毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
三蔵創業の巻
第六章 三蔵部屋の誕生

三 葫 蘆 船

「悟空や」
とふと思いついて三蔵が言った。
「これから三人でご飯をめぐんでくれた人の家へ行って
 河を渡る方法をきこうじゃないか。
 化け物と喧嘩をするよりもその方が上策だ」
「そいつは駄目ですよ」
と悟空は笑いながら、
「ここから六、七千里も離れたところの人ですから、
 水のことを知ってるわけがありませんや」
「また、兄貴の大風呂敷がはじまった!」
と八戒がちょっかいを入れた。
「こんな短い時間に
 どうやって六、七千里も先まで行けるんだね?」
「ひぐらしに冬の話をしてもはじまらんだろうが、
 俺の斗雲は一跳び十万八千里だ。
 六、七千里は、首をふる時間で、
 往復しても腰をひとひねりひねる間だよ」
「そんなにたやすくどこにでも行けるのなら、
 お師匠さまを背負って流沙河をとびこえれば
 わけはないじゃないか」
「そういうお前だって雲には乗れるだろう」
と悟空はすぐにやりかえした。
「ぉ前こそお師匠さまを背負って河を越えればいいだろう」
「そんなことを言ったって、お師匠さまは凡骨だから、
 俺の雲にはとてものせられない」
「そうだろう。俺の斗雲だって、
 スピードがあるかないかの違いだけで、
 お前の雲と本質的に違いはないんだ。
 むかしから言われているじゃないか、
 春山を動かすのは芥子を動かすように軽いが、
 凡夫を背負って色情の巷を脱するのは難しい、と。
 俺の神通力をもってしても、
 精々、お師匠さまを保護するのが関の山で、
 とてもそんな芸当は出来ないよ」
「全くその通りだ。その通りだ」

八戒は一も二もなく頷いて、早速、食事にかかった。
その晩、三人は河の東岸で夜を明かしたのである。

さて、その翌朝、目をさますと、三蔵法師はすぐにきいた。
「今日はこれからどうしよう?」
「どうするもこうするも」
と悟空は答えた。
「また八戒にもぐってもらうんですね」
「兄貴」
と八戒は悟空の袖をつかまえて、
「自分は手ひとつ濡らさないで、
 俺だけ水びたしにするつもりかい?」
「そうじゃなくて、
 お前でなくちゃこの大役ははたせないんだよ。
 な、頼むから、もう一度行ってくれ。
 今度は俺もせっかちな真似は絶対にしないから」

根がお人好しの八戒だから、両手を合わして頼まれると、
すぐに機嫌をなおして、またも水の中へもぐって行った。

水の中でねていた化け物は、
水をかきわける音をきくとすぐ目をさました。
「よう、おいでなすったか。
 今度こそ俺のこの杖の味を見せてくれるぞ」
「俺は盲目じゃねえからそんな杖に用はない」
と八戒は言いかえした。
「お前のように無学文盲の掟にはわかるまいが」
と化け物は杖をふりあげながら、
「杖というものは何も
 盲目や年寄りだけが使うものじゃないんだ。
 この杖を見よ。この杖はかつて月の中から伐り出され、
 名工の手にかけて作られた降魔の宝杖。
 そのかみ陛下のおそば近くつかえた折に
 御下賜になった名誉のしるし。
 お前の持っている田圃や畑を耕す熊手とは
 わけが違うわい」
「田圃だろうが、マンボだろうが、お前の知ったことか。
 俺のこの一かきで、膏薬にきき目があるかないか
 思い知らせてやろう。
 お前の穴という穴から血がドッと流れ出て、
 たとえ九死に一生を得ても、年をとったら、
 まずリュウマチスほ避けられねえぞ」

