毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第三章 天の反逆児

四 天の反逆児

しばらく行くと、
向こうからやって来る赤脚大仙にパッタリ出くわした。 
「どこへいらっしやるのですか?」
と悟空は素知らぬ顔をしてきいた。
「王母娘娘のご招待でね、
 これからパーティに行くところですよ」
「おやおや、それじゃ、
 あなたはまだご存じないと見えますね」
と悟空はいった。
「なにごとですか?」
と大仙がきいた。
「今度のパーティはひとまず通明殿で
 玉帝に謁見を賜わって、
 それから会場に移ることに変更されたのですよ」
「ホオ。例年は会場でご挨拶することに
 なっているんだがね」

首をかしげていかにも解せない様子であったが、
根が正直な大仙はだまされているとは知らないから
雲の方角をかえると、通明殿の方角をさして
走り去って行く。

それを見届けてから、孫悟空は揺身一変、
たちまち自分が赤脚大仙になりすまして瑤池へと急いだ。
程なく御殿に着くと、彼はひらりと雲からとびおり、
そっと中へ入って行く。
見ると、御殿の中は宴会の用意がすっかり整い、
会は客の到来を待つばかりになっている。

部屋の中を覗いたり、廊下を歩いたりしていると、
突然、プーンと強い酒の匂いがどこからともなく匂って来た。
目を転ずると、折しも幾人かの召使が出来上ったばかりの
玉液漿を甕につめているところである。
思わず涎が流れ出て来て、悟空は何度も唾をのみこんだが、
こう人がたくさんいては手を出す隙がない。
ここで我慢する気になれば、
いくらか人間らしいところもあるが、
どうせ叱られついでだという気持もあるので、
またしても身体の毛を幾本か抜きとって、かみくだき、
プッと吹き出しながら
「変れ!」
と叫ぶと、たちまち催眠虫に変って
そこいら中の人々の身体の中へもぐり込んで行った。
すると見よ。たちどころに人々は手足を垂れ目をとじ、
その場で寝込んでしまったのである。

孫悟空は会場へとんで行って、
机の上に並べられたご馳走を持てるだけ持つと、
また酒甕のおいてあるところへ戻って来た。
そして、甕を傾けるや、ごくごくと痛飲一番。
さすがに足もとがあやしくなって、
手さぐりで立ちあがったが、
「いけねえ、いけねえ、もうすぐお客がやって来るぞ。
 犯人が俺だとわかったら、
 生命がいくつあっても足りねえ。
 君子危きに近よらずだ、早々に引きあげよう」

足をふらつかせながら、御殿を出て、
これと覚しき方向へと雲をとばしたが、斉天府と思いきや、
とんだ方向違いで兜率天宮まで来てしまった。
「兜率天宮といぅと誰の住居だったっけ?
 そうそう、太上老君の住居だっけ。
 けったいなところへ来てしまったもんだ。
 が、まあ、いいや。
 以前から来ようと思っていながら、
 来る機会がなかったんだから、
 ついでにちょっと挨拶をして行くか」

衣冠を正して、中へ入って行ったが、
太上老君の姿はどこにも見あたらない。
「まさか老君までパーティに行ったんじやないだろうな。
 人間嫌いで、世間並みのつきあいは
 一切やらないという評判なんだから」

そう言いながら、老君の仕事場へ入ると、
かまどのそばの炉に火が燃えていて、
その周囲に葫蘆が五つおいてあった。
中を覗いた途端に、
「あッ金丹だ」
と悟空は叫んだ。
もう一度あたりを見まわしてから、
手にとって見ると、ちょうど炒豆のような形をしている。
「老君の金丹と言えば、仙家の至宝だ。
 以前からいちど時間をかけてって見ようと
 思っていたものだが、
 今日は気味の悪いほどツイているじやないか」
 
手にとった金丹を口の中にほうりこむと、
何とも言えない微妙な味である。
一つ食べるとまた一つとあとをひいて、
ついにあるだけ皆食い尽してしまった。
すると、今までの酔いがさめてにわかに正気に戻った。
「さてさて、えらいことになったぞ」
考えれば考えるほど不安になってくる。
天界に仁者多しといえども、
侠気のある奴は一人もいないから、
かくまってくれそうな家の心あたりがない。
「三十六計逃げるに如かずだ。急げ、急げ、
足が身体にくつついているうちに、下界へ急げ」
 
