毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第七章 コンクール王国

三 求雨コンクール

「悟空や。もう朝だよ」

夜が明けると、三蔵が皆の者を起しに入ってきた。
「これから国王のところへ査証をもらいに行って来よう」

三人は寝呆け眼をこすって起きあがると、
あわてて服を着た。
「お師匠さま」
と悟空が言った。
「この事遅国の国王は道士びいきで、
 坊主を憎んでいるようですから、
 こちらの思うに行かないかも知れませんよ。
 万一ということもございますから、
 私どもが一緒にお供しましょう」
「そうだ。そうしてくれると有難いな」
三蔵はすっかり喜んで、例の金襴袈裟を身につけると、
三人の弟子を伴って五鳳楼へ出かけて行った。
要件を述べ、国王に面会を申し込むと、
閤門大使は奥へ入って、国王へその旨上奏した。
「さても生命知らずの坊主があったものだな」
と国王は笑いながら、
「ゲシュタポは一体、何をしている?
 なぜ早々に奴らをつかまえて来ないのだ?」
「陛下」
とそばに控えていた参謀長は、
国王の前にすすみ出て言った。
「大唐国と言えば、南贍部洲きっての大国、
 これから何万里と離れた遠いところにある国と
 きいております。
 その大唐国から我が国までの間には
 妖怪変化の類いも十指とは言わず住んでいる筈なのに、
 それを物ともせず遙々やって来たとすれば、
 きっとタダの坊主ではございません。
 一人や二人の通行人のために大国と仲違いをするのは、
 恐れながら今日の我が国情から申しましても
 決して賢い道ではないと存じます。
 どうか特別の思召しをもって
 見逃していただきたいと存じます」

国王はなるほどと考えなおし、
唐僧の一行を金鑾殿へ連れてくるようにと申し伝えた。
一行四人が階下へ来て、うやうやしく関文を捧げ出すと、
折も折、黄門官が入ってきて、
「三人の国師がおいでになりました」

それをきくと、国王は関文をしまって、
大急ぎで、椅子をおりて迎えに出てきた。
「これは、これは。
 今日はご足労を願うことは
 別にございませんでしたが……」

国王が先に口をきくと、
先頭に立った虎力大仙は頭ひとつさげないで、
「いや、
 今日はご報告申しあげたいことがあって参ったのです」

それから階前に立っている三蔵たちをふりかえると、
「ぁの四人の坊主はどこから見えたのですか?」
「何でも大唐国から西天へ
 お経をとりに行く一行だそうです。
 いま査証をしてくれと言ってやっていたところですよ」
「ハッハハハ……」
と三人の道士は手を叩いて笑いだした。
「どこへ雲がくれしたのだろうかと思っていたら、
 こんなところへ来ていたのか!」
「それはまたどういうわけですか?」
とびっくりして国王はきいた。
「すると、陛下はご存じないと見えますな。
 実は昨日、この連中が私らの弟子を二人殺して
 五百人の奴隷を逃がしてしまったのですよ。
 その上、夜になってから三清観に忍ひ込んで
 聖像は壊すし、お供え物は食い散らすし、
 あげくの果てに小便まで垂らしたのでございますよ」

見る見る国土は青筋を立てて怒り出した。
「陛下」
と悟空も間髪を入れず大声で言った。
「あの三人の言うことばかりおききにならずに、
 私どもにも言いたいことを言わせて下さい」
「お前ら何を抜かすか。
 我が国の国師が
 私に嘘でたらめを申すと思っているのか!」
「ですが、陛下。
 あの方々の弟子を殺したのが
 私どもであると立証できる者がございますか。
 私どもが三清の聖像をこわしたとおっしゃいますが、
 目撃者がおりますか?
 目撃者も証拠もないのに、私どもを非人扱いにするのは、
 文明国に似つかわしくないことではございませんか!」

文明国という言葉に国王はつまずいてしまった。
というのは国王は車遅国を文明国と思っていたし、
今更、野蛮と文明が同居していることを
見せるわけには行かなかったからである。

