おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。

サカキシンイチロウさんは、
レストランに行くことが職業になっている人で、
レストランに行くことが、最高の趣味になっている人で、
日々、あらゆるレストランに出かけている人です。
正式な職業は、外食産業のコンサルタント。
これから連載を読み続けていってくだされば、
彼がどういうコンサルタントなのかということは、
よくわかると思いますが、とても成功している人です。

darlingも、何か食べに行きたいときには、
「サカキ情報」をもとにして出かけたり、
おいしい店を見つけたあとに、サカキさんに連絡して、
「その店が、なぜおいしいのか」についての
周辺情報や物語を聞いて、納得したりしています。

サカキさんのお勧めするレストランは
どこもおいしくてサービスがよいのだけれど、
いったいどうやってそういう店を見つけるんだろうか。
レストランを「探し」て「育て」て、特別な客になる。
そういうことを、しているらしいのです。
そのコツを、「ほぼ日」もおすそわけしてもらいます。





はじめまして、サカキシンイチロウです。
レストランの話を、させてください。

はじめまして、サカキシンイチロウといいます。
外食産業のコンサルタントを
生業(なりわい)としています。
飲食店の店作りはこうしたほうがいいんじゃない、
とか、
最近、こんなお店が流行ってるらしいよ、
といったアドバイスをするのが
ボクの仕事の日常的な大部分です。

仕事柄半分、好きだから半分。
ボクはいろんなレストランで食事をします。
その軒数と回数は、とんでもなく多くなります。

どこそこに新しいレストランができた、
と聞けば飛んで行くし、
どこそこの若い調理人が独立した、
と言えば顔を見に行く。
当然、お馴染みでお気に入りの店には、
季節ごとに顔をださなきゃいけないし…、と、
ボクの生活はレストランに行くことを中心に動いています。

一人でこっそり行ってみることもあるし、
何人かで押しかけることも当然ありますが、
一緒に行った仲間は大抵、こう言います。
「おまえと一緒だと、なんか旨いものに
 ありつける気がするな」
「楽しく食事できるし、
 お店の人にも大切にしてもらえるし」
「だからまた誘ってよね」
って。
確かに初めての店でもすぐお店の人と仲良くなれたり、
メニューに無いものをワザワザ作ってくれたり、
いろんな得をしている…。
そんな気がします。

お客さんの望むレストランと
レストランの望むお客さんの間には
差があると思うのだけど。

かと思うとこんなこともあります。

今度あそこにできた店は
素晴らしくサービスが良かったよ、とか、
あそこの料理は特徴的で素晴らしかった…、
とかってボクがだれかに薦めるとします。
で、その人がその店に行ってみて、こう言います。
「確かに良かったけど、
 とりたてて大騒ぎするほどでもなかったよ」
「堅苦しいだけであんまり楽しめなかった」
…とか。

業界関係者、例えばレストランのシェフだとか
マーケティング関係の人とかに
ボクのとっておきの店を教えると
「たいしてうまくなかった」とか
「もっと面白い店は一杯ある」とか、
逆にお叱り頂戴しちゃったりもします。
しかもそういう人達を紹介したお店の人には、
「この前、サカキさんに教わったって来たお客さん、
 本当に失礼しちゃう。お店に入るなり
 ジロジロ店中、見渡したり、
 ヘンテコリンな質問したり、
 食べ切れないほどの料理を頼んだり…」
とかって迷惑がられる。

どうしてなんだろう?

もしかしたらボクはみんなと違う
注文の仕方をしてるんだろうか?
お店の人から、ボクはみんなと違うように
見えているんだろうか?
何がボクに得をさせてくれてるんだろう?

いろいろあれこれ考えるに従って、
ボクはあることに気がつきました
ボクのとても中ぶらりんで中途半端な独特の立場。
レストランで働いている人でも無く、
純粋無垢なお客様でもない中ぶらりんな立場。
インサイダーでも無くアウトサイダーでも無い…、
ということはインサイダーでもあり
アウトサイダーでもある、という贅沢な立場。

レストランの人達が今、どういう基準で行動し、
どういう目線でお客様を見つめているか…、
ということをボクは知っています。
同時に、お客様として今、どうしてもらいたいとか
こういうことが不安で仕方ない、という気持ちも
十分知っています。
多分、ボクは普通の人よりも
レストランの裏表が分かる。
それがいろんな得をボクに
プレゼントしてくれてるんじゃないだろうか?
…と最近、思ったんです。

これからこんなことをお話ししていきます。
どうぞよろしくお願いします。

今回、ほぼ日にこの連載をさせていただくにあたり、
こんなことをお話ししたいと思いました。

●レストランで働く人から、すてきなお客様、
 と思われるにはどういうことに
 気をつければいいんだろう?