悟空は兜率宮をとび出すと、盗人の本能を発揮して、
来た時と違う道を西天門へと急いだ。
そして、そこで隠身術を使って姿をかくすと、
そのまま雲にとびのってまっしぐらに
花果山へと戻って来たのである。
「大王よ」
と猿どもはいった。
「百十年も天界で何をしておられたのですか?」
「冗談いうなよ。たった半年留守にしただけじやないか」
「いいえ、もうあれから一世紀以上たちます」
「ほんとうか?」
と猿王はききかえした。
「して見ると、
 天界の一日はやはりこの世の一年にあたるのかな。
 道理で一日がバカに長くて退屈をしてしまったよ」
「今度も天界の待遇が悪かったのですか?」
と猿どもはきいた。
「待遇必ずしも悪いとは言えないがね、
 ただ王母娘娘がパーティを開くのに、
 俺を招待しなかったのだ。
 あんまり人をバカにしているから、
 こちらから先手を打って、
 先に乗り込んで会場をあらしてやった。
 天界というところは老人がのさばっていて、
 いくら有能でも若い者は出世が出来ない仕組に
 なっている。とにかく、野心家の行くところじゃないよ」
「じゃ、われわれの世界と大して変りがないわけですね」

猿どもは自分たちの大王が帰ってきたのを喜んで、
早速、酒宴の用意にかかった。
しかし悟空は、椰子酒を一口含んだ途端に
ぷッと吐き出した。
「まずい、まずい!」
「まずいですか。
 これでも故郷の水に変りはないんですがね」
と猿どもは不審な顔をしながら、
「きっと大王は天の美酒佳肴にお慣れになったのでしょう」
「まあ、いいや。
 世間さまがどういおうと、お前らは俺の故郷の人だ。
 今朝、王母娘娘の御殿にはまだ酒瓶が
 大分おいてあったから、きっとまだあるだろう。
 あれを飲めば不老長生になるそうだから、
 お前たちのためにとって来てあげよう」

猿王は洞門を出ると、再び斗雲に乗って瑤池へ向った。
御般に入って見ると、
果せるかな酒番人たちはまだ白河夜船の最中である。
悟空は小脇に二瓶、両手に二瓶、持てるだけ持つと、
さっさと、花果山へ引揚げて来た。
親分になるにはまずこの程度の心づかいがなくてはなるまい。

さて、一方天界では上を下への大騒ぎになっていた。
王母娘娘がヒステリーを起す。
酒職人が訴えて出る。
太上老君が抗議を申しこむ。
一歩遅れて赤脚大仙が駈け込んで来る。
また斉天府の召使が現われて、
孫悟空が昨日から行方不明になっているという。
天空広しといえども、
かつてこうした大泥棒の出た例がなかったから、
犯人は言わずと知れた孫悟空ときまった。
さすがの玉帝も激怒のあまり身体をふるわせながら、
「天法をみだす憎き猿め!
 ひっとらえて八ッ裂きにしてくれる」
と、即日、四天王に命じて総司令部を設置し、
李天王を派遣軍総司令官、太子を第一線司令官、
それに二十八宿、九曜星、十二元辰、五万揚諦、
四値功曹、東西星斗、南北二神
…… 以下各部隊の天兵およそ十万を動員し、
妖猿討伐の大軍師を起したのである。

討伐軍は花果山に近づくと、物量に物を見せんと、
四方から水簾洞をとりかこみ、
水ももらさぬ一大包囲陣を張った。
先鋒をつとめる九曜星がまず部隊を率い洞門外に近づくと、
声をそろえて、
「斉天大聖はどこにいるか?
 さっさと出て来ておとなしく縄につけ。
 いやのいの字でもいって見ろ。
 洞窟もろとも微塵にしてくれるぞ」

それをきいた小妖怪たちはあわてて奥へ駈け込んだ。
「大へんだ。大へんだ。そとにおそろしい形相をした
九人の兇神がやって来ています」

洞窟の中では孫悟空が、七十二洞の妖王や四健将と、
天から盗んで来た仙酒をかこんで
楽しそうに酒杯を重ねている最中であった。
報告をきいても、一向驚いた様子を見せず、
「酒は飲め飲め、飲むならば……アア、ヨイヨイ……だ」

すると、また別の小妖怪がとび込んで来て、
「九人の兇神が悪言罵倒の限りを尽しています」

それでもなお孫悟空はクソ落着きに落着いて、
「ああ、玉杯に花受けて …… だ、
緑酒に月の影やどし …… だ」

叩く手がまだ終らないうちに、
また小妖怪が悲鳴をあげながら、
「洞門が叩きこわされました。敵兵が殺到しています」
「よオシッ」
と一声、孫悟空は勢いよく立ちあがった。

2000-09-18-MON

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