毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第三章 天の反逆児

三 仙桃ドロボー

斉天大聖と看板だけはなかなか大したものだが、
要するにサルはサルである。
在野党の時代はイヤに戦闘的だったくせに
大臣になった途端にえらく鷹揚になる者があるように、
この猿も、天界の無任所大臣になると、
小事にこだわらなくなり、禄高はいくらですか、
などと玉帝に向ってきいてみようともしなかった。

斉天府には二人の召使がいて
身の廻りの世話をやいてくれる。
一日に三食、寝る時は畳一畳もあれば事足りる。
この上、文句をいったら罰があたるかも知れないが、
一日中、何もしないで、
しかも退屈しないのは老子のような聖人の話で、
肩書はあっても猿の浅ましさ。
身の自由をいささかもてあまし気味で、
飯をすませると、そとをうろつきまわるようになった。

天界にはやんごとなきお方が綺羅星の如く
── というより、綺羅星そのものが
ズラリと軒を並べているが、
その中でも位の高い四帝には
「陛下」
と敬称をつけ、また三清には
「さん」
をつけてよぶほかは、九曜星も五方将も、
さては普天星相や河漢群神に至るまでことごとく、
「おい君」
「お前、俺」
の扱いをして、どうやらこの猿、
天界に顔を売って新政党を結成しかねまじき様子である。

何しろ天界は昔ながらの伝統と秩序を
大事にするところで、
いかなる新風をもうけつけない気風があるから、
この動きにはすっかり驚いた。

「恐れながら申し上げます」
と或る日、
保守反動の代表と目される許旌陽真人が
玉帝の前に進み出ていった。
「小人閑居すれば不善をなすと申します。
 あの斉天大聖は近頃、星という星を
 上下の区別なく友達扱いにしているようですから、
 今のうちに何とかしないと
 一騒動もちあがらないとも限りません。
 それには何か仕事を与えて忙しい思いをさせるのが
 一番よろしいかと存じます」
「なるほど」
と玉帝も思いあたるふしがあると見え、早速、
斉天大聖を桃園の管理庁長官に任命することになった。

ちょうど、暇つぶしに窮していた最中だから、
大聖は待ってましたとばかりに
この役を引受けたこというまでもない。

桃園は斉天府のすぐ隣りにある。
園内には土地神がおり、
その下に多くの力士たちが働いている。
孫悟空が赴任すると、彼らは恭しく出迎えて、
彼を園内へ案内した。

広大な果樹園の中には数えきれないほどの
桃の木が植えられている。
夏も冬もないので、美しい花をつけている枝もあれば、
枝もたわわに実の熟している木もある。
夕陽に照り映えた雲かとまがうその美しさに
悟空はしばし我を忘れて、
「さすがは王母娘娘お手植えの桃の木だけあるわい。
 それにしても大した数だなあ」
「ハイ、全部で三千六百本ございます」
と土地神が応じた。
「前の方の千二百本はごらんのように花がうすく
 実も小さいですが、三千年に一度熟し、
 これを人が食べると仙人になれます。
 真中の千二百本は花も密で実も甘く、
 六千年に一度熟しますが、
 これを食べると霞のように身が軽くなり
 不老長生になります。
 後の方の千二百本は紫の紋が入っていて、
 九千年に一度しか熟しませんが、
 これを食べた人は、天地と共に長く、
 日月と共に久しい永遠の生命を
 享受するようになれるのです」

斉天大聖はすっかり感心して、
以後は三日にあげず、桃園に出入するようになり、
自然友達づきあいがそれだけ少くなった。

さて、或る日、桃園に来て見ると、
後の方の桃の老樹で大きな実がいくつも熟れはじめている。
見れば見るほどうまそうで、
喉から手が出るほど欲しくてたまらなかったが、
如何せん、園内には土地神や力士がウロウロしている上に、
彼のうしろには斉天府の召使がついていて離れない。
何とか煙にまく方法はないものかと
考え考え歩いている中に、
国内の番小屋まで来てしまった。
「やあ、いい風だなあ」
と孫悟空は目を細めながらいった。
「ここで昼寝をしたらさぞかし気持がいいだろうな」
「 …… 」