●レストランで働く人から、侮れないお客様、
 と思われるにはどうすればいいんだろう?

●シェフにどんな注文をすれば、やる気を鼓舞して
 すばらしい料理をつくってくれるようになるんだろう?

●この人と一緒にレストランに行くと楽しい、
 と友達から言われるにはどうすればいいんだろう?


などなどなどなど…。

そんなボクのこうした疑問に対する
極めて私的な解答をまとめてみます。
レストランが好きで仕方ない人のために。
そしてレストランをもっと好きになりたい、
と願う人達の為に。


というわけで、今回は「まえがき」のようなもの。
次回が「第1回」となります。
レストランがお客様をもてなすのに
心を砕く三つのポイント
「先味・中味・後味」についてのお話をしますね。
では、次回。


illustration = ポー・ワング




「お客様を楽しませるコト」を考える店を
“レストラン”と呼ぶことにしましょう。

飲食店。
いろんなお店があります。
驚くほど安くてボリュームたっぷりだってことを
売り物にしたお店もあれば、
恐ろしく高級で、誰がこんなお店で食事するんだろう?
と思ってしまうような店もあります。

なぜだろう?

それは、ボクたちが飲食店を
さまざまな目的を持って選ぶからです。
例えば、ただおなかいっぱいになりたいのであれば
安いのが特長のお店を選びます。
でも、誰かにその店に行ったことを
自慢したいだけであれば、
高級で知られ、
予約が取れないような店を探せばいいですよね。

人が外食に対して抱く欲求の種類がたくさんある限り、
世の中にはそれだけの種類の飲食店がある、
ということになります。

それぞれにそれぞれの良さがあり、
どれもが存在価値を持っています。

でも「どんな飲食店が好きですか?」と聞かれたら?
ボクは迷いなく「楽しいお店が好きですネ」と答えます。

お店で楽しく食事する。
笑顔。
すてきな会話。
素晴らしい料理、的確なサービス。
そしてかけがえのない思い出。
そんな楽しさが満ち溢れている店がボクは大好きです。
(ここではそうしたお店をもっともっと楽しむための
 ちょっとしたテクニックとヒントを
 お教えしたいと思っています。)

本格的な話を始める前に約束事をひとつ。
飲食店を表現するのにいろんな言葉があります。
食堂。
料亭。
ダイニングバー。
グランメゾン。
レストラン。
などなどなどなど、店の性格にあわせて
いろいろな呼び名が飲食店には付けられています。
中でも比較的一般的でよく使われるのが
「レストラン」という呼称で、
ボクも今回、レストランという言葉を多用すると思います。
でもボクが「レストラン」と言う時、
それは「お客様が楽しむための装置としての飲食店」、
という意味で使っている、と思ってください。
どんなに高級でも、どんなに気軽でも、
それが和食のお店であっても中国料理を売っていても、
そのお店の運営の目的が
「お客様を楽しませるコト」
である店はみんなレストラン。
そんな感じでボクはこの呼び名を使うんだ、
と思ってください。


「先味」「中味」「後味」の
3つがすぐれていなければ
「いい店」とは言えません。

さあ再び、レストランにおける幸せの数々。

笑顔。
すてきな会話。
素晴らしい料理、的確なサービス。
そしてかけがえのない思い出。

これら一連の幸せな出来事は、
いつどのように始まって、
どうやって終わりを迎えるのでしょう?
‥‥考えてみたことはありますか?

「それは当然、お店に入ってからでしょう?」

とほとんどの人は言うに違いありません。
でも、レストランで食事するということが
「レストランという施設」の中だけで完結している、
と思ったらそれは大間違いだし、勿体ないことです。

レストランの楽しみというのは、
レストランに行こうと決意したときから始まっている。
そう考えてもおかしくないんですよ。

いや、そう思った方が自然なんだよ、というコトです。

レストランビジネスの人達は
レストランには
「先味」
「中味」
「後味」
という
3つの味わいがある、と思っています。
しかも、その全ての段階において優れていなくては
お客様からお褒めの言葉をちょうだい出来ない、
という不文律があります。

