頭のなかで、夏をふっきっているワタシとしては、
当然、もう、おでんなんかを食べちゃうわけです。

そこで、前々から、思っていたことがあるのです。
おでんのたねで、玉子というやつがありますね。
ぼくにとっては、玉子は、おでんだねのひとつです。
いや、ひとつにしか過ぎないというべきか、
あるいは、ひとつとして尊重してはいるよ、というか、
そういう「あ、玉子ね。いいね」というくらいのものです。

しかし、おでんのなかの玉子を、
「ワンノブゼム」として考えていない人が、
意外と多いということも、知ってはいました。
「えっ?玉子いらないの?なんで?!」とか、
「玉子のないおでんなんて、ハズレだよ」とか、
「おでんのなかの玉子は、とにかく大事だ」とか、
「おでんという島に埋蔵された、宝物ですよね」とか。
とても素晴らしい「ごちそう」として
玉子を考えている人々がいるんです。

それが、わりと若い世代の人たちに多いということが、
なんだか不思議だったのでした。
だって、ホレ、玉子って物価の優等生と言われるくらいで、
安くて大事にされないものの代表ですよ。
それが、おでんのたねになったとたんに、
「ごちそう」「たからもの」になっちゃうなんてねー。
もちろん、物価のことだのなんだのは、
食べ物のおいしさには関係ないとは思いますが、
こんなに玉子が大事にされている場所が、あるなんて。
ニワトリになり代わりましてお礼を言いたいくらいだ。

あなたも、おでんのなかの玉子はとても大事ですか?
ぼくはショートケーキのいちごとか、
ホットドッグのソーセージとかは、
異常なまでに大事にする男ですが、よく落とします。

(2004年9月2日「今日のダーリン」より)  

 

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