回、
一面に拡がる緑の原っぱを見ながら、
ぼくはプレイボタンを押し込んだ。



芝生の上に仰向けになってみる。
ぼーっと空を眺めていると、
遠くの方から風に乗って奥田民生さんの声が流れてきた。
ゆったりとした優しい幕開けだ。
目の前をゆっくり流れていく雲と
民生さんのうたとギターが溶け合っている。
まるで、山の上の羊飼いが、
麓の人たちの事を思ってうたっているようだ。

続く鈴木慶一さんの軽快な2曲で、
すっかりウキウキ気分になっていたぼくだったが、
それは「横顔」の大貫妙子さんの声を聴くまでの
短い間だった。冷たい秋の透き通った空気に、
いきなり広がるその空気以上に透き通った声。
どんなに強がってみても、
彼女の声の前には本当になすすべが無いと思った。

この夏、あれだけの多くの人に、
毎回大きな感動をあたえてきた伝説のライブ。
感情を激しく揺さぶられるであろう事は、
あらかじめ予測していたのに、
正直言って、「横顔」から「二人のハーモニー」までの
7つのうたが流れる間、ぼくの心は乱れ続けた。
「遠い町で」「突然の贈りもの」、
どれも離れている自分の大事な人への歌だったり、
離れていってしまった、
かって自分が大事にしていた人への歌だったり。
宮沢和史さんの甘くやるせない声で、
胸の奥にカギをかけて閉まっていたものが
出てこないようにするのが大変だった。

そんな中、突然この場所にぴったりの曲
「ピーターラビットとわたし」の登場。
楽しそうなみんなの歌声を聴き、
ステージで飛び跳ねられてる姿を勝手に想像し、
今まで心を乱されたり、
センチメンタルになって
半ばへろへろ状態になっていたぼくは、ようやく、
平常心と元のウキウキわくわくに戻ることができた。
絶妙の間だ。

「ラーメンたべたい」を聴いていた時、
それまで、ぼくの隣の少し離れた所で一人で本を読んでいた
アラブ系の青年が、急にこっちの方をちらちら見出したので、
なんだかおかしくなった。
彼も民生さんのシャウトで
ラーメン食べたくなったのだろうか。
いや、ひょっとして彼もいま「男もつらいのよー」な状態で、
無意識に共鳴したのか。
ぼくは予期せぬ所で同志を見つけた。

「君はぼくを忘れるから」
のリフレインに再びくらっとなりながら、
矢野顕子さんの「すばらしい日々」に聴き入ってると、
今度は黒人のおじさんが、空のペットボトルの募金箱片手に
恵まれないホームレスの人たちへの寄付のお願いをしに来た。
彼の説明を聞いてるうちに次の曲、
「ニットキャップマン」に。
ぼくはポケットを探って出てきたクォーター2枚を寄付した。
なんてタイミングなんだ。

遠くのビルのデジタル掲示板に写る、時刻6時と気温12度。
身体を起こしたぼくは、体育座りをしたまま、
自分の視界の中の、いろんな国のいろんな人達や家族を
漠然と眺めていた。
ちょうど前には、うれしそうに、
ひと足早い凧あげをしている少し年の離れた兄弟。
横にはさっきラーメンを食べたがってたアラブ系の読書青年。
その向こうには、ストレッチをしながら、
にょきっと空に向かって4本の足を突きあげてる
若いカップル。
普段ならそのまま見過ごしてしまうような、
そんなのどかで平和な風景に、
「Beautiful Beautiful Songs」の5つのうたが
次から次へと重なっていく。
芝生の上に宝石を一つ一つ置くように、
周りの全ての景色が、映画のワンシーンに変わっていった。

「塀の上で」を聴くころには、
陽もだいぶ斜めに傾いていた。
家路に向かう人も遠くに見える。
セントラルパークの西の端に並んだ古いビルディングの
シルエットが、ドラマチックなこのうたを
更にせつなくさせる。
今までのいろんな思いが駆けめぐる。

くじけそうな時、「さすらい」はいつも
自分への応援歌だった。
そうだ、ぼくもこんな気持ちでアメリカにやって来たんだ。
元気で大きな5人の声が、ぼくの背中を叩いてくれた。
このライブがこのまま終わらなければいいのに、
夕暮れの中、最終日のキャンプファイアーを囲んでるような
気持ちになった。

公園の管理のおじさんがカートに乗ってやってきて、
もうすぐゲートを閉めると告げに来た。
アラブの同志も既に帰ったようだ。
仕方なくぼくは立ち上がって、
まだ「それだけでうれしい」がながれているラジカセを
そのまま手にさげて、公園の出口まで横切っていった。
なんだか、うたと歩くリズムがぴったり合った。
「いつも愛してくれてるんだ」
感謝の気持ちでいっぱいになった。
うたの途中の笑い声が、
今日公園で見た子供達の笑い声と重なった。
そして、ついにテープが終わった。
ぼくは背筋をピーンと伸ばして、
満ち足りた気分で、
灯りの点り始めたセントラルパークを後にした。

2000-10-16-MON
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