毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第六章 鐘は錆びたり

三 インスタント占い


さて比丘国をあとにした三蔵の一行は
西へ西へと旅を続けているうちに、冬もすぎ春も終って、
野の草花も緑に覆われる季節となった。

三蔵がふと目をあげると、
またも高い山が目の前にそびえている。

「大へんだ。また山だよ」

三蔵の驚きあわてた態を見ると、悟空は、
「アッハハハ……。
 お師匠さまの狼狽ぶりはどうです?
 まるで旅をしたことのない箱入娘のようなことを
 おっしゃるじゃありませんか」
「でもあんな形の山には化け物が凄んでいそうだよ」
「お師匠さまもついに山相を気にするようになりましたか。
 ついでに易でも立てて、
 吉か凶かうらなって見たらどうです?」
「うん。うらなって見たいと思うけれど、
 この近所に易者はいそうにないしね」
「自分でおやりになればいいですよ」
と八戒がちょっかいを出した。
「だけど筮竹を持ってきていないよ」
「筮竹なんか要りませんよ。
 近頃はインスタソト占い大流行で、
 穴あき鋼銭が六つあれは
 立ちどころに占いが出来るようになっています。
 これこの通り」

八戒が新刊の易の本をひらいて説明すると、
三蔵は目を丸くして、
「ホホウ。便利な世の中になったものだね。
 占いまで間に合わせでできるとは!
 早速、実験して見ようじゃないか」

三蔵は馬をおりると、
地べたに坐りこんで鋼銭をジャラジャラまぜはじめた。
「お師匠さま。何の卦がでましたか」
「待て待て。そうあわてるな。
 本と首っぴきをしないと、わからないんだから……」
「おやおや。沢山咸と出たよ。
 新婚のよろこび……だってさ。アッハハハ」
と八戒が歓声をあげた。
「どれどれ」

沙悟浄と悟空が首をのばしてのぞきこんだ。
「あなたが男性ならば、
 情熱家で感受性に富み、思いやりがふかく、
 相手の気持にもよく気の行きとどく人です。
 人にたのまれれば、自分の損得にかかわらず、
 一肌ぬぐような親分肌の男性ですから……」
「女性が惚れない筈はありません、だってさ。
 すごいすごい」
と八戒は手を叩いて喜んだ。
「この卦は、結婚にはよい縁ですし、
 まとまります……とも書いてあるぜ。
 本当にその通りだったら、
 お師匠さまは途中下車をしてしまうかもしれないから、
 俺たちは解散だね。アッハハハハ」
「バカをお言いじゃないよ。
 当るも八卦当らぬも八卦というじゃないか。
 まして人もあろうに出家の私に結婚の卦なんて、
 インスタソト占いでは駄目だという
 証拠みたいなものだよ」

三蔵は再び馬上の人となると、師弟一行更に西へ進んだ。
道が嶮しくなって山へさしかかると、
三蔵は急に押し黙ってしまった。
「お師匠さま。またノスタルジアですか?」
と悟空がひやかしにかかった。
「家のない者にノスタルジアも妙なものだけれど、
 情熱家で感受性に富むお師匠さまのような人では
 無理もないような気もしますね」
「そうじゃないんだよ。
 私は故郷のことを考えているんじゃなくて、
 いつになったら天竺へ到着するんだろうか、
 と少し憂鬱になっているんだよ」
「全くだ」
と八戒がすぐに相槌を打った。
「どこまで行っても
 なかなか天竺に到着しないところを見ると、
 釈迦如来は三蔵経を渡すのが俄かに惜しくなって
 遠くへ引越しをしたに違いない。
 でなければ、
 行けども行けども涯しない道というわけがありませんよ」
「いやいや。そんな阿呆なことはあり得ない。
 いつの日か必ず天竺に到着する時がやってきますよ」
と沙悟浄は首をふった。

進むほどに黒松の林が見えてきた。
「悟空や。
 とんでもないところへ来てしまったらしいよ。
 見てごらん。
 今までにもずいぷん松林を通り抜けてきたけれど、
 あんな密生した林は見たことがない」
「なあに、大丈夫ですよ」
「でもね、道なき道を行く時は充分用心をしなくっちゃ」
「ですから、私が先頭を行きます」

