毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第八巻 ああ世も末の巻
第一章 理想境か失望境か

二 宿賃にABCあり


「悟空や。滅法国は無事通過できそうかね?」

星明りの中で三蔵がきいた。

悟空は盗んできた衣類をその場に投げ出すと、
「お師匠さま。
 滅法国を通るには坊主を廃業しなければなりません」
「坊主を廃業るのはおやすいご用さ。
 半年も頭を剃らなければそれでいいのだから」
と八戒がちょっかいを入れた。
「バカ言うな。
 半年も待っておられるものか。
 今すぐ廃業しないことには」
「冗談じゃない。
 いくらインスタント時代とはいえ、
 立ちどころに髪の毛を伸ばす方法はないだろう」
「八戒は余計な口出しをするな」
と三蔵はたしなめた。
「それよりも、一体全体、悟空のプランはどうなんだね?」
「お師匠さま」
と悟空は言った。
「ここの国王は仏教に反感を持っていて
 坊主を見ると殺すそうですが、
 その点を除くと案外いい為政者らしいですよ。
 その証拠に城の上に瑞気が立ちのぼっています。
 城内の人々も結構いい生活をしています。
 まあ、その話はあとまわしにして、
 実は今、城内の旅籠へ行って
 衣服を二、三枚借りてきました。
 これを着て商人のようなフリをして宿に泊めてもらい、
 明日の朝早く出発してしまうのでは
 いかがなものでしょうか?」
「それはいい考えだ。
 兄貴の言う通りにしようじゃありませんか?」
と沙悟浄がすぐに賛成した。

仕方なく、三蔵は僧服、僧帽を脱いで、
俗人の着る服や頭巾をかぶり、
八戒も沙悟浄も悟空の指示通りに、
商人の姿に身をやつした。
「さあ、これからは師匠弟子なんて抹香臭い呼び方は、
 しばらくおあずけですよ」
と悟空が言った。
「へえ?
 お師匠さまと呼んではいけないとしたら、
 何と呼ぶんだね?」
と八戒かききかえした。
「これからは、商売仲間で行こうじゃないか。
 お師匠さまは唐さん、お前は朱さんで、
 沙悟浄は沙さん、そして、俺は孫さん。
 宿屋についたら、無駄話は一切やめて、
 もしご商売は、ときかれたら、
 馬喰だと答えることにしよう。
 さいわい、馬を連れているから、
 実は我々は仲間十人で馬を売っているが、
 日が暮れたので、我々四人だけ先に城下へ入ってきた、
 明朝になれば、仲間も合流する筈だといえば、
 きっと上客として歓待を受けると思うよ」

ここは天下泰平の国柄と見えて、
日はとっぷり暮れてしまったが、
城門はまだ開いたままになっている。
四人は町中へ入ると、旅籠の並んだ通りへ出てきた。
王小二の店では何やら騒いでいる様子だが、
悟空は素知らぬ顔をして筋向いの旅籠の戸を叩いた。
「もしもし。お部屋があいておりますか?」
「あいておりますよ。
 さあ、どうぞどうぞ」

奥から女の人が出てきて、
愛想よく四人を迎え入れてくれた。

馬をつないで、中へ入って見ると、
ひらいた窓から月の光りが射しこんでいる。
宿の女中が明りを持って入ってきたが、
悟空は変装を見破られるのをおそれて、
「こんなに月が明るいのだから、明りは要らないよ」
「さようでございますか?」

