先週で九州が終了しました。
最後となった熊本県は
大ボリュームになりましたが、
それでも言い足りないと
みうらさんは名残惜しそうです。
今回も、名残惜しい南方向に進んだためか、
せつない思い出がつまっていたためか、
2週連続大ボリュームとなりました。
沖縄県 探しものは、見つからない。
みうら ああ、もう九州が出てくること
はないんですね。
ほぼ日 そうなんですよ。
みうら 出てきたら、十州ですもんね。
ほぼ日 (みうらさんの引いた県くじを見る)
あ‥‥次は、南を一気に制覇で、
沖縄県です。
みうら

いまの人は「へんかん」っていうと、
パソコンの漢字変換だと
思ってる人が多いでしょう。
へんかんというと、ぼくらの世代では
当然、沖縄返還です。
小学生のときには、
まだパスポートが要りましたからね。

ほぼ日 なるほど、返還は1972年ですね。
みうら 沖縄県にはたくさん島があるというので、
ぼくはいま、しらみつぶしに行ってます。
こういうビジュアルの人間にとって
沖縄が似合わないことくらいは
知ってますよ。
みんなから「何しに行ってるんだよ」って
言われているという噂も
耳には届いてないけど、知ってます。
でもオレが沖縄が好きだって
いいじゃないですか。
沖縄といえば、ダイビングをしたり、
自然が大好きだったりする人が大半という
エコなイメージがありますよ。
‥‥オレだって、好きなんですよ。
そりゃ、オレのイメージからして
青森県のキリストの墓行っとけ、
と言われがちなのもわかりますが、
でも「オレだって」
と言いたいところがあるんです。
自腹で行ってるわけですから。
「泳げんの?」などとも言われがちですが、
泳げないですよ。
泳げないうえに、島に行きますとね、
車で回らなきゃなんないじゃん、
という不安がありますね?
免許もないです。
泳げなくて免許もない人間が
沖縄県に行ってはいけないんですか、
ということを、
バシっと言いたいわけですよ。
ほぼ日 たしか、飛行機も‥‥。
みうら 飛行機も苦手でした。
もともと、ぼくらは
パニック映画の世代ですので、
「ポセイドン アドベンチャー」で船、
「サブウェイ パニック」で地下鉄、
「エアポート」シリーズで飛行機、
3つの乗りものが全滅なんです。
乗ったら機長がアラン・ドロンだったり、
チャールトン・ヘストンの場合は
気をつけろ、というとこですよ。
ほぼ日 はあ。
みうら

そんな障害を越えて
沖縄県を好きなわけです。
船もすっごい苦手ですけども、乗って、
久米島に行ったり、波照間島にも
黒島にも行きました。
それを人に報告すると必ず
「やけてねぇじゃねえか」と言われます。
沖縄県に行くと
やけなきゃダメなんですか、と
もう一回言いたいです。
白いままで帰って来ても、
それも沖縄県なんですよ。
ぼくは、3か月ほど前、
石垣島に行きましたが、
なぜやけなかったか、
理由ははっきりしています。
石垣島鍾乳洞と具志堅用高記念館、
このふたつしか行ってないからです。
具志堅用高記念館は、
こう言ったらなんですけど、
入口にいる人が、やる気がないです。

ほぼ日 ‥‥はははは。
みうら

その日は定休日だったんでしょうか、
ちょっとわからないんですけども
入口におじさんは、おられたんです。
そこに具志堅用高さんの
グッズが売っていました。
ぼくは当然欲しいわけですよ、
「具志堅用高さんの

