毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第六章 からっ風

三 さそりの精


三人が弱りはてていると、
ちょうど一人の老婆が手に籃をかかえて通りかかった。
「兄貴。あの婆さんにきいて見ようじゃありませんか。
 そうしたら、化け物の持っている武器の正体が
 わかるかもしれませんよ」
と沙悟浄が言った。
「そうだな。俺が行ってきいてこよう」

悟空がそばへ近づいてよくよく見ると、
老婆の頭の上には雲がかかっており、
身体のまわりにはほのかに霧が漂っている。
「おい。お前たち。あの方は菩薩さまだぜ」

悟空に言われて、ほかの二人もあわてて威儀を正した。

正体を見破られた老婆は、そのまま中空まで昇ると、
魚籃観音の姿にかえってこちらへ向きなおった。
「観音さま。どうぞお力を貸して下さい。
 私たちは一所懸命やっておりますが、
 女の化け物を操る術を知らないのでございます」
「あれはなかなか手ごわい化け物だよ」
と魚籃観音は言った。
「あの三股叉は
 生まれながらの武器になっているばかりでなく、
 奴の尻ッ尾には鈎が一本くっついている。
 さわった途端に痛みを覚えるのは、
 あの尻ッ尾にある倒馬毒だよ」
「倒馬毒と申しますと?」
「読んで字の如く、
 あの毒にやられると
 馬のような大きな動物でもひっくりかえってしまう、
 という意味だ」
「道理で頭がわれるように痛かったわけですよ。
 ところで、あの化け物の正体は一体何でございますか?」
「あれは蝎の精だ。
 以前、釈迦如来に弟子入りしたことがあって、
 雷音寺にいたことがあるが、どうも素行がよくないので、
 お釈迦さまがたしなめたところが、
 逆にお釈迦さまを刺したことがあるくらいだから、
 とても私では近よれないね」
「でも天下無敵というほどでもございますまい。
 蝎の苦手は一体、誰でございますか」
「東天門の裏に光明宮というところがあるでしょう」
と魚籃観音は言った。
「あすこに住んでいる昂日星官なら、
 きっとうまい方法がありますよ」

そう言ったかと思うと、
菩薩の姿は一条の光となって消えてしまっていた。
「やれやれ。やっと助かった」
と悟空は兄弟たちのそばへ戻って言った。
「救いの神は誰です?」
「菩薩がこっそり教えてくれた。
 昂日星官が奴の鬼門だそうだ」
「それじゃついでに頭痛の薬ももらってきておくれ」
と八戒が言った。
「頭痛に薬はいらねえよ。
 稼ぎさえよければ女房に銭のことをもち出されても、
 頭は痛くなるまい。アッハハハハ……」

そう言いのこして、悟空は斗雲にのると、
忽ち東天門へ到着した。
「これはまた珍しいお客がおいでだ」
と増長天王が迎えに出てきた。
「ちょっと面倒なことが起ってね、
 昂日星官の手を借りに来たんだ」
「長日星官は留守じゃないかな。
 今朝、玉帝の命令で観星台へ出かけたと思うが」
「そんなことってあるだろうか。この大事な時に」
「でも、もうすぐおかえりになるかも知れん。
 さきに光明宮へ行って見て、
 もしまだかえっていなかったら、
 観星台へまわったらどうです?」

増長天王に別れて、光明宮へ行って見ると、
はたして昂日星官はいなかった。
きびすをかえして、宮門を出ようとすると、
兵隊が列をなして歩いてくるのが見えた。
その一番うしろに星官がひかえている。
「閣下。斉天大聖がお見えになっています」
最前列の兵士がうしろへ報告にとぶと、
星官は隊伍を分けて前へ出てきた。
「何かご用でございますか?」
「実は、私の師匠が難儀にあっておりまして、
 それでお手を借りにまいったのです」
「難儀とおっしゃいますと?」
「西梁女国の毒敵山での出来事でございます」
「あすこは化け物のうようよしているところですね。
 しかし、何だってえりにえらんで
 私のところへやってきたのでございますか?」
「観音さまにおききしたのです。
 観音さまはあなた以外に、
 蝎の精を平らげるお方はいないとおっしゃっていました」
「そう言われては是非もない。
 これから玉帝のところへ報告に行くつもりだったが、
 菩薩の話とあればお断りすることもできない。
 報告をあとまわしにして、
 すぐこれから毒敵山へ行って見ることに致しましょう」

