ITOI
禁煙のセラピーで一服しよう。
darlingはタバコをやめるのだろうか?

すべての答えは、ここに凝縮される!

なんども居眠りを注意されながら、ぼくは夕方を迎えた。
O嬢先生は、熱心にテキストを読み続け、
的確な比喩や、感心させるような演出で、
ニコチン中毒患者が考えている偽りの幸福と、
中毒を脱してからの、
真実の健康と幸福について教えてくれた。

やめない理由なんか、ない!
そうだ!
やめない理由なんかない!
そうなんだ。

ぼくは、いつでも、よろこんで友人たちに、
タバコをやめたほうがいいという演題で、
大演説をしてやってもいい。
ニコチン中毒であることの不自由を、
彼らもぼくも、気づこうとせずに
日々の偽りの愉楽に身を任せて、
死への近道を早足で歩んでいるのである。

そして、ここまで理解したぼくに、
セラピーのマニュアルは、さらに勇気を与えてくれた。
「タバコをやめるのは、簡単である」と。
やめたら苦しい、禁断症状に悩み、
すぐにもとの麻薬に手を出してしまうのではないかという、
余計な取り越し苦労によって、
禁煙は失敗することが多いらしい。
まさしく、ぼくのパターンはそれだ。

タバコをやめると、体内のニコチンが
すべて排出されるのに、
約3週間を要するらしい。
しかし、ニコチンのほとんどは3日以内でなくなって、
ほとんど残っていない状態になるのだという。
だから、神話的にさえ語られる禁断症状は、
基本的には3日くらいのものだという。
ニコチンがほとんど体内から消えかかった時点で、
中毒者たちに、「気づき」が訪れるのだという。
それは、いままで味わったことのないような、
すばらしい幸福感なんだという。
その幸福感は、入浴中に起こる場合もあるし、
歩いていて、食事していて、急に感じることもある。
その時を、たのしみに待ちましょう、と言うのだ。

逆に禁断症状は、どういうものかというと、
軽い風邪の症状によく似ているのです、と。
風邪をひいて苦しい時を、ぼくらは、
ごく自然に、いらいらしたりすることなく、
「治るのを待つ」でしょう、と。
タバコがないせいで、苦しいのではなく、
いまは風邪をひいているんだと思いましょうということだ。

それも、そうだな。
よし、その考えに、乗った!

90%の納得という状態で、ぼくが、
早くこのセラピーを終えて帰りたいなぁなどと
考えはじめた頃に、その時は来た。

急だった。突然、O嬢先生は、言った。
「それでは、決断をしていただきましょう。
最後の一本のタバコを、吸います。
そのいままであなた方を、罠にはめ、苦しめ、
タバコなしではいられない奴隷にしてしまった
毒物を、よく味わい、その不味さ、醜悪さを、
心ゆくまでゆっくりと感じてください」

来た!
難しいことは、心の準備などにぐずぐずせずに、
一気にやったほうがいいということは、
ぼくもよく知っている。
しかし、それにしても、その時が今だとは。
おいおい、という未練がぐわーーーっと押し寄せてきた。
「決断ができるまで、
いくらでも私に質問をしてください。
あわてることはありません。
ここで、心からの決断ができない場合には、
この後で仕上げの意味でやる催眠をつかった
リラックス・セラピーも、効果はありません」

そうか。
「やめる!」という心からの決断が、すべてだったのだ。
その一言を、タマシイをしぼり出すように言ったら、
それでタバコはやめられるのだ。
こころから「やめる」と思えない場合は、
どんなにタバコの害についての知識が増えようと、
タバコを世界一憎む人間になろうと、
やめられやしないのである。
すべての答えはここに凝縮されているのだ!

ぼくは、いくつかの質問をした。
いまでは、なにを訊いたのか思い出せないけれど、
最後の一本を吸う前に、なんとか心からの納得を、
自分のなかに感じていたかった。
隣で、いっしょにセラピーを受けていた24歳女性は、
あっという間に、最後の一本に火を着けようとした。
「ちょっと、待ってください。いっしょにやりましょう」
ぼくではなく、O嬢先生が、そう言って彼女をとめた。

5分くらいかなぁ。10分くらいかなぁ。
時間が経って、ぼくは「はい」と言った。

最後のタバコに火を着けて、深々と煙を吸い込んだ。
なんだか、不味いと思おうとしたのに、
うまいので困った。
いや、うまいのではなくうまく感じて困った。
これ以上、うまく感じないように、
心を集中させたのだが、不味いと思えないので、
短くなってからもまだ、吸い続けた。
短くなったタバコは、普通に不味いものだからだ。

さみしい気持ちがある。
それを、告白すると、
「それは、かまわないのです。大丈夫です」と言われた。

まだ終わりにはならないぜ。

2000-04-27-THU

BACK
もどる