 写真が入った写ルンです」
が。

ほぼ日 はははは。
みうら ぼくは「写ルンです」を集めてるんです。
各土地の「写ルンです」があるということも
おいおいみなさんに
言っていかなきゃならないですけども、
当然、具志堅用高さんのも
押さえたいんです。
けれども、そのおじさんは
「いまは、わかんねぇ」と言うんです。
「おじさんがいるじゃないですか」
って、ぼくは何回も言ったんですけど、
「いや、わかんない」
ということで、売る気がない。
あちこち開けるのもめんどくさいし、
いくらかもわかんないし、
という感じでした。
それが‥‥なんて言うんですかね、
沖縄のよさの「ベスト10」には
入るところでしょう。
つまり、商売っ気がないわけですよ。
ほぼ日 ああ、なるほど。
みうら もう一方の石垣島の鍾乳洞も
びっくりしますよ。
鍾乳洞の奥、暗いところから、
突然、ピカッと光ってきますから。
ほぼ日 光が?
みうら 「なんだ?!」と思うわけですよ。
それは、鍾乳洞の暗闇の中に、
カメラを持ったおじさん
立ってるからなんです。
そんで、無防備になった
我々を撮ってきます。
怖いですよ。
まさかそんなところで、待ち受けてるなんて
思わないじゃないですか。
ほぼ日 よく、遊園地のアトラクションで
オートで撮られるやつがありますが、
そこは手動で‥‥。
みうら ええ。お台場の観覧車だって、
降りたところに
撮られた写真が売っています。
ですからぼくは、気をつけてはいましたよ。
気をつけてたけど、さすがに鍾乳洞は
のん気にしてました、地下ですから。
ピカーッと光ってきて、
数分後、出口のところに写真が
貼り出してありました。
「よかったら買ってください」
って言うんです。買いたいです。
それはもう、買わしてください。
陽気なディズニーランドとかならいいです。
しかし、わりと陰気とされている鍾乳洞に
ずっと売れずに残っている自分の写真が
どんなものかを考えてみてください。
ほぼ日 買うしかないですね。
みうら

それからねぇ‥‥沖縄県は、
島ごとに話がありますので、
終わらないかもしれない。

ほぼ日 沖縄県で連載したいくらいです。
みうら

このお面を見てください。



このお面は、毎年、夏の終わり頃に
波照間島で行なわれている
ムシャーマというお祭りの、
木彫りのお面です。
これは、ミルクさまと呼ばれています。

ほぼ日 ミルク?
みうら その呼称は、
弥勒菩薩からきたのではないかと
言われています。
ここで、
ちょっと話は昔へさかのぼりまして、
ぼくがはじめて沖縄県に行ったのは
30歳になる手前の、ぎりぎりのときでした。
糸井事務所の石井という奴と
「30までに1回、ナンパがしたい」
ということで、行ったんです。
ほぼ日 我々の先輩にあたる方と。
みうら 次に、どこにナンパを
仕掛けに行けばいいかを
そこの大将である
糸井さんに訊いたんですよ。
ほぼ日 我々の社長にあたる方に。
みうら 「沖縄がよかろう」ということで、
ぼくらは決断しました。
ツアーに参加すれば、
羽田空港からモテモテだと聞いたんですが、
計画が遅かったのか、すでに
ツアーはどこもいっぱいでした。
唯一残っていたのが、
ひめゆりの塔観光ツアーでした。
ぼくと石井は、
そのツアーに申し込みました。
空港には、老若男女の
「若男女」がいなくて「老」でした。
「老」の状態で飛行機乗ったぼくと石井は
ここは許してやる、
ということになりました。
石井は免許を持っているので、
赤のカブリオレを
レンタカーで手配していました。
当然、ナンパする役は、助手席のほうです。
「オレかよ」と窓を開け、
何回か声を出そうとしたんですけど、
のどから出ることはなかったです。
空港も許してやる、
ということになりました。
ムーンビーチというところは、
モテモテだと聞いてましたんで
「明日の朝行ってモテモテになろう」
と計画していたところ、寝坊して
昼過ぎに起きてしまい、行ったら夕方で、
もうほとんどの人が帰っていました。
ムーンビーチは許してやろう、
ということになりました。
ほぼ日 はあ。
みうら 当時はディスコが大流行でした。
ディスコに行ってナンパだ、
とういことになり、
行きましたら、
米軍の方がたくさん来ておられて、
背が高いんです。
これはダメだということで、
ディスコも許してやる、ということに
なりました。
ほぼ日 はやばやと。
みうら よーし、次の日は万座ビーチだ!
ほぼ日 いよいよ!
みうら 万座ビーチには、教訓をいかして
ちゃんと朝から行きました
「オレら、一緒にいるから
 声がかけにくいんだ。
 別々ならかけられるにちがいない」
という相談をして、
ぼくはビーチ担当、石井は海担当になり、
分かれて行動しました。
ビーチで30分ほどすごし、
「石井、帰ってこねぇなぁ」思っていたところ、
石井が帰ってきて、
「少し泳げるようになった」
と言いました。
ほぼ日 はははははははは。
みうら ナンパをしに行ったんじゃないのか、と
問い質したいところに
「少し泳げるようになった」という
報告を聞いて、びっくりしました。
あいつも泳げなかったんですね。
ほぼ日 それは‥‥おふたりの友情の旅に
心あたたまります。
で、ミルクさまのお面は‥‥。
みうら ええ、いまから20年ほど前のそのとき、
石井とはじめて行った沖縄県の、
国際通りのお店で、
このお面を見かけました。
3万円近くしたと思います。
パッと見て、欲しいと思ったんですが、
すごく高いのでやめました。
それが、5年ほど前に沖縄県に行ったとき、
同じ国際通りのそのお店に、
まだ、かけてありました。
ほぼ日 すごい。
みうら ものすごい時を経て、かけてあったんです。
「売れて売れて何度でもかけてるよ!」
という感じではなかったです。
なぜかというと、ビニールのカバーが
ものすごいことになってましたから。
よーし、ぼくも、もう大人だ。
ナンパは、もういい。
ほぼ日

