毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第五章 子を飼う国

三 生きて笑って楽しんで


さて、獅駝城を無事通りすぎて、
西へ進むことおよそ数カ月、またしても冬が近づいてきた。

三蔵の一行は寒さを物ともせず、
予定のコースを進んだが、
ほどなく一つの城下町が見えてきた。
「あれは何というところだろうか?」

三蔵が逢かに指さすと、
「もう少し近づけばわかりますよ」
と悟空は答えた。
「地方都市なら素通りすればよいし、
 王様のいるところなら
 関文に査証をしてもらわなければなりますまい」

やがて城門の外に着いた。
三蔵は馬をおり、一行四人は門をくぐると、
城郭の中へ入った。
ふと見ると、城壁のそばで一人の老兵らしいのが
うつらうつら居眠りをしている。
「もしもし」

悟空が声をかけると、老兵は薄ぼんやり目をあけたが、
目の前に悟空が立っているのを見ると、
あわてふためいてその場にひざをついた。
「お見逃がしを!」
「何もそんなに驚くことはないだろう。
 何か、それとも心にやましいことでもあるのかね」
と悟空はきいた。
「だってあなたは雷公さまでしょう」
と老兵はききかえした。
「いやいや、私は旅の僧で、
 ここが何というところかわからないので、
 ちょっと教えていただこうと思って声をかけたのですよ」

それをきくと老兵はやっと安心して、
大きなあくびをしながら、
「失礼しました。
 ここはもともと比丘国というところですが、
 最近は専ら小子城と世間から呼ばれているところです」
「国王はいるのですか?」
「おりますとも」
「いや、どうも有難う」

悟空は三蔵の方へふりむくと、
「比丘が小子になりさがるとは、
 ずいぷんおかしなところですね。
 鉄道でも三等が二等になり、
 二等が一等になる世の中だというのに……」
「全くね。どういうわけだろうね?」
「きっと比丘王というのが死んで、
 代りに即位したのが小子という名の王様なんですよ」
と八戒が知ったかぷりをした。
「いやいや、そんなバカなことはあり得ない。
 町へ入ってからもう一度ききなおして見よう」
「それがいいですよ」
と沙悟浄も頷きながら、
「老兵は消え去るのみというから、
 さっきの爺さんは、世情にうといのですよ。
 それに寝呆けているところを兄貴におどかされたから
 いい加減なことを答えたのかもしれません」

師弟四人が打ち揃って町へ入ると、
軒並みは一応賑やかであるが、おかしなことにどの家も、
門前に鵞鳥の籠が一つずつおいてある。
「ところ変れば品かわる、というけれど、
 これまた一風景だね」

言われて八戒が右や左を見ると、
なるほど鵞鳥を入れるような大きな籠が並んでいて、
色とりどりの美しい緞子で覆いがしてある。
「お師匠さま」
と八戒は思わず顔をほころばせながら、
「きょうはきっと大安吉日で、結婿式が多いのですよ」
「バカも休み休みに言うがいい」
と悟空が怒鳴った。
「いくら結婿式が多いと言っても、
 町をあげて結婿式が行われるわけがないじゃないか。
 きっと何か特別のわけがあるに違いないよ」
「しかし、
 たとえば終戦になって男たちが一せいに役員してきて、
 一せいに子供が生まれて、
 ことし、一せいに結一婿適齢期に達した、
 ということだって考えられないことはないだろう?」
「ないとは言わないが、先ずあり得ないことだね。
 嘘か本当か念のため俺が行ってたしかめてくるよ」
「いやいや、お前は行かない方がいい。
 お前の人相では相手がびっくりするだけだ」

三蔵はあわててひきとめたが、
「なあに、大丈夫ですよ。
 ちゃんと臨機応変の処置をとりますから」

悟空は括身一変たちまち一匹の蜜蜂に化けると、
籠の覆いに近づいて行った。
見ると、中に坐っているのは人間の子供である。
次の籠を覗いても子供、
更に次から次へと覗いてもいずれも子供である。
「いやはや、お師匠さま。
 籠の中にかってあるのは子供ですよ。
 それも七つから五つくらいの間の男の子ばかりです」
「へえ? どういうわけだろうか」

不思議に思いながらなおも歩いて行くうちに、
前方に駅馬館が見えてきた。
「ちょうどいい。あすこへ行って泊めてもらえば、
 この土地の事情もわかるだろう」

三蔵を先頭に一行が館の中に入ると、
駅丞が迎えに出てきた。
「長老はどちらからおいでの方でございますか?」
「私は東土から西天へお経をとりに参る者でございます。
 たまたま御地を通過させていただきます関係上、
 一つには関丈の査証をしていただきたく、
 もう一つには少しく旅の疲れをいやさせていただきたい
 と思っておよりいたしました」

