CHABUDAI
チームプレイ論。
『ニッポンの課長』から見る仕事と組織。

第7回 おとなになる、ということ

(※次回からの、本格的な組織論についての対談の前に、
  今回は、重松清さんが、かつて「ほぼ日」紙上で
  個人仕事について話してくれたことを、再録します。
  こんなふうに個人で文筆業を続けてきた重松さんが、
  さまざまな課長に出会ってどう思ったのか?などと、
  想像しながら、読んでみてください。
  もちろん、次回は、対談に、ふたたび、戻りますよ)


重松 「若者のカリスマ」とかいうと、
どこか斜に構えたり、すねてみたりする。
それは、たしかに、かっこよく見えます。

かっこいいけど……否定ではじまるものって、
そんなに長くは続けられないと思います。
一発目は衝撃があるけれど、
ニ発目三発目とつづけていくうちに、
きつくなっていくのではないでしょうか。

つまり、「否定のための否定」を
いつしか、探すようになりますよね?
「俺は人間なんか信じないぜという歌を、
 人に届けられることを信じて、作ってんの?」
そういうことになってくるから。

「肯定」って、強いですよ。
今のような時代になってしまうと、
そもそも、
肯定を探すだけでも、けっこう力技ですし。
「ものを作って送りだす」って、
何かを肯定しなければ、できないことでしょう。

ぼくは、仕事が好きです。
編集者をつとめたあとの二〇代から、
もともとは、フリーライターをしていましたが、
「誰よりも、仕事をしてやる」
「誰よりも、稼いでやる」
こんな気持ちで、必死に、チャンスだけは
絶対に逃さないようにしてきました。

新宿のゴールデン街的、とでも言うのか、
フリーライターたちのやさぐれた雰囲気……。
それが、ものすごくイヤだったんです。

「むしろ、貧乏のほうがいいんだ」
とでも言うようなマイナー志向の考えや、
メジャーの人間をひがむという
フリーライター独特の体質が、大嫌いでした。
また、一般人が見る、
「フリーライター?」という目線もきらいでした。
特に、作家の連中からのそういう目線がイヤだった。

だったら、どうするか。
「自分はフリーライターとして
 おもしろい仕事をして、すっごい儲けてやる!」
肯定したい。
そう考えて、やってきたわけです。

たまたまいただいた仕事にも
力一杯、結果を出して、前任のライターから、
さんざん、仕事を奪ってきました。
「もらったチャンスは、モノにしてきた」
そういう気持ちは強くあるんです。
黙っていても、仕事は来ないから、
いつも、こちらからつかんできました。

ライター時代から
ずっとやりつづけてきていると、
何ひとつラッキーパンチはないとわかるんです。
実力で勝っているという意識があるんですね。

一個一個の仕事に、ものすごく実感がある。
直木賞も、自分で取ったほうがいいと思ったからこそ
取りにいって、つかんだ……そういう自負がある。

ぼくのこれまでの仕事には、
「一夜明けたら、ビッグスター」
という感じは、ありませんでした。
でも、毎日起きるたびに状況がよくなっていく。
それを実感するのも、人間としてすごくうれしい。

幸いにも、今はぜんぶ、自分で
「やりたい」と言った仕事をやっています。
仕事は楽しいし、責任もある……。

ただ、そういう自分の前向きさや一生懸命さって、
自分でも、たまに、うっとうしくなる時があるの。
何か野望をもって上京してきた人間と、
都会で上品に生まれ育った人間との違い、と言うか。

やっぱり、歳を取っていくことは、
「変わっていくこと」だと思うんです。
変わらないうちは、
歳を取ったことにならないと感じています。
 
ほぼ日 「歳を取ることは、変わること」
といういまのお話に、とても興味があります。
くわしくうかがっていいですか?
 
重松 年齢を重ねれば重ねるほど、
変わることに臆病になる人が、いると思うんです。
若い時に一回ピークが来てしまった人なら
なおさらそうですよね。

若い頃の「ツッパること」って、
いろんなものを封印しながら
とにかく前に進んでいくことだとも思うけど、
もう、それじゃいかない時期が出てくる。

おとなになると、
守らなければいけないことが出てきて、
けっこう、攻めていけないんです。
ぼくなんかも、けっこう思い通りにいってない。
若い時の「思い通りのいかなさ」は、
人のせいにしたり時代のせいにしたり
社会のせいにしたり……いくらでも処理できる。

でも、おとなになってからの
思い通りにいかないことって、
言いわけが、きかないでしょう?

「オレはオレで、自分のハッピーを行くんだ」
と言うしかない。
この、オレはオレで行くという感じが、たぶん、
「おとなになるということ」だと思うんです。


きっと、誰しもが、
「いつが、自分のピークなんだろう?」
という話題を、見ざるをえないのではないでしょうか。
歳を取るっていうことは、
自分のピークはいつなのかという問いと
正面から向きあうことでもあると思うから。


たとえば、ぼくの肉体的なピークは、
二〜三年前に過ぎたと実感しているんです。
昔なら二晩徹夜できたのが、できなくなったとか。
小説の部数のピークが、いつ来るかわからない。
小説の出来のピークが、いつかもわからない。

もうピークが過ぎているかもしれないし、
でも、もう一作書いてみるといいものができて、
それが売れて「お、まだやっていける」と思ったり。
それは、ぼくも、考えることです。

ましてや、ほんとうにトップに行った人間は、
二位や三位になった時点でさえも、
一位から見たら、マイナスですよね。
だとしたら、いちばん弱気な部分では、いつも
「自分のピークはどこだろう?」
という感触を、いつも持っているんじゃない?
ものを作る人間は、みんなそうだと思う。

最終的には、みんな、
「ほかに似た人がいない存在」
を目指していくことになるのかもしれない。
あるジャンルがあって、
いかにもそのジャンルのど真ん中にいる人って、
実はジャンルに負けてしまっているのかもしれない。
「あるジャンルの中でもほんとうに強い個性って、
 ジャンルの中からはずれそうになる」
というか。
そのほうが、結果的には作品が残ると思う。
やってる側も、せこい競争じゃなくて、
このジャンルが残るか残らないかの戦いになるから、
きっと、やりがいが出てくるよね。

ぼくも、そうありたいと思っています。
たとえば、矢沢永吉さんのような曲を聴きたければ、
他の誰でもない、矢沢さんの曲を聴くしかない。
それと同じように、あんな小説を読みたければ、
重松清の小説を読むしかない……みたいな。
 
  (今回の発言は「ほぼ日」の「53」からまとめました。
 では、次回の、重松さんと糸井重里の対談に続きます)


『ニッポンの課長』

2004-02-12-THU

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