毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
三蔵創業の巻
第五章 黄塵万里

第五章 黄塵万里

二 三蔵生捕らる

さて、一カ月の間はともかく、無事平穏な旅路であった。
烏斯蔵国の国境をすぎ、浮屠山の蜂を越え、
三人は久しぷりで村里へ出た。
いつしか春はすぎて、
このあたりは燃えるような夏の盛りである。

日も暮れかかった頃、
三人は、とある村はずれの家のそばを通りかかった。

「悟空や。もう暗くなってきたから、
 あすこで一夜の宿を借りようではないか」

三蔵がいうと、すかさず八戒が、
「そうだ、そうだ、それがいい。
 たまには庇のある家でねてみたいものだ」

「お前は家を離れて何百年になる?」
とそばから悟空が言った。
「人の家を見ては高老荘を思い出し、
 人の女房を見ては女房を夢にえがく。
 全くお前のセンチメンタリズムには閉口するよ」

「そいつは話が違うぜ、兄貴」
と八戒は悟空の方をふりかえりながら、
「俺は兄貴のように風や煙を食って生きて行ける
 スーパー・マンとはわけが達うんだ。
 この数日、ろくに飯も食わないで歩きつづけたので、
 肩の荷が重くて重くてたまらないんだよ」

それをきくと三蔵が言った。
「八戒や。もしそんなに家が恋しいようなら、
 とうてい長続きはしまい。
 帰りたかったらいつでも帰っていいんだよ」

「いえいえ、とんでもない」
と八戒はあわてふためきながら、
「兄貴のいうことを本気にしないで下さい。
 私は不平を鳴らしているわけではなくて、
 ただ腹がグーグー鳴っているだけのことです」

やがて、三人は家の門前まできた。
三蔵は馬をおりると、たづなを悟空に渡し、
一人だけ門の中へ入って行った。
見ると、庭先で一人の年寄りが
竹の寝台によりかかって夕涼みをしている。
「ご免下さい」

三蔵が低い声で案内を乞うと、
年寄りはいきなりとびおきた。

「ああ、びっくりした。
 誰かと思ったら、和尚さんじやありませんか。
 何かご用でございますか」

「私はこれから西方へお経をとりに参る者ですが、
 日も暮れかかってきたので、
 一夜の宿をおかりしたいと思ってお寄りしたのです」

「西方へお経をとりに行くのですって?」

年寄りは手と頭を横にふりながら、
「これより西へ行くのはとうてい無理でございますよ。
 お経をとりに行くのでしたら、
 西へ行くより東へ行かれた方がよろしいですね」

三蔵法師は老人の顔をしばらくじっと見つめていたが、
やっと決心したように、
「何故でございますか?」
ときいた。

「これより三十里ほど行くと、
 黄風嶺という山がございます。
 そこの山の中にはいろんな妖怪変化が住んでいるのです」

年寄りがそう言っているところへ、悟空が入ってきた。
悟空は年寄りの言葉をきくと、
「俺たちをとめたくないなら、とめたくないと言えば、
 それでいいんだ。何もデマをとばして、
 俺の師匠をおどかさなくてもいいだろう」

悟空の兇悪そうな形相を見ると、
年寄りは三蔵の袖にしがみついた。
「あなたは見たところおとなしそうな方ですが、
 あなたの連れは、まるで愚連隊くずれでは
 ございませんか?」

「アッハハハ……」
と悟空は声を立てて笑いながら、
「愚連隊くずれはよかったな。
 まあ、自慢出来るほどのボスでもないが、
 そう見捨てたものでもないさ」

悟空は腕をまくると、東勝神洲は傲来国、
花果山水簾洞のくだりから、斉天大聖になり、
天にそむいて五行山にとじ込められるまでの経歴を
トウトウとまくし立てた。

きいていた年寄りは感心すると思いきや、
カラカラと笑って、
「誰かと思ったら講釈師の出家か」

「講釈師は少しひどいな。
 これでも大真面目なつもりなのに」

「いやいや、あなたにそれだけの弁舌があれば、
 黄風嶺の化け物たちを
 舌先二寸でだまして通れるかも知れない。
 まあ、とにかく、お入り下さい」

年寄りは二人に中へ入るようにと言ったが、
うしろからついてきた猪八戒の姿を見ると、
急に顔色をかえて、
「化け物だ。化け物だ」
と叫びながら、走り出した。
その袖を悟空がつかまえて、
「あれは化け物じやなくて、私のおとうと弟子です」

年寄りはおそるおそるうしろをふりかえったが、
もう一度その場に尻餅をついてしまった。
「ご老体」
と三蔵はびっくりして
「あれは私の弟子で、化け物ではございませんから、
 どうぞ安心して下さい」

「アッハハハ……」
と悟空は困りはてている猪八戒の姿を見ると
腹をかかえて笑いころげた。
というのはこれまでいつも自分が引受けていた役割を
もう一まわり醜いのが現われて、
肩代りしてくれるようになったからである。