悟空に言いくるめられて、あれこれ思い迷っている折しも、
黄門官がまたしても入ってきた。
「申しあげます。
 門外に村の故老たちが沢山参っております」
「故老たちが? 何の用だ?」
と国王はきいた。
「すぐこちらへ通すがいい」

やがて三、四十人ほどの村々の老人たちが
階前に勢揃いした。
「陛下に申しあげます。
 ご衆知のように今年は春以来、
 一滴も雨がふっておりません。
 そのため百姓たちは田植も出来ないで
 弱りきっております。
 どうぞ国師さまにお願いして、
 雨をふらせていただきたく、
 こうして皆して
 お願いに参上致しました次第でございます」
「そうか。そうか。
 早速方法を考えるから、
 お前たちはひとまずひきさがるがいい」
故老たちが退出すると、
国王は三蔵たちの方をふりかえって、
「お前たちはこの私がどうして坊主を排撃するか
 不思議に思うだろう。
 それにはこういうわけがあるんだ」
国王は以前に旱魃の続いた時、
坊主を総動員して求雨の大祈祷をやったところ
些かも効果がなかったこと、
もう少しで国中が飢え死するその寸前に、
三人の国師が現われて国民を塗炭の苦しみから
救ってくれたことを、話してきかせた。
「大体、坊主というものは
 何一つ役に立たないのに金ばかりほしがる癖がある!
 我が国には“坊主丸儲け”だとか“坊さんカンザシ”
 だとかいった言葉があるが、
 大唐国にもそんな言葉があるか」
「いやいや」
と悟空は笑いながら言った。
「残念ながら、大唐国の坊主には
 そんな自堕落な者は一人もおりません。
 ご期待にそえなくてまことに歯痒く思います」
「しかし、お経を読むことと飯を食うことは出来ても、
 雨をふらせる術を心得ておる者はいないだろう」
「雨をふらせる程度のことなら、
 この私にだって出来るのでございますから、
 出来ない者はいないと言ってよいかと思います」
「では国師と手合わせをしてみる自信はあるか?
 万一、失敗したら
 この国から無事出て行けると思ったら間違いだぞ」
「よろしゅうございますとも」

国王は直ちに求雨壇を掃き清めさせると、
自ら五鳳楼に移って、
両者の腕くらべを観戦することになった。

準備が整うと、
虎力大仙は国王に一礼して御前から出て行こうとした。
その袖を悟空がひきとめた。
「どちらへおいでになるのです?」
「もちろん雨をふらせるんだとも」
「おやおや。遠来の客に先番を譲らないのですか……。
 が、まあ、いいや。
 将棋でも囲碁でも弱い者に
 先手を打たせることになっているからな。
 しかし、はじめる前に、
 ちゃんと申しひらきをなさったら、どうです?」
「申しひらきとは何だね?」
「あとで喧嘩にならないように、どこまでがあなたの雨で、
 どこまでが私の何か、はっきり区別をしておくんですよ」
「小僧なかなか理屈屋じゃないか?」
と国王は独り言を言った。
それをきいた沙悟浄も、
「全く兄貴がそんな理屈屋だとは知らなかったな。
 今までどこへしまいこんでいたんだろう?

虎力大仙は、しかし、悟空の申し入れを蹴とばすように、
「そんなことは陛下がちゃんと見分けて下さる」
「もちろん、そうだろうが、あなたと私は、
 今日ここではじめて顔を合わしたんですからね。
 あらかじめはっきりと
 けじめをつけておいた方が無難ですよ」
「いいとも、いいとも」
と虎力大仙も負けずに言った。
「私はこれから壇上へあがるが、
 あなたは私のこの金牌をじっと見ておればよい。
 私が金牌を一回鳴らせば、まず風が起る。
 二回目を鳴らせば、雲が湧く。
 三回目を鳴らせば、雷が鳴る。
 四回目を打てば、雨がふる。
 そして、五回目を打てば、雲か散って雨かやむ、
 という順序だ」
「ほほう。これほまた珍しい求雨術ですな」
と悟空は笑った。
「さあ、ではどうぞお先に」

虎力大仙は大股で悟空の前を通りすぎると、
そのまま壇の上へ登って行った。

2001-01-05-FRI

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