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虚実1:99
総武線猿紀行

総武線猿紀行 第67回
「インターネットのたった!今。」(そにょ2)

しっかしずっと天気悪かったですね。
11月って晴が多いはずなんだけどなあ?
そろそろちょっとは良くなるかな?

前回も述べた通り、実はダーリンに、
某週刊誌で始める連載の第一回ゲストで出ていただき、
その原稿をまとめていたんですが、
大量だったので、けっこう美味しいところも
のせられなくなっちゃいましたあ。
(前回掲載の文もそう)そこでここに別途公開しちゃいます。
(詳細は次回!その雑誌「宝島」読んでね!)

糸井 「ぴあ」の社長と話した時に、
あの人4年間食えなかったって言ってたんですよ。
で、できた本が売れ残って家にあると寝れないんで
それを担いで電車の網棚に乗せてったって
言うんですよ。
サエキ ウワー!
糸井 それ4年やって栄養失調で
入院したって話ですよ。
サエキ (笑)。それは、創業者の心、読者知らずですね。
糸井 でしょう。
で、夢はバイトの人に金払えることだったって。
金はないんだけど、
余りに疲れるから酒で紛らわすしかなくて、
酒飲むお金使っちゃうと飯が無くて、
栄養失調で入院したんですよ。
で、それが4年経ったときに、
田辺茂一さんが「うちにおいていいよ」って言って、
紀伊國屋で販路ができて
『ぴあ』がほんとにはじまったって。

ひええ、すげえ。
売れ残りを電車の網棚に一冊一冊おいてくって。
それで、みんなにとりあえず手にとってもらって
宣伝したんだって。それで飯代削って酒呑んで入院かあ。
(僕も電車では、読み終わった「モーニング」
 必ず網棚おいていきますけど・・)
そんな根性みなさんありますか?
「ぴあ」のようなメジャーな情報誌がそんな根性運動で
始まってたなんて、全く意外でしょう。

といっても当時の「ぴあ」はアンダーグラウンドな
演劇活動や音楽を紹介するための雑誌だったから、
今とはずいぶん違う、ちょっと妖しい雰囲気だったんだけど。
その中に情報媒体となる確固たる意志があったところが、
普通の同人誌とは違ったわけだ。

糸井さんはこの話を、どうして「ほぼ日」をやってるのか?
という文脈の中で語ってくれたんだけど、
確かにこの「ぴあ」の孤軍奮闘ぶりと
「ほぼ日」はどこか共通している。

当時だって公演情報だけで雑誌作るなんて
「なんて突拍子のないことやってるの?」
って事だったと思う。

「ほぼ日」と「ぴあ」は
時代の明日を作り出そうとしながらも、
時代と激しく戦っていることで共通する。

しかしその方向性は逆ともいえる。
「ぴあ」は公演日程の発信ということでは、
インターネットのリンク集に似ているかもしれない。
雑誌なのにリンク集だったのだ。

しかし、「ほぼ日」はインターネットだというのに
雑誌のようだ。リンク集としての色彩は薄目だ。

この好対照はひょっとして、かなり運命的というか、
時代を象徴しているかもしれない。

今は、酒で体をこわしながらメディアを作る若者は
減ったかもしれないが、その代わり糸井さんのような
体を張ってメディアを作り出す中年が現れる時代なのだ。

僕もがんばりたいけど体はコワしたくないなあ。
(この項続く)

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