毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第三章 泥棒一家

四 昔とった杵柄


「こうなったら、水徳星君の力をかりてくるよりほかない」

そう言って悟空は、
今度は北天門から烏浩宮まで水徳星君を尋ねて行った。
水徳星君も事情をきくと、
部下の黄河水伯に助太刀に行くように命じてくれた。
「あなたの武器は何ですか?」
と悟空は黄河水伯にきいた。
「このお碗ですよ」
と水伯は、袖の中から白玉のお碗を一つとり出して見せた。
「へえ、そんな小さなお碗にどれだけ水が入るのですか?」
「山盛り一杯で黄河の水がそっくり。
 半杯ならその半分です。
 それとも一杯では足りないですか?」
「いやいや、半杯もあれば十分です」

黄河水伯は黄河の水をお碗の中へ半分ほど汲むと、
悟空のあとに随って金山へやってきた。
「四の五のという前に、
 とにかくあの洞窟を水浸しにしてやろうじゃないか」
と悟空は言った。
「しかし、化け物が溺れ死ぬよりも先に
 あなたのお師匠さまが溺れ死ぬかもしれませんよ」
と李天王が心配して言った。
「いや、溺死人を生きかえらせる方法はありますから
 大丈夫です。
 私が化け物をおびき出しますから、
 化け物が門をあけたら、
 かまわずに水をそそいで下さい」

悟空が門前に立って悪言罵倒をくりかえすと、
はたして魔王は門をあけて出てきた。
すかさず黄河水伯はお碗を傾けた。
ところが、水がさかまいてくるのを見た魔王は
手に持っていた長鎗を捨てると、
袖の中の輪をとり出して門のところに構えた。

と見よ。
今まで洞門めがけて流れおちてきた水は逆流して、
外へ向って流れ出して行くではないか。
「いけねえ。いけねえ。川下は水びたしだ」

あわてた悟空は水伯と一緒に山の頂上へ逃げあがったが、
水は轟々たる音を立てて下へ下へと流れおちて行く。
山の頂上から見ると、
洞門のあたりでは小妖怪どもが手を叩いて喜んでいる。
「畜生!」

歯ぎしりをしながら、悟空は地団駄をふんだが、
遂に我慢がならなくなって、
いきなり洞門の前にとびおりると、
「さあ。来い。生命知らずの奴はかかって来い」

小妖怪どもがびっくりして奥へ逃げ込むと、
魔王が長鎗を握ってとび出してきた。
「生命知らずとはどっちのことだ。
 何度やっても同じことを、
 またまた繰りかえすのは阿呆というものだぞ」
「どちらが生命知らずかは、あとで言うことだ。
 食い足りないというのなら、
 俺のこの拳固を食ってみろ」
「見かけによらぬしつこい猿だな。
 お前のその痩せ腕で
 どうしてこの俺に向って来られるんだ?
 子供を相手に大人が刃物を使ったと言われちゃ
 独角の名がすたるから、お望みとあらば、
 俺も素手で相手をしてやってもいいぜ」

魔王は長鎗をその場に投げすてると、
目の前でトンボかえしを打って
悟空目がけておどりかかってきた。
悟空も両足をひいて素早く身構えると、
相手に立ち向って行った。

竜虎相搏つとはまさにこんな情景をさすのであろう。
双方、固唾をのむかと思えば、次の瞬間は万雷の拍手。
格闘を続ける二人よりも応援団の方が大騒ぎだが、
なかなか勝敗がつきそうにないと見てとると、
悟空は一握りの毛を抜いて空へ向けて投げあげた。
「変れ!」

毛は忽ち四、五十匹の小猿になって
一せいに魔王におどりかかって行った。

これには魔王が驚いて、
あわてて手を袖の中へつっこんで
例の輪をとり出そうとした。
その輪を見た途端に今度は悟空が泡を食って逃げ出した。
ふとふりかえって見ると、魔王は丸い輪で
四、五十匹の小猿を皆吸いあげてしまい、
歓声に迎えられて洞門の中へ引上げて行く。
「大聖は、その名に恥じないいい男だ。
 まだ少しも衰えを見せていないな」
太子も拍手と共に悟空を迎えた。
「皆さん、遠くからごらんになって
 四ツに組んだところはどんな具合でしたか?」
と悟空も些か機嫌をなおして言った。
「足の運びはとてもあなたの比じゃありませんよ。
 あすこに土俵があって、
 土俵のそとへ押し出したら勝ちという掟があったら、
 むろん軍配は文句なしにあなたのものですがね」
と李天王も言った。
「しかし、あのピカピカは始末が悪いな」
と悟空は頭をふった。
「あのピカピカをとりあげる以外には、
 奴をやっつける方法はありませんよ」
と火徳星君も黄河水伯も言った。
「ピカピカをとりあげる名案があるかね?
 こっそりとりあげる以外に……」
「ハッハハハ……。
 こいつばかりは
 大聖の右に出る名手があるとは思えませんや」
と二人の雷公は笑った。
「往年、天宮荒らしをやった時に、
 御酒、蟠桃、仙丹を盗んだ実績を持っているのは、
 大聖ただ一人だけですからね。
 むかしとった杵柄を、
 今、ここで応用しないという手はありませんよ」
「わかったよ。わかったよ。
 今、そいつを言われると、グッと弱くなってしまうんだ」
悟空は諸神をその場に待たせておくと、
自分は一匹の蒼蝿に化けて
洞の中へしのびこんで行った。