悟空は先導役になって林の中へ入って行った。
如意棒を片手に道をひらきひらき進んで行くが、
半日たっても林から脱け出せない。
しかも、松林の中は静かで
珍しい草花も咲き乱れているので三蔵は我を忘れて、
「悟空や。しばらくここで一休みがしたくなったね。
 お前、どこかへ行って托鉢をしてきてくれないかい?」
「そうですね。それも悪くはないですね」

悟空は八戒と沙悟浄に三蔵のお守りをたのむと、
斗雲にとびのった。
松林の上へあがって遙か下を見おろすと、
松林の間から瑞気がほのぼのと立ちのぼっている。
「やっばりお師匠さまは
 俗人と違って人徳を持っているんだな。
 何だかだとえらそうなことを言っても、
 人を動かすものは浪花節の精神なんだからな」

悟空が感心して眺めていると、同じ林の中から今度は突然、
黒気が立ちのぼってきた。
「いけねえ。こりゃ林の中に妖怪がいる証拠だぞ」

一方、三蔵は林の中で般若心経を読みつづけていたが、
どこからともなく「助けてえ」と
息も絶え絶えの声がきこえてきた。
驚いて声のする方を見あげると、
大きな老松に一人の女がしばりつけられている。
しかもおかしなことに下半身は土の中に埋められている。
「どうしたんです?
 どうしてこんなところに
 こんな恰好でしばりつけられているんです?」

三蔵がきくと、女は顔をあげた。
花も恥じらうような妖しげな美しさを湛えた女である。
「おっしゃって下さい。
 理由がわかれば、助けてさしあげます」

三蔵が催促すると、
「では申しあげます。
 私はここから二百里ほど離れた
 貧婆国の者でございますが、
 清明節に親戚の者たちと墓参りに出かけたら、
 突然、強盗が現われて、
 私をここまで連れて来てしまいました。
 ところが、この山の中では
 強盗たちが私を自分のものにしようとして大喧嘩になり、
 とうとう私をここへしばりつけたまま
 どこかへ散ってしまいました。
 もう今日で五日五晩になります」

三蔵はそれをきくと、
「八戒や。沙悟浄や」
と声を張りあげて弟子たちを呼んだ。

とんできた八戒はめそめそした三蔵の顔を見ると、
「お師匠さま。
 誰ぞ零落した身内にでも出あったのですか?」

三蔵は松の木の方を指さすと、
「八戒や。あの女を助けてやっておくれ」
「おや。すごい別嬪じゃないか。よし来た」

前後も考えずに、八戒が近づいて縄をとこうとすると、
空で見ていた悟空がとびおりてきて、
八戒の耳をつかんでひきたおした。
「アイタタタタ……。
 お師匠さまに言われてやっていることなのに、
 ずいぷんひどいじゃないかよ」
「ハッハハハ……。
 縄をといてやるのはよした方がいいぜ。
 奴は化け物で、
 俺たちに一杯食らわせようとしているんだから」

悟空が言うと、三蔵は目をむいて、
「何を言っているんだ。
 あんな可愛らしい娘っ子がどうして化け物なものか!」
「おやおや。
 お師匠さまはえらく化け物の肩を持つじゃないか。
 はばかりながら、化け物の鑑定については、
 私の方が年季が入っておりますよ」
「馬についてはなるほど
 兄貴の方が年季が入っているだろうよ」
と八戒も負けてはおらず、
「しかし、お師匠さま。
 兄貴は美人の縄をとくのが自分でないものだから、
 少々やきもちをやいているのですよ」
「バカを言うな。
 やきもちなんていうのは
 自分に自信のない人間のやくものだ。
 俺がただの一度でもお前を
 ライバルと考えたことがあるかって言うんだ。
 お互いに意見が分かれても、
 これまでにただの一度でも
 俺の方が間違っていたことがあるかって言うんだ」

今にも殴りつけんばかりの勢いなので、
三蔵もおそれをなして、
「八戒や。悟空の言う通りだ。
 今までだって悟空の見通しがいつも正しかったのだから、
 今日のところは悟空の意見に従おう」

それをきくと、悟空はすっかり喜んで、
「お師匠さまも大分成長したものだな。
 おかげで手数が省けて助かるよ」

2001-04-01-SUN

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