毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第七巻 道遠しの巻
第一章 女たちとそのヒモ

一 サディスト・クラブ


朱紫国を通りすぎたのは、
ついこのあいだだと思っていたのに、
いつしか秋もすぎ、冬も越して、
またも緑の芽をふく春の季節がやってきた。
師匠と弟子たちは、肩を並べて、春の景色を賞でていたが、
どうしたわけか、突然、三蔵が馬をおりて、
大道に足をとめた。
「お師匠さま」
と悟空がいぶかって口をきいた。
「どうしてまた先をお急ぎにならないのですか。
 一級国道にも比すべきこんな道のいいところで、
 お師匠さまが骨休めをするなんて
 ずいぶん珍しいことじゃありませんか?」
「わかっちゃいないな、兄貴は」
とすぐに八戒がちょっかいを入れた。
「あんまり長いこと馬の背に坐りつづけたから、
 お師匠さまはお尻が痛くなったんだよ。
 少しは股の間に風を通さなくっちゃ、
 ふさぎの虫にとりつかれるじゃないか」
「いやいや、それは八戒の思いすごしだよ」
と三蔵は首をふりながら、
「あすこをごらん。立派な家があるじゃないか。
 あすこへ行って托鉢をしてこようかと思っているんだよ」
「ハハハハ……」
と悟空は笑い出した。
「政治家じゃあるまいし、
 親分が金をもらってきて子分に分けるなんて、
 そんなことは僧侶の世界では前代未聞だ。
 一日師と仰げば終身父となす、
 と俗語にも言われているじゃありませんか。
 お師匠さまが何かお召しあがりになりたいなら、
 私が托鉢に行って参ります」
「いやいや。
 お前のその気持は本当に有難いが、
 私の考え方はまた別だ。
 まわりに人家もないような山の中では
 いつもお前たちが遠いところも嫌わず、
 托鉢に行ってくれる。
 きょうは目の前に家があるんだから、
 せめてこんな時くらい私にやらせてもらいたいと、
 そう思っているんだ」
「それはお師匠さまの心得違いですよ」
と八戒も負けずに言った。
「三人外へ出れば、一番身分の低いのが
 重荷を背負うと言うじゃありませんか。
 ましてあなたは私たちのお師匠さまです。
 事アレバ弟子其ノ労ニ服ス、
 と古書にもありますから、私が托鉢に行ってまいります」
「きょうは風雨の日と違って、うららかなお天気だ。
 風雨の日はどうしても
 お前たちに行ってもらうよりほかないが、
 あの家へは私が行って来よう。
 うまくありついても、ありつかなくても、
 私はすぐ戻って来るよ」

三蔵がなかなか譲りそうな気配を見せないので、
沙悟浄も苦笑しながら、
「まあ、今度のところは
 お師匠さまに行っていただくことにしましょう。
 我々が無理矢理出かけて行って、
 折角、何かもらってきても、お師匠さまは
 頑固に食べないと言い張るかもしれませんから」

仕方なく八戒は、
荷物の中から鉢をとり出して三蔵に手渡した。

三蔵は服の乱れをなおすと、手に鉢をもって、
家の聳える方へ歩き出した。
近づいて見ると、流れの上に石の橋がかかっていて、
橋の向うに茅葺きの家が幾棟か建っている。

橋のそばまで来ると、
三蔵は立ちどまって中の様子を窺ったが、
ふと見ると窓際に四人の女が
刺繍をしながら何やら楽しそうに談笑している。
家の中にはほかに男のいるらしき様子もなかったので、
三蔵は入るのを躊躇した。
「しかし、ここまでやってきて、
 托鉢の一つもできないようでは、
 弟子たちの嘲笑を買うだけだろう。
 師匠と言われるのも因果なもので、
 お経を読むのも物貰いをするのも、
 弟子たちより上手でなけりゃならないんだからな」

しばらく考えていたが、
三蔵は渋々ながらも橋の上を歩き出した。
物の数歩も歩くか歩かないうちに、
庭が見え、庭の中の木香亭のそばで、
また三人の女が蹴鞠をして遊んでいるのが目に映った。

さっき窓の外からかいまみた女といい、
ここにいる女といい、一人一人顔形も違い、個怯も違うが、
皆それぞれにあやしげな美しさを漂わせている。

三蔵は足をとめて、ジッと様子を窺っていたが、
いつまでもそこにそのまま
立ちつくしているわけにも行かない。
「ご免下さい。
 私は旅の僧でございますが、
 少しばかり食べ物をお恵みいただければと思って、
 お願いにあがりました」

