毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第二章 化け物は山盛り

三 化け物が一ぱい


さて、無事、黄花観をあとにして、
更に西へ西へと旅を続けているうちに、いつしか夏もすぎ、
そぞろ秋風の身にしみる季節がやってきた。

蝉の声の目立ってさびれた荒野を一行が進んで行くと、
突然、行く手を嶮しい山に遮られてしまった。
「ずいぶん高い山だな。
 こんな山にも通る道があるんだろうか」

三蔵が早くも弱気になっているのを見ると、
悟空は笑い出した。
「お師匠さま。昔から、
 山高ケレバ自ラ客ノ行ク路有リ、
 水深ケレバ自ラ船ヲ渡ス人有リ、
 というじゃありませんか。
 通りたい人があれば通す仕事に従事して
 お金もうけをする人がいる筈ですから、
 心配をする必要はありませんよ」
「なるほど、それもリクツたな」

三蔵は安堵の胸を撫でおろすと、更に馬をすすめた。

ところが、物の数里も行かないうちに、
岩の高いところに白髪の老人が立って
こちらに向かって手をふっている。
「どちらへおいでになるお方か存じませんが、
 およしになった方がよろしいですよ。
 この山の中には通行人を専門に
 とらえて食べる怖ろしい化け物が住んでいます」

馬がちょうど道の窪みに足をつっこんだので、
それをきいた三蔵は
よろけて草の上へころげおちてしまった。
「驚くことはありません、お師匠さま。
 私がそばにいるじゃありませんか?
 とそばへ駈けよって、悟空が言った。
「でもきいただろう? あの老人の言った言葉を」
「もう一度、私が行ってよく確かめて見ましょう」
「お前のその形相では、相手がびっくりして
 本当のことを言わなくなるかもしれないよ」
「それなら、ひとつ金と力はなかりけり
 に化けることにしましょうか?」
「そうそう。それがいい。
 念のため、私に見せてごらん」

悟空は揺身一変、忽ち一人の眉目秀麗な少年和尚になった。
「どうです、お師匠さま、これならいいでしょう?」
「うん。見事なものだ」
「男も惚れ惚れするような美少年とはこのことだな」
と八戒もつくづく感心したように言った。
「どうだい、俺も女遊びはあきらめるから、
 俺のお稚児さんにならないかい?」
「ペッ」
と悟空は地べたに唾を吐きながら、
「自分の面と相談してから出なおしてくるんだな。
 ハッハハハハ……」

身も軽々と一同から離れると、
老人のそばへ近づいて行って、
「もしもし、ちょっとお尋ね致しますが……」

いかにも可愛らしい小坊主なので、
老人はテカテカに剃り立てられた
その頭を撫でまわしながら、
「坊やはどこから来たんだね?」
「私は東土から西方天竺お経をとりに行く着でございます。
 さきほどあなたが
 この山に妖怪がいるとおっしゃるものですから、
 うちのお師匠さまはあの通りふるえあがっています。
 一体全体、どういう妖怪なのですか?
 話の次第によってはグウの音も出ないようにしてやろうと
 思っているのですよ」
「アッハハハハ……」
と老人は声を立てて笑いながら、
「お前さんはまだ年が若いから、
 化け物の怖ろしさを知らないと見えるね。
 グウの音も出なくなるかもしれないのは向うじゃなくて、
 お前さんの方だよ」
「ふん。
 どうもあなたの話をきいていると、
 バカに化け物の肩を持っているようだが、
 一体、化け物とは親戚縁者の関孫でもあるのですか?」
「おやおや。
 背は小さいが、リクツは一人前じゃないか、
 この小僧さんは!」
と老人は頷きながら、
「しかし、見たところ、門前の小僧程度のことで、
 本当に怖ろしい化け物に出食わしたことはないようだね」
「本当に怖ろしいとはどういうのをいうのですか?」
と小僧の悟空はききかえした。
「この化け物ときたら、
 霊山に手紙一本書くだけで五百阿羅漢が出迎えにくるし、
 天宮に電報を一本打っただけで
 十一大曜が挨拶に出てきます。
 四海竜王とはつきあいがあるし、八洞仙とは飲み友達、
 十地閻君とは、お前、俺の間柄なんだからね」

