親鸞 Shinran 吉本隆明、糸井重里。




3 親鸞とマルクス、何世紀にもわたって通用する根本的な考え

吉本 親鸞が洞察して、
最初から仏教の戒律を破っていたことは
現在に生きています。
このほかに、もうひとり、
マルクス
(1818〜1883 ドイツの哲学者、経済学者。
 『資本論』『共産党宣言』などを書いた人)
の言ったことで
いまに生きている考えがあると思います。

それは、
人間が何かを言ったり書いたり
主張したりすると
そういう人に、自分のほうもなっちゃうんだ、
ということです。

自分が何かを書いたら、まずは、
例えば本屋さんが儲かったとか、
あるいは誰かが感心して、
何かを考えざるを得なくなったりすることが
あります。
外界の人たちに対する影響なしに
何かをするということはない。
人間が何かをすると、
しただけの変化が必ず
外界のほうにもあるわけです。

それと同時にね、
主張したり書いたりしたことは、
ちゃんと書いたとおりに、
自分にも同時に、影響があるわけなんです。
それは、必ず、あります。

何かを主張したら、自分のほうも、
主張どおりに実行したりすることになります。
つまり、自分がそういう人間になっちゃう、
ということです。

例えば、このあいだテレビで
人がたくさん集まって
「これからは人間の道徳、倫理についても
 唯物論じゃなくて唯脳論で理解していこう」
なんて言ってた番組があったけど、
出演している人たちがみんな
唯脳論者になり、
唯脳論的脳になっちゃうんだぞ、
ということを、自分では思ってないな、
ということが、僕にはわかります。
間違ったことは言ってねぇ、という意味では、
言ってることは通るけど。

養老孟司さんがやっていたときは、
唯脳論には意味があったんです。
しかし、いまは状況が違うし、
こないだのテレビでは、
そういった意識もなかった。

何かを主張したり学問するときには、
自分のほうもそれになってしまうことを、
人にわからないように
絶えず自己検討しないと、人間を失格するよ。
そういうことを、彼らはぜんぜん考えていない。
僕はそこのところで、これはダメだって
思っちゃうわけです。

この考えはね、マルクスの
ちょっといいところなんです。
マルクスは、
自然と人間の関係について、
人間が自然にあるものに対して
手を加えたら、
必ず自然がそこだけ
変わっていくよ、
価値を持ってくるよ、
と言っているんです。
そして、手を加えた自分のほうも、
「手を加えたり考えたりした人間」
ということになっちゃうよ、

と言っています。
そういう相互作用が
人間と自然の間にはあるんだ、というのが
マルクスの、根本的な考えなんです。

それだけは、まだ僕は、信じてます。
ほかのことは、時代が変われば、
言ったとおりにならなかったじゃないか、
ということになったりするんだけど、
それだけは、まだ僕は
信じることができています。

(つづきます)

2007-10-16-TUE



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN