毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第三章 平和と共存と

一 今や無形文化財


さて、樵夫に別れ、
隠霧山を下りた三蔵の一行四人は
天下の大道を西へ進むこと数日、
突然、都会とおぼしき光景にぶっつかった。
「悟空や。いよいよ天竺国に近づいたらしいね」

三蔵は俄かに元気をとり戻して言った。
「いやいや」
と悟空は手をふりながら、
「如来さまの住んでいるところは、
 極楽と世間から呼ばれているけれども、
 本当は“住めば都”の都ではなくて、
 大きな山の上に建った立派な寺院です。
 ここが仮に天竺国だとしても恐らく属領か、
 植民地ではないかと思いますよ」

やがて一行は城外へ辿りついた。
三蔵が馬をおりて、三層楼になった城門をくぐると、
意外にも町中はさびれて活気がなく、
町を歩く人々も藍一色の服を着た者ばかりである。

四人が道を歩いて行っても、
人々はふりかえって見るでもなく、
それどころか、道を譲る気配すら見せない。
「おい。通してくれ」

八戒が声をあら立てて怒鳴ると、
人々はやっと気づいたらしく、びっくりして顔をあげたが、
そこに立っているのが容貌ただならぬ男たちであったから、
「きゃッ。お化けだ。お化けだ」

騒ぎが大きくなってきたので、三蔵は大あわてで、
「私たちはお化けではありません。
 東土から天竺国の大雷音寺へ
 お経をもらいに行く者でございます。
 たまたまここを通りかかったのですが、
 一体、ここは何というところでございますか?」
「ここは天竺国の外郡で、鳳仙郡というところですよ」
と役人らしい男が答えた。
「へえ?
 じゃやっぱり天竺国の一部なんですか?
 極楽と隣り合わせだというのに、
 どうしてまた皆さん、
 そんな不景気な顔をしていらっしゃるんですか?」
「極楽と隣り合わせは、必ずしも極楽ではありませんよ。
 何しろこの地方はここ数年、
 旱魃つづきで、作物は不作つづき。
 どうにもこうにも手の施しようがないので、
 今、告示を出して
 雨乞いをしてくれる法師を求めているところです」
「どれどれ。告示文はどこにあります?」
と悟空が肩を乗り出してきいた。
「ここにございます。
 いま、ひさしの掃除をしていたので、
 まだ上へかけておりませんが」
「持ってきて、私に見せて下さいませんか?」

役人たちが告示文を持ち出してきて、
四人の前にひろげて見せた。
見ると、
「大天竺国鳳仙郡郡侯上官、榜ヲ為シテ明師ヲ聘ス。
 民田軍地悉ク荒レ、河道浅ク、井中ニ水無シ。
 富室ハ辛ウジテ生クルモ、
 窮民ハ命ヲ保チ難キ現状ニシテ、
 繁栄スルハ質屋ト盗賊バカリ。
 此ニ榜文ヲ出シテ十方ニ賢哲ヲ仰望ス。
 雨ヲ祷ッテ民ヲ救ウ者アラバ、千金ヲ以テ奉謝セン」

読み終った悟空は首をかしげながら、
「郡侯上官って、何のことだろうか?」
「上官というのはここの郡侯の姓でございます」
と役人は答えた。
「へえ? ずいぶん変った姓だな」

悟空が笑うと、八戒は、
「兄貴はあまり学がないな。
 中国には百姓といって、姓氏は百しかないが、
 世間は広いもので外国へ行くと、御手洗いとか牛尾とか、
 ずいぶん変った姓氏があるものなんだぜ。
 そうそう、それから亀頭なんて姓氏もあるよ。
 アッハハハハ……」
「無駄口を叩かないで、本筋の話をしたらどうだね?」
と三蔵が話をひきもどした。
「この人たちは雨を欲しがっているのだから、
 もし出来ることなら、雨をふらせてあげなさい」
「雨をふらせるくらいのことなら、わけはありませんよ。
 海をかきまぜたり、天を蹴とばしたりすることだって
 難しいと思っちゃいないのですから……」
と悟空はうけあった。

役人たちはそれをきくと、
すぐ二人の使者を役所へ報告にやった。

やがて郡侯が急いで現場へとんできた。
見ると、轎にも車にも乗らず、自分の足で歩いてくる。
郡侯は三蔵の姿を見ると、
弟子たちの容貌を怖れる気配もなく、
「私がここの郡侯をつとめている
 上官と申す者でございます。
 どうぞどうぞ雨がふるように
 お祈りいただきたいと存じます」
「ここじゃゆっくり話も出来ませんから、
 どうぞお寺にでも落着いてから段取りをきめましょう」