20年たって、
ナンパはいい、と。

みうら ナンパより、このミルク菩薩のお面が欲しい、
ということで、購入しました。
ぼくはこういうときに必ず、
領収書を取るというケチ勘定があります。
その店のおばさんに
「すいません、領収書、お願いします」
と告げ、領収著をいただきました。
見たら、
「ミルク代3万円」
ほぼ日 但し書きが。
みうら 「上様、ミルク代3万円」って、
どういうことでしょうか。
相手はよかれと思って書いたんでしょうが、
それは、落とせません。
どんな仕事ならこの領収書を
使えるんでしょうか。
だいなしな領収書をもらって帰った思い出、
それがぼくの沖縄県の思い出です。
ほぼ日 具志堅用高記念館の売店のおじさん、
鍾乳洞の写真おじさん、ナンパ、
ということで、
あまり王道は出てきませんでしたが。
みうら

ぼくは、こういうタイプの人間ですから
王道をめざしたらモテるわけがない、
と思って、やってきました。
小学校のときから。人がゴジラと言うなら
ガッパと言わなければなりませんでした。
ですからずっと「何か見つけてやろう」と思って
生きてきたふしがあります。
そのうち、日本各地をめぐって
「ああ、発見!」と、
カメラを持っていなくても
こめかみのあたりで「ピピッ!」と
音がするようになりました。
自分の頭の中の自動照準が
ピピッ! ピピッ! ピピッ!
これは言ってみれば、
軽くおかしくなってるんですけれども、
それでも、沖縄県はすごいんです。
本島はさすがに照準が合いますが、
離島に行ったら、
まったくネタが拾えません。

ほぼ日

「妙なもの」がないんですね。

みうら ネタがなくて
石垣にへたり込んでしまう
始末です。
焦りました。もう何もない、
ぼくが写真を撮るものは何もない。
へたって、へたって
波照間島に行ったときには、
波照間の「波」という字を撮影し、
『アウトドア般若心経』で使って
ギリギリでした。
あとは、きれいな夕日、きれいな海、
そしてきれいな家並み、
ぼくの入り込む隙がまったくないんです。
3日目に、ぼくはカメラを置きました。
手ぶらで歩くこと、それは、
ぼくの解放でした。
解放だ、オレはもう返還だ。
ほぼ日 自分の支配から返還ですね。
みうら

伊良部島にも行きました。
びっくりしました。海と陸だけでした。
宮古島にも行きました。
そこの演習場では、
飛行機がゴーって飛んでました。
「あの胴体着陸した飛行機がいる」
と言われて、
思わず「胴体着陸ですか」なんて口走り、
カバンからカメラを出しました。
でも、すぐに虚しいことだとわかって
カメラをぽーんと置きました。
沖縄は、そういうサブカルを
一掃してくれます。ですから、
サブカルでお悩みの貴兄
ひとこと言いたいです。
それは「沖縄に行け、しかも島」
ということです。
小さい離島がいい。
何もないぞ。
お前の探しものは、机の中も、
引き出しの中も、どこを探してもない、
「それより、ぼくと踊りませんか」
そう沖縄県は言ってくれます。

今回のお話をノーカットでごらんになりたい方は
下の動画でおたのしみください。

みうらさんは、
自分を返還してくれる沖縄県に
移住することすら考えているのだそうです。
沖縄県のおかげで
銀行に行けるようになったとも
おっしゃいます。
島々ひとつひとつについて、
言わなきゃならないことがいっぱいある、
「島めぐりの特集をしてもらえば、
 島だけでやります」という
みうらさんの語り旅は、次回、
すこしだけ北上します。
次の県もおたのしみに。
2008-04-20-SUN
みうらじゅんさん&安斎肇さんが
結成した「勝手に観光協会」作の
すばらしい沖縄県ご当地ソング
「レイドバック沖縄小唄」を
どうぞお聞きください。