それをきくと、悟空は大声を立てて、
「アッハハハハ……」
と笑い出した。
「化け物の友達ほ誰かと思ったら、
 皆、この私の後輩末輩じゃありませんか?
 その程度の男なら、この私が来たと知っただけで
 夜逃げをすることうけあいですよ」
「えらく大風呂敷な小僧もいたものだな。
 天上天下の神聖や有名人を後輩扱いにするなんて
 きいたことがないぜ」
「大風呂敷でもラッパでもありません。
 ラッパなら吹きそこなって
 拘置所に入れられることもありますが、
 私は傲来国、花果山、水簾洞に根城をおく
 姓は孫、名は悟空、という元王侯です。
 今でこそ頭を丸めてこの通り
 鹿爪らしい坊主姿になっておりますが、
 かつては化け物稼業を男の仕事と考え、
 天下の化け物たちとは兄弟分の契り、
 夢うつつの中を閻魔大王のところへ連れて行かれ、
 もうこれでお前の寿命もおしまいと言われたのを、
 さあ、俺の言う通りにするかしないか、
 と十閣王を目の前にして腕ずくの掛け合い談判、
 とうとう十閻王を弟分にした度史があるのですよ」
「ナムアミダブツ。
 小僧のくせに大それた話をする奴だ。
 一体、お前さんはことしいくつになるんだね?」
「いくつに見えますか?」
「そうだね、七つか、それとも八つになるかね?」
「ハッハハハ……。
 その一万倍くらいは生きてきましたよ。
 もし私が本当の顔を現わして見せたら、
 恐らくあなたもなるほどと思うでしょう」
「本当の顔だって?」
「そうですよ。
 こう見えても私には七十二面相はあるのですからね」
「じゃ、それを見せておくれ」

老人が言うので、悟空は自分の顔を一撫でした。
と、そこにとんがり口の人相の悪いのが
腰に虎のフンドシをつけ、
手に如意棒を握りしめて立っているので、
老人の驚くまいことか。
「大丈夫です。こわがらないで下さい。
 こわがらないで下さい」

悟空はあわててなだめにかかったが、
老人はその場に尻餅をついたまま口もきけないでいる。
「あなたが私たちに化け物のいることを
 知らせてくれたご好意には感謝しているのですよ。
 どんな化け物なのか、
 もっと詳しいことを教えて下さいませんか?」

いくら口を酸っぱくしても、
老人は勝手つんぼをきめこんでしまったので、
悟空は仕方なく皆のところへ戻って行った。
「悟空や、話の様子はどうだったかね?」
と三蔵がきいた。
「大したことはありませんよ」
と悟空は笑いながら、
「ここから西へ行く途中に化け物がいることはいるけれど、
 ここの人たちは胆っ玉が小さいものだから、
 その幻影におそれおののいているだけのことです。
 私がいるからには案ずるほどのことはありませんよ」
「じゃ、化け物は何人いて、山は何という山で、
 洞窟は何という洞窟か、きいてきたかね?」
「さあ、そいつは……」

悟空がシドロモドロになっていると、八戒がすぐに言った。
「お師匠さま。
 いつも私が言っている通りじゃありませんか。
 化けくらべをやったり人を脅迫したりすることじゃ、
 我々が四、五人かかっても到底、兄貴に及はないが、
 正直という点からいえば、
 兄貴を一分隊並べても私一人には及ばないと……」
「全くだ。
 正直という点ではお前の方がまだいくらかましだ」
「いくらか、だけは余計ですよ。
 それよりも兄貴は頭かくして尻かくさずで、
 何やら二言三言喋ったかと思うと
 すぐかえってきたようですが、
 念のため私が行ってもう一度詳しくきいて参りましょう」
「そうだな。お前が行ってくれると助かるよ」

