読みかえす
「今日のダーリン」
2004/01/10
今年も、「ほぼ日」をどうぞよろしく!
年始のdarlingの発言を、
「お正月」関連でまとめておとどけします。
イチロー選手との感動の対談のコメントも。

イチローさんに関する後日談は、
「野球はことばのスポーツ、という発言が、
 あれだけのレベルで
 野球をやっている人の口から
 語られたというのは、おもしろいなぁ。
 プレイや技術を、ことばに置き換えていく。
 置き換えられないものを発見していく。
 またことばにしていく。
 そういうことの連続のなかに、野球はある。
 イチロー選手との出会いで、そのことが
 あらためて強烈に確認できた」
なんだそうです。おたのしみにね!


1月1日

【言わないで実行する目標】

「新しい年になったところで、
 さっそくひとつ
 思いついたことがあります。
 なんでも
 『宣言して、実行する』というのは、
 いいことなのだとは思いますが、
 ひとつ、
 『言わないで、やる』ということを決めて
 自分だけに約束して
 やってみるということを、
 してみようということなのであります。
 なんでもいいんだと思うのです。
 妻と自分が対立したら、
 とにかく妻に従う、とか、1年間、
 絶対に遅刻をしないと心に誓うとか、
 とにかく、ジャムパンは食わないだとか、
 絶対に、
 他人のことをバカと言わない、とか、
 なんでも、
 ほんとになんでもいいわけです。
 人には言わない、
 ということだけが決まり。

 言わないまま、
 なんとか守り続けていたら、
 ひょっとすると、
 『あなた、
  ぜんぜん遅刻しない人ですねぇ』とか、
 『キミって、ジャムパン食わないねぇ?』
 なんて、
 他人にも気づかれちゃうかもしれない。
 でも、それならそれでいいじゃないですか。
 秘密を持つ、というよろこびと、
 ちょっと自分に
 目標ができるというたのしみと、
 両方がいちどに味わえるんですよ、これで。
 ぼくは、もう決めちゃいましたよ」


1月3日

【おい、休みが終わるのかい?】

「海外にでて正月を過ごしていた方々も、
 今日あたりは、荷物をまとめたり、
 みやげものを
 買いに出たりしているころだと思う。
 『ああ、もう帰国かぁ‥‥』
 なんて、感傷的になる日だよ。
 今日でなければ、明日だね、そういう日。
 国内で出かけていた人たちは、
 もうそろそろ疲れてきていて、
 『やっぱりじぶんちがいちばんだよなぁ』
 なんて言いつつ、
 ちょっとうれしそうに
 荷物まとめているんじゃない?
 あとは、帰路の大渋滞やら
 電車の混雑だけが問題だね。
 ずっといつものように自宅にいた人は、
 『おいおい、こういうふうに
  休みが終わるのかい?』と
 合点がいかない感覚で、
 月曜を迎えるわけです。
 オレです。
 どうしたんだ?!
 テレビといねむりの連続ではないか。
 あいまに散歩が入ってるから、
 まだいいようなものの、
 本の一冊も読んでないぞー。
 海外に行った場合には、
 ミステリ数冊は軽く読んでるよ。
 おかしいなぁ??」


1月4日

【1月がいちばん仕事をしない月】

「12月の忙しさにくらべると、
 1月というのは、
 かなり社会もぼんやりしています。
 『正月気分が抜けない』
 ということばが流通します。
 これ、主語は『わたし』なのでしょうが、
 「わたし以外のみなさま」も、
 主語のなかに
 含まれているように思えます。
 『どうも正月気分が抜けないよなぁ』
 というような感じで、
 周囲の人たちの同意を
 取り付けようとしていることが多い。
 『どうも松の内はいけませんね』だの、
 『成人式が終わるころから、
  やっとエンジンがかかるね』
 なんてこと言ってるうちに、
 半月過ぎちゃう。

 半月もだらだらしちゃうと、
 さぁ気合いを入れようと
 がんばってみても、
 動きや思考が重くなってるから、
 テキパキとはいかない。
 顔も仕事も腫れぼったい感じで、
 1月が終わっちゃう。
 1月というのは、
 毎年そういう感じになりがちです。
 ぼくの長年の経験では、
 1月がいちばん仕事しない月。
 
 『守備練習』みたいなこと、
 『守りのフォーメーション』を
 考えるというようなことは、
 こういうときにこそ、
 やりやすいと思うのです。
 ほら、旅館などにたとえたらですね、
 お客さんの少ない季節に改築とか、
 修繕とかするでしょう。
 そんな感覚で、この1月を
 じょうずに利用したいものだな、
 と、思っている次第です」


1月7日

【ことばが、心を打ち抜いた日】

「イチロー選手は、
 やっぱりおもしろかったよ。
 とにかく、言わんとすることを、
 できるだけ正しく伝えようという
 意志がすばらしかった。
 この真剣さは、人のこころを打つ。
 バットもグラブも持っていない状態で、
 ことばだけで、野球の選手が、
 ぼくを含めた客席の人たちのこころを
 打ち抜いたと思う。

 年齢も同じくらいだと思うのだけれど、
 木村拓哉くんと似たものを感じたなぁ。
 いつも自分の
 『足らなさ』に目が行ってしまうという、
 ある意味では不幸とも言える厳しい視線。
 この視線こそが、現在のイチローやら、
 現在の木村拓哉を
 育ててきたものだと思うのだけれどねぇ。
 二月になったら、この、
 昨夜の約2時間半のトークは、
 衛星放送の一時間番組にまとめられて
 オンエアされます。
 また、おそらく、
 このときの会話のすべては、
 『ほぼ日』で読めるようになるはずです。
 たのしみにしてくださって
 いいと思います」

2004-01-10-SAT


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