毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第七章 因果はめぐる

三 恩 が 仇


さて、三蔵の一行が破れ家で一夜を明かしている間に、
鋼台府では寇員外の家へ一団の盗賊がおし入った。
町のならず者たちは、
かねてから、町一番の金持である員外の邸を狙っていたが、
お祭りさわぎのあとでもあり、
深夜の豪雨に乗じて大門を叩きこわし、
喚声と共に攻め込んだのである。

邸の中の者は裏門をあけて逃げ去り、
逃げ遅れた老大々は寝台の下にかくれた。
強盗たちは家の中の戸棚や金庫をこじあけ、
およそ金目のものは悉く運び出しにかかったが、
寇員外はあきらめるにあきらめきれず、
盗賊のあとについて表門へ出て行くと、
「お願いです。
 金目のものをかえせとは言いませんが、
 せめて着るものの二、三杖は残しておいて下さい。
 まだ生きて行かなければならないのです」
「うるせえ。
 こうしてくれれば、着るものの心配もいるめえ」

ドンと一突き突くと、寇員外はその場にひっくりかえって、
哀れ、そのまま息絶えてしまった。

盗賊たちが逃げ去ったあとに、
家の子郎党がかえって見ると、員外は地べたに倒れている。
「ああ、ああ、旦那様が死んでしまわれたよお」

息子たちが、様子をきいて泣き崩れていると、老大々は、
「ごらんよ。これが信心のおかえしだよ。
 お前のお父さんは、明けても暮れても坊さん坊さんで、
 坊さんでなければ夜も明けなかった。
 それが坊さんのおかげで
 とうこう生命を失ってしまったじゃないか?」
「坊さんのおかげでというのは、
 またどういうわけですか?」
と息子たちがきいた。
「犯人はあの四人じゃありませんか。
 私は寝台の下にもぐり込んで見ていましたが、
 火をつけたのは、あの色男で、
 刀を持っていたのが猪八戒、
 金銀を運び出したのは沙悟浄、
 そして、お前のお父さんを叩き殺したのは、
 あの孫悟空です」
「お母さんが目撃したのなら、まさか嘘ではあるまい。
 すぐにも告訴状を書こう。
 しかし、それにしても何というひどいことをする
 恥知らずの坊主たちだろうな」

夜の明けるのを待たずして、
寇棟兄弟は父の死骸を棺桶におさめると、
すぐ役所へ訴えて出た。
役所では直ちに百五十人の羅卒を動員して、
三蔵の行き先を追跡したことにいうまでもない。

そんなこととは知らない三蔵の一行は、
夜が明けると、破れ屋を出て、更に馬を西へ進めた。
二十里ほど行くと、山道にさしかかった。

見ると、人通りのない筈のところに、
一群の人々が集まっている。
「や、あれは昨日、送られて出た坊主の一行じゃないか」
と向うの方で先にこちらを認めて叫んだ。
「ぅまいところへやって来たぞ、
 長い間、員外の家で居候をしていたから、
 きっといくらかお餞別ももらっているだろう。
 仕事のしついでだ。
 身ぐるみ剥いでやろうじゃないか」

それッとばかりに泥棒たちは手に手に刀をふりかざして、
「やい、逃げるな。ここは有料道路だ」
「こりゃ大へんなことになったぞ。
 昨夜は大雨で、一夜明けたと思ったら、白昼強盗だ。
 禍はシングルでやって来ない、
 必ずダブルでやってくるというが、全く本当だね」

八戒が逃げ腰になると、悟空は笑いながら、
「お師匠さま。こんな交歩なら私にお任せ下さい」

フンドシをしめなおすと悟空は、
悠然と敵の来る方へ進んで行った。
「皆さん。何のご用ですか」
「こいつ、生命は要らないと見えるな。
 それとも額の下に目がついておらんのか」
「目はこの通り、ちゃんと二つついておりますよ」
「じゃ、あるだけのものをそこへおいて行け!」
「なあんだ。誰かと思ったら、強盗さんか」
「つべこべ言うな。それ、やっつけろ」