八戒は熊手を腰の間に挟み、服の乱れをなおすと、
入れかわりに老人のいるところへ歩いて行った。
「もしもし。そこにおいでのおじいさん!」

老人は悟空の姿が見えなくなったので、
痛い腰をさすりながら、
やっと立ちあがったばかりであったが、
そこへまた容貌魁偉な八戒に声をかけられたので、
「あれッ。今日は何という悪夢続きだろう。
 さっきの坊主も凄い顔付きだったけれど、
 まだ三分くらいは人間らしさがあったよ。
 今度のは、これはまた、
 徹頭徹尾、人間ばなれをしているよ」
「まあ、そうおっしゃらずに、
 よおく私の顔をごらんになって下さい」
と八戒は笑いながら、
「見れば見るほど味わいが出てくるというのが
 私の顔ですよ」

顔はまずいが、言葉つきは案外におだやかなので、
老人は少し落着きを取り戻して、
「時に、あなたはどちらからおいでになったのですか?」
「私も唐僧について西方へ行く猪八戒と申す者です。
 さっき兄弟子の悟空があなた様に
 化け物の様子をおききしたらしいのですが、
 どうも要領を得ないので、
 私がもう一度お伺いに参りました」
「そいつは掛け引きのない話かね?」
「私は嘘つきコンクールで
 一等賞になったことはございません」
「嘘はつかないにしても、
 さっきの男のように法螺吹きではないのかね?」
「兄貴と一緒にされちゃ、私が泣きますよ」

空がきいていないのをいいことに、
八戒は盛んに自分を売り込んだ。
「じゃ、本当のことを教えてさしあげよう。
 この山は八百里獅駝嶺といって、
 山の真ん中ほどに獅駝洞という洞窟があります。
 洞窟の中には化け物が三人住んでいます」
と老人は言った。
「ちぇッ」
と八戒は舌を鳴らした。
「ずいぶん大袈裟なことをいうから、
 どんな話かと思ったら、たかが化け物三匹か!」
「怖ろしくないんですか?」
「子供だましみたいなことは言わないで下さいよ。
 三人くらいの化け物なら、兄貴の梶棒で一匹、
 私のこの熊手で一匹、
 それからもう一人おとうと弟子がおりますが、
 そいつの宝杖でもう一匹、
 と簡単に片づけてしまいます」
「シロウトほどおそろしい者はないとはこのことだな。
 アッハハハハ……」
と老人は笑い出した。
「化け物は化け物でも、
 一人ぼっちの化け物じゃないんですよ。
 その手下だけでも、南嶺に五千、北嶺に五千、
 東路口に一万、西路口に一万、巡哨が四、五千、
 門衛が一万、薪割り火焚きも加えると、
 四万七、八千くらいはいるんですよ」
「ギョッ。そいつは大へんだ」

八戒は戦々兢々として三蔵のところへとんでかえると、
熊手をほうり出してその場に坐りこんでしまった。
「何だ、報告ひとつしないでそのザマは!」
と悟空が怒鳴った。
「あんまりおったまげて、
 俺はおもらしをしてしまったよ。
 問答は無用だ。生命が惜しかったら、
 今きた道をひきかえすに限るぜ」
と八戒は言った。
「このパカヤロー。
 俺がききに行ったらどうもなかったのに、
 お前が行くと生命をとられないうちから
 もう生命をなくしてしまったような恰好じゃないか」
「一体、真相はどうなんだね?」
と三蔵がきいた。
「あの爺さんのいうことには、
 この山は八百里獅駝山と言って、
 真ん中に獅駝洞という洞窟があり、
 三人の妖精が住んでいるそうです。
 しかもその手下が何と四万七、八千人もいて、
 我々がちょっとでも奴らの縄張りに入ろうものなら
 忽ち生捕りにしてペロリと食ってしまうそうですよ」