が、誰もそうだとは応じてくれない。
内心気のきかん奴らだと舌打ちしながら、孫悟空はいった。
「俺は何だかねむくなった。
 しばらくここで昼寝をするから、
 お前たちは俺をそっと一人にしておいてくれんか」

皆の衆が姿を消すと、
猿王はその場に衣服や冠を脱ぎ捨て、
桃の樹によじのぼって、よく熟れた桃を
片っぱしからもぎとってはムシャムシャ食い出した。
一つ食っても天長地久だとしたら、
腹一杯食ったらどういうことになるのだろう。
何しろ猿という奴は
朝に三つ暮に四つやるといったら怒るが、
朝は四つ暮に三つやると言えば
手をたたいて喜ぶ徒輩だから、
手の届くところにある好物に手を出さないわけがない。
一つまた一つと、
もうこれ以上は見るも嫌だと思うまで詰めこんでから、
猿王はようやく樹を下り、
素知らぬ顔をして斉天府へ引きあげて行った。
二、三日すると、また同じことを繰り返し、
こうして僅かの問に九千年に一度しかならない桃を
一つのこらず平らげてしまったのである。

そんなこととは夢にも知らない王母娘娘は例年通り
桃勝会」
を開くべく、招待状を天界の各名士に出し、
御殿女中をつとめる七人の仙女に
それぞれ花籠を持たせて桃摘みに来させた。
桃園の入口まで来ると、
そこには土地神や力士たちが頑張っている。
仙女たちが王母娘娘のお使いで来た旨を告げると、
土地神が言った。

「昔と違ってね、今は斉天大聖の監督下にありますから、
 まず大聖の許可を得てからにして下さい」
「大聖はどこにおりますの?」
と仙女がきいた。
「園内でお休みだと思います」
「じや一緒に行ってきいて見ましょう」

土地神に連れられて番小屋まで来て見たが、
服と冠が置いてあるだけで、孫悟空の姿が見あたらない。
「どこへ行ったのかしら? 困ったわね」
「ひょっとしたら、
 また友達を尋ねて行ったのかも知れません。
 仕方がありませんから、摘みはじめて下さい。
 あとで私どもの方からそう申しておきますから」

仙女たちは手前の桃の木から二籠、
真中の桃の木から三籠摘み、さて奥の方へ入って見たが、
熟れた桃はひとつもないではないか。
あちこちさがした挙句に
ようやく半分熟れかかったのを一つだけ見つけた。
仙女が手をのばしてもぎとろうとすると、
桃はひとりでに落ちて来た。
「誰だ! 桃泥棒をしているのは!」

見ると、手に如意棒を持った孫悟空である。
仙女たちは腰を抜かして
思わずその場に坐り込んでしまったが、
桃に化けていい気持になって昼寝をしていたのを
叩き起された悟空は用件をきかされても、
すこぷる機嫌が悪い。
「王母娘娘のパーティって誰を招待するんだね?」
と彼はきいた。
「昔からのしきたりで、西天の仏老、菩薩、聖僧、羅漢、
 南方の南極観音、東方の崇恩聖帝、十州三島の仙翁、
 北方の北極玄霊、中央の黄極、黄角大仙、
 といわれる五方五老、それから五斗星君、
 上八洞、中八洞、下八洞の高貴な方々、
 およそ名ある方々は皆招待されることになっております」
「じや俺も招待してくれるのかね?」
「さあ、それはきいておりませんが …… 」
「俺だって斉天大聖だぜ。
 俺を招待しないって法はないだろう」
「私どもはこの前のことを申しているのです。
 今度はどうなっているのかわかりませんけれど」
「じや俺が一足先に行ってきいて来よう」

そういって、孫悟空はロに呪文をとなえ、
「じっとしていろ」
と叫ぶと、七人の仙女たちはまるで足に根が生えたように、
そのままその場に釘付けにされてしまった。
そうしておいて、孫悟空は雲に乗ると、園内をとび出し、
王母娘娘の御殿のある瑤池へ向って走り出したのである。

2000-09-17-SUN

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