毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
三蔵創業の巻
第三章 観音院の夕暮

四 犯人は俺だ

「おい」

しばらくたってから悟空はきいた。
「このあたりに妖怪変化の類は住んでおらんか」
「ここから南の方へ行ったところに
 黒風山という山があります。
 その山の黒風洞に黒大王というのが住んでいます」

と坊主たちは答えた。
「うちの住職とは年来の友達で、
 時々、一緒に囲碁なども打っていました」
「ここからどのぐらいの距離がある?」
「二十里ほどです。山の頂上はここからでも見えます」
「そいつだ!」
と悟空は手を叩いて立ちあがった。
「お師匠さま。星の見当がつきましたからもう大丈夫です」
「二十里も離れたところにいる者が犯人だと
 どうして断定出来る?」
「昨夜のあの大火だと二十里はおろか
 二百里先からだって見えますよ。
 私がこれから行って調べてきます」
「お前が行くのはいいが、私はどうしてくれる?」
「心配なさらないでも、
 私が坊主どもに言いつけておきます」

悟空は妨主たちを呼び集めると、
「俺がいない間、俺の師匠を大事に扱え。
 馬にも十分秣をやってくれ。
 万一俺のいう通りにやらなかったら、この通りだぞ」
と如意棒をふりあげて焼跡の壁に一撃をくらわした。
すると、壁は木端微塵に乱れとび、
その震動で七重八重の壁が将棋倒しに
崩れ落ちてしまったのである。
「では頼むぞ」

一声叫んだかと思うと、
悟空は早くも斗雲にとびのっている。
呆然としている地主たちをあとに、
彼は一路黒風山へと向った。

黒風山には腰をひねる間もなく到着した。
見ると、野花の咲き乱れた蔭に
三人の妖怪が何やらしきりに話をしている。
一人は黒ん妨で、一人は道士、
もう一人は白い衣を着た紳士である。
耳をそばだててきくと、黒ん坊が言った。
「明後日は俺の誕生日だから、ひとつ忘れないで来てくれ」
「毎年来ているのに今年だけ来ないわけはないよ」
と白衣の紳士が言った。
「そうそう、それから実は昨夜、思わぬ拾い物をしてね、
 錦襴袈裟というスゴイ代物なんだ。
 お祝いついでだから明日は仏衣会をひらいて
 盛大に飲もうじゃないか」
「そいつはいい。ご馳走ときいたら、毎日でも来るぜ」
と道士が相槌を打った。

錦襴袈裟ときいた悟空はカッとなって如意棒をとり出すと、
いきなり崖の上にとびおりて叫んだ。
「やい、火事場泥棒。
 人の袈裟を盗んで何が仏衣会だ。盗んだものをかえせ」

如意棒をふりあげた悟空を見ると、黒ん坊は風となり、
道士は雲と化して逃げ出した。
「待て」
と打ちおろした手に手応えがあった。
見るとそれは一匹の白蛇であった。
悟空は棒の先で蛇を持ちあげると、
ズタズタにひきちぎって捨て、
さらに山の奥へと黒ん坊のあとを追って入った。

すると、松林の中に石門があって、
その上に「黒風山黒風洞」と刻み込まれている。

悟空は如意棒をふりまわしながら、門を叩いた。
「あけろ、あけろ」

門番の小妖怪が覗き窓をひらいて、
「誰だ。仙洞の門を叩く奴は!」
「何が仙洞だ」
と悟空は怒鳴りかえした。
「生命だけは勘弁してやるから、
 あの黒ん坊におとなしく袈裟をかえせと言って来い」

