ぼくらはどうして「周囲の目」を気にするのか? 20人の高校生と 「しがらみ」を「科学」してみた。
 



糸井 現代という時代は「自分の意見」を公にするときに
その人の「知性」が
透けて見えてしまうと言いますか‥‥。
山岸 ええ、ええ。
糸井 ぼくは、消費者センターに勤めてる人なんかを
フォローしてるんですね、ツイッターで。

たとえば「振り込め詐欺」に引っかかった人を
どう救済するか、
化粧品で皮膚の異常が出ちゃった人に
どう声をかけるのか‥‥
自分の仕事に、とても参考になるんです。
山岸 他人との関わりかたを、熟知していそうですね。
糸井 科学者でも
間違っていたらきちんと認められる人の言葉は
やはり、信用できます。

そういうふうに、ひとつひとつたしかめながら、
だんだん、
ぼくのリテラシーが出来てきたのかもしれない。
山岸 なるほど。
糸井 ちょっと話が脱線するかもしれませんが、
ぼく、18歳のときだけ学生運動してたんです。
山岸 ほう。
糸井 そのときはもう、
「明日にでも、革命が起こる」くらいのことを
思っていました。

そこでは、
「教室で授業を受けているうちに
 戦争に巻き込まれてしまうぞ」という脅しが
まかり通っていたんです。
山岸 うん、うん。
糸井 「世界には、こんなにも非人道的な兵器がある」
だとか、
「国会議事堂の前の道は戦闘機の滑走路なんだ」
だとか、
もう、さまざまあるんです、脅しのネタは。

ぼくも、それに倣って
「おまえら、麻雀してる場合じゃないだろう!」
とか言って、ときにはケンカにもなって。

‥‥あのときは、本当に申しわけなかった。
一同 (笑)。
糸井 運動の現場にいた上級生たちに言われたことを
鵜呑みしてしまったんですね。

でも、そのときの経験は
いまのぼくの「言葉の使いかた」なんかに
相当、影響を与えていると思う。
山岸 わたしたちの世代では、
そういう「正義の話」が、近くにありましたね。
糸井 いま思えば、ぼく、あの歳で経験できたことは
よかったと思っているんです。

むしろ、大人になってから「正義漢」に
ハマってしまうと、
なっかなか、危なっかしいんですよね。
山岸 うん、うん。
糸井 「ルールや規則さえつくれば
 それに則って、素晴らしい社会がつくれる」
と、本気で信じちゃうというか‥‥。
山岸 でも、世のなかの「社会制度」というものは
ルールだけで、うまくいくとは限らない。
糸井 そうですよね。
山岸 人間という存在は、本当に「さまざま」ですから、
その「かたち」沿った制度を
つくっていくということが大事でしょうね。
糸井 でも、たいていの「ルールをつくる側の人間」は、
ルールが守られさえすれば
世のなかはうまくいくんだって、つい考えちゃう。

つまり「守らないこと」を、織り込まない。
山岸 うん、うん。
糸井 経済学の分野でも
「人間とは、
 必ず自己利益にしたがって合理的な選択をする」
という
「ホモ・エコノミクス」の理論では
すべてを説明しきれないことは明らかですものね。
山岸 ええ、ええ。
糸井 これは、いろんなところで話しているんですけど‥‥
東北の被災地に行くと
「ごちそう」になることがよくあるんです。

旬のカツオのお刺身とか、つみれ汁とかね、
おもてなしを受けて、
本当にいいのかなぁと思いつつ‥‥
うまいもんだから、食べちゃうんですよ。
一同 (笑)
糸井 するとね、すごくうれしそうなんです。
山岸 被災地は大変な状況なんだから、
ごちそうになって、どうするんだというふうに
ふつうなら
思われてしまってもしかたないけれど。
糸井 そうなんです。

