立ち読みその1

糸井 原発の事故に関しては、まだまだ全然終わっていませんし、問題が山積しています。事故のあった福島第一原子力発電所も廃炉までには長い時間がかかりますし、根本的なエネルギー問題も出口が見えていません。ただ、事故から3年以上が経って、進展してきたことも、たくさんありますよね。
早野 はい。福島県での勉強会やセミナーをはじめ、全国で頻繁に研究会が開かれていて、世界的な会議も開催されています。専門家間での情報交換はいまも活発に行われていて、さまざまな分野の専門家の見解が発表されるようになっています。
糸井 とりわけ、早野さんがご自分で実際に計測や分析を重ねて、はっきりといえることはなんでしょう。
早野 いまの時点で明らかなのは、さまざまな調査や測定の結果、起きてしまった事故の規模にたいして、実際に人々がこうむった被ばく量はとても低かった、ということです。とくに、内部被ばく(おもに食べ物や水によって、体内に放射線源を取り込んでしまったことによって起こる被ばく)に関しては、実際に測ってみたら当初想定したよりも、かなり軽いことがわかった。「もう、食べ物については心配しなくていいよ」と言えるレベルです。
糸井 福島県産の野菜とか米なんかは、他の産地のものと比べても、全然大丈夫ってことですよね。
早野 そうです。流通している食品に関しては、もう大丈夫です。それは後で詳しくお話ししますけど、きちんと測った結果として証明できる。
糸井 あえて訊きますけど、例外があるとすれば?
早野 避難区域内の裏山に生えてる野生のキノコや山菜を大量に食べたり、野生のイノシシを捕って丸ごと食べたりしなければ大丈夫……あ、でもそれは流通してませんから、例外にさえなりませんね。
糸井 なるほど。
早野 ただ、ここできちんと言っておきたいのは、「内部被ばくが軽かったということ」は、ぼくも心からよかったと思っているけれど、「もともと起こってしまった事故」は、全然OKじゃない、ということ。こんなことは、想定外の規模であろうが未曾有の災害であろうが、そもそも絶対に起こしてはいけない。防ぐチャンスはいろいろあったにもかかわらず、それを無視してきて、こんなことになってしまった。
糸井 そのとおりですね。
早野 事故の後、さまざまな数値を測ってみたら、内部被ばくはそれほどひどくなかった。とくに避難区域外にいる人たちにとっては、まったく問題ないと言える状況になった。けれども、だからといって、そのもともとの事故からすべてがOKになったわけでは決してない、ということは明言しておきたい。大本の問題を含めて、まったく解決しているわけではない。
糸井 そうですね。ぼくも、事故に関してはまったく同感です。本当に取り返しがつかない、ひどいことが起こってしまった。でも、あえてそこでもう一度、「……でも」と続けたい。
早野 はい。
糸井 でも、放射線のことを闇雲に怖がっていても先に進めないんです。いま必要なことは、事実を知って正しく怖がることなんだと思います。早野さんのような人にきちんと噛み砕いてもらって、ちゃんと怖がるために、本当に危なかった、という話はちゃんと踏まえた上で、「科学的に正しい事実を、人間が暮らすという視点から見てみよう」ということが、必要だと思うんです。
 3年経って、ホッとできた部分に関しては、ちゃんとホッとすればいい。それから、これは危なかったんだ、という話は、やっぱりちゃんと知っていたほうがいいと思う。
早野 それは、そうですね。あと、もう一つ、放射線の話をするときに難しい問題があります。ぼくが勉強会で話したりすると、「あなたは、原発に反対なのか、賛成なのか。まずそれを明らかにしてくれないと話は聞けない」という方がいらっしゃる。原発の是非に関する問題というのは、非常にデリケートで、そこで暮らしていく上での、いろんな課題なんかに複雑に結びついていると思う。とてもその場で「はい・いいえ」で答えられるようなことではない。
糸井 その難しさは、よくわかります。ぼくも、原発に関しての政治的な意見を簡単に出すことはしたくない、と思ってきました。実際にそういうことを言わないように、意識して気をつけてきたつもりです。ただ、原発に対するイデオロギー的な部分は置いといて、とにかく誰もが望む当たり前のこととして、「人が生活する上で、何が何でも危なくないようにして欲しい」ということだけは、言いたい。
早野 それは、そうだ。それは本当に基本的なこととしてね、賛成。
糸井 あえていえば、なくてまったく問題ないなら、ないほうがいいですよ、原発なんて。でも、それは「はい・いいえ」だけじゃ言えない。
早野 そう思います。
糸井 そういったあたりを、今回の基本的な姿勢として、話していきたいと思います。

立ち読みその2

糸井 もし、早野先生の前に女の子がやって来て、「私は子どもを産めるんですか」って、質問してきたとしたら、どう答えますか?
