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虚実1:99
総武線猿紀行

総武線猿紀行第97回
ジョンレノンの眼鏡と本八幡で会ったよ(その2)


(まず)モールスニュース:
1,ドコモに送信されるスパムメール(出会い系勧誘メール)
  ホントにスゴイぜ! 僕のところにはとりあえず
  1日12通ほど来ます(ほぼ一定量)。
  でも、うざったくてメアド変更なんかできないよ!
  この2週間で、昼間来ていたスパムメールが
  夜中に来るようになりましたね。
  12時から3時までに10通以上!
  いい加減にしてくれないかな?
  みなさん、どのくらい来てるのでしょうか?
  と思ってたら、今朝は7時ぐらいに
  5通バーンときました!
  う〜ん、自動で送ってる臭いな。
  同じ会社から何種類も出してるな?
  一度に1千万通送れるというし…。
2,行ってきました! ジョンレノントリビュートライブ!
  ものすごく大きな期待をしていったわけではないですが、
  コレガ良かった! 選曲最高! 特に民生最高!
  次回にでも少しレポートします。
  オノヨーコさんはテロの危険のため
  急遽来日を取りやめて衛星中継での出演となりました。

さて、続きます。口調を変えます。


僕は90年代に入り、白山眼鏡店のメガネをかけ始めた。
僕のメガネは実は2種類ある。大きいのと小さいのだ。
大きい方がテイさんとほぼ同じなのだが、
実はそれにもバージョンがいくつかある。

メガネは本当に細かいグッズである。
僕のコワしてしまった白山眼鏡店のメガネを
直してくれる、我が町・本八幡にいつの間にかできた
「ユニオンメガネ」の店長は、長嶋正尚さんといい、
白山眼鏡店の番頭的役割をしてきた人だという。
メガネはミリ単位の設計がイノチで、
ちょっとした違いで顔が全然変わってしまう。
特に目と目の間のブリッジになっている部分がミソで、
ここが金属かどうか、とか
透明かどうか、とかで全然顔が変わる。
メガネは変装の道具だと思う。表情を固定してしまうので、
その選択は、厳密になればなるほど、
奥が深いような気がする。



いかにもメガネ職人らしい、お洒落な風貌の長嶋さんは、
僕のメガネを作った白山眼鏡店の技工士とは
長年のつきあいなのであった。
これは心強い。
ここで、彼の半生をふりかえり、
ジョンのメガネを生んだ日本のメガネ業界という
職人の世界に触れてみたい。
彼らの話を聞いていると、
昔は日本のいたるところにあった、
すぎし職人世界の風情に触れるようで、
不思議なタイムワープ感を感じる。

長嶋さんは白山眼鏡店で30数年専務をやった。
今はどうどう67歳である。
サーフボードショップにいる老サーファーと会ったような
「スピリチュアルなオシャレ感」で、
こういう年の取り方にはあこがれてしまう。
彼は、49年前に白山眼鏡店に入られた。
それは高校卒業してすぐのことだという。
18歳の時で、1952年ごろ、
つまり戦後の闇市がまだ続いているころ、
すなわち朝鮮戦争前である。
そのころの白山眼鏡店は3人ぐらいで
やっていたそうである。
白山眼鏡店は現在、創業100年になるという。
日露戦争前にできたということになる。
日本橋人形町、深川と店を構えていき、
上野には終戦直後に移ったそうだ。
長嶋さんのお父さんも眼鏡屋さんで、
第二次世界大戦中に徴用された軍需工場で
当時の白山の社長と会ったというのだ。