「先味」というのは、
お客様が実際に食事されるまでに経験される
いろんなコトの総称です。
例えば、お出迎えの雰囲気。
インテリアとか、場合によっては
立地なんかも先味の大切な要素。
その店に対するお客様の期待感を盛り上げる
様々な工夫=「先味」、と考えればいいでしょう。

「中味」は実際の料理やサービスの品質。

「後味」はお客様のおなかが一杯になってからの
色々‥‥のコトをさしています。
例えば、お勘定書きをもらったときの印象、
なんて大切ですよね。
「ああ、高かった」もそうですが、
お客様のお見送り、など、
レストランのサービスの
締めくくり部分が作り出す満足感、
とでも言えばいいでしょう。

わかりますよネ?

先味ばかりがいい店、というのがあります。
新しくできた超高層ビルの最上階にある
かっこいいインテリアの店なんだけど、
料理はパッとしてない。
サービスは慇懃無礼だし、
何より来てるお客様の雰囲気が良くない。
ただバブリーなだけ。‥‥のような感じの店。
あるでしょう?

かと思うと、中味だけの店ってのもあります。
足がすくむほど寂れた場所の、
絶望的なほどに汚い店なんだけど
料理だけは目茶苦茶うまい。
とっつきづらそうに見える親父さんも、
知り合いになると楽しい人だし、
クリーニング寸前の汚い普段着で来ればいいんだよネ、
と思い込まなきゃ二度と来れない様な、そんな店。

後味だけがいい、というような店?
これはちょっと思い当たらないです。
だって、後味というのは前味と中味が
バランス良く味わえてこそ、なのですから。
でも強いて思い描けば、
期待もせず入った汚い店で
料理も美味しい訳じゃなかったけど
値段だけは安かった。
ああ、絶望的になる。こんな店。
そんな店で「でも安くて良かった」と思ってしまった
自分の気持ちが後味悪くなっちゃう…、ネ。
やだやだ。

いい店というのはこれらの3つの味が優れて良い店。
これだけは間違いないです。
そうした店ならお客様は
「もう一回来てみようか」ということになります。
次に来てみて同じように
先味・中味・後味ともに優れていれば、
「おなじみさんになってみたいな」
と思うようになるのですから。
多分、そうしたお店は繁盛店で、
そんなお店で働いている人は
どこのお店の人よりも生き生きしていて、
幸せそうに見えます。実際、幸せなはずなんです。


レストランがしている努力を
評価してあげることから
いいお客への第一歩がはじまります。

だからそんなこんなで
レストランの人達は一生懸命、
この3つの味を磨き上げる努力をしてるし、
その努力をお客様に正しく分かってもらいたい、
とも思っています。
だからレストランのことを熟知したお客様に
なってやろうと思えば、この3つの味、
先味・中味・後味を味わい尽くしてやろう…、
ぐらいの貪欲さがなくちゃいけません。
レストランで働く一生懸命な人達に、
寛容でいて愛されるお客様になろうと思ったら、
この3つの部分に彼らが注いでいるいろんな努力を感じ、
評価して上げよう…、
という意思表示をしなきゃいけません。

そうだ、こう考えてみたらどうでしょう?
先味、中味、後味を大切にする
レストランのお客様である皆さんも、
同じく先味、中味、後味に優れた
食べ手になってみては、どうでしょう。

味のあるお客様。
優れてバランスが取れ、味わいのあるお客様。
どんな人なんだろう…、と期待感を持たせてくれ、
美味しそうに食べ楽しんでくれ、
しかも食後をくつろぎ、
ああ、もう一度、うちの店に来てもらいたい!
と思われるようなお客様。
うちのお馴染みさんになって貰いたい、
と切望されるようなお客様。

そうなろうと思ったら、まずあなたがすべきことは?
そう「予約」です。
その瞬間から楽しい食事は始まっています。
その瞬間からすてきなお客様への第一歩は始まっています。

というわけで、次回は「予約の準備」について
お話ししましょう。


illustration = ポー・ワング




楽しい食事のはじまりは、
予約の電話をしようと
電話の受話器を持ち上げた瞬間から始まっています。
ボクはそう信じています。

でも、全てのお店にとって予約は必要か?
‥‥そうじゃありませんよね。
ファミレスやファストフードに行くのに
ワザワザ予約の電話をする人はいないでしょう。
でも、これから行こうとするお店が
いつ行っても余裕で席が残っている程度の、
目茶苦茶混んでる店ではないとしたら?
そんな店でも予約の電話を入れる必要が
あるんでしょうか? どうでしょう?