「だから言わんこっちゃない」
と悟空は八戒の肩をたたきながら言った。
「人の前に出る時は、
 醜いものを蔵っておけと言っただろう」

「そんな無理をいうものじゃないよ」
と三蔵がききとがめて
「人の容貌は生まれつきで、
 蔵うも蔵わないもないじゃないか」

「いや、あの長い嘴を懐の中にしまい込み、
 あの長い耳をオール・バックにして、
 やたら動かさなけりゃ、まだ少しは見られますよ」

悟空がそう言うと、八戒は本当に嘴を懐の口につっこみ、
耳をうしろにおろして見せた。

「そうだ、そうだ。そうすりゃ男前が倍くらいにはなるぜ」
と悟空はさかんにひやかしている。

その夜、年寄りの家にとめてもらい、
久しぶりに腹拵えをした三人は、
翌朝早くこの家の家族たちに別れを告げると、
再び西へ馬をすすめた。
半日ほど行くと、はたして道はなくなり、
眼前に嶮しい山が見えてきた。

「なるほど、あれが黄風嶺だな」

三蔵と二人の弟子は歩みをとめてしばらく見とれていたが、
その時、ヒューンと音をたてながら一陣の突風が
山の峰から吹きおりてきた。
「悟空や。風だよ」

三蔵は唇をふるわせながら言った。
「風ぐらいに驚くことはないじゃありませんが。
 お師匠さま」

「風は風でも、ここの風は少し様子が違うようだよ」

「本当にスゴい風だ、兄貴」
と八戒は悟空に呼びかけた。
「風がしずまるまで、
 しばらくどこかに避難しようじゃないか」

「冗談を言うなよ」
と悟空は笑いながら、
「風が吹くたびに逃げ出しちゃ、
 化け物に面と向かった時にはどうするつもりだ?」

「兄貴は話がわからん奴だな。
 仇敵をさけるように色恋をさけよ、
 矢をさけるように風をさけよ、というじゃないか。
 さけて通っても別に損はしないだろう」

「待て待て。俺がちょっとこの風をつまんで
 匂いをかいで見るから」

「そろそろ頭に来たぞ。兄貴!
 一体どうやって風をつまむんだ」

「まあ、だまって見ていろ」

悟空は風がさッと吹いてくると、
その吹きすぎるのを待って、
ちょうど、けものの尻尾でもつかむように、
風の尻尾を一つかみして、鼻のあたりへもって来た。
「うむ、うむ、これはタダの風ではないぞ。
 虎風でなかったら、虎の威をかる狐風だ」

言い終るか終らないうちに、
早くも山の中腹から一匹の猛虎がとび出してきた。
三蔵法師はガタガタとふるえ出して、
今にも馬からおちそうになったが、
悟空が駈け出すより先に、
八戒は背負っていた荷物を投げすてると、
「やい、待て」
と熊手を片手にあとを追った。

八戒が熊手をふりあげると、虎はとびあがって、
左の前足を自分の胸にあてて、
まるで着ている服でも脱ぐように、
まだらの毛皮を脱ぎすてた。
と、なかから厳めしい姿をした化け物が現われた。
「黄風大王の先鋒の前に立ちふさがるとは
 生命知らずにもほどがあるぞ」

化け物は八戒に向って怒鳴りつけた。
「ちょうど、大王から今夜の獲物をとって来いと
 言われて出て来たところだ。
 そこへやって来るとは、お前もとんだポーク・カツだな」

「何を、こん畜生!」
と八戒も負けずに怒鳴りかえした。
「俺をタダの豚だと思っているのか。何をかくそう。
 俺は東方大唐国王の御弟三蔵の弟子で、
 神聖なる使命を帯びて西方へ行くものだ。
 豚は豚でもトンカツになる豚とはわけが達うぞ」

八戒は熊手をふりあげると、
いきなり相手に襲いかかって行った。
化け物は手に武器を持っていなかったので、
クルリと背をむけると一目散に駈け出して行った。
そして、草叢の中に、
かくしてあった二ふりの大刀をとり出すと、
「さあ、来い」
と猪八戒を迎え撃った。
二人は山の中腹を行ったり来たり、
互いに秘芸をつくしているがなかなか勝負がつかない。
それを見ていた悟空は歯痒くなって、
「お師匠さま。ちょっと手助けをしてきますから」
と言って、如意棒を片手に駈け出して行った。

化け物は悟空が助太刀に来たのを見ると、
いそいで逃げ出そうとした。
「逃がすな。追っかけろ」

二人が手に手に熊手や鉄棒を持って追いつめると、
化け物は見ている前でデングリがえしを打った。
見ると、やはり一匹の猛虎になっている。
虎は猛烈な勢いで走り出したが、かなわないと見ると、
さっきのように虎衣をぬいで、
自分は一陣の狂風となって、山の裾の方へ走りさった。
ちょうど、そこに三蔵法師がただ一人、
「ナムマイダ、ナムマイダ」
とふるえていたので、
さっと手をのばして襟首をつかまえると、
苦もなく風にのせて、
そのまま山中の洞穴へと運び去ったのである。

2000-10-27-FRI

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