悟空は昂日星官と表に東天門を出ると、
まっすぐ西梁女国へもどってきた。
「兄貴が星官を連れてきたよ」

二人の姿を見ると、沙悟浄が言った。
八戒ははれあがった口を押えながら、
「どうも身体がすぐれませんので、
 この通り失礼な恰好で……」
「身体がすぐれないって、どうなさったのです?」
と星官はきいた。
「さっき、あの化け物と一合戦をやって、
 口のところをやられたのです」
「それなら、私がなおして進ぜますよ」

星官は八戒の口を手でさすりながら、息を吹きかけると、
腫れはたちまちひいて痛みが鎮まった。
「おお。あなたは名医だ。
 星の数をかぞえさせているのは勿体ない」
「そんなに効目があるのなら、
 どうぞ私の頭をさすって下さい」
と悟空が言った。
「あなたは別にどうもないじゃありませんか?」
「いや、私も昨日やられたのですよ。
 一晩たったら、どうやら痛みはとれたのですが、
 まだ少ししびれが残っているようです。
 このまま根が残って、
 頭のリウマチにでもなったら大へんです」

星官がさっきと同じことをくりかえすと、
悟空の頭のしびれもきれいさっばりととれてしまった。
「さて、元気恢復したところで、復讐戦を展開するか」

八戒はすっかり強気に転じている。
「そうですね。あなたたちで奴をおびき出してくれますか」

星官と打ち合わせをすませると、
悟空と八戒はまた石塀のところへおりて行った。
今度の八戒にはさいぜんの恨みがあるから、
熊手を持つ手の力の入れ方が違う。
洞門に積まれた石ころを蹴散らすと、
奥へ進み、更に第二の門を滅茶苦茶にこわしはじめた。
「またゴロツキ坊主がやってきましたよ」

門番の報告に、
「ほんとにしつこい坊主だわね。
 門をひらいてやらないと言っちゃいないのに、
 違う門を叩くんですからね」

やおら、三股叉をとりあげると、
女の化け物は、奥からとび出してきた。
八戒はあわてて、熊手で相手の武器を受けとめたが、
二打ち三打ちもすると、うしろを見せて逃げ出した。

女怪は石塀のそとまで追っかけてきた。
「星官はいますか? 早く早く」

悟空の叫ぷ声に、
突然、山の上から大きな羽ばたきがきこえてきた。
見ると、それは高さ六、七尺もあろうかと思われる
巨大なオンドリである。
「ケケケケケ……」

鋭いオンドリの声をきくと、
妖怪もたちまち本性を現した。
なるほど琵琶ほどの大きさを持った一匹の蝎の精である。

オンドリが再び声をあげると、
蝎は俄かに闘志を失ってその場にすくんでしまった。
「さあ、もう一度刺して見ろ」

八戒は熊手をふりあげると、力任せに打ちおろした。
哀れ、哀れ。
欲情する化け物はただの一打ちで
粉々にとびちってしまったのである。

昂日星官に厚く御礼を述べると、
三人は洞門の中へそれぞれ攻めこんだ。
見ると、なかの女たちはその場に膝をついて、
「お許し下さい。私どもは化け物ではございません」
と恭順の意を示している。
「化け物でなければ、お前たちは何者だ?」
「私どもは西梁女国の女でございます。
 化け物にさらわれて、
 ここで働かされていたのでございます」

なるほど悟空が委細に眺めても、別に妖気は漂っていない。
「お師匠さまはどこにかくしてある?」
「奥においででございます。
 今朝からずっと泣いておいでです」

急いで奥へ入ると、三蔵の涙顔はたちまち笑顔にかわった。
「あの女は?」
「あれは蝎の精だったのですよ」
と八戒が言った。
「本当にお師匠さまは運がよかったですね。
 うっかり助平根性を出してベッドに入ろうものなら、
 大事な持物をチョキンとやられてしまうところでしたよ。
 もっともどうせ使わないものなら、
 ない方がさっばりしていいかも知れませんがね」

一同は、飯をたいて腹一杯飲み食いをすると、
女たちを解放してやり、
更に火を放って洞窟を焼きおとしてしまった。
四人一行、再び馬を西方へすすめたことはいうまでもない。

2001-01-02-FRI

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