毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第七章 コンクール王国

二 聖水をどうぞ


入れ代りに御殿の中へ入ってきたのは三人の泥棒だった。
泥棒の中の口の長い男は、
食べ物の匂いを嗅ぐと鼻先をクンクン鳴らしながら、
すぐに手を出そうとした。
「おい」

見ると、
もう一人の泥棒は手に如意棒を握って身構えている。
口の長い泥棒はびっくりして、
「まだ何ひとつありついていないのに、
 痛棒を食らうってことはないだろう?」
「下品な真似はやめて、
 ちゃんと礼儀にかなった食べ方をしたらどうだ?」
「ハハハハ……。
 盗み食いをするにも礼儀作法があるのか。
 じゃ正式に招待された時はとうするんだね?」
「お前の眼の前に鎮座ましますのは何という菩薩だね?」
「菩薩だって? 笑わしちゃいけないよ。
 三清観とあれば、
 三清が祭られていると相場がきまっているじゃないか」
「三清って何だ?」
「三清をご存じないのか?
 真中に坐っているのが元始天尊、向って左側が霊宝道君、
 右側が太上老君じゃないか。
 菩薩を有難がるのも結構だが、少しは他人様が
 どんな神様を拝んでいるか研究しておく必要もあるぜ」
「だからさ、他人様の拝む神様になりすませば、
 お供え物をいただいても、
 礼儀作法にそむかないではないか!」
「なるほど、なるほど」

口の長い泥棒は高い壇の上へ這いあがると、
「お年寄りよ。
 あんたもここへ長い間坐りつづけて足がしびれただろう。
 俺が代りをつとめてさしあげるよ」

坐っていた太上老君をうしろへひっくりかえすと、
八戒は太上老君になりすまして、
すぐに供え物に手を出そうとした。
「待て待て」
と元始天尊に化けた悟空が制した。
「そんなにあわてて食いつくと喉にひっかかってしまうぞ」
「余計なお世話だ。
 餅が喉にひっかかって死ぬ方が
 飢え死をするよりいいじゃないか?」
「しかしだ。
 前に三清がちゃんと坐っているのに、
 うしろにまた三清がひっくりかえっていちゃ、
 馬脚が現われてしまうじゃないか」
「そりゃそうかも知れないが、
 と言ってどこへかくせばいいんだ?
 何しろはじめてきたところだから、
 倉庫がどこにあるのか、さっぱりわかりゃしない!」
「さっきここへ入ってくる時、
 入口の右手のところに小さな門があったぞ」
と悟空が言った。
「通りすぎる時、ほのかな匂いがしてきたから
 きっと五穀輪廻の場所に違いない。
 お前、食べる前にちょっと一走りして、
 この偶像をあすこへしまって来いよ」

一刻も早く食い物にありつきたい一心で、
八戒はその場にとびあがると、
三つの偶像をやにわに肩に背負って
御殿のそとへとび出した。
教えられた場所へ辿りついて、扉をぎいッとあけると、
途端に臭気が鼻をついた。
「ちぇッ。
 五穀輪廻の場所だなんてシャレたことをいうから、
 どんなところかと思ったらおトイレじゃないか。
 しかし、まあ、五穀輪廻の場所に違いはないわい」

八戒は偶像を肩からおろすと、
「悪く思わないでくれよ。三清さん。
 俺たちは遙々遠方からやって来て、
 お供え物をいただきたくても、
 誰も供えてはくれないのでね、
 ちょっとあなたたちの館を拝借したまでのことだ。
 あなたたちは長い間、坐して食ったんだから、
 もうそろそろ選手交替をしてもいい頃だろう」

弁解とも慰めともつかぬ言葉をかけると、
八戒は三個の偶像を大便所の中へドブン。
三清は返事の代りに、便所のはねかえりで八戒に答えた。
「どうだい、うまく行ったかい?」

八戒が戻ってくると、悟空がきいた。
「うまく行ったことはうまく行ったが、ごらんの通りだ。
 兄貴も人が悪いよ」
「ハハハハ……。
 まあ、ここへ坐って食べろよ。
 腹一杯食べたら、
 臭いのなんか気にかからなくなるだろう」

八戒はまた太上老君に化けると、
壇の上に供えられた大饅頭にかぶりつき、
続いて飯から点心から
そこいらじゅうにあるものを片っ端から平らげて行った。

そこへ一人の小道士が入ってきた。
小道士はさっきおき忘れて行った手鈴をとりに
戻ってきたのである。
暗闇の中で、
小道士はあちらこちら手さぐりで探しまわったが、
やっと手鈴を見つけてかがみ込んだ。
その途端に、人間の舌鼓を打つ音をきいたので、
びっくりしてとびあがった。
あわてて外へかけ出そうとしたら、
今度は床の上におちていたバナナの皮で
足をすべらせたから、
「ワッハハハハ……」
と八戒はこらえきれなくなって笑い出してしまった。