悟空はびっくりしたようなフリをして両手をあげると、
「待って下さい。待って下さい。
 もしお金がいるのなら、私に言って下さい。
 この集団旅行の会計係は私で、
 お布施のお金、托鉢の品々、
 皆、私があずかっております。
 あの馬に乗ったのが私たちのお師匠さまですが、
 お経を読む以外に能とてなく、
 世事にもうとければ、金と女とも縁がない阿呆です」
「この坊主、意外にバカ正直だな。
 よしよし、それじや生命だけは助けてやるから、
 あの三人に何物をおいて行くように言え」

悟空が目で合図をすると、三人は荷物を投げ出して、
トットコトットコ逃げ出した。
腰をかがめて荷物をひらくふりをしながら、
悟空は土を一握りつかんでそのへんにふりまくと、
呪文を唱えて「えいッ」と叫んだ。

と、そのへんにいた三十数名の強盗は
その場に釘付けにされてしまった。

悟空は道へとび出すと、
「お師匠さま。もう大丈夫です。戻ってきて下さい」
「お師匠さま。戻らないで下さい」
と八戒はあわてて叫んだ。
「悟空兄貴は嚢中一文なしだから、
 きっと我々のことを白状したのですよ。
 戻ったら身ぐるみ剥がれてしまいます」
「そんなことがあるものか」
と沙悟浄は笑いながら、
「妖怪変化だって物ともしない悟空兄貴が、
 たかだか泥棒集団にしてやられるわけがない。
 きっと何か話があるのですよ」

三蔵は沙悟浄の言を容れて、すぐに馬をかえした。
「悟空や。何か用事かね?」
「誤って捕えると後味が悪いと思ったのですよ。
 お師匠さまが奴らの話をきいてあて下さい」
「おや、泥棒は口もきかないじゃないか」
と八戒が叫んだ。
「俺が定身法を使ってその場に釘づけにしておいたのだ」
「だけど、縄がないよ」
と沙悟浄が言った。
「縄ならここにある!」

悟空は毛を抜いて息を吹きかけると、
忽ち三十数本の縄が現われた。
三人はその縄でいとも易々と強盗たちをしばりあげ、
それから呪文を解いた。
「お助け下さい。生命ばかりは」
「生命が惜しかったら、正直に白状しろ」
「ハイ。何でも申しあげます」
強盗たちは昨夜、
寇員外の邸を襲って金銀財宝を運び出した経緯を供述した。
三蔵はすっかり驚いて、
「あんないい人にどうしてこんな災難が
 ふりかかったのだろうか?」
「きっと成り上がり者で派手たことが好きだからですよ」
と悟空は笑いながら、
「我々を送り出すのに、
 町中の芸者を総上げにするような
 大盤振舞いをしたんですからね」
「でも、半月も、お世話になって、
 何ひとつおかえしをしてあげられたかったのだから、
 これも仏さまが私たちに
 おかえしのチャンスをあたえて下さったのだろう。
 早速にもおかえしに参上しょう」

三蔵は八戒と沙悟浄に、
強盗が運んできた財宝をとりまとめさせた。
悟空は強盗たちを一思いに打ち殺したいと思ったが、
せっかく、極楽くんだりまでやって来て
殺生をやらかしたのでは三蔵が承知しまいと思いなおし、
呪文をとなえて毛を回収した。
縄を解かれた強盗たちが
一目散に逃げ出したことはいうまでもない。

ところが、八戒に金銀を担がせて、
今来た道を戻ろうとすると、
向うから刀や槍をふりかざした一群の人々が
押し寄せてきた。
「こりゃ大へんだ。
 今逃がした強盗の仲間がとりかえしにやってきたぞ」

八戒が叫び声をあげると、沙悟浄は、
「いやいや。よく見てごらん。
 あれは強盗の集団じゃないよ」
「そうだ。あれは官兵だ。
 お師匠さまの身の上に
 またしても災難がふりかかってきたぞ」

悟空が言いおわるかおわらないうちに、
官兵は一行を取りかこみ、
「やい。押込み強盗。神妙にしろ」

忽ち四人を一網打尽にし、
有無を言わせず府城へ連れ戻った。

2001-05-07-MON

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