毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第七章 謀略合戦

一 身代り使者

さて、二人の小妖怪はニセモノの大びょうたんを受取ると、
あちこちひっくりかえしていたが、
ふと顔をあげると、さっきまで
すぐ目の前にたっていたはずの悟空が見当らない。

「な、兄貴」
と伶俐虫が不審に思って言った。
「仙人というものは礼儀をわきまえないものじゃないか。
 流行歌のセリフじゃないが、
 さよならもいわないで行ってしまうなんて」

「なあに、この取引は俺たちに有利なんだから、
 いまにプツブツ言いながら戻ってくるだろうよ。
 いいから、ひとつ天を容れて見ようじゃないか」

そう言いながら、精細鬼は大びょうたんを手にとって
天高く投げ上げたが、忽ち地におちて来た。

「おや、どうしたんだろう」
と伶俐虫はすっかりあわてて、
「まさか孫行者が仙人に化けてニセモノとホンモノを
 とりかえて行ったんじゃなかろうね」

「そんなバカなことがあるものか。
 奴は三つの山の下敷きになっているはずだ。
 さあ、もう一度やって見ようじゃないか」

精細鬼は悟空の教えた出鱈目の呪文を繰り返しながら、
またもひょうたんを投げ、
「やい、いう通りにしなければ、
 霊霄殿までお礼参りに参上するぞ」
と叫んだが、その言葉もまだ終らないうちに
大びょうたんはまたしても地におちて来るではないか。

「やっばりニセモノだ!」

二人が大騒ぎをしているのを中空でききつけた悟空は、
事面倒とばかりにひょうたんをとり戻して
もとの身体におさめてしまったので、
今、おちてきた筈のひょうたんがすッと消えてなくなった。

「おい。ひょうたんをこっちへよこせ」

「冗談じゃない。兄貴が持っているのだろう」

「いや、お前だろう。
 なに? どこにも見当らない? そいつは大へんだ」

二人は袖の中やパンツの中までさがし、
はては草の根をかきわけはじめたが、
その辺におちていようわけがない。

「困ったな。
 孫悟空をつかまえて来いと言われて、
 孫悟空をつかまえるどころか、
 逆にこちらの大事な武器まで巻きあげられちゃ、
 このままおめおめと
 味方の陣営に戻るわけには行かないぞ」

「こうなったら、脱走してしまおうじゃないか」
と伶俐虫は言った。

「脱走するって、どこへ逃げるんだ?」

「どこだってかまうものか。
 身体に足のついている間、逃げるんだ。
 帰って軍法会議にかけられて
 生命をおとすよりもまだその方がいいぜ」

「いやいや。逃げるよりもやっばり洞窟へ戻ろう」
と精細鬼は首をふった。
「お前は平素から大王たちに覚えがめでたい。
 正直に言えば或いは生命くらいは
 助けてもらえるかも知れん。
 仮に許してもらえなくて、この土地で生命をおとしても、
 この辺なら地理地形に明るいから、
 同じ幽霊になってさまようにも
 よその土地よりまだましじゃないか」

「そういえば、まあ、そうだ」

二人は相談を重ねた結果、やっと山へ戻ることになった。
空から二人の様子を眺めていた悟空は
すぐにもあとを追いかけたかったが、
如何せん、身にはさっき奪いとった二つの武器がある。
どこか人目につかないところへかくしておくのもいいが、
もともと光を放つものだから、
すぐ見つけ出されてしまうだろう。

「畜生奴。俺のこの如意棒のように、小さくなれと言えば、
 小さくなってくれれはいいのに!」

何気なく悟空がそういうと、あら、不思議、
紅葫蘆も玉浄瓶も小さくなって行くではないか。

「しめたぞ。こうこなくちゃ」

悟空は忽ち一匹の蒼蝿に化けると、
スイスイと二人の小妖怪のあとを追って
ほどなく洞門の中へ入った。

見ると、
金角銀角の二大魔王はさしむかいで酒を飲みかわしている。
小妖怪は魔王の前におそるおそる進み出ると、
そのままその場に膝をついた。

「やあ、戻ってきたか」

「ハ、ハイ」

「孫行者をつかまえて参ったか?」

「そ、それが……」
二人は何度もどもりながら、
「わ、わたしどもは罪万死に値します。
 何とも申し訳がございません」

二人が悟空の化けた道士にだまされて
紅葫蘆と玉浄瓶を奪われた経過を話すと、
金角大王は烈火の如く怒って、

「ウムムム……。
 ききしにまさる猿の悪智恵。
 武芸百般だけかと思ったら、
 舌先までよく発達してやがる。
 しかし、
 それにしても奴を放してやったのはどの山神だろう。
 けしからん奴だ」