さあ、大へん。
人のいない筈のところで人の声がしたというので、
忽ち大騒ぎになり、老道士たちは手に手に明りをもって、
一せいに御殿の中へ入ってきた。

見ると、
偶像はさっきと同じ姿で壇の上に鎮座ましましているが、
供え物は食べ散らかされている。
「おかしいぞ。
 怪しげな人影はどこにも見当らないではないか」
と虎力大仙が言った。
「ひょっとしたら、三清が本当に天から降りて来て、
 我々のお供え物を食べて下さったのかも知れない」
と鹿力大仙が言った。
「そうだ。そうかも知れない。
 一心天をも動かすと言うからには、
 我々の誠意が天に通じたのかも知れない」
と羊力大仙がすぐに応じた。
「もしそうだとしたら、この際、三清にお願いして、
 不老長寿の仙丹をお恵み下さるよう
 お頼みしようじゃありませんか」
「そうだ。それがいい」

三人は早速、法衣に着かえると、徒弟たちを整列させて、
さっきよりも一段と大きな声をはりあげて
道徳経を読みはじめた。
それが終ると、虎力大仙はおごそかに壇上に進み出て、
「お恵み深き三清さま。
 今日この日、ここへご降臨の栄を賜わりまして、
 我々一同感謝感激おくところを知りません。
 願わくば、仙丹を賜わりまして、
 朝廷に献上することを得ましたら、
 鴻恩右にすぎるものはないと存じます」

その言をきくと、八戒はそわそわして、
傍の悟空に小さな声でささやいた。
「兄貴。さんざご馳走になったんだから、
 このまま逃げ出しちゃ悪いような気もするな。
 どうしたものだろうか?」

悟空は眼で合図をすると、すぐ正面に向きなおって、
「話はわかった。
 しかし、今日は幡桃会の帰りだから、
 生憎、手持ちがござらぬ」

土偶だとばかり思っていたのが突然、口をきいたのだから、
道士たちの驚くまいことか。
「お師匠さま。この機会をのがしてはいけません。
 是非是非、お願いして見て下さい」

弟子たちにすすめられるままに、
今度は鹿力大仙が前にすすみ出た。
「ようこそおこし下さいました。
 私どもこの上なき光栄と喜んでおります。
 仙丹のお持ち合わせがなけれは、是非もございません。
 せめて聖水の一滴なりと垂れ賜わらば、
 冥利に尽きる仕合わせと存じます」

沙悟浄は悟空の方をふりむくと、
「さて、困ったことになったぞ。どうしよう?」
「出し惜しみをすることはないじゃないか?」
と悟空が言った。
「そんなことを言ったって、無い袖はふれないぜ」
と八戒がささやいた。
「俺に任せろ。
 俺がある時なら、お前たちだってある筈だから」

やがて道士たちの賑やかな祈祷がやむと、
悟空はおごそかな口調になって、
「そんなに頼むなら、ほかならぬお前たちのことだから、
 やらぬでもないが……」
「是非是非お願い申しあげます」
「それならは、器を持って参るがいい」

三人の大仙はすぐに三つの容れものを持って
そばへ近づいてきた。
「ではそこへおいて、皆、しばらくの間、
 そとへ退がっておれ。
 天上の機密は簡単にもらすわけには行かないから」
「ハイ。かしこまりましてございます」

一同が御殿のそとへ出て行くと、
悟空はやおら立ちあがって、花瓶のそばへ近づいた。
それから虎皮のパンツをまくりあげると、
その中めがけて小便を垂れはじめた。
「ハハハハ……」
と八戒はすっかり嬉しくなって、
「兄貴、俺たちはこの長年月
 ずいぶんいろんなことをやって来たが、
 この芸当だけはまだやっておらなかったな。
 ちょうどいい、俺も尿意を催していたところだ」

そう言って八戒は大きな受皿の中へ
勢いよくホースを向けた。
続いて沙悟浄も水がめの中を半分ほど充たした。
三人は素知らぬ親をしてもとの雛壇の上に坐りなおすと、
「さ、聖水をとりに入ってくるがいい」

うやうやしく格子をあけて入ってきた道士たちは、
それぞれ器をもらいうけた。
虎力大仙は弟子に言いつけて小匙を持って来させると、
一匙すくって口の中へ入れて見た。
「味はいかがです?」
と鹿力大仙がきいた。
「大してうまいものではないな」
と虎力大仙は苦い顔をしながら、
「少し塩っばい味がする」
「じゃ、私も味だめしをしてみましょう」

そう言って羊力大仙は受皿を持ちあげて、
グイと一口傾けたが、
「こりゃ豚の小便のような匂いだな」
としかめっ面をして叫んだ。
もうこれ以上かくそうとしても、
かくしおおせるものではない。
そう思った悟空はその場に立ちあがると、
「やい。腰抜け道士め!
 よく眼を見ひらいて見るがいい。
 俺たちは三清でも四清でもない。
 何をかくそう、
 俺たちこそは西方へお使いに行く大唐国の僧侶だ。
 今夜、たまたま夜遊びに出て来たところ、
 お前たちに祭りあげられて思わぬご馳走にありついた。
 このまま食い逃げをしては気がとがめるので、
 少々ばかりだが、
 我々の分泌物をお返しにさしあげたのだ」

それをきくと、
道士たちは手あたり次第に棒や箒をつかんで、
三人のまわりへ襲いかかってきた。
しかしその時、三人は既に三清観を抜け出して、
悠々と智淵寺へ戻って来ていたのである。

2001-01-04-THU

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