二人は水底で熊手と杖を打ち交わしながら、
またも水面へと姿を現わした。
水の上を行ったり来たり、
今度もなかなか勝負がきまらないままに
戦闘を続けること凡そ三十回。
八戒は戦いに破れたふりをして、
スキを見ると、熊手を担いで逃げ出した。
化け物はすぐあとを追って来たが、
水際までくるとぴたりと足をとめた。
「やい。なぜあがって来ない? 臆病風に吹かれたか?」
「その手には乗らねえぞ」
と化け物は言いかえした。
「俺をおびきよせて、また助太刀を頼むんだろう。
 俺と一騎打ちがやりたいなら、お前の方こそおりて来い」

案外、知恵のある化け物で、
どうしても陸へあがっては来ないのである。

陸で見ていた悟空はまたもヤキモキして、
遂にじつとしておれなくなり、
斗雲に乗って上空へあがると、
急降下爆撃の体制をとった。
「ヒューン」
という凰の音におどろいた化け物はふと上空を見あげると、
悟空が弾丸になっておちてくる。
あわやと思った途端に化け物は宝杖をしまうと、
さっと水の中へもぐり込んでしまった。
「やれやれ。何という手数のかかる野郎だろう。
 俺はもうオッパイを吸う気力もなくなってしまったよ」

八戒はへとへとになってその場に坐り込んだままでいる。
「駄目な時は仕方のないものだ。
 お師匠さまのところへ戻って、
 もう一度作戦の練り直しをしよう」

二人が師匠のそばへ戻ると、
三蔵はポロポロと涙を流しながら、
「この調子では西天極楽へ行くどころか、
 向う岸へ渡ることも出来そうにないなあ」
「お師匠さま」
と悟空は師匠の眼の涙を見ると声を大にして叫んだ。
「嘆きのセレナーデをひくのはまだ早すぎますよ。
 私がこれから南海に談判に行ってきますから、
 しばらく辛抱して下さい」
「南海へ行くって、何の談判だね?」
と八戒がきいた。
「今日の政治は敵と交歩するより味方と交渉することだ。
 俺たちにお経を取りに行け、自由のために死ね、
 と言うのも観音菩薩なら、
 俺たちの行く先々に辻斬強盗を配置して
 俺たちを苦しめるのも観音菩薩だ。
 だから一体どういう料簡なのか、
 観音菩薩の真意をただして、
 意見の調整をはかる必要があると思うんだ」
「そう言えばそうだ。
 どうも観音菩薩は尻が重くて、
 いよいよどうにもならなくなるまで
 神輿をあげようとしないからね」
「悟空や」
と三蔵法師が言った。
「観音菩薩には一方ならぬお世話になっているんだから、 
 重々礼を尽して決して怒らせるようなことをしては
 いけないよ」
「わかっていますよ。
 なあに、怒れば損だと知っているから、
 少しぐらい悪態をついても決して怒らないのが
 菩薩の取りえですよ」

悟空は斗雲にのると、
約一時間ののちに普陀山へ到着した。
竹林寺へ入ろうとすると、
二十四路の天神が門前に迎えに出て来ている。
「大聖。今度は何の用事でございますか?」
「また、面倒な事件が勃発したんだ。
 菩薩はおいでになりますか」
「今日はウイーク・エンドで
 菩薩はゴルフにおでかけでございます」
「やれやれ。
 俺たちは生きるか死ぬかの大関所に立っているのに、
 ゴルフとは暢気なものだな」
「でもいつでも連絡がとれるよう手配はしてありますから、
 ちょっとお待ちになって下さい」

すぐ長距離電話がかけられたと見え、
「宝蓮池畔へおいで願いたい」
との返事であった。
案内されて宝蓮池畔へ赴くと、
菩薩は捧珠竜女を相手に
ゴルフコースを廻っているところである。
「今頃、何をしに来た?」