見ると、洞窟の中では魔王を中心に大小の群妖が
飲めや歌えやの酒宴の最中である。
悟空はあたりをブンブンとびまわりながら、
武器の在りかをさがしたが、それらしきものは見当らない。
広間を出て、うしろの部屋へ行くと、
さっきぶんどってきた戦利品がずらりと並べてあって、
その中に如意棒が壁に立てかけてあるのが見えた。

まるで百年の恋人に出会ったように、
悟空は我を忘れて思わず如意棒に手をだした。
途端に彼は元の姿に戻っていた。
「ええイッ、構うことはねえ。破れかぷれだ」
矢庭に如意棒をふりあげると、
彼は大広間の中へおどりこんで行った。
この不意打ちに大広間の中は一瞬、騒然となったが、
魔王があわてて武器をとりなおす間に、
悟空は外へとび出してしまっていた。
「とうとう取り戻してきたぞ」
悟空は小おどりしながら、味方の陣地へ戻ってきた。
しかし、味方の者は相変らず浮かぬ顔をしている。
「あなたはそうしてご自分の武器をとりもどしましたが、
 私たちのはいつになったら、
 とりもどすことが出来るでしょう?」
「大丈夫ですよ。すぐとりもどせますよ。
 私にこの棒があれば、
 必ずあなたたちの武器もとり戻してきて見せます」
悟空がそう言って慰めているところへ、
旗鼓の音高らかに鬨の声がきこえてきた。
見ると、独角大王が
部下をひきつれて攻めよせてきた様子である。
「よし、よし。
 ちょうどいいところへやってきたぞ、
 今度こそ目に物見せてくれる」

悟空は如意棒をふりかざすと、魔王の前に立ちはだかった。
「やい、化け物」
「そういうお前は泥棒猿!
 白昼、人の家へしのびこんでよくも物を盗みやがったな」
「何をいうか、死に損い奴!
 先に盗んだのはお前の方じゃないか」

今度こそは一挙に雌雄を決しようと、
片や如意棒をふりかざし、
片や長鎗をしごいて縦横無尽の血戦をはじめたが、
武器を持てば共に兄たりがたく弟たりがたく、
なかなか勝敗がつかない。
そのうちに太陽が西へ傾き出した。
「どうだ、
 もう日が暮れかかったから今日はこれでやめにしないか」
と魔王の方が先に言い出した。
「阿呆抜かすな。戦単に昼と夜の区別があるものか」

悟空は相手の言葉を受けつけず、
なおも立ち向って行ったが、
化け物はもはや戦う気がないと見えて、
さっさとうしろを見せると、
洞門の中へ逃げ込んで中から堅く扉をとざしてしまった。
「全くお見事、お見事」

帰ってきた悟空を迎えると、
皆は口をきわめてほめちぎった。
「いや、いや、それほどでもありませんよ。
 それよりも化け物は今日一日戦いつづけて
 草臥れたことだろう。
 これからもう一度、
 洞窟の中へしのびこんで
 あのピカピカを盗み出せるかどうか、
 様子をさぐって来よう」
「もうこんなに暗くなったのですから、
 今夜はぐっすりねむって
 明朝になってからではどうです?」
太子が言った。
「おやおや、あんたも案外世間知らずだね」
と悟空は笑いながら、
「泥棒というものは白昼やるものではなくて、
 人の寝しずまった真夜中にこっそり活躍するものと、
 むかしから相場がきまっているものだよ」
「泥棒談義なら
 大聖とおやりにならない方がよろしいですね」
と脇から火徳星君が口を出した。
「何しろ泥棒にかけては
 斉天大聖はクロウトはだしだからね。
 というよりもクロウトあがりだからね。
 芸者と三味線を競うようなことは、
 まあやめた方がよろしいですよ。
 アッハハハハ……」

2001-01-22-MON

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