まず、何回通おうが
マニュアル通りのサービスしか受けられない
ファミレスみたいなチェーン店の場合は
予約の必要、全くなしです。
だからここでは忘れておいて結構。
電話代に値しない行為です。もったいないだけ。
そのお店がどんなに混んでいようが、
予約の必要はないし、
何しろ予約の電話を受けた人がびっくりしちゃいます。
なんでうちみたいなお店に予約するんですか? って。
「行ってすぐ座りたいんです」
と言ったって、
「それじゃあ、なるべく早く来て並んで下さい」
って具合に言われちゃいます。
だって彼らは
「予約していただくことのメリット」を
お客様に差し上げることができないから。
スタッフは、そうした教育もされていなければ、
そうした特別の価値も持ち合わせていないから、
予約しても仕方ない、ワケなんです。


予約は何のためにするのかな?

じゃあ何のために予約しなきゃいけないんでしょう。
予約って何?
なんだろう、本質的に‥‥?

本来、予約という手順は、決して、
「自分の座る椅子、テーブルを確保するため」
にするものでは、ありません。
このことを、まず覚えておいてください。

ならば、なんのためにすると思いますか?
それは、「これから行くお店の情報収集」と、
お店に対する「自分というお客様の情報提供」の
ためなんだ、というコト。
初めての店の場合にはこの双方をまんべんなく。
お馴染みになったらなったで、
この前までの情報更新のために。

つまり、前行った時と今度行くであろう時の自分は
どのくらい違うのかという情報提供と、
逆にお店の状態がどのように変わっているのか?
という情報収集のために、
やっぱり予約は必要なんです。

お店と自分の先味対決…、って要素もあるかな?

売り込み合戦。

お店もお客様も、どっちも結局、
自分がより得したいわけですものね。
そういう意味で、レストランで食事する、というのは
正々堂々とした戦いのようなものであり、
初動の情報戦を制するものが、
きわめて有利に戦局を描くことができるわけです。

そのくらいの覚悟で臨むと、楽しいですよ!

だから少々の真剣さと少々のテクニック、
そしてたっぷりの元気とウィットで
臨むこととあいなりましょう。

じゃあ実践。

「完璧なる諜報活動は
 完璧なるタイミングを必要とする」
まずこれが最初のテーマです。


まずは、電話をかけるタイミング。

電話の向こう側を想像しながら電話します。
予約にはインフォメーションだけじゃなく、
イマジネーションが必要なんです。
実は情報収集に関して、
今という時代はとても便利にできていますよね。
そう、あなたがいまこの記事を読んでいるインターネット。
飲食店の情報誌だってあります。
いろんなメディアを駆使して、
いろんな情報をいとも簡単に手にできます。
‥‥あっけないくらい簡単に。
住所、営業時間、電話番号、コース料理の内容、
下手すればお店のインテリアの雰囲気まで、
一昔前なら行って見なきゃ
わからなかったような情報まで、
家にいながらにして手に入れられるんです。
やっぱり便利な世の中です。

でも自分がこれから電話しようとしている店の、
“今の状況”はどんな具合なんだろう?
ということは、わかりませんよネ。
ここで、イマジネーションを働かせるコトを怠ると、
とんでもないことになります。
ここ注意です。

例えばお昼の12時15分、
今晩の予約を取りたいから、と
電話をかけたとしましょう。

あなたは昼休み。
コーヒー片手に電話をかけます。
のんびりと。
その店を発見した情報誌の
まさにそのページを開いて傍らに置き、
受話器を耳に当てて待ちます。
呼び出し音がします。
2回、3回。
‥‥5回続いても出る気配がなく、
10回目程でやっと応答。
「‥‥お待たせしましたっ!」
と言う声が、息せき切って聞こえてきました。
なんとか予約の旨を伝えたものの、
電話の応答は事務的で、
用が済んだらガシャンと切られてしまいました。
あなたは思います。
ええっ? いいんだろうか、
あんな応対をする店に予約しちゃって!
雑誌ではサービスのすてきな店って書いてあったのに。
本当にいいんだろうか?
どうしよう。

多分あなたはその店に行くまで不安で仕方なくなるはず。
つまり先味が大いに損なわれた…ということになります。

何故でしょう?

