毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第六章 俄か救世主

三 排仏国の“十三階段”


黒水河をあとにした一行が
秋風に吹かれては故国を思い出し、
雲を頭に戴いては来し方をふりかえり、
なおも涯知れぬ旅を続けて行くうちに、
いつしか春がめぐってきて、
ふたたびさわやかな風の吹く季節となっていた。

或る日のこと、師弟ともども
のんびりと風景を楽しみながら道を歩いていると、
突然、わあーッ、と群衆の叫ぶような声がきこえてきた。
その物々しい声に驚いて思わず三蔵は
たづなをひきつけて馬をとめてしまった。
「ありゃ何の声だろう?」
「まるで山の崩れおちるような音だ」
と八戒が言った。
「いや、雷のおちた音じゃないかな?」
と沙悟浄は言った。
「そうじゃないだろう。
 どうも私には人間の叫ぶ声にきこえてならないがな」

三人が思い思いに勝手なことをいっているのをきくと、
悟空は、
「ハッハハハ。
 百聞は一見に如かずというが、
 どうれ、俺が偵察をしてくるとしようか」

そう言って、いきなり空中へとびあがって遙か見わたすと、
遠くに城が聳えているのが目に入ってきた。
しかし、城閣には旗や槍の山は見えないし、
大砲を打っているらしい形跡も見えない。
「はてな。戦争でないとすれば、
 今のあの音は何だろうか?」

そう思いながら、目を移すと、
城門の外に広い土地があって、
そこに無数の和尚がむらがって車を押している。
「よいしょう」
というかけ声はそこからきこえてくるのである。

車の上には積みきれないくらい沢山の
煉瓦や材木や石ころが満載されていて、
しかもそれが狭い切り立った坂道を登って行く。
暖かな時候とはいいながら
それを押している人々の着ているものは
いずれもボロボロで、
いかにも見すぼらしそうであった。
「大方、寺でも建てているのだろうが、
 どうして人夫をやとわないで
 坊さんたちが自分で働いているのだろうか。
 このあたりは神武以来の大豊作続きで、
 雇おうにも人夫のなり手がいないのだろうか。
 それとも住職が稀代のケチンボで
 人足代を払うのが惜しいからだろうか」

悟空があれこれとあらぬ想像をしている折しも、
城門の中から二人の若造の道士が悠々と歩いて出て来た。

坊さんたちはそれを見るとにわかに緊張して、
さきにもまして一所懸命働くようなふりを見せはじめた。
「ハハン。
 あの様子じゃ坊主どもは道士をおそれているようだな。
 西方には魔術法術のたぐいを尊んで、
 宗教神学を卑しむ気風の土地があるときいていたが、
 いよいよその地域に入ったと見える。
 お師匠さまに報告にかえるのは、
 もっと詳細を確かめてからにしよう」

悟空は雲の上からとびりると、
揺身一変たちまち旅の道士に早変りした。
左臂の上からが水火籃をかけ、手には漁鼓をもち、
それを叩きながら口では情詞を唱えて
城門さして歩いて行く。

悟空は二人の道士の前までくると、
わざとバカ丁寧におじぎをして、
「お初にお目にかかります」

二人の道士は悟空の道士が年長に見えるので、
あわてて礼をかえしながら、
「先生はどちらの方でございますか?」
「いや、私は旅から旅へと
 あてのない流浪を続けている者でしてな。
 この土地ははじめてきましたが、
 どこぞ一宿一飯を恵んでくれる家は
 ないものでしょうか?」
「一宿一飯とは、また興ざめな話じゃないですか?」
「そいつはまたどうして?」
「どうしてもこうしても、
 一宿一飯とは乞食かヤクザ者の言い草でしょう。
 卑しくも天下の道士が口にする言葉じゃございませんよ」
「道士だって、もとを言えば、
 出家のうちではありませんか。
 出家が托鉢を求めるのは
 別に興ざめな話ではないと思いますがね」
「ハッハハハハ……」
と若者たちは笑いながら、
「あなたは遠方からおいでだから、
 ご存じないのも無理はないが、
 この国では“道土に非ざれば人に非ず”で、
 道士が一番幅をきかせています。
 一宿一飯を求めるどころか、道士の姿を見れば、
 どんな金持の家だって拝むようにして
 飯を食べに来てくれと頼みにきますよ」
「へえ。そいつはまた奇特な国もあったものですな。
 一体、ここは何という国ですか?」
「ここは車遅国と申しまして、
 この国の皇帝と私たちは親密な間柄にあるのです」
「ハッハハハハ……」
と今度は悟空が笑った。
「して見ると、
 この国では道士が皇帝におさまっているのですかな」
「いやいや。
 皇帝が道士というわけではありませんが、
 皇帝が道士を大事にするようになったのには
 いわれがあるんですよ。
 というのは今から二十年ほど前、
 この土地は末曽有の旱魃に見舞われましてね、
 雨を乞うために家々で斎戒沐浴をしたり、
 線香をあげてお祈りをしていた時、
 或る夏突然に、三人の仙人が天からおりてきたのです」
「三人の仙人と申しますと?」
「それが私どものお師匠さまですよ」
「何というお名前の方ですか?」
「大先生は虎力大仙と申し、二番日の先生か鹿力大仙、
 三番目の先生が羊力大仙です」
「三人の方々が人民を助けたというわけですか?」
「その通りです。
 何しろうちの先生たちは水を油に変えることも出来れば、
 石を変じて金と化する力も持っています。
 もとより雨を呼ぶくらいのことは朝飯前で、
 皇帝にせがまれて望み通りに雨をふらせてやったので、
 それ以来、この国の皇帝とは
 兄弟のようなつきあいをしているのです」
「この国の皇帝はなかなか仕合わせな方ですな」
と悟空は言った。
「あなたのお師匠さまたちのような
 身に術のあるコンサルタントがいれば
 政治は万事うまく行くことだろう。
 ……ああ、それにしても一生に一度くらい
 そんな優れた人々にお目にかかりたいものですな」
「そんなことはわけのないことですよ」
と道士たちは笑った。
「私たちのお師匠さまは同志愛の強い方々ですから、
 “道”という字をきいただけで、
 喜んで門前に迎えに出てくれます。
 まして私たちの手引きとあれば、
 灰を吹くように簡単なことですな」
「それじゃ、
 ひとつご足労でも今すぐご案内願えますまいか」
「いやいや。もうしばらくお待ち下さい。
 私たちの什事が終ったら、ご一緒致しますから」
「出家に仕事かあるのですか?」
と悟空道士はききかえした。
「出家というものは仕事に拘束されず、
 自由自在に振舞えるのが唯一の取得だと思いますがね」
「そりゃまあその通りですが、
 あれをごらんになって下さい」