もう、現地の人と友だちになっちゃってますから、
「これってアリなのかね、
 本来は逆じゃないのかね」と聞いてみたんです。

そしたら、
「ごちそうしたい、というのも欲望なんだ」と。
山岸 なるほど‥‥。
糸井 映画を見たいとか、食卓に花を飾りたいとか、
きれいな服を着たいとか、
そういうことと、同じだって言うんです。

「俺たちが、そういうことをしたいんだから、
 素直に受け止めてくれよ」と。
山岸 うん、うん。
糸井 ただ、お金や物資を一方的に渡すことだけが
「支援」じゃない。

もちろん、衣食住はいちばん大事なんですが、
それだけでは生きていたって楽しくない。

だから、さっきの経済学の問題についても
そういう「人の気持ち」まで
組み入れて考えないと、ダメだろうな、と。
山岸 そうですね。
すごく難しい取り組みにはなるでしょうが。
糸井 たとえば今日、ここにいる若い人たちだと
もう「給料の高さ」だけでは
「就職先」を、決めないんじゃないかな。

‥‥どうだろう?
一同 ざわざわ‥‥。
糸井 一昔前なら、優良企業をランキングして
少しでも順位が上の企業に入りたい‥‥という
ブランド志向が主流でしたよね。

でも、いまは、そういう学生もいる一方で、
いわゆる「いい大学」を出たあと
NPOでプイッとモンゴルに行っちゃう人とか、
かなり多様化してますから。
山岸 うん、うん。
糸井 これも‥‥被災地での話なんですけど、
気仙沼で、とある社長さんと、知り合ったんです。
山岸 ほう。
糸井 そのかたは、貧しい家に生まれて
中学を出たらすぐに船に乗って漁師として稼いだり、
ずいぶんご苦労されたんですが、
いまでは、23の会社を持ってるんです。
山岸 すごいですね。
糸井 特別に何を習ったということは
ないそうなんですが、
「自分がされてイヤだったことはしない」
ということと、
「自分がされて嬉しかったことを
 人にする」
ということを信念にされているそうで、
積み重ねてきた自力がすごい。

震災が起きてから、
絶対に車が必要になるだろうと見込んで、
全国から
車を100台、手配して貸し出したりね。
山岸 おお。
糸井 で、その社長さんに
「気仙沼の町は
 今後、どうなるのがいいと思いますか」
と聞いたら、
いちばん重要なことは
「どうやって、人口の流出を止めるかだ」
と言うんです。
山岸 なるほど、なるほど。
糸井 気仙沼というのは、
もともと7万人くらいの町でしたが、
犠牲になったかたや、
行方不明のかた、
仕事や住まいがなくなって
出て行かざるを得なかった人を合わせると、
1割以上の住民が、いなくなってる。
山岸 そうですか。
糸井 いかに、人口を流出させないか。
その言葉の重みは、やっぱり、すごかったです。

つまり、意味としては、
ドラッカーの「顧客の創造」と同じなんですよ。
山岸 なるほど。
糸井 いくら、町なみや堤防を復旧させたって
人がいなければダメだろうし、
逆に、人さえいれば、
地域の仕組みは、成り立つわけです。

だから町の復興は「人を得ることだ」と。
山岸 うん、うん。
糸井 あんまり関係ない話になってきましたけど、
つまり、
山岸先生みたいに
実験を通じてロジックを構築してきた人と
お話させていただく一方で、
現場で、実践されてきた人ともお会いして‥‥
どこかに
交差点があるようで、おもしろいんですよ。

どっちも「社会」をどうするか、ですから。
山岸 わたしはこれまで、
本当に、さまざまな実験をやってきました。
糸井 はい。
山岸 そうした実験をつうじて、
なんらかの「真実」に突き当たってきたと、
思っています。

そして、その社長さんのように
現場で自分の直感を信じてやってきた人も
同じく「真実」に突き当たっている。

だから、やがては、わたしたちは
同じ場所に到達していくと思っていますね。

  <つづきます>

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2012-03-22-THU