小妖怪は奥へとんで行って、
「大王。仏衣会はどうやらおじゃんになりそうです」
「何だ?」
「雷のような顔をした奴がそとへ来て、
 袈裟をかえせと言っています」

野ッ原から逃げかえってやっと門をしめたばかりで、
息もつかないうちにまたこの知らせである。
「俺の縄張りにまで殴り込みをかけてくるとは無礼千万」

鎧を身につけ、黒柄の槍を片手に持つと、
妖精は門を出てきた。
如意棒を握ったまま門前に立っていた悟空は
その姿を見ると、
「おやおや、たった今、
 炭焼竈の中から這い出してきたような恰好じゃないか。
 此奴はてっきり炭を焼いて暮しを立てている男に
 違いねえ」

薄笑いを浮べている悟空に気づくと、黒大王は怒鳴った。
「お前ほどこの糞坊主だ」

悟空も負けずに怒鳴りかえした。
「悪いことは言わんから、盗んだ袈裟をかえしたがいいぜ」
「何の証拠があって、俺が盗んだというんだ?」
「さっき貴様が話していたのをちゃんときいたぞ。
 俺が昨夜、観音院の後房においておいたのを、
 火事に乗じて盗んだのはお前じやないか。
 おとなしくかえすなら、生命だけは助けてやるが、
 嫌のイの字でも言って見ろ。
 この黒風山を山ごとペっしゃんこにしてやるぞ」
「観音院の放火魔は誰かと思ったら、お前さんかい」
と妖精は笑いながら、
「いかにも袈裟を失敬して帰って来たのはこの俺だ。
 だからどうしたというんだ。
 大きなロをきく前に、
 お前がどこの誰だか名乗ったらどうだ?」
「貴様は貴様のお祖父さまの顔も見わけがつかねえのか」
と悟空は啖呵をきった。
「我こそは大唐国現皇帝の御弟三蔵法師の弟子、
 姓は孫、名は悟空。
 俺の武勇伝をいちいち披瀝したら、
 貴様はそれをきいただけで、
 俺の目の前でぶっ倒れて死んでしまうだろう」
「誰かと思ったら、天宮荒しの馬方さんか」
と妖精は笑った。
一番嫌いな馬方さんとよばれた悟空はカッとなって、
「泥棒のくせに無礼なロをきくとはけしからん。
 さあ、俺のこの痛棒をくらえ」

えいッと打ちおろす如意棒を素早くかわした黒大王は、
長い槍をしごいて応戦してきた。
片や斉天大聖、片や黒大王、ともに腕には自信満々、
およそ十数何もわたりあったが、
勝敗のつかないままに、昼近くなった。
黒大王は太陽が頭の上に来たのを見ると、
槍で鉄棒を防ぎながら、
「どうだ。
 お互いに腹拵えをしてから、また戦おうじゃないか」
「何をこん畜生。たった半日でもう腹がへったのか。
 俺は石牢の中で五百年、水も飲まないで我慢したのだぞ。
 袈裟をかえすなら話にものろうが、
 そうでなきゃ飯を食わせるものか」

そう言っている隙に、
さあッと槍をひいた妖精は洞窟の中へとび込むなり、
石門をかたくとざしてしまった。

悟空は石門を叩いたが、どうしても開こうとしないので、
やむを得ず観音院にひきかえしてきた。
「悟空や。袈裟はどうだった?」
と三蔵法師はきいた。
「犯人はわかりましたよ」
と悟空はこれまでの経緯を話してきかせた。
「お師匠さまもさぞかし首を長くしてお待ちだろうと
 思って、ひとまず報告に帰ってきたのです」
「やれやれ犯人がわかって、私たちもホッとしました」
と坊主たちも胸を撫でおろしている。
「喜ぷのはまだ早いぞ。俺たちが袈裟をとりかえして
 無事ここから出発するまでは、
 お前たちには共同責任がある。
 お師匠さまや馬の面倒にぬかりはないだろうな」
「へい。へい。それはもう十分気をつけております」
「お前が半日留守をしている間に、
 私は御飯を二度とお茶を三度いただきましたよ。
 こっちの心配はしないでもよいから、
 袈裟の方を心配してくれ」
「なあに、犯人さえわかれば、
 あとはもうとりかえしたも同様ですよ」

言っているところへ坊主たちが御飯の用意を
整えてくれたので、それを少し食べると、
悟空は再び斗雲に乗った。

しばらく行くと、山路を一人の小妖怪が
左脇の下に小さな箱を抱えて歩いているのが見えた。
悟空はあの箱の中に入っているのはきっと手紙に
違いないと思い、如意棒をふりあげて軽くこづくと、
可哀そうに小妖怪は蛙のようにのびてしまった。
道に投げ出された箱をひらいて見ると、
はたして一通の手紙が入っている。
「金池老上人さま。
 昨夜、火車があった様子ですが、
 お手伝いにもあがらず、失礼致しました。
 もちろん、あなたのことだから、
 ご無事のことと存じます。
 実は偶然、仏衣を一枚手に入れましたので、
 明日、拙洞でささやかな会合を催したいと存じます。
 是非ご光臨のほどお願い申しあげます。
 熊羆生頓首」

手紙を見た悟空は突然カラカラと笑い出した。
「あの慾張り爺が金池上人というのか。
 寺の住職が山の妖精どもとグルになっているとは
 気がつかなかったが、
 道理で二百七十歳まて生きていられたわけだ。
 大方、不老長寿のコツでも教わっていたのだろう。
 ちょうどいい、
 金池上人とやらに化けてご馳走になりに行くとしようか」

悟空はロの中で呪文を唱えて、身体を動かすと、
たちまち老僧そっくりの姿になった。
如意棒を耳に蔵い込み、
ゆらりゆらりと歩いて行くうちに程なく洞門に辿りついた。
「もしもし、ご免下さい」

小妖怪が覗くと、金池上人だったので、
すぐ奥へ知らせに入った。
「たった今、招待状を持たせてやったばかりだから
 まだ寺にも着いていない筈だ。
 こりゃひょっとしたら、孫悟空にうるさく言われて
 袈裟をとりに来たのかも知れんぞ」

黒大王は急いで袈裟をしまい込むと、
金池上人を中へ通すように言いつけた。

おかげで孫悟空の金池上人は表門を
やすやすと入ることが出来た。
見ると、庭には桃や李の花が咲き乱れ、
蘭の強い芳香が漂っている。
第二の門の前に来ると、

  静隠深山無俗慮(しずかなるみやまのおく)
  幽居仙洞楽天真(うきょのうれいここになし)

と門聯がかかっている。
「こいつはなかなか風流な化け物じゃないか」

悟空はひそかに感心しながら、
美しい彫物で出来た三番日の門に近づいた。
と、そこに黒ん坊がダブダブのふだん着を来て立っていた。
「これはこれは、よくおいで下さいました。
 さあ、どうぞお入り下さい」

中へ入って挨拶が終ると、黒大王がきいた。
「実はさっき使いの者をやったばかりですが、
 途中でお会いになりませんでしたか?」
「ええ、会いました。
 お手紙には、明日と書いてありましたが、
 仏衣ときいたので是非見せていただきたいと思って
 急いで参ったのです」
「そいつはちと話がおかしいですな」
と妖精は笑いながら、
「私が手に入れた仏衣は唐僧の持物ですよ。
 唐僧はあなたのお寺に泊っていたのですから、
 あなたが見ていない筈はないでしょう?」
「それが夜分だったので、
 明日の朝になってから見ようと思って
 しまっておいたのです。そしたら、
 足もないのに消えてなくなるし、寺は焼けてしまうし、
 あの唐僧の弟子がこれまた乱暴者で、
 無茶なことをいうので、困りはてていたところです。
 犯人があなただとは驚きましたな」

二人が話をしているところへ小妖怪が入ってきて、
黒大王の耳に何やらささやいた。
「うむ、やっばりそうか」

黒大王はさっと身をひくと、急いで槍をつかんだ。
悟空もすかさず耳の中から如意棒をとり出すと、
本性を現わして、
「さあ、来い」
と身を構えた。

2000-10-21-SAT

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