せっかくの楽しい週末を邪魔されて、
菩薩はいかにも不機嫌そうな顔をした。

悟空も内心むかむかしたが、
ここが堪忍のしどころと思って、
これまでの経過を手短かに話してきかせた。
「またしてもお前のミスじゃないか」
と菩薩は怒鳴った。
「お前はいつも武力に物を言わせて
 万事を解決しようとする。
 何故、三蔵法師を守って西天へ行くことを
 相手に打ち明けなかったんだね?」
「そんなことを言ったって、敵か味方か、
 はっきり色分けがしてないじゃありませんか?」
「流沙河の妖怪はむかしの捲簾大将の生まれかわりだよ。
 以前から三蔵法師の守護を引受けましょうと
 私に約束していたぐらいだから、
 お前が旅の目的をあらかじめ言っておけば、
 こんなことにはならないですんだのに!」
「でも、こうなっては、水の中にもぐったまま
 なかなか出て来そうにもありません。
 どうしたらよろしいでしょうか?」

菩薩は弟子の恵岸行者をよぶと、
袖の中から紅い葫蘆をとり出して、
「これを持って、悟空と一緒に流沙河へ行きなさい。
 水の上から悟浄と呼べば、出て来る筈だから、
 私の使いだと言いなさい。
 そして、あの男の首にかけてある九ツの髑髏を並べて、
 その真中にこの葫蘆をおけば、一隻の船が出来あがるよ」

言われた通り、恵岸行者は悟空と一緒に
流沙河の畔へ向った。

八戒はすぐ恵岸行者の姿に気づき、
「やあ、しばらくでございます。
 ごらんの通り、私も出家になりましてね、
 こうして三蔵法師のお供をしておりますよ。
 時に、観音菩薩にはお変りございませんか?」
「挨拶は抜きにして、
 早くあの男を呼んでみようじゃありませんか?」
と悟空が催促した。
「あの男って誰のことです?」
「あの化け物のことだよ」
と悟空は観音からきいた話を皆に披露した。

恵岸は紅い葫蘆を手に捧げて流沙河の上に行くと、
「悟浄。悟浄。お経をとりに行く人が来て待っているよ」

水の底にもぐつていた化け物は、
自分の法名を呼ばれているので、
これはてっきり観音菩薩に違いないと思って、
水の中からむくむくと顔を出した。
「やあ。これはこれは木叉行者ではございませんか。
 観音菩薩はどちらにおいででございますか?」
「菩薩は多忙なので、私が代りに参りました」
と恵岸は菩薩の趣旨を伝えた。
「お経をとりに行く人はどこに来ています?」

恵岸は指で岸の方を指ざしながら、
「あすこに来ているではありませんか?」

化け物は陸のほうをふりむいたが、
八戒と悟空が立っているのを見ると驚いて、
「あれは昨日から私と大合戦をやった連中では
 ございませんか?
 ああいう奴らの家来になるのはご免蒙ります」
「いやいや、
 あの向うに立っている人品卑しからぬ風貌のお方だ。
 あの豚も猿も、あの方のお弟子さんだよ」

見るとなるほど若いくせに
酸いも甘いもかみわけたような顔をした立派な人である。
化け物はやっと納得して、宝杖をしまうと、
襟を正して三蔵の前へ 恭しくすすみ出た。
「この野郎。そうならそうだと早く言えばよいのに、
えらい手数をかけやがって!」

八戒がぶつぷついうのを、悟空がひきとめて、
「まあ、そういうなよ。
 俺たちが何の某だと名乗らなかったのだから、
 仕方がないじゃないか」
「悟空や」
と三蔵は悟空に向って言った。
「剃刀を出して来て、沙悟浄のために頭を剃っておやり」

皆の見ている前で悟空が沙悟浄の頭を丸坊主にすると、
恵岸は、
「では早く船の用意をしなさい」
と言って葫蘆を悟浄に手渡した。

悟浄は首にかけていた髑髏を縄でしっかりと結びなおすと、
菩薩の葫蘆をその真中に安置した。
「では、お師匠さま、どうぞ」

言われて、三蔵がその上に乗ると、
なるほどこれは見事な快速船である。
三蔵を真中に左に猪八戒、右に沙悟浄、
うしろには馬をひいた孫悟空。
四人はおだやかな波の上を矢のように突ききって、
八百里をあッという間に渡ってしまったのである。

2000-11-01-WED

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