早野 まずは、自信を持って「はい。ちゃんと産めます」と答えます。躊躇しないで。間髪を入れずに。
糸井 ああ、いいですね。自信を持って言う、というのは、すごくいいです。
早野 まずは、それですね。「ちゃんと産めます」と。
糸井 そう、いま必要なのは、「自信を持って」とか「躊躇しないで」とか「間髪を入れずに」という部分じゃないでしょうか。「ちゃんと産めます」という事実だけじゃなく、「産めますよ!」って当たり前に自信を持って言う、その表現の仕方。産めますという正しい事実だけだと、根拠のないセンセーショナルな表現に押されて、正しい知識を持っていたはずの人さえ、不安になってしまうような気がするんです。
早野 そうかもしれません。
糸井 だから、まずは、「はい。ちゃんと産めます」と。
早野 はい。で、その後は、質問された方が、放射線に関する知識をどのくらい持っているか、どのくらい理解しているか、によって説明の仕方は違ってくると思います。ただ、説明の軸となるものは変わりません。それは、「量の問題」です。
糸井 「量」。
早野 はい。放射線は、とにかく人間の体に悪影響を及ぼすとみんな思っています。それはもちろんそうなんですけど、大事なのは「量の問題」なんです。放射線の害について話すときは、とにかく量を把握した上で検証することが必要です。ちゃんと産めます、とぼくが確信を持って言える要素は何かというと、福島でたくさんの人の被ばく量を測定したデータをずっと見てきて、内部被ばくと外部被ばくを合わせた被ばく量が、十分に低いと確信したからです。
糸井 なるほど。わかりやすいです。
早野 福島原発の事故の規模に対して、福島の人々の内部被ばくや外部被ばくの量は、幸いなことにかなり低い。原爆、チェルノブイリの事故、それから1960年代の核実験による放射性降下物からの汚染、さらに自然被ばく量が多い地域の放射線量など、さまざまなデータと比較しても、これは明らかです。現在、福島の方々が住んでいるところの線量はきわめて低い。
 そういった結果を踏まえて、次世代、つまり生まれてくる子どもに悪影響が及ぶなどということは絶対ない、と私は自信を持って判断しています。それはみなさん、安心していいと思います。
 今、外部被ばく量は追加分として年間1ミリシーベルト以下、というのが目標になっていますが、世界的に見れば、それをはるかに超えるところに普通に暮らして、普通に子どもを産んで育てている人の数というのは、とても多いんです。
 インドのケララ州やイランのラムサールは、もともと自然放射線量の高い地域として知られていますが、福島の居住区域のレベルは、それらと比較しても低く、アメリカのコロラドなどに住んだ場合の平均被ばく量よりも低くなるというレベルです。
 もちろん放射線のことがまったくなくても、さまざまな異常出産というのはあるわけですが、それが福島のこの状況によって特別に増えるというようなことは、私には考えられないし、その心配をする必要はないと断言できます。事実、ごく最近の調査で、事故後に福島県内で生まれた赤ちゃんの先天異常の発症率が、全国の赤ちゃんと比べてほぼ同じだったということを、厚生労働省が発表しました。
糸井 きちんと測定して、データが十分にあるからこそ、断言できるんですね。
早野 そうです。とにかく放射線の影響というのは、外部被ばくとしては「どれだけ浴びたか」、内部被ばくでは汚染された物を「どれだけ食べたか」、それらの線量をぜんぶ足したものに比例するわけです。
 当初避難を余儀なくされた方々が、事故後4ヵ月の時点でどのくらいの積算線量になっていたかを推計した、調査結果も出ています。その中で、一番高かった方というのが25ミリシーベルトくらい。全体を見ても、初年度に10ミリシーベルトを超えるような方は非常に少なかった。これは想定した数値よりも非常に低いんです。
糸井 早野さんがかつて浴びた医療被ばく200ミリシーベルトなんていう数字と比べてみても、いかに低いかということがわかります。科学的には、もう誰もが納得のいく、「低い」というデータがあるってことですね。
