毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第二章 金魚を釣る話

二 アルバイト合戦


悟空と八戒と沙悟浄の三人は陳家荘を出ると、
ふたたび河畔へ戻ってきた。
「お前ら二人のうち、
 どちらが先に水の中へ入るか相談しろよ」
と悟空が言った。
「俺たち二人で相談しろと?」
と八戒がすぐに言いかえした。
「兄貴は陸の上で涼しい顔をきめこもうと言うわけかい?」
「涼しい顔なら、水の中の方が涼しいぜ。
 しかし、お前も知ってる通り、もし山の上の化け物なら、
 お前らの力を借りないでも、
 俺一人で全部ひきうけてやる。
 ただ水の中ということになると、魚や蟹にでも化けて、
 水を避けるのが精一杯で、
 とても如意棒を由由自在にふりまわすわけには
 行かないんだ」
「水の中にもぐるだけのことなら何でもありませんがね」
と沙悟浄が言った。
「ただ水の底が一体どういう具合になっているのか
 わかりませんから、行くなら皆で行くことにしましょう。
 もし兄貴が水の中は苦手だとおっしゃるなら、
 私が背負ってさしあげてもよろしいです」
「そうだね。
 三人一緒に行くといぅ手もあるな。
 ところでお前たちのうち、
 誰が俺を背負ってくれるかい」
 「こいつは面白いことになるぞ」
と八戒はひそかに喜んだ。
「いつも陸の上では一杯も二杯も食わされているから、
 水の中で江戸の仇を討ってやろう」

そう思うと、八戒はニコニコ顔になって、
「兄貴。俺がおんぷしてあげるよ」
自分の仕事でも他人におしつけようという精神の八戒が
みずから荷役を買って出るのだから、
何か陶に一物あるくらいのことは、
悟空だって気づかない筈がない。
「そうだな。お前の方が沙悟浄よりも力があるから、
 お前に頼むことにするよ」

そう言って、悟空は八戒の背中にまわった。
沙悟浄を先頭に、三人は通天河の水の中へ入って行った。
行くことおよそ百里余り、
八戒がこの辺でやってやるかと考えていると、
悟空もさるもの、
直ちに毛を一本抜いて身代りを八戒の背中に残したまま、
自分は一匹の虱に化けて、八戒の耳朶の中にしのびこんだ。

そんなこととは知らない八或は
頃合を見て何かにつまずいたふりをして、
その場でころんだ。
ころんだ途端に悟空のおでこが泥の中につっ込むように、
わぎと悟空を投げ出したが、
もともと一本の毛で出来たニセモノだから、
たちまち水の中に消えてなくなってしまった。
「おやおや。
 悟空兄貴が見えなくなってしまったじゃないか」
とびっくりして沙悟浄が言った。
「うん。あの猿奴、
 俺がころんだ途端に消えてなくなりやがった。
 大きな口をきく男だったが、
 水の中に入るとてんでだらしのない奴だな」
「どこに行ったのだろう。早くさがして見なくっちゃ」
「いいさ。いいさ。かまうことはないよ。
 サル者は追わず、
 それより早くお師匠さまをさがしに行こう」
「でも悟空兄貴がいなくちゃ俺はいかないよ。
 誰にも得手不得手というものがあって、
 悟空兄貴は水中戦は苦手らしいが、
 腕前は我々の遠くおよぶところでないからね」

それをきくと、
悟空は八戒の耳朶の中から思わず声を張りあげて、
「沙悟浄。俺はここにいるぜ」
と叫んだ。

その声をきいた沙悟浄は急に笑顔になって、
「どうやら兄貴は死んでしまったらしいな。
 声だけきこえて姿の早えないのは
 幽霊ときまっているから、
 幽霊をたぷらかすようなことはしない方がいいぜ」
「俺は兄貴をたぷらかそうなんて、
 そんな大それた魂胆は持っちゃいないよ」
とあわてて八或は泥の中に両膝をつきながら、
「兄貴。お願いだから、姿を現わしておくれ。
 声はすわども姿は見えず、というのが一番いけないよ」
「ハハハ……。心配するな。
 俺は依然としてお前におんぶしているよ。
 心配しないで進め、進め!」

八戒は急いで立ちあがると、大股になった。

また百里あまりすすむと、
やがて一つの楼台が視界に入ってきた。
見ると、「水之第」と四つの文字が書いてある。
「ハハン。ここが化け物の棲家に違いない」
と沙悟浄は言った。
「中へ様子をさぐりに入って見たいが、
 どうしたらいいだろう」
「第の中には水があるか?」
と悟空がきいた。
「水はないようです」
「それじゃ俺が入って見よう。
 お前らはどこかそのへんにかくれておれ」
悟空は八戒の耳朶の中から這い出すと、
揺身一変たちまち一匹の脚長蝦に化けた。
そして、群魚の中にまぎれて奥へ入ると
中では化け物が魚婆さんを相手に、
さかんに料理大全をひっくりかえしている。
悟空が遠くからその様子を見ていると
本物の蝦がそばへ近づいてきた。
「大王は何だってあんなに熱心に
 料理の本を読んでいらっしゃるのですか?」
と悟空はきいた。
「知らないのですか?
 昨日、唐の名僧を一人とらえて、
 どんな料理にしようかと
 徹夜して考えていらっしゃるのですよ」
「へえ、で、その獲物はどこにおいてあるのですか?」
「奥の石箱の中ですよ」