間違いの始まりは、
あなたがレストランが一番忙しい時間帯に
電話をかけてしまった、ということにあります。
そもそもランチタイムなんてただでさえ忙しく、
その忙しさは話題の店なら尚更のことでしょう。
電話に出る暇があったら
いま来ているお客様の世話をしていたいわけです。

「なんだかそっけない電話の応答だったな」
と、あなたが勝手に判断したとしても、
これはお店の責任ではありません。
イマジネーションが欠如した悪いお客様の仕業‥‥
というコトになります。
結果、あなたというお客様の先味も、
またおおいに損なわれることになった訳です。

そうならないためには?
お店の人が余裕を持って
電話に出られそうな時間帯を選んで
電話をすることです。
お店の人がワタシの電話を心待ちにしているような
時間帯を選んで電話をしてみる、
という具合になれば最高です!

その時間は?
午後2時から3時、或いは夕方の5時前後です。
これがレストランに予約をすべき良い時間

というコトになるでしょうネ。

前者は昼間の仕事が終わった充足感と
安堵感に満たされたシアワセな時間。
後者はこれから始まる夜の営業に向けて
闘志満々で元気に満ちた時間。
どちらもあなたの電話が心地よく響く時間です。

「お待たせしました…、レストラン○○です。」

あなたも、まず名乗りましょう。

「サカキと申しますが、
 予約をさせていただきたいと思います」


必ず名乗る。絶対名乗る。

最悪な予約のスタートはいきなり
「○月○日に予約したいんですけど…」と告げるコト。
どこの誰か分からぬ人間に売る席はありません。
‥‥と、まあいくらなんでもそこまで
言われるコトはないだろうけど、
でもどこの誰か分からぬ人からの電話に対しては、
親密さではなく警戒心で対処しようとするのが
普通の感覚でしょう。

あなたの家に電話がかかってきて、いきなり
「ねぇ、元気?」って言われたら、
なんだこいつ、って思うはず。
それと同じ。
だからまず自分の名前を言いましょう。
初めての店であっても、
電話の相手が見知らぬ人であっても
構わずまず名前。


「サカキと申しますが」

電話を通して初めての人と話をするのは不安です。
でも不安なのは電話をかけているあなただけじゃなく、
それを受けている電話の向こう側の人も同じコト。
だからまず名前を告げ、
相手に自分に対するイマジネーションを働かせるための
ヒントとしてもらう。
だから名前を言うんです。

で、そこが初めての店であればすかさず
「初めてなんですが」と続けてみます。
正直が一番です。
そこで相手の感触が良ければ
「雑誌で見てとても感じの良い店だと
 思ったものですから」とか、
「友人が行ってすごく良かったよって
 言っていたものだから」とか伝えてみましょう。
お世辞のために言うんじゃありません。
そうした会話を通して、予約を受ける側は、
正しくイマジネーションを働かせるための
ヒントを収集することが出来るんです。
これから予約しようとしているあなたが
どんどん身近な存在として
感じられるようになってくるのです。

「あなたの先味」作り‥‥ですね。

ところで素敵なお店と言うのはどういう店なんでしょう?

ボクはレストランの素敵さのかなりの部分が、
その空間を満たすすべての人が醸し出す
空気感に依存しているように感じられます。
どんなにインテリアがお洒落で、
どんなに料理が美味しくても、
ただ一組の、
その店にとって不適切なお客様がいることで、
その店は素敵と呼べなくなる。

だから素晴らしいお店は、
素晴らしいお客様と
一生懸命の従業員だけで満たされるべきであって、
だからお店の人達は
「異物のような人を排除する」コトに必死になります。

実はコレが予約の電話の向こう側の人の頭の中を占める
大きな部分なんです。
「お客様を選ぶ」
と言うとなんだか嫌な感じ、と思うかもしれないけれど、
お客様が不快な状況に陥らないように、
お客様を慎重に選別し、
来ていただきたいお客様に優先的に客席を配分する。
必要じゃないですか? そうした姿勢。
だから受話器を握っているボク達は
「あなたのお店にとって
 ワタシ達は必要なお客様なんです」
というコトをアピールしなきゃいけません。

だからこそこの予約の出だしの数秒間は重要です。


電話でお店の情報を仕入れましょう。

予約の出だしの数秒間は、
重要であると同時に、せわしなくもあります。
というのもこうして自分の情報を適切に伝えると同時に、
お店の情報も収集しなきゃいけないから。

今、予約しようとしている店は、どんな店なんだろうか?
元気に満ちあふれた、若々しい店なんