-和田さんによる解説-

変わったマクラ(かわったまくら)

志ん朝は五十代の十年間(1990年~99年)、
毎年秋に、名古屋の大須演芸場で三夜連続の独演会を開催した。
東京ではめったに独演会を開かなかった
(「追っかけが来るのがいやだ」という理由が大きかったと仄聞する)
志ん朝が、三夜連続で聴けるとあって
東京からの遠征組も出た伝説の会である。
この会の録音はあるとかないとか言われていたが、
数年前に集成されたものがボックスで刊行。
席亭が記録用に録っていたものなので、音質はまあまあだが、
貴重なテイクであることは間違いない。
野球の場合、選手はホームでリラックスし、
アウェイで緊張するのかもしれないが、
志ん朝はあきらかに逆で、
大須ではむかしの旅のしくじり話や、
売春防止法以前の「吉原」に関する思い出などを屈託なく語っている。
志ん朝大須独演会のなごやかな雰囲気は、
小林信彦が「名人―志ん生、そして志ん朝」に書き残している。

志ん朝は五十代の十年間(1990年~99年)、
毎年秋に、名古屋の大須演芸場で
三夜連続の独演会を開催した。
東京ではめったに独演会を開かなかった
(「追っかけが来るのがいやだ」という理由が
 大きかったと仄聞する)
志ん朝が、三夜連続で聴けるとあって
東京からの遠征組も出た伝説の会である。
この会の録音はあるとかないとか言われていたが、
数年前に集成されたものがボックスで刊行。
席亭が記録用に録っていたものなので、
音質はまあまあだが、
貴重なテイクであることは間違いない。
野球の場合、選手はホームでリラックスし、
アウェイで緊張するのかもしれないが、
志ん朝はあきらかに逆で、
大須ではむかしの旅のしくじり話や、
売春防止法以前の「吉原」に関する
思い出などを屈託なく語っている。
志ん朝大須独演会のなごやかな雰囲気は、
小林信彦が「名人―志ん生、そして志ん朝」
書き残している。