奥へ入って見ると、なるほど石の箱が一つおいてある。
近づいてそっと耳をあてると、
中から三蔵のひとり言がきこえてくる。
「ああ。悟空や。八戒や。沙悟浄や。
 お前たち、どうして早く私を助けにきてくれないのか。
 お前たちが陳家荘で精進料理をご馳走になっている間に、
  私は魚たちの餌食になってしまうよ」
「お師匠さま。助けにきているんですよ」
と悟空は石箱の上から声をかけた。
「おや。悟空じゃないか。早く助けておくれよ」
「もう少しの辛抱です。もうしばらく待って下さい」

悟空はそう言い残して、外へとび出すと、
「おい、八戒。お師匠さまはまだご無事だ。
 奥の石箱の中にとじこめられている。
 お前と沙悟浄で化け物をおびき出してくれ。
 うまく生捕りに出来たらそれでよし、
 なかなか生捕りに出来なかったら、
 陸上へ誘い出して来てくれ。
 あとは俺がひきうけるから」
「大丈夫です。まずわれわれ二人でやってみますから」

悟空を陸上へ送り出すと、
沙悟浄と入魂は門前へつかつかと進み出て、
「やい。化け物。早く俺たちのお師匠さまをかえせ」

驚いた小妖怪がすぐ奥へ報告にとんで行った。
「さては坊主の弟子どもがやって来たに違いない。
 すぐ鎧兜とを持って参れ」

化け物は色も餅かな鎧兜を身につけると、
銅槌を片手に門のそとへ出て行った。
「お前らはどこの坊主だ。
 お経を読むならおとなしく読めばいいのに、
 まるで押売りアルバイト学生みたいじゃないか」
「何を抜かすか、追剥野郎。誘拐魔」
と八戒が怒鳴り返した。
「子供を誘拐するだけではまだ足りんと見えて、
 俺たちの師匠まで誘拐しやがって。
 俺たちのお師匠さまはあの通り
 見かけはなかなかの優男だが、
 もういい加減くたぶれた売れ残りの三十男だぜ。
 間違えるな、この馬鹿野郎!」
「すると、お前は三蔵の子分か。ハッハハハ……。
 俺はまた全学連反主流派かと思ったよ」
「全学連ならそのうちに卒業して、
 経営者になってキャディラックなんか
 のりまわすようになるが、
 俺は永遠に卒業することはないから、全浪連の方だ」
「なるほど道理で
 あまり利口そうな面をしていないと思ったよ」
「ところが、その利口そうに見えない男に、
 鱗をひっかきおとされるお利口さんがいるから
 世の中は面白いものさ」
「すると、お前があの一秤金に化けた化け物か。
 俺はお前を食わなかったのに、
 俺に手傷を負わせるとは
 暴をもって恩に報いる仕打ちではないか」
「お前が食いたいと言ったから
 一杯食らわせてやったまでのことじゃないか。
 アッハハハハ……。
 大体、お前は身の程知らぬ大馬鹿野郎だ。
 悪いことは言わねえから、
 おとなしく俺の師匠をここへ連れてきてひきわたせ。
 いやのいの字でも言ってみろ。
 目に物見せてくれるぞ」

そう言って、八戒は化け物の前で熊手をしごいて見せた。
「さては、お前、アルバイト坊主だと見えるな」
と化け物はせせら笑った。
「さすがは霊感大王を自称するだけあって、
 感は悪くないな。
 して、どこからアルバイト坊主ということがわかった?」
「どこかで種蒔きにやとわれていたのだろう。
 その熊手を見れば田吾作だということは
 きかんでもわかる」
「坊や、それはお前さんのお眼鏡違いだよ。
 熊手は熊手でもこの熊手は、
 田圃を耕す熊手とはシロモノが違うぜ」
「違うかどうか、この一打ちでわかる!」

化け物はいきなり鋼鎚をふりあげると、
八戒目がけて打ちかかってきた。
八戒は熊手で巧みにそれをうけとめると、
「そういうお前はアルバイト化け物じゃないか」
「何の証拠あって俺がアルバイト化け物とわかる?」
「お前の手に握ったその網鎚が論より証拠。
 お前は金銀細工屋の丁稚小僧だったに違いない。
 アルバイトならアルバイトらしく、
 おとなしく下請仕事でももらって
 夜なべでもしたらどうだ?」
「この鎚は同じ鎚でも
 女の髪飾りをつくる鎚とはわけが違うぞ。
 嘘と思うならためして見ろ。
 たとえ正宗の名刀でも、俺の一打ちにかかったら、
 釘をまげるようなものだ」

そばで黙ってきいていた沙悟浄も我慢がならなくなって、
「百の議論より一の証拠だ。
 さあ、どちらが折れるか、
 俺のこの杖をためして見るがいい」

化け物は素早く鋼鎚でうけとめると、
「ハハン。お前もアルバイト坊主だと見えるな」
「それがお前の第六感か」
「お前は中華ソバ屋の出身に違いない」
「中華ソバ屋だと?」
「いかにも。
 お前のその杖は麺を打つ時に使うものじゃないか」
「アッハハハ。
 ソバ屋の杖か、ラーメン屋の杖か、
 精々傍杖を食わないうちに気をつけろ」

三人はたちまち三つ巴になって
手に汗を握る大合戦を展開したが、
なかなか勝負がつかない。
この調子では手間がかかると見てとった八戒は
沙悟浄に合図をすると、
敗けたふりをして敵に背中を見せて逃げ出した。
「待て」
霊感大王は逃がさじとはかりに二人のあとを追った。

2001-01-16-TUE

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