読みかえす
「今日のダーリン」
2003/06/14
今週は、話題沸騰の
「京都移住計画」をはじめとした、
darling(糸井重里)による、
「これからのこと」についてを中心に、
4日ぶん、抜粋紹介で、お届けします。
読みわすれた方も、ぜひ、読んでみて!


6月8日

【わが家、大暴挙!】

「まだ誰にも言ってないんだけれど、
 土曜日に
 『わが家、大暴挙!』
 ということを考えました。
 いよいよプラダの
 かっこいいショップも開店して、
 すっかり観光地のようになった南青山が、
 ゆっくりするには
 居心地の悪い場所になってきて。
 引っ越そうか、と、
 話しあいが行われているわけです。
 高層ビルにょきにょき状態の東京は、
 いいところも多いけれど、
 どうも生き物としての人間には、
 生きにくいことも
 多くなっているように思ってまして。
 実験的にでも、
 どーんと引っ越ししてみようかと。
 『昔からのつながりのある今』
 を、感じたいんですよ。
 もっと、じいさんばぁさんのいるところに
 自分の住み家を置いたら
 発想も広がるんじゃないかと。
 そんなことを思いまして、
 じゃじゃじゃじゃーん、
 京都に引っ越そうかと、相談をしています。
 仕事のペースは落とさないままでも、
 これは実現できるような気がするんです。
 やってみて問題があったら、
 また考えようかねと。
 まだ、ぼくとカミさんしか
 知らないことだけど、
 いたずらゴコロもあって、
 ここに書いてみました」


6月9日

【日本の "BEST STANDARD" !】

「昨日の日曜日に
 『我が家、大暴挙』について書いたら、
 にぎやかな反応がありまして、
 たのしかったです。
 昨日読んでなかった方のために言うと、
 自宅を引っ越そうと
 思っているという話でして。
 都内での引っ越しでなくて、
 いっきに離れて、
 京都に住もうかなぁという
 おはなしでありました。
 考えているより、
 やってみたほうがいいと思うので、
 失敗をおそれずに実行しよう、
 と話しあっているところ。
 いろいろたくさんの理由はあるのですが、
 ・現在の職住近接型の生活を、
  見直してみるということ。
 ・ずううっと、
  ビルだらけ便利だらけの場所にいたので、
  そうでない環境を求めているということ。
 ・東京グローバリズムともいうべき思考が、
  しらずしらずのうちに
  身に付いているのを、ちょっと
  修正したいという気持ちがあること。
 ・東京での仕事に、
  もっと集中できそうだという期待。
 ・日本の
  「best standard」を、さらに知りたい。
  老人(歴史)が
  大きな顔をしている場を体験したい。
 ・好きなおいしいものの
  店があるということ。
 ・菜園くらいつくれる土地もありそう。
 というようなことが、
 次々に思いつくわけでして、
 しばらくは、これを考えるのも
 マイブームになりそうです。
 通勤圏として
 3時間以上というのは遠いけれど、
 行ったり来たりだったら、
 なんとかなるような気がします。
 ま、どちらにしても、
 あわてずに考えますわ。
 仕事そのものは、
 もっとガンガンやるつもりですしね」


6月10日

【ひとりの人間が動いていること】

「ほんとに、ひとりの人間が
 生きて動いているということは、
 ちょっとやそっとでは
 伝えきれないくらいに、
 大量で複雑な情報が、絡み合ったり、
 重なり合ったりしているものです。
 自分でも、ここに
 なんでも書いているような気になったり、
 今日は書くことが見つからないと
 悩んだりしていますが、
 実際には、今日出会った人、
 今日初めて経験したこと、
 今日しゃべったこと、
 今日ふと思い出してしまったこと、
 今日もやりそこなてしまったこと、
 などなどなどなど、
 ほんとにいっぱいあるんですよねぇ。
 家族だけで葬儀をやるように指示して、
 ほんとうに静かに亡くなった
 年上の友人のことを、
 永遠の別れの儀式を終えた
 奥様からの手紙で知りました。
 これは土曜日のことだったけれど、
 いま、なんだか
 書いておきたくなって、書きました。
 書かないままだったのかもしれません。
 ほんとうに、気持ちのきれいな人でした」


6月11日

【本って、とてもためになる】

「じわじわゆっくりと、
 になるのだろうけれど、
 『ほぼ日』では、
 いま『本』のことを見直す企画に、
 力を入れていこうとしています。
 本を読むのはたのしい、
 と思っている人もいっぱいいるし、
 本なんか死んでも読みたくない、
 という人もいるでしょう。
 本がとてもいいものだと思いながらも、
 なんとなく遠ざかっていて、
 読まなくなっている人もいる。
 ぼく自身、決して
 読書家だったり本好きだとは
 言えないのですが、
 なんだか、本というものは、
 一面的なとらえ方しか
 されなくなっていると思ったのです。
 むかしむかし、おおむかし、
 本を読むのはなまけものだ、
 と言われた時代もあった。
 あったらしい、ぼくは知らないけれど。
 その後、
 『ためになる』
 というすすめられ方をした。
 『マンガはためにならないからダメだけど
  童話の本(つまりは活字の書籍)なら
  買ってやる」
 というような言い方がふつうにあったっけ。
 もっと時代が進んでいくと、
 『ためになるから本を読むなんて、
  ナーンセンス!』と、いつのまにか、
 思われるようになっていきました。
 たしかに、
 『なんかの利益になるから読む』
 というのは、
 本のおもしろさに
 反するような気がします。
 『ためになるから恋愛をする』
 というのと似たイメージが、
 あるのかもしれませんね。
 だけど、このごろ、
 あらためて思うようになったんです。
 本というものが、
 『ためにならないわけがない』と。
 ためになっちゃっているんですよ、
 本って、結果的に。
 大きな意味で、
 生きるための役に立ったり、
 広い意味での仕事の役に立ったり、
 しているんです。
 それは、役に立つからとか、
 ためになるから、
 という意味でするわけじゃない恋愛が、
 後々、なにかのために
 なってしまっているのと同じです。
 利益や欲を動機にして
 読むわけじゃなくても、
 本は、ぼくにも、あなたにも、
 大きな意味での
 利益をもたらしてくれたと言えます。
 そういう素直な気持ちを核にして、
 『本って、とってもためになる』
 という企画を、いろんなふうに、
 やってみたいと考えているところです」

2003-06-14-SAT


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