毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第三章 猿の冬籠もり

四 冬眠の場所


「どうだった?
 化け物は太白金星の言っていた通りだったかね?」
と三蔵がきいた。
「いや、多いの少ないのって、雲霞のごとし、
 というのはきっとこのことを言うのですよ。
 でも大丈夫ですよ。
 この通り私は無事かえって来られたのですから」
と悟空は手短かに今までの経過を話した。
「でも、
 お前はまだ化け物と戟を交えてはいないのだろう?」
「ええ、まだです」
「じゃどうやってあの山を越えたらいいだろうか」
「どうやってだって?
 ちゃんと私が通してさしあげますよ」
「でも、お前の力じゃ衆寡敵せず、かもしれないね」
「だから援軍を頼みに戻ってきたのですよ」
「どこへ頼みに行けばいいだろうか?」
「なあに相棒がもう一人おれば大丈夫ですよ。
 沙悟浄はここへ残しておきますから、
 八戒をちょっと貸して下さい」
「兄貴、俺じゃとても駄目だよ」
と八戒はびっくりして言った。
「ごの通り俺は気がきかないし、
 腕前だってそう大したことはない」
「きょうはまたえらく謙遜するな。
 淑女たちの前でもそういう具合に振舞ったら、
 もう少し紳士扱いをうけるだろうになあ」
と悟空は笑いながら、
「しかし、お前の腕前に期待しているわけじゃないから
 心配するな。
 俗言にも“屁をひって風に添える”というじゃないか。
 たとえ屁のような奴でも、二人は一人よりも力強いんだ」
「そう言われちゃ身も蓋もない。
 まあ、仕方がないから、兄貴と一緒に行くが、
 あんまり俺をからかわないでくれよ」

二人は風を切ると、早々に獅駝洞の入口までやってきた。
「やい、化け物。門をあけて出て来い」

小妖怪どもがびっくりして奥へとんで行くと、
老魔は驚いて、
「かねてから孫悟空は大した奴だときいていたが、
 全くその名に恥じない男だ」
「そいつはどういうわけです?」
とそばにいた二大王がきき返した。
「だってそうじゃないか。
 お前らのうちで誰か表へ出て
 奴と太刀打ちをする勇気のある者はおらんか?」

そう言うとあたりは急にシュンとなって、
皆、唖かつんぼのような顔をしている。
「戦いを挑まれて
 誰一人応戦に出る者がなかったと言われては、
 天下の笑いものになってしまう。
 皆が出て行かないなら、この俺が出よう。
 もし三、四回戟をあわせて、
 うまく奴をふんづかまえれば、
 もう三蔵はこちらの口の中に入ったも同様。
 どうしても敵わなかったら、
 その時は目をつぶって通してやるわい」

鎧兜に身をかためると、
老魔は洞門から威風堂々と出てきた。
「待ってましたッ」
と悟空が声をかけた。
「お前が孫悟空か?」
と老魔は笑いながら、
「こっちが挑発したわけでもないのに、
 お前から喧嘩を売ってくるとはどうしたわけだ?」
「ハッハハハ……。
 風のないところに波は立たない、
 とむかしから言うじゃないか。
 お前らが徒党を組んで俺たちのお師匠さまを
 食い物にしようと企んでいるくらいのことは、
 ちゃんとわかっているぞ」
「そんなに大きな声をあげて、
 殴り合いでもしようというわけか?」
「まさにその通り」
「バカも休み休みに言うがよい。
 本当なら俺が兵隊を繰り出して
 後方で指揮をしていただけで充分なんだが、
 それじゃお前も手応えがないだろうから、
 一対一でやろうじゃないか。
 お互いに加勢はなしだぜ」
「いいとも。おい、八戒、そこをどけ」

八戒が脇へどくと、老魔は、
「さあ、こっちへ来て首を真直ぐこちらへ出せ。
 お前の頭を三回斬らせてくれたら、
 お前の師匠を無事通らせてやるぜ」
「その言葉が本当なら、
 筆を持ってきて契約書に署名しようじゃないか。
 化け物が口で約束したことなんか信用がなるものか」
「何をッ」