駅丞はすぐお茶の用意をさせ、
更に四人の泊る部屋の按配をさせた。
「ところで今日これから査証をうけに
 参内してもよろしいものでしょうか」
と三蔵はきいた。
「いや、もう間もなく日が暮れますから、
 明朝までお待ち下さい。
 ごらんのように狭苦しいところですが、
 今夜はこちらで
 ゆっくりとお休みいただくことにして……」

大へん親切な駅丞で、はじめてのお客だというのに、
三蔵ら四人を自分らの食卓に招待してくれた。
食卓の話題が進むに乗じて三蔵がきいた。
「実はこちらへ参りまして、
 一つだけわからないことがございます。
 こちらでは人間の子供は
 卵からかえるのでございましょうか」
「まさか!」
と駅丞は叫んだ。
「天にお日様が二つないように、
 人間の生まれ方に方法が二つはありません。
 いずこも同じように、父の精と母の卵が交わり、
 懐胎すること十カ月、
 生まれてから三年たってはじめて母乳を離れます」
「すると我々の国と少しも変りはないですね。
 じゃお尋ね致しますが、どうしてこちらの人々は
 子供を鳥の籠に入れて育てているのですか」
「そのことをきかれると弱いんですよ、和尚さま」
と駅丞は言った。
「目をつぶって下さい。
 耳をふさいで黙って通って行って下さい」
「そうは参りませんよ。
 一旦きき出したことはこちらが納得できるまで
 お話ししていただかないと気がすまないのです」

三蔵が珍しく食いさがるので、駅丞は困りぬいて、
とうとう人払いをした。
「さっきの鵞鳥の籠のことですが、
 あれは国王が無道なことから起ったことなんです。
 おかかわりにならない方が安全だと思います」
「国王が無道だとは、それはどういうことですか?
 もっと詳細をきかせていただけませんか?」

せがまれて駅丞はやむなく口をきいた。
「この国はもともと比丘国と呼ばれておりました。
 それが近年、歌にも小子城と皮肉られております。
 どうしてかといぅと、三年前に一人の老人が
 十六歳になる娘を連れてきたためなのです。
 美しい、それは見惚れるような容貌の娘でした。
 老人はその娘を陛下へ献上しました。
 陛下はその娘に美后という雅号をあたえられ、
 それからは三宮にも六院にも
 目もくれないような熱の入れよう。
 とうとう身体をこわして、食欲はなくなるし、
 身体はやせ細るし、命旦夕に迫るという有様。
 かねて、
 美女を献じて国丈(国王の舅)に封ぜられた老人は
 十洲三島を歴訪して薬草を摘んで参りました。
 そこまではよろしいのですが、この薬草を煎ずるのに、
 子供の生き肝を一千一百一十一個入用だというのです。
 その結果がさきほどごらんになられたように、
 各民家に命じて鵞鳥の籠の中に
 子供を養うことになったのです」
「ああ……」
とまるで自分の生き肝をえぐりとられでもするように、
三蔵は悲鳴をあげた。
「何という暗君だろう。何という冷血非情な国王だろう」

そばできいていた八戒は
よほど我慢がならなくなったと見えて、
「お師匠さま。何をそんなに嘆くことがありますか。
 お師匠さまのような人を、
 “他人の棺桶を自分の家へ担ぎ込んで泣く奴”
 というのですよ。
 むかしから
 “君、臣ニ死ネト教エテ臣死ナズバ忠ナラズ、
  父、子ニ亡ビヨト教エテ、子亡ビズンバ孝ナラズ”
 というじゃありませんか。
 国王がその臣をいためつけることと、
 我々の間に何の関係がありますか」
「八戒や、お前がそんな無慈悲な男だとは知らなかったよ」
と三蔵は涙ながらに、
「人間が自分だけ助かろうと思って
 平気で他人を犠牲にしていいわけがありますか。
 まして一国の国王たるものが、
 その民をいつくしまずして
 却って傷つけるのを黙って見ておられますか!」
「お師匠さま、いまここで貰い泣きをしたところで
 仕方がありませんよ」
と見かねて沙悟浄が言った。
「どうせ明日は国王に会いに行くのですから、
 その時に国丈とやらいう奴を
 見てみようじゃありませんか。
 子供の生き肝を食べろとすすめるような奴ですから、
 きっと化け物に違い為りません」
「うむ。沙悟浄の言うのはもっともだ。
 ここで一人相撲をとっているよりも、
 明日、国王のところへ行って
 強硬談判をするに限りますよ」
と悟空も賛成した。
「だけど、悟空や。
 普通の人間では到底考えられないようなことを
 命令するくらいだから、
 国王もきっと相当イカレているに違いないよ。
 もし我々が直言して機嫌を害したりしたら、
 無事ではかえしてもらえないかもしれないよ」
「それなら鵞鳥の籠を
 どこかへかくしてしまおうじゃありませんか。
 子供たちの姿が突然見えなくなったら、
 地方官が上奏するでしょう。
 国王の方でも、もう一度、別の子供たちを徴発するなり、
 全国をさがすように命令するなり、
 大騒ぎをするでしょう。
 その時に乗じて話をもちこめば、
 我々の罪にはなりませんよ」
「でも子供たちを疎開することができるだろうか?」
「それはわけありません。
 風を借りて子供たちを山の中に移し、
 土地公や六丁六甲たちにしばらくの間、
 お守りをしていただきますから」