早野 その通りです。
糸井 この話を、福島で心配している方々に、しっかり伝えたいというのはもちろんなんですが、同時に、当事者じゃない人たちにも、ちゃんと伝えなきゃいけないと思うんです。離れたところに住んでいる人たちも福島の方々と同じ真剣さで聞いてくれたらわかってもらえると思うんですけど、離れていることで、やっぱりどこか無責任になっているような気がするんですね。福島のことを心配しているようでいて、いまも、事故直後の「福島は放射線で汚染されちゃって、大変」っていうままの知識でいたりする。そういう姿勢こそが、将来、変な差別につながっちゃったりするんじゃないかっていう心配があるんです。
早野 そう思いますね。

立ち読みその3

糸井 少し横道にそれる話かもしれませんが、専門の知識がない人からすると、カリウムの話って、ちょっと混乱するんですよ。すべての生き物にとってカリウムは必須元素で、カリウムだけなら平気なんだけど、カリウムの中に放射性物質のカリウム40が含まれてて……ってなると、よくわからなくなってくるんです。
早野 カリウムは、体の中で細胞膜の信号伝達に関係する役割を担っていて、なくてはならないものです。細胞の中と外にある、カリウムとカルシウム、それからナトリウムという三つの元素の比率が一定に保たれていることが非常に重要なんです。
糸井 カリウムは、人間にとってなくてはならないもの。あと、カリウムは畑に撒かれたりもしますよね。
早野 細胞膜に関係する必須元素ですから、人間にとっても、植物にとっても、カリウムは絶対必要なんです。
糸井 カリウム40というのは?
早野 すべての地上のカリウムの中には、ちょっとだけカリウム40というものが常に混ざってます。割合でいうと、地球上に存在するカリウムの中に0・0117%、放射性同位体であるカリウム40というのが必ず入ってる。それはもう土の中にもあるし、海水の中にもあるし、植物の中にもあるし、人間の中にもある。それは地球が生まれたときからあるんです。カリウム40というのは、半減期が13億年ぐらいなんですね。
糸井 13億年! いいなぁ、その気の遠くなるような年月。
早野 地球の年齢が46億年ぐらいですが、カリウム40は地球が生まれたときにはすでに存在していました。地球が生まれた頃は、今より多かったんだけど、だんだん減ってきている。
糸井 何十億年、ずっとあるわけですね。
早野 そう。たとえば、植物の中にあるものを動物が食べて、それを人間が食べて、排泄によって出して、って、もうぐるぐるぐるぐる回りながら、ずっと存在しているわけです。
 さきほども言いましたが、生き物は体内のカリウムの濃度を一定に保っています。どんな植物、どんな動物、どんな人間も、体内のカリウム量というのは、1年を通じてほぼ一定です。そして、その中に必ず放射性のカリウム40が一定の割合で入っていて、それが人間の大人であれば、大体4000ベクレルぐらいあります。
糸井 つまり、人間の大人は、体内に4000ベクレルの放射性物質をいつも持っているということですか。
早野 そうです。4000ベクレルってことは、今この瞬間、体の中に毎秒4000個ずつカリウム40が壊れているわけですね。で、壊れる時に放出する、放射線の線や線が、ある意味体を傷つけてるわけです。だから、食品なんかの放射線量を考えるときに「1ベクレルでも危ない!」というのは、ちょっとおかしな考え方なんです。我々は体内のカリウム40から、常に4000ベクレルずつ影響を受けていて、この数値は、我々の努力で減らしたり増やしたりすることはできないんです。
糸井 つまり、カリウム40によって、常に内部被ばくするっていう前提で人体も他の生き物もできているわけですか。
早野 そういうことですね。
糸井 もうひとつ、ぼくの半端な知識を確認させてください。カリウムは体の中にあっていいんだけど、核分裂によって生じるセシウムは体にとってよくないもので、両者はけっこう似ているんですよね。で、ぼくが憶えているのは、土の中にカリウムとセシウムがあると、植物はカリウムを摂ろうとして、間違えてセシウムを吸収してしまうことがある。だから、原発事故の後、畑にカリウムをたくさん撒くといい、というのを聞いたことがあるんですが、これは本当でしょうか。