老魔が刀をふりあげると、
悟空は本当に頭をつき出してきた。
しかし、
打ちおろした刀はカンと音を立ててはねかえっただけで、
悟空の頭は紅くすらならない。
「こいつはオドロキだ。とんだ石頭じゃないか」
「悟空の石頭は三歳の子供でも知っているぜ。
 流行おくれの言葉を吐くな」
「ツベコベ言うな。
 今度こそ必ずあの世へ送りこんでやるぞ」
「全くお前はどうかしているよ。
 俺の頭をかんぴょうか何かと間違えているんだから。
 そんなにやりたかったら、
 もう一度斬らせてやってもいいぞ」
「えいッ」
と老魔が力をこめて打ちおろすと、
悟空は真ッ二つ──と思ったのは束の間で、
一人が二人の悟空になって立ち向って行ったから、
老魔の驚くまいことか。
「やあやあ。
 どうして一刀両断にしたら、一人が二人になったんだ?
 さては分身法を使ったな?」
「ハッハハハ。
 一を二でわったら、○・五と思うのは、小学校の算術だ。
 株式学校では倍額増資をして一株が二株になり、
 二株がまた四株になる。
 ふえ方は幾何級数的だから、
 分割すれば分割するほど
 こちらが優勢になって行く勘定なんだぜ」
「そんなに成長株なら、俺にも売ってくれ」
「よしッ。いざこの一撃をくらえ」

悟空が如意棒をふりあげると、老魔はあわてて受けとめた。
二人は山のいただきから谷底まで所狭しと暴れまわったが、
二十回あまり打ちあっても一向に勝負がつかない。
そばで見ていた八戒は我慢がならなくなって、
熊手をとりなおすと助太刀に出た。

あわてた老魔は逃げ腰になったが、
「追っかけろ」と悟空にそそのかされた八戒が
なおもあとを追って行くと、
急にうしろをふりむいて大きな口をあけた。
いや、その口のデッカイこと。
風の強いこと。
まるで五百馬力のモーターでひっばっているような
物凄い吸収力である。
「いけねえ」

八戒は茨ももおかまいなく地面に這いつくばったが、
うしろから跳んできた悟空は勢いよく
老魔の口の中にとびこんでしまった。
「さあさあ。これでうまく一匹生け捕りにしたぞ」

化け物は意気揚々と洞内へ引きあげて行った。
「どいつを生け捕りにしたのですか?」
と迎えにきた二大王がきいた。
「孫悟空だよ」
「どこにつかまえているのですか?」
「この中に入っている。
 俺があんぐり口をあけたら、
 すっとんで入ってきやがった」

そはできいていた三大王は青くなって、
「そいつは大へんだ。
 俺が言わなかったのがいけなかったが、
 孫悟空を肚の中に入れちゃ大ごとになる!」
「アッハハハ……。
 さあ、もうこれで食べ物には困らなくなったぞ。
 自分で食べ物をさがすより、
 人が探してきた食べ物をちょうだいした方がいいわい」
 肚の中で悟空が喋るのが皆の耳にきこえたので、
 そばにいた手下どもは騒ぎ出した。
 しかし、老魔は笑いながら、
「なあに、俺の口の中に入れたものは、もう俺のものさ。
 おい。
 お前ら、塩を白湯に溶かして持って来い。
 奴を吐き出してから、徐ろに料理してやる」

手下がすぐに塩水を持ってきたので、
老魔は丼に半杯も飲みこんだが、
中にいる悟空は根をおろしたように梃子でも動かない。
老魔は自分の喉元まで指をつっこんで
ゲーゲーデーと涙を流さんばかりに吐きつづけるが、
出てくるのは胃酸ばかり。
「おい。早く出て来い」
「出るにはまだ早すぎるよ」
と喉の奥から声がきこえた。
「どうして早すぎるんだ?」
「話のわからん奴だな。
 もう冬も近いし、
 ちょうど冬着がなくて弱っていたところだから、
 ここでゆっくり冬眠をさせてもらおうと思っているのだ」

2001-03-23-FRI

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