そう言って、
向こうで立ち働いている坊主の一群を指さした。
「あの坊主たちは私たちのために
 家を建ててくれているのです。
 奴らの点呼をしてきますから、
 しばらくそこに坐って待っていてくれませんか?」
「坊主の点呼をなさるって?
 坊主だって同じ出家なんですから、
 我々の指図を受ける道理はないでしょう」
「さっきお話するのを忘れていましたが、
 それにはこういうわけがあるのですよ」

若い道士の話すところによれば、
二十年前この国で求雨大会をひらいた時、
皇帝は一方に僧侶を集め、一方に道士を侍らせて、
求雨コンクールをひらかせた。
ところが僧侶は空念仏を唱えるばかりで、
一向にききめがない。
そこへ三人の仙人が降臨して、
その料学技術を発揮するとたちまち慈雨が到来し、
万民を塗炭の苦しみから救うことが出来た。
皇帝は改めて僧侶の無能ぶりに愛想を尽かし、
山門を壊し、仏像をやき、坊主を奴隷の地位におとしめて、
道士に賜わった、というのである。
「ですから、今では我々の家で、飯をたくのも奴らなら、
 掃除をしたり戸締りをしたりするのも
 奴らになったわけですよ」
「なるほど、そういうことでしたか……」

頷きながらも、悟空はハラハラと涙をこぼし、
相手の見ている前で袖をつかんで流れおちる涙をふいた。
「一体、どうしたのですか?」
とびっくりして道十たちはきいた。
「いやいや、全くの私事で、
 おきかせするほどのことではございません」
「でも、まあ、おきかせ下さいませんか。
 何かお役にたつこともあるかも知れませんから」

予想外に親切な道士たちである。
「それではお話し致しますが、
 私がこうして旅をしているのは、
 性来、流浪癖があるということもございますが、
 実は身内の者の行方をさがしているのです」
「身内の者をさがしていらっしゃると申しますと?」
「実は私の叔父に子供の頃から家を出て
 頭をそって坊主になったのがいるのです。
 先年、飢饉の折に托鉢に行くと称して故郷を離れたまま
 いまだに家へ帰ってきません。
 ひょっとしたら、
 こちらの方へ来ているかもしれないと思って
 尋ねて来たのですが、
 もしこの地方に来ているのだとすれば、
 国へ帰れないのも無理はない。
 そう思うと、人前もほばからず涙が出てしまったのです」
「そんなことなら、
 何も涙を流すほどのことじゃありませんよ。
 じゃ、ひとつ、あなたが私たちの代りに
 点呼をやってくれませんか。
 あそこには全部で五百人の坊主がいますが、
 もしあの中にあなたの叔父さんがいたら、
 同道の誼みをもって
 放してやることも出来ないわけではありませんから」
悟空は好意を謝すると、二重になった関所を通って、
坊主たちのいるところへ近づいて行った。
坊主たちは道士姿の悟空を見ると、その場にひざまずいて、
「ごらんの通り、私ども一所懸命、
 仕事に精を出しております」

よほど、道士にいじめ抜かれたと見えて、
偽者の道士の前でもガタガタふるえている。
「私は仕事の監督に来たわけじゃないから、
 そんなにおそれることはない」
と悟空は笑いながら、
「実は私は身内の者をさがしにやって来たのだよ」
それをきくと、坊主たちはぞろぞろと立ちあがってきて
悟空のまわりをとりまいた。
悟空はそれらの人々の顔を一人一人見ようともせず突然、
「ハッハハハハ……」
と笑い出した。
「何がおかしいのですか?」
と怪訝な顔をして人々はきいた。
「何がおかしいって、お前たちの無能ぶりがおかしいんだ。
 大体、お前たちが坊主頭になったのは、
 この世に愛想をつかして、
 仏に仕えようと決心したからだろう?
 それが仏に仕えないで、道士に仕えるなんて、
 このざまはなんだ?」
「あなたは私どもを、
 ひやかしにおいでになったのですか?」
と人々は言った。
「ひやかしだって?
 私の言葉がひやかしにきこえるほど、
 お前たちの魂は腐ってしまったのか」

にわかにシーンとして、言葉をかえす者もいない。

2001-01-01-MON

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