毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第四章 白 い 輪

二 極楽からの援兵


李天王の陣営ではシュンとしてさっばり気勢があがらない。
火穂星君は泣き言をいうし、
太子はいらいらとして落着かないし、
雷公は恐妻家の如く爪先で歩き、
黄河水伯は黙として語らない。

こんなことではいけないと思った悟空は
皆の気持をひき立たせるために、
殊更に笑顔をつくりながら、
「なあに、勝敗は兵家の常だ。
 腕と腕の争いなら、どんなものか、
 みんな、ご覧の通りじゃないか。
 あいつが大きな面が出来るのも、
 もとを言えば、あのピカピカの力だ。
 俺がこれからもう一度、あいつの身元を洗ってくるから、
 みんな、もうしばらく辛抱していてくれ!」
「しかし、天界で戸籍調べをしてもらっても、
 員数はちゃんと揃っていたじゃありませんか?」
太子は言った。
「そうは言っても、宇宙は広いからね。
 俺が花果山の石の中から生まれ出たように、
 悪魔がどこから生まれ出てくるか予想もつかないよ。
 実は今、思いついたのだが、
 ひとつ釈迦如来のところに
 ききに行って来ようかと思うんだ。
 あの方なら諜報機関も持っているし、
 膨大な記録をかかえこんでもいるから、
 きっとたちどころに答えてくれるだろう」
「そいつはいい考えだ。早く行って下さい」

悟空は皆の者に別れを告げると、
早くも斗雲上の人となって、
西の方は霊山へと向っていた。
「おや、悟空さんじゃありませんか?」

ふと声がするので、あわててふりかえると、
そこに一人の比丘尼が立っている。
「あなたは・」
「おや、見覚えがないのですか?」
「……?」

全然、見覚えがないのである。
悟空が首をかしげていると、
「まあ、お忘れとは残念ですね。
 私の方はあれ以来、一日たりとも
 あなたのことは忘れたことがございませんのに」
「そんなことを言っても、俺は女には縁がないんだよ。
 殊にこの五百年来というもの、
 女の手にふれたことすらもないんだぜ」
「ほんとにね、あれからもう五百年もたったのかしらね。
 早いものですわね」

女は感慨無量といった顔をしている。
よく見ると、その唇の左下に小さなホクロがある。
それを見た途端に、悟空は、
「あっ。お前は俺が仙術修行をするために
 師匠を求めて天下を放浪した頃、
 西牛賀洲の街角に立っていた女じゃないか?」
「やっと思い出してくれたのね。
 さすがは悟空さんだわ」
と女はにっこり笑った。
「どうしてお前がこんなところへ?」
と悟空はきいた。
「どうしてって、私、あれから間もなく極楽往生して、
 ここにまいりましたのよ」
「へえ? 
 あんなショウパイをしていても、死ねば極楽かい?」
「フフフフ……生きていても、時々、極楽はあったわ。
 あなたと一緒の時もそうだったのよ。
 だからいつまでもあなたのことを覚えているのよ」
「おいおい。人がきいているのに、
 そんな大きな声を出すなよ。
 それにしても驚いたな。
 ここでお前さんに会うとは全く思いがけなかったよ」
「私だって思いがけなかったわ。
 あなたのような情事を解しない男は、
 地獄へ行くものだとばかり思っていましたもの」
「アッハハハ……。
 お前が極楽へくるなら、
 俺が来られん筈がないじゃないか」
「相変らずの自信屋なのね。でもいいわ。
 久しぶりにあなたに会えてこんな嬉しいことないわ」
「おいおい。
 極楽へ来てもまだ俺の袖を引張るつもりかい?
 生憎と今日はどうしても駄目なんだ。
 釈迦如来に是非とも会わなきゃならん急用があるんでね」

釈迦如来ときいて、女はやっと手を離した。
「如来様にお会いになるのでしたら、
 私が案内してさしあげますわ」
「如来とは親しくしているのかい?」
「親しいなんて間柄ではありませんわ。
 私たちの教祖様でございますもの」
「なるほど、なるほど。
 しかし、俺と昔馴染みだってことは
 口にしない方がいいぜ」
「あら、どうして?」
「だって、お前。俺のこの面を見てくれ。
 尼さんどころか、般若湯もよせつけないような
 謹厳そのものといった面構えじゃないか。
 アッハハハ……」
「ホホホホ……」