早野 あ、それは正しいんですよ。実際、福島のお米は、それによってセシウムに汚染されずにすんだんです。
糸井 そうなんですか。
早野 福島のお米はすべて出荷前に放射線量を測っていて、1キログラムあたり100ベクレル以内という基準を満たさないものは流通させないようになっています。2012年度は約1000万袋を測って、71袋が基準を満たさなかった。2013年度も1000万袋以上測って、はじかれたのは28袋。正直、これは当初の予想を大きく下回る数値だと思っています。
 というのも、事故の直後、田んぼの地面の中に含まれているセシウムの量と、そこで育ったお米に含まれるセシウムの量は、常識的に考えて、比例するのではないかと予想されていたんです。ですから、震災直後は、土1キログラムあたり5000ベクレル以上のセシウムを含んでいる田んぼでは、お米を作るなという指令を国が出しました。
 当時はお米の暫定的な規制値が、いまよりも高い、1キログラムあたり500ベクレルでしたから、地面のセシウムがお米に10分の1移行するとすると、土1キログラムあたり5000ベクレル以上のセシウムを含む田んぼでは、1キログラムあたり500ベクレルのお米ができる可能性があると考えられていたんです。
糸井 なるほど、なるほど。
早野 ところが事故の後、最初の年、できたお米を測定してみると、これが驚きなんですけど、土の汚染度と米の汚染度の比例が、まったく確認できなかったんですよ。土の汚染は少ないんだけど米は汚染されてるとか、土はものすごく汚染されてるんだけど米はとっても安全とか、グラフにしてみても、データがいろんなところにバラバラに散っていて関係性が見えなかったんです。
 ところが、もうひとつグラフがあって、そこにははっきりと法則性が現れたんです。それは、土の中のカリウムの濃度と、お米のセシウムの濃度をグラフにしたものでした。それを見てみると……。
糸井 反比例ですか。
早野 きれいな反比例のグラフになっていたんです。
糸井 はーー、おもしろい。って言っちゃいけないのかもしれないけど。
早野 でも、おもしろいですよね。植物にとって、カリウムは必須元素。だから、カリウムが少ない土地でも、植物は一生懸命カリウムを集めてくるんだけど、そのときにカリウムと化学的性質がよく似たセシウムも一緒に間違えて取り込んじゃう。その性質を見越して、土にあらかじめカリウムを肥料としてたっぷり混ぜておくと、植物がカリウムを集めるときに、セシウムを間違って取り入れにくくなる。そういうことなんですよね。
糸井 ぼくは今、頭の中で、マンガみたいに考えてます。植物さんがさ、一生懸命、土の中からカリウムをかき集めてる……。
早野 いいんですよ、それで(笑)。
糸井 マンガみたいに絵にして思い浮かべないとイメージが追いつかない(笑)。ちなみにカリウムって、見た目はどんな感じなんですか。
早野 塩化カリウムなので白い粉ですね。でも、最終的には、水に溶けてカリウムのイオンになるので……。
糸井 ああ、イオンが出たら、もうアウトです。マンガ的な絵すら出てこない。
早野 あー、そっか。イオンは実感が難しいんですね(笑)。
糸井 イオンはまずいんだよなぁ。なんとなく、元素とか分子とかだと、まだこう、ちっちゃいマルに目鼻をつけて絵に描けるんだけど、イオンは、どうしていいかわからない。
早野 ははははは。
糸井 正直、ぼくの感覚って、そういうレベルです。勉強して知識を仕入れても、実際のところは、数字やデータじゃなくて「印象」で覚えちゃう。体の中にカリウム40があって、それが放射線出してるみたいなことだって、事故があるまではまったく知らずに生きてきたから。
早野 いや、わかります。
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