怪訝な顔をしはしたが、女中はそのまま出て行った。
やがて、宿の女将らしき女が部屋へ入ってきた。
「よくいらっしゃいました。
 皆さんはご商売のお方で?」
「ええ、私たちは北の方から馬を売りに来た者です」
「馬のご商売とはまた珍しゅうございますね」
「ええ、一族郎党十人できたのですが、
 馬を全部連れて入ってくるわけにも行かないので、
 六人を城外に待たせてあるのです」
「そんなにたくさん、
 馬を連れてきているのでございますか?」
「ええ、全部で百十頭くらいはおりますよ。
 毛色は違いますけれど、
 さっき連れてきた馬と大体似たようなものです」
「それじゃ大したものでございますわね」
と女将は俄かに愛想よくなって、
「私どもへおいでいただいて
 本当によろしゅうございましたよ。
 ほかさんではとても皆さまのような立派なお客さまを
 お泊めするお部屋はございませんからね」
「私らは門構えを見て入ってきたんだが、
 そうすると、間違えてはいなかったわけですな」
「ええ、ええ、そうですとも。
 ここの町では手前どもの店が一番古い家でございます。
 メリー・ウィドーの店といえば、
 誰でも知っておりますよ」
「すると、あなたはご主人がおられないのですか?」
「ええ、もう十年も前に戦争で死なれましてね。
 私は一人でこの店を抱えてずいぶん苦労致しましたよ。
 でもおかげさまで、
 この通りお店もどうやら息をつくようになりましてね。
 ところで、お客さまは
 どういう待遇がおよろしいんですか?
 手前どもにはA、B、Cと
 三種類の宿泊料があるのでございますが……」
「品物には上中下にあっても、客に遠近の違いはない、
 と申すじゃありませんか。
 A、B、Cとはまたどういう区別ですか?」
「A、B、CのAはお料理の皿数が十あって、
 サービス係に若い娘さんがやってきます。
 部屋代あわせてお一人様の料金は銀五匁でございます」
「銀五匁も出せば、
 どこへ行ったって若い娘さんがサービスしてくれますよ」
と悟空が答えると、八戒が横から、
「サービスって、
 一体どこまでをサービスというのか問題だね。
 国によってに売春禁止法の適用が
 お客の身にまで及ぶところもありますからね」
「それはお客様の腕次第でございますよ。
 たとえインスタント恋愛であっても、
 恋愛の自由は人民の権利でございますからね」
「ハッハハハ……。
 おっしゃいましたな。
 ところでBはどういう待遇ですか?」
「Bは料理の皿数がすこし少なくなるのと、
 酒、フルーツはつきません。
 サービスの娘さんもつきません。
 お一人様ご一泊銀二匁でございます」
「じゃついでにききますが、Cはどうですか?」
「お客様のようなお方の前で
 そんな話は失礼でございますよ。
 おききにならなくてもよろしいじゃございませんか?」
「いやいや。
 参考までに知っておきたいのですよ」
「それじゃ申しますが、
 Cになりますと、全部セルフサービスで、
 お櫃にご飯がありますから、勝手におあがりになって、
 勝手に草を持って行って
 自分で寝床をつくってお休みいただくのです。
 翌朝、お発ちになる時は
 ホンのお心付けをいただけばよろしいのでございます」
「よし。それにきめた」
と八戒は思わず手を叩いた。
「食い放題なら、肉布団の代りに少々堅い藁布団でも
 我慢できないことはいよ」
「バカなことを言うもんじゃないよ、兄弟」
と悟空はふりかえって、
「我々が東奔西走して金もうけをしているのも、
 少々気のきいた生活をするためじゃないか。
 とにかく、おかみさん、一番上等の奴を頼みますよ」
「どうも有難うございました。
 今すぐ用意を致しますから」

女将はすっかり喜んで、階段をおりて行くと、
「さあ、鶏と鵞鳥をしめてちょうだい。
 それから熱いご飯を炊きにかかってちょうだい」
上でそれをきいた三蔵は、
「我々は生臭さは食べないんだから、
 あんなに大騒ぎをしてもらっても仕方がないね」
「私が話してきましょう」

悟空は手を叩いて女将を呼ぶと、
「今夜肉は食べませんから、
 鶏をつぶしたりするのはやめて下さい」
「おや、どうしてでございますか?」
「精進をしているんですよ」
「へえ?
 今時また珍しいことがあるものですね。
 お客様は長の精進ですか、
 それとも今月だけの精進ですか?」
「いや、我々のは月に一回の精進です。
 ですから明日になれば、ふだんの通りいただきますよ。
 さっきお約束したお金はもちろん払いますから、
 今夜のところは精進にしておいて下さい」

精進を出して、
しかもA級の宿泊料をいただけるときいた女将は
ますます喜んで、下へおりて行くと、
「お客様は精進料理だそうだから、
 屠殺はやめて、
 裏の畑へ行って青菜や筍をぬいてきてちょうだい」

手慣れたもので、お茶を飲みながら待っている中に、
ご馳走が続々と出てきた。
「お酒はお召し上がりになりますか?
 精進酒ですけれど」
「唐さん以外は皆いただきますよ」

女将がおかんをした酒を一壺持ってあがってくると、
下が俄かに騒々しくなってきた。
「おかみさん、ありゃ何ですか?」
「いえ、ありゃ芸子さんを迎えにやる
 轎の組立てをしているところでございますよ」
「その必要はないと、さっき言ったじゃありませんか?」
「あら、そんなことおっしゃいましたかしら?」
「精進といえば、女色を断つ、ときまっているだろう」
「まあ、お堅いこと!
 私はまた、
 あれとこれとは別だとばかり思っておりましたわ。
 オッホホ……」
「精進ということもあるけれど、
 他の仲間が馬の番をしているのに、
 我々だけここで
 ドンチャン騒ぎをやるわけには行かないよ」
「まあ、本当にご立派な方だこと。
 じゃ芸子さんを呼びに行くのは
 やめさせることにしましょうね」
「ええ、そうして下さい」

とうとう娘さんを呼びに行くのもやめさせてしまった。

2001-04-12-THU

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