「まあ、そう怒ったって仕方がないや」
と銀角が傍らから言った。

「奴が山の圧力から逃がれ出たのも実力なら、
 我々の武器を奪いとったのも実力だ。
 俺たちの世界は人間たちの世界と違って
 実力しか通用しない世界だ。
 もし奴を生捕りに出来ないようなら、
 今日限り化け物業は店仕舞いだ」

「生捕りにするって、何かいい方法でもあるかね」
と金角はききかえした。

「俺たちにはまだ秘蔵の兵器が
 三つのこっているじゃないか。
 この七星剣と、この芭蕉扇と、それから
 圧竜山のおっかさんのところにおいてある幌金縄。
 おっかさんのところへ唐僧の珍味をご馳走するから
 すぐ来るように迎えの者を出せばよい。
 その時、ついでにあの幌金縄を
 持参してもらえばいいだろう」

「なるほど。しかし、誰を使いに出したものだろうか?」

「こいつらのようなロクでなしでは駄目だ」
と銀角は吐き山すように言った。
「何をそこでいつまでもぐずぐずしている。
 トットと消えて失せろ」

二人はあわててとびあがると、
「やれやれ。天佑神助とはまさにこのことだ。
 お目玉ひとつ食らわないで許されるなんて」

「おい。巴山虎と倚海竜の二人を呼んで参れ」

銀角に言われて、
新しく二人の部下が御前にまかり出てきた。
「お前ら、大奥様のところへ使いに行ってくれ」

「ハイ」
と巴山虎と倚海竜はその場に這いつくばった。

「道中にくれぐれも注意するんだぞ」

「ハイ、よく注意致します」

門の扉にとまって一部終始をきいていた悟空は、
二人が出て行くと、すぐそのうしろからとび立って、
巴山虎の身体に素知らぬ顔をして羽をやすめた。

二、三里ほど行ってから
悟空は相手を片づけてしまうつもりだった。
しかし、いまここで片づけてしまっては、
化け物のおふくろがどこに住んでいるのか、
幌金縄というものがどこにあるのかもわからない。
そこで一計を案じて、小妖怪どもをさきにやりすごし、
今度は自分がもう一人別の小妖怪に化けて、
そのうしろを追った。

「お−い。ちょっとまってくれ」

声をきいて、倚海竜がうしろをふりかえった。
見ると、頭に狐の皮で出来た帽子をかぷった小妖怪である。

「お前は誰だ?」
と倚海竜がきいた。

「おやおや」
と悟空の小妖怪は言った。
「自分たち一家の者の見分けもつかないのかね?」

「俺たちのところにはお前のような奴はいないよ」

「いない? よおく見てみろよ」
と悟空は臆面もなく相手の前に
自分の顔をさらけ出している。

「いや、絶対に見覚えがない」

「そうだろう」
と悟空はニコリとしながら、
「見覚えがないのが本当だ。
 あんたらは内勤で、俺は外勤だからね」

「そうか、そうか。
 道理で見覚えがないと思ったよ。
 ところで、これからどこへ行くところだね?」

「いや、実は大王があんたらを
 大奥様のところへ使いにやったが、
 どうも道中が心配だからと言って、
 また俺をあとからよこしたんだ」

その言葉をきくと、二人とも変な顔をした。
自分たちが信用されていないと思ったからである。

「大王はとても急いでいるらしいんだよ」
と悟空は相手の不安を押し消すように、
「もし大奥様の幌金縄がつかないうちに
 孫悟空が攻めよせて来たりしたら大へんだと言ってね。
 さあ、早く行こう」

きいて見れば、二人しか知らない秘密も
ちゃんと知っているので、小妖怪どもは疑うことをやめて、
一緒になって走り出した。
ものの八、九里も走っただろうか。

「ああ、疲れたな。
 まだよほど道のりがあるのかね?」

「すぐそこのこんもり繁った森の中だよ」
と倚海竜が手をあげて指ざした。
見ると黒々とした森はもうそう遠くはない。

「片づけるなら今だ」

悟空は二人から少し遅れて歩きながら、
耳の中から如意棒をとり出すと、えいッ、えいッと
間髪を入れずうしろから打ちおろした。
可哀そうに二人は忽ち肉だんごになってしまっている。
それを草叢の中へ投げ捨てると、
悟空は自分の身体から毛を一本抜いて「変れ!」と命じた。
すると、そこに巴山虎そっくりの小妖怪が一人現われた。

さて、自分はもう一度呪文を唱えて倚海竜になりすますと、
二人は圧竜山の圧竜洞へ向って、
悠々と歩き出したのである。

2000-12-03-SUN

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