YAMADA

第3回 『いつもさみしい』は、
楽しいときのほうが、感じやすい。


こちら、
世界の『ピーターファンデンホーヘンバント問題』に次ぐ、
日本の難問、『いつもさみしい問題。』の
第3回でございます。
人生のデフォルト設定で、
生まれた時からの初期設定として、
「さみしい」を
Onにし続けている人がいる。

「ほぼ日」読者層をフォッサマグナのように
二分している『いつもさみしい問題。』でありますが、
O型にもかかわらず、
「いつもさみしい」に、
まったくピンと来なかったわたくしが、
「いつもさみしい」を知ろうその2として、
今日ご紹介するのは、
『「いつもさみしい」は、
 楽しいときのほうが、
 感じやすい。』
です。

=
う〜ん、O型ですが、
いつもさみしいっていうのはなんとなく分かります。
すごく楽しい時間でも
「あー、この時間も終わりがあるんだ〜」とか
旅行始まったばかりなのに
終了日のことを思って寂しくなったり。
でも、みんないつも悲しいと思ってたので意外でした。

『いつもさみしい』が、
いつのまにか「いつも悲しい」になっていて、
哀しかったです。

さて、続いていきましょう。

=
24歳、零細編集プロダクションにて
新人をしております。O型です。
かなりさみしいです。
飲み会の終了間際には
いつも「もう一軒行こう!」と、
最後まで粘ってしまいます。

「祭りのあとの寂しさ」
みたいな状況はとても苦手です。

また、一人でいることは苦にならず、
むしろ好きなほうなのですけど、
「一人が好き」と「孤独に強い」は
まったく異なることであると、
最近仕事を通じて痛感する出来事がありました。
その結果、自分は
「一人が好き。
 でも孤独には凄くよわい。」
人間だと自覚しました。

まさしく今、さみしくなっていたさなかに、
「O型はさみしい」という今日の記事を見て、
思わずメールしてしまいました。

さみしいのはいやなので、
もうちょっと仕事、頑張ってみます。

「祭りのあとアレルギー」
というようなご意見は、
とても多かったです。
この方の場合、
全般的な負けん気が、
よけいに『いつもさみしい』を
呼んでいるようにも思えるのですが。

=
私、O型です。
やっぱ毎日毎日『さみしい』です。
なんだかんだで。
友達と喋ってる時も『さみしい』
家族とワイワイやってる時も『さみしい』
先の事を考えちゃったりするんです。
「この楽しい時間は
 あと数時間で終わるんだなぁ〜」とか思うと
もう『さみしい』感じちゃって黄昏ます。
『先走りさみしい』ってヤツですかね。
人と一緒に居る事が好きっていうよりむしろ、
人がいなきゃダメって感じかもしれません。
他のO型の方も・・・そうなのかなぁ?

だからもう、飲み会とか大好きなんですが、
行くまでが一番楽しいっていうか。
行ってビール飲んだら
「いつ解散なんだろう・・・」とか思って

『さみしい』って感じます。
できる事なら永遠に飲んでようよ!と言いたいくらいに。

この「先走りさみしい」って、
おもしろい考えですよね。
「先走りさみしい症候群」と命名したいです。
他にも、映画を見始めた瞬間に
この登場人物に別れが来ると思ってさみしいという、
極端な先走りを訴えるメールもありました。
ちょっと、せっかちが過ぎる!

さらに今をときめいている、
この催事ものにも「先走りさみしい症候群」の魔の手が!

=
「いつもさみしい」はわかるような、わからんような
という感じだったんですが、
とりあえずオリンピックに関しては、
いつもさみしい、です。はい。
いや、すごーく楽しんでますよ。
興奮しますし、感動しますし、寝不足ですし。
開幕前からものすごく心待ちにしてましたとも。
ただ、このお祭りもあと一週間ほどで終わってしまう、
それがわかっていて、
それをどこかで考えていて、
それがさみしさとなって
常に気持ちのどこかに漂ってるんです。
だってほら、柔道も終わっちゃったでしょ?
日本勢のメダルラッシュは
そりゃあ素晴らしいもんですし、
メダルには届かなかった選手の方々も、
かっこよい姿を見せてくださいましたよ。
名場面がすでにいっぱいあります。
でも、日本に限らず、
全世界の多くのスポーツ選手が
このオリンピックという舞台を目指して、
金メダルを目指して、鍛錬してきたわけですよね。
この数日間、一日、へたすりゃ一瞬に
自分のピークを持ってくるために調整してるわけですよ。
そのみんなの4年に一度が、
どんどん過ぎていってるんです。
さみしさを感じずにはいられません。
自分の中で盛り上がるほど、さみしいです。
 