一気にそう言うと、
庭にいた女たちも家の中にいた女たちも、
「あら、坊さんだわ」
と笑いながらとび出してきた。
「さあ、どうぞどうぞ。
 中にお入りになって下さい」

初対面だというのに、少しも自分を疑う様子も見せず、
鄭重に迎えてくれるので、
西方かぶれの三蔵はすっかり感激して、
「ああ。やっばり西方は仏の土地だけのことはある。
 女でさえもこんなに
 僧侶を遇する道を知っているのだから、
 男はさだめし信仰に厚いに違いない」

しかし、それがとんだ見当違いであることはすぐ知れた。
というのは、女たちに案内されて奥に入ると、
廊下もなければ、欄干もなく、
人間の住む穿囲気ではなかったからである。

女の一人が石の扉をあけた。
見ると、中の調度はすべて石で出来あがっていて、
ひんやりと膚にせまってくる。
思わず大きなクシャミが出た。
「こいつはいけない。
 とんだところへきてしまったぞ」

しかし、女たちはそんなことにおかまいなく、
三蔵を石椅子に坐らせると、
「和尚さまはどちらのお方でございます?
 喜捨を求められるって、橋をかけるためですか、
 それとも道をなおすためですか?」
と矢継早に質問をくりかえす。
「いえ、
 私は寄附金を募集にまわっている坊主ではありません」
「寄附を求めないのでしたら、
 何用で旅をなさっていられますの?」
「私は東土から西方極楽浄土にお経をとりに行く
 旅の僧です。
 たまたま御宅の前を通りかかったので、
 飢えをしのぐために
 少しばかり食べ物を恵んでいただけたらと思って、
 お願いに上ったのでございます」
「あらあら、そんなことならおやすいご用ですわ」

三人の女をその場にのこすと、
あとの四人が台所へひきさがって
何やらごとごと料理にかかった。
しばらくすると盆に
湯気の立っている物を恭しく持って出てきた。
「突然のことで、
 ほんのありあわせのものしかございませんが……」
卓の上におかれたものの匂いを嗅ぐやいなや
三蔵は手を合わせて、
「まことに申しわけございませんが、
 私は生臭はいただけないのでございます」
「これは生臭ではございませんことよ」
「ナムアミダ」
と三蔵は思わず声をあげて、
「これが精進でございますって?
 こんなものをいただいたりしたら、
 私は釈尊のところへ行くことが
 できなくなってしまいますよ」
「でもあなたは出家でございましょう。
 出家が人のお布施に
 インネンをつけることはないでしょう?」
「もちろんですとも、もちろんですとも。
 私は皆さんに
 どうしてくれろと言っているのではございません。
 お恵み下さるものがあればいただき、
 お恵み下さらなければ、
 そのまま立ち去るだけでございます」
「それなら、味がうすいの、濃いの、とおっしゃらずに、
 おあがりになられたらいかがでございます?」
「本当に私はいただけないのでございます。
 もし精進のものをちょうだいできないのでしたら、
 どうぞ私をこのままかえらせて下さい」

立ちあがって外へ出ようとすると、
女たちは門の前に立ちふさがって、
「あら、屁をひっておいて、
 手でお尻をおおったって間に合わないわ。
 逃げられるものなら、逃げてごらんなさい」

女は女でも、一人一人に武芸の心得があって、
滅法に力が強い。
蒼白きインテリ僧侶は忽ち、手をねじあげられ、
グルグル巻きになって
天井の梁からつりさげられてしまった。
それも「仙人路を指す」と呼ばれる縛り方で、
一方の手を前に出したまま縛り、
もう一方の手は腰にしばりつけ、
足は二本別々の縄で縛って、
都合三本で天井からぶらさげるのである。

三蔵は痛苦に耐えかねて、
「托鉢をするにもこんなに苦労があるとは知らなかった! 
 ああ、弟子たちは今までどうやって
 何年も私にひもじい思いをさせないですんだのだろうか」

ふと目をあけると、驚いたことに、
女たちは彼の見ている前で、
着ている服を脱ぎはじめるではないか。
「やあやあ、
 さてはサディストのクラブに迷いこんでしまったのか」

半ば恐怖と半ば好奇の眼を見ひらいて、
なおも下を睨んでいると、女たちは上衣を脱いだだけで、
一せいにへソのあたりから糸をひき出して、
あたりにまき散らしはじめた。
すると、白い、ふわふわとしたものが
見る見る充ちあふれて、何も見えなくなってしまった。
どうしてそうなったのか、
女の化け物たちが何を企んでいるのか、
三蔵にはさっばり見当がつかないのである。

2001-03-13-TUE

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