比丘尼尊者に案内されて雷音寺の山門をくぐった悟空は、
やがて釈迦如来の前にひっばり出された。
「おや。
 三蔵法師はもう間もなくここへ着くのかね?」

何もかもご存じのくせに、釈迦如来はお人が悪い。
「それならばよろしいのですが、実は金山で
 得体の知れない化け物につかまっているのです」
と悟空はこれまでのいきさつを話した。
「とても私の手に負えないので、
 一体、あの化け物がどこの出身か、
 むかしの恩人は誰か調べあげて、
 グッと首の根を押えてやりたいのです。
 どうぞあの化け物の正体を
 お教えいただけませんでしょうか?」
「あの化け物がどういう奴か私にはわかっているよ」
と如来は笑いながら、
「でもお前は言わ猿ではなくて、マスコミ猿だから、
 きっと私が言ったと言って宣伝するだろう。
 万一、向うがその噂をきいて、
 この霊山まで怒鳴りこんで来でもしたら、
 私にとっちゃとんだ災難だからね。
 それよりも、いっそ私の方でお前に力をかしてあげよう」
「力をかして下さるって、
 どういう具合に力をかして下さるのですか?」

如来は悟空に答える代りに、
十八羅漢に宝庫をひらいて
十八粒の金丹砂をとり出してくるように命じた。
「金丹砂ってどういう働きがあるのですか?」
「こいつを投げつけられたら、
 大抵の悪魔は身動きが出来なくなるよ。
 お前がうまく化け物をおびき出してくれば、
 十八羅漢があとをひきうけてくれるだろう」
「そいつは有無い。
 いや、どうも有難ぅございました」

悟空がお礼を述べて、外へ出ると、
あとからゾロゾロと大の男がついて来た。
見ると十八人と言われたのが十六人しかいない。
「おやおや。
 これじゃ最初と話が違うじゃないか?」
「話が違う?」
「十八人がいざとなると十六人じゃ、
 ペテンにかかったようなものだ」

そう言っているところへ、
あとから降竜と伏虎の二羅漢が遅れて出て来た。
「何をしているんだ?
 月給をもらったり、ご馳走にありついたりする時でも
 お前らは人よりのろいのか?」
「いや、実は如来様から色々と注意を受けていたので、
 ちょっと遅れたのでございますよ」
「早くしろ、早くしろ。
 俺は天下にその名を知られたセッカチ猿なんだから」
悟空を先頭に十人人の羅漢は、
それぞれ雲にのってやがて金山へと戻ってきた。
新しい援軍が来たので、
李天王の陣営は俄かに生気をとりもどした。
「さあ、歓迎会をひらいていただくにしても、
 先ず化け物を退治してからにしようじゃありませんか?」

十八羅漢に催促されて、
悟空は洞門まで化け物をおびきにおりて行った。
「あの野郎、
 またどこぞへ加勢を頼みに行ってきたのかな?」
「いいえ、一人のようでございます」
「奴の鉄棒は俺にまきあげられた箸だ。
 素手で俺に立ち向ってくるとは
 なかなか度胸がいい奴じゃ」

魔王はそう言いながら、
門をかためていた石ころをどけさせて、
洞門の中から出て来た。
「やい。寝呆け猿。
 何度ひどい目にあわされてもまだ懲りないか」
「お前こそ物の道理を知らなさすぎるぞ。
 俺においで願いたくないなら、
 白い旗を立てて恭順の意を示すがいい。
 俺の師匠やおとうと弟子をだまって引渡せば、
 生命だけは何とか助けてやってもいいぞ」
「ハッハハハハ……。
 あの三人なら今すっかり水洗いをし終って、
 これから料理にかかるところだ。
 そこをどかぬと、
 ついでにお前も調理台にのせてくれるぞ」
「なあにをッ」

悟空は両の拳をかためると、
遠くから化け物をポカポカと殴りつける恰好をした。
それに誘われて、
化け物は長鎗を握りしめたまま洞門を離れて出て来た。
すかさず悟空はうしろにひかえた十は羅漢に合図をした。
と見よ。
濛々たる大砂塵が霧の如く煙の如く
湧き起ってくるではないか。
砂塵に目がくらんで化け物は頭をひっこめた。
と足が三尺あまりも下へめりこんだので、
あわてて砂塵の上へとびあがった。
するとまたも一尺あまり足がめりこんだ。
「いけねえ」
と大急ぎで脚を抜くと、魔王はすぐに丸い輪をとり出して、
「来い!」
と叫んだ。

と十八粒の金丹砂は
たちどころに輪の中に吸い込まれてしまい、
十八羅漢が呆然としているなかを
化け物はまたしても悠然と引きあげて行くではないか。

2001-01-24-WED

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