昨日の女子マラソンが オリンピックの折り返しと思うと、
まさに、先走りさみしい・・・。

ここにも、「先走りさみしい症候群」が見られます。
誰かと過ごしている時に、
同時に、
誰かと過ごした後のさみしさを想像する。
なんだか「さみしい」という長期ローンの金利を
毎分毎秒単位で細かく返済してるみたいに感じます。
となると、将来訪れるだろう「さみしさ」が、
普段の生活全般にしみ出して来ますよね。

=
こんにちは。
いつもさみしい人がそんなにいるなんて、
ビックリです。
私はB型ですが、
いついかなるときもさみしさを感じています。
断言できます。
もうオトナなのに感傷的すぎると思ったこともありますが、
今はこれは一種の性質だと気付きました。

恋人と楽しい時を過ごしていても、
それが楽しければ楽しいほど、
さみしさは募ります。
悲しいニュースを見た時は言わずもがな、
休日に近所の子供が遊ぶのを見た時や
仲の良い友人と電話をしている時など、
何だか訳がわからないさみしさを感じてしまいます。
うっかり綺麗な夕日を見ようものなら、
胸がいっぱいになってしまいます。

これは「さみしい」を「切ない」と
混同していると思われるかもしれませんが、
常に私の中には「人は一人で生きていくしかない」
「時は過ぎて行くもの」
というようなゆるぎない信念があって、
いつもその気配を感じている為に、
「さみしい」という気持ちが生じているのだと思います。
「切ない」というより「無情を感じる」。
情感のある言葉で言うと「もののあはれ」に近いような。

先に「もうオトナなのに」と書きましたが、
「さみしい」と感じるのは
年齢や経験ではどうしようもないみたいです。
母の話によると、私は小さい頃夕方になると
よく泣いていたそうです。
夕飯の支度をする母のエプロンにつかまって。
今でも、夕日が沈んで行くのを
じっと見ると泣いてしまいそうな時があります。
泣くか泣かないかの違いで、
「さみしい」と感じているのは変わりません。

「『いつもさみしい』は、
 楽しいときのほうが、感じやすい。」

この『いつもさみしい』の習性が、
まさにメールに書かれているような、
「もののあはれ」だとすると、
『平家物語』や『徒然草』に連なる
日本の伝統的な世界観に、
根ざしているのかもしれません。
そうか、
『いつもさみしい』は、
日本の文芸復興運動だったのか。


と、風呂敷をひろげつつも、
あらためて
「先走りさみしい症候群」について考えてみます。
二手先、三手先を読んで
事前に計画を立てて動くというのは、
現代のビジネスシーンにおいて、
上司からほめられるふるまいです。

こういう仕事の現場での
段取りぐせが、
ついつい日常生活一般ででも
先のことを想定せずにはいられない
シミュレーション好きな脳を
生んでいるような感じがします。
とりわけ、
ビジネスのグローバル化が進んだ
90年代とは、
戦略的思考というやつが
普及した10年じゃなかったかと思うのです。
戦略的思考とは、
将来の目標の達成のために、
最もふさわしい手段を
合理的に整えること、とでも言えますが、
こういった思考をベースにした
「予測する、段取る、仕切る」という
ビジネスの3段飛びが、
多くの人の普段の暮らしにも
出っ張ってきているような気がしています。

そして、ビジネスシーンに
身をおかれているはよくご存じだと思うのですが、
このシミュレーションというのは、
往々にして外れたり、
よく考えたら必要なかったじゃないか、と
なりがちです。

まだ、その「さみしさ」は
本当なんでしょうか、と言うつもりは、
毛頭無いのですが、
「『いつもさみしい』は、
 楽しいときのほうが、感じやすい。」が、
先々の「さみしさ」を俊敏に察知し、
「さみしさ」の先払いを
今せっせとしているように感じてしまうのです。

そして、先払いをしていても、
ほんとうにその「さみしさ」がやってくるのか、
ビジネス界におけるように、
人生界においても、
だれもわからないんだと思うのです。

『いつもさみしい』は、
無常感なのでしょうか。

■件名を「いつもさみしい問題。」にして、
  postman@1101.comまで、
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2004-08-23-MON
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