SOFTWARE
シェアウェアは
ひょっとすると
デジタルユートピア
かもしれない。

最初の熱い思い。

おもえばシェアウエアって、私をはなっから
信用してくれている。
ほぼ完全に近い状態のソフトをお試しさせてくれて、
「気に入ったら送金し、気に入らなかったら捨ててね。」
と。
相手は、使い続けるんだったら送金してくれるもんだと
思っている。

大抵のシェアウエアは、あまり高くない金額
(海外ものだと、10ドルから20ドルくらい、
国内だと3000円くらい) を、
使い続けたい場合は送金してくれという。
さらにたわけたことに、マックユーザーがよく使う
グラフィックビューワー"JPEGView"なんかだと、
If you like it, you are obligated to send me a postcardof some sort.
(もし気に入ったら、ボクになんかの絵はがきおくんのは
きみの義務だかんね。)
だと。
こんなんで、ソフトの開発にかけた時間と労力を
回収できるのか? 一体。

第一、人はキセル乗車するくらいの
お手軽な罪悪感を持つだけで、
「ウシシ、シメシメ。警告文のウインドウを
消し続けるなんておてのものさ。
ただで使いつづけるわい。」
となることだって充分かんがえられる。

こんなデンジャラスな可能性が見越せるのに、
人はなにゆえにシェアウエアを作るのだろう。

私は、それは多分、勇気と情熱と魂の自由ゆえだと思った。
「勇気と情熱と魂の自由」??
自分の口からこんな漢字がずりずりと出てくるとは!
夢にも思わなかった。
わたしってどうも、シェアウエアに
「好意をもっている」ようだ。
自分の便利を相手とシェアしたいから作り、
ユーザーはその情熱に敬意と感謝の意味を込めて
なにがしかを払う。
こんなシステムが成立しているとしたらすてきだ。
こう思いたいのではないか?

でも、そんな、ロマンチックな想像ははずれてるかも
しれない。
もしかしたらシェアウエアづくりっていうのは、濡れ手に粟的にがっぽがっぽ儲かるのかもしれない。

でもよくわからない。
ということで、わたしはシェアウエアの作者の人々に、
何故シェアウエアをつくるのか、
なぜシェアウエアにしたのか(などいろいろ)聞き、
そしてシェアウエアについて熱く語ってもらうべく
e-mailを出そうとおもうのだ。

次回、沢山のシェアウエアに対する(たぶん)熱い思いをここに展開するのだ!

(つづく)

1998-06-06-SAT

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