悟空がそう言うと、三蔵は跳りあがらんばかりに喜んだ。
悟空は三蔵、八戒、沙悟浄の三人に、
口々に南無救生薬師仏を唱えるように言いつけると、
自分は門外に出て、そこいらじゅうの神々を呼び出した。
そして、その夜のうちに風をおこして、
千余名の子供たちを入れた鵞鳥籠を運び去らせてしまった。

その翌朝のことである。
三蔵は早くに目をさますと、
「悟空や。私はこれからすぐ査証をもらいに行ってくるよ」
「お師匠さま一人だけでは
 どんなことが起るかわかりませんから、
 私も一緒にお供致しましょう」
「お前が一緒に行ってくれるのは有難いが、
 何しろお前は自分の尊敬しない人間には
 なかなか頭をさげたがらないから、
 私が立往生してしまうよ」
「じゃ、
 私は姿をかくしてあとをつけて行くことにしますよ」

あとを八戒と沙悟浄に頼むと、三蔵は駅丞に挨拶に行った。
昨日とは打って変って
立派ななりをしている三蔵の姿を見ると、
駅丞はまぷしそうに目を細めながら、
「どうぞ昨夜のことには
 くれぐれもふれないように願います」

三蔵はただ頷きながら駅馬館を出た。
外へ出ると悟空は揺身一変、一匹の羽虫に化けた。
そして三蔵の帽子の上にヒョイと羽をとめた。

やがて三蔵は朝門に至って黄門官に来訪の意を告げた。
黄門官がその旨奥に通ずると、国王は、
「遠来の僧ならきっとためになる話があるだろう」

早速にも御殿に案内するようにと返事があった。

奥へ入り、挨拶が終ると、椅子が出された。
国王のすぐ傍に腰をおろして、よくよく国王を見ると、
なるほど身体は痩せおとろえて、
声を出すのも大儀な様子である。
それでもやっとのことで
三蔵のさし出した関文に自分でハンコを押した。
そこへ、
「国丈さまのおいでです」
と表から伝達があった。
国王は侍従たちに抱きかかえられるようにして
身体をおこすと、いそいで迎えに出た。

外からユラリユラリと入ってきたのを見ると、
一人の老道士である。
道士は宝殿の前まで来ても拝礼を行わず、
そのまま奥へ入ってきた。
「きょうはふだんよりもお早いですね」
と国王が言葉をかけた。
「ご機嫌よろしゅう」
と三蔵も挨拶をすると、
道士はチラリと一瞥をくれただけで、
「坊さんはどこから来た?」
「東土から西方へお経をとりに行くお方だそうですよ。
 査証をとりに見えたところです」
と国王が答えた。
「西方だって? アッハハハハ……」
と道士は笑いながら、
「いま時西方へ行くとは時代錯誤も甚しい。
 西風は東風に旺倒されて、
 西方文明は斜陽化しつつある時じゃないか?」
「でも西方には極楽の絶境があると言われております。
 極楽を求めて行くのが
 どうして時代錯誤なんでしょうか?」

三蔵が反駁をすると、国王はそれを遮って、
「それよりも僧ハ仏家ノ弟子と言うけれど、
 仏さまのように不老長生の術をご存じありませんか」
「僧というものは万緑をみな立ち切る立場でございます。
 諸法皆空、大智閑閑、真機黙黙……」

三蔵が人生の空しさを説きはじめると、
国丈は三蔵を指さしながら、
「屁理窟はもうたくさんだ。
 生きてるうちから死んだ先の心配ばかりしているよりも、
 生きて、笑って、楽しんだ方が
 人生らしい人生じゃないか。どうだい皆さん?」

煽動者よろしく道士がゼスチャーたっぷりに叫ぷと、
階下の文武百官から一せいに拍手が起った。

三蔵は負け犬のように御殿をひきさがると、外へ出た。
悟空は帽子からとびおりて三蔵の耳元に近づくと、
「お師匠さま。あれは化け物ですよ。
 私があとに残って様子をさぐりますから、
 一足先にかえっていて下さい」

三蔵と入れ代わりに兵馬官がとんで入ってきた。
「申しあげます。
 昨夜の冷風でどういうわけか鵞鳥籠の中の子供たちが
 一人残らず消え去ってしまいました」

2001-03-29-THU

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