そこで、意気投合してしまった二人。
長嶋さんのお父さんは、白山眼鏡店にあずけて
修行させることにお父さん同士で決めてしまったのだという!
男の子供の人生の行く先を親同士で決めてしまうのだ!
嫁というのなら良く聞く話であるが。
当時 伝統的なメガネ屋は、たくさんあったようだ。
福田和也氏が昭和天皇のと同じタイプの
プラチナ製の縁無し眼鏡を作った
村田眼鏡店などがその筆頭に挙げられるだろう。
白山眼鏡店は好奇心に富んだ、
新しい物好きの眼鏡屋さんだったという。
それは今の姿と変わらないといえば変わらないのだろう。
プレスリーの映画で出てたサングラスを売ったり、
レイバンのレプリカを売ったり、
成績を上げて上昇させていったという。
そんなメガネ屋の指向性を表した言葉は、「消費者指向」。
その当時、なんとこんな今っぽい言葉が流行ったというのだ。
(1955年頃)。
「流通革命」という言葉も流行ったという。
(東大の先生が流行らせたそうで、
 その先生は自分で店を開き失敗したそうである)
さらに、アメ横に出店した白山眼鏡店は
みるみる売り上げを伸ばす。
市場でにぎわうアメ横も、
午後には人がいなくなるので
サンドイッチマンを立たせて
メガネやの場所を示したりしたという。
先代の社長は、跡継ぎの息子(現社長)が小さかったので、
中間の位置にいた長嶋さんに跡を継がせるため、
息子さんのお姉さんと結婚してほしかったという。
というか、半分はそのつもりで預かったらしい。
だから、自分の子供同然、いや、それ以上に、
すいぶん贅沢に、芸者遊びもさせてもらったというのだ!
京都なら高級旅館の「柊屋(ひいらぎや)」
歌舞伎は毎月! 三味線も習わされたという!
「大学出てないから、大学生を超える何かを
 持たねばならない・・そういう理由で遊ばせてくれた」
本代は惜しまない、絵の展覧会、
写真の展覧会も行かせてもらったという。
ずいぶん後まで娘さんと一緒にさせたがったと
いわれたらしい。
だから長嶋さんも当然、娘さんと結婚するものだ、
と思ってた。
しかし、こういうことは計画通りにはならない。
長嶋さんが30歳のころ、16歳だった彼女(娘さん)。
そろそろ結婚を決めなければならない。
タイムリミットが来ている。
長嶋さんは、ヨーロッパ行って冷静に考えることにした。
このヨーロッパ旅行というのが1年にも渡る
英国遊学なのだが、これもすべて、
社長さん持ちだったというのだからスゴイ!!
1966年7年頃、1$=360円の時代、
実感では今の10倍も高い時代ですよ!
英国で十分塾考し、帰ってきて彼女と話して
あまりにもお互いを知りすぎるので
結婚をやめることにしたという。
彼女がオシメをつけているころから知っていたから。
だという。
無理もない。
しかし、こういうケースで結婚してしまうことが
多かったのも職人の世界なのだろう。

二人は、なんと同時結婚することにしたという。
彼女は白山眼鏡店の長島さんの部下と結婚、
長島さんは別の白山眼鏡店 社員と結婚したというのだ!
やはり同じ店同志!

(この項続く)


ライブのお知らせ
サンフランシスコから
ちょっとアヤしいエレポップバンドを招いての
オールナイトイベント!
この夏ネット上のムーブメントで
奇跡の復活を遂げた早瀬優香子の貴重なライブ!
そして宍戸留美とトモフスキーによる
新ユニットという豪華なライブ、
英国公演を成功させたエレキテルも出演!
サエキも特別ユニットで出ます!来てね!
「World ELE-POP Festa 2001」
Live:
Secret Secret(from San Francisco.)/宍
戸留美 + 大木知之(トモフスキー) +上田禎/
早瀬優香子/サエキけんぞう/
jellyfish(Japan)/Elektel /pyokn
Djs:Hyoma Watanabe/koume/マグナロイド
at 青い部屋 3407-3564  
Hpが緊急アドレスチェンジ!
こちらから入ってください!
http://www1.odn.ne.jp/aoiheya/
10/19(fri)
20:00open〜All Night

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2300yen(1d)/
外人さんは 1000yen で〜す!

2001-10-14-SUN

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