根が小心の三蔵はそれをきくと、
顔面青白になってしまった。
「悟空や。どうしたらいいだろうか?」
「どうしようもこうしようもない、
 お師匠さまはこのまま引きかえす気持がありますか?
 あれば、もちろん、話は別ですがね」
と悟空はニヤニヤ笑っている。
「しかし、兄貴、俺のきいてきたのはデマじゃないんだぜ。
 山も谷も化け物で一ぱいなんだから」
と八戒が反駁をした。
「ハッハハハ……。
 風声鶴唳とはお前のような奴のために
 つくられた言葉だよ。
 もし山も谷も化け物で一ぱいなら、
 一人一人さがし出す必要がないから、
 一晩もあれば全部かたづいてしまうじゃないか」
「冗談じゃない。
 四万七、八千人もいちゃ、
 点呼するだけでも七、入日はかかるのに、
 一晩やそこいらで片づけてしまえるものか」
「しかし、片づけ方も色々あるんだぜ」
「そりゃそうかもしれんが、
 殴り倒そうが、突き倒そうが、
 あるいは定身法を使って棒倒しにしようが、
 相手は数で来るから、時間がかかることに変りはないよ」
「いやいや」
と悟空は首をふった。
「俺はそんな前時代的な方法を使ったりしないよ。
 味方同士だから打ち明けてもさしつかえないが、
 俺ならこの如意棒の両端を握って、
 長くなれ、と言って四十丈くらいの長さにする。
 円周は、そうだな、八丈くらいがいいだろう。
 それを合図と共に山から谷へ、谷から山へと転がすのさ」
「てへえ?
 その手でやれば、麺打ちは立ちどころにできてしまうぜ。
 人間の団子をつくるより都へかえって
 ラーメン屋でも開業した方が平和的でいいと思うな」
「お師匠さま」
とそばできいていた沙悟浄がやっと口をきいた。
「悟空兄貴のような腕っぷしの強い
 ボディ・ガードがいるのですから、
 相手をおそれることはありませんでさあ、
 早く馬に乗って下さい」

色々と説得してやっと三蔵を馬の背にあげた一行が
先に進もうとすると、
さっきまでいた筈の老人の姿が見当らない。
「やあやあ、奴も化け物に違いない。
 俺たちをなめてかかっていると見えるな」
と沙悟浄が声をあげると、
「待て待て。俺が見届けて来よう」

悟空はただちに山のいただきに跳びあがって
四方八方を見まわしたが、それらしき姿は見えない。
ふと空を仰ぐと、彩雲たなびくあたりに
太白金星が遠ざかって行くのが見えた。
すぐ悟空はそのあとを追っかけて、
うしろから金星の袖をつかまえた。
「よお。金星さん。話があるなら、
 面と向って言ってくれればよさそうなものを、何だって、
 田舎爺さんに化けて俺たちをたぶらかすんだね?」

金星は袖をつかまえられたので、
あわててうしろへふりかえり、
「いや、どうも失礼しました。
 ここの化け物ときたら、
 今まであなたがぷっつかったどの化け物よりも
 手ごわい奴なんです。
 ちょっとやそっとの努力では
 到底越えられないと覚悟をきめて下さい」
「それならば、
 こうしてわざわざ知らせに来てくれたついでに、
 玉帝にも声をかけておいて下さい。
 この悟空が頼みに行くかもしれませんから」
「わかっていますよ。
 あなたが頼むといいさえすれば、
 十万の天兵がただちに行動を開始するだけの
 用意はできております」
「じゃ、あてにしていますからね」

太白金星に別れを告げると、
悟空は三蔵のもとへとんでかえってきた。

2001-03-19-MON

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