三蔵が言うと、
「ではどうぞ私どもの役所へお越し下さいませんか」

郡侯に案内されて役所に入ると、すぐお茶や食事が出た。
八戒は食事を見ると、まるで餓えた虎のように、
次から次へとお代わりをしたから、
給仕人たちは目を白黒せている。
やっと食事が終ってから、三蔵がきいた。
「日でり続きと申されておりましたが、
 一体それはいつからのことでございますか?」
「これでもう三年連続でございます。
 一年か二年なら、
 まだ何とか食いつなぐことも出来ますが、
 三年目に入ると、もう手の打ちようがございません。
 ですから、もし雨をふらせて下さば、
 あの告示文にお約束した通り、
 千金の報酬をさしあげたいと存じます」
「ハッハハハ……」
と悟空は顔を綻ばせて、
「千金が万金でも、金で動く我々じゃありませんから、
 雨はふりませんよ」
「へえ?
 金で動かないとおっしゃると、
 じゃ何で動くのでございますか?」

驚いて郡侯はきいた。
「我々には金の必要がないのです。
 何しろ我々は
 “一日一ドルで世界旅行”
 “何でも見てやろう”
 “ヨットで太平洋横断”
 なんて連中の家元みたいなものですからね」
「でもこの土地の坊さんは、
 お経を読むのにもお布施の多い家では
 時間を長くやりますよ。
 なかには株に血道をあげて、
 読経を中断して短波をききに行く者もございます」
「それは了簡の狭い坊主ですよ。
 我々は銀行の金庫にねむっているお金は、
 あれはみんな自分らのお金だと思っていますからね。
 アッハハハハ……」
「これはお見それ申しました。
 ですが、お金でいけないとおっしゃると、
 何をさしあげたらよろしいのでしょうか?」
「そんなご心配は要りませんよ。
 上に立つ者が下々の者を愛して下さると
 お約束いただければ、
 雨の百ミリや千ミリただでさしあげます。
 と申しましても、
 別に私の袖をふるわけじゃありませんがね」

郡侯は目をパチクリさせた。
今時、無形文化財みたいな僧侶がいるのかなあ
といった表情である。
しかし、根が善良な郡侯だったから、
「もちろん、
 誓ってご期待にそむくようなことは致しません。
 どうぞどうぞご慈悲を賜わりたく存じます」
「では、ご面倒でもお師匠さまの相手をしていて下さい。
 私がこれから一仕事して参りますから」
「一仕事って、どうするんですか?」
と沙悟浄がきいた。
「お前と八戒に一緒に来てもらつて、
 庭で俺の右と左に坐ってもらうんだ。
 なあに、本当は俺一人でもたくさんなんだが、
 フォーマリズムの世の中だから、
 形をととのえるだけのことさ」

三人が庭へ下りると、郡侯は香を焚き、
三蔵は坐してお経を読みはじめた。

悟空は壇の上にあがり、呪文を唱えて竜王を呼んだ。
と、やがて東の空に真黒な雲が現われ、
東海竜王敖広が雲の中から脱け出して悟空の前に立った。
「大聖。私にご用でございますか?」
「いや、早速駈けつけてくれて忝けない。
 実はほかでもないが、
 この鳳仙郡は連年の早魅で因っているときいたので、
 どうしてまた雨をふらせないのか、
 わけをききたいと思ってね」
「それは、大聖。
 雨をふらせるのはなるほど私の職務ですが、
 どこに雨をふらせる、ふらせないは、
 私の権限外なんですよ」
「しかし、この地方を見ると、
 人民は日でりでえらく難儀をしている。
 下界の国々だって低開発地域には免税措置を講じて
 工場誘致をしているというのに、
 天界が圧力団体の意のままに、
 あっちにふらせて、こっちにふらせないでは、
 天の名に恥じるじゃないかい?
 それとも私が頼んだくらいでは、
 圧力団体ほどの威力がないとでも思っているのかね?」
「とんでもないお話です。
 大聖のお呼びであればこそ、
 この通り私はとるものもとりあえず
 ここへとんできたのです。
 しかし、ご承知のように、
 名は竜王でも実権は玉帝の手中にありますし、
 それに第一、
 雨をふらせる部下たちを連れてきておりません。
 ですから、もしどうしてもとおっしゃるなら、
 ご足労でも、大聖ご自身で天宮へおいでになって、
 降雨の聖旨をいただいて下さいませんか。
 そうしたら事務手続の方は私がスピード化して、
 予算以上の仕事はやってさしあげますよ」

竜王の言うことは一々尤もなので、
悟空は竜王を一先ずかえし、事情を三蔵に打ち明けた。
「じゃお前が一走りしてくるがいい。
 しかし、あんまり無礼なことを言わないように
 くれぐれもコトバを慎みなさいよ」

悟空は八戒と沙悟浄にあとを頼むと、
自分は直ちに斗雲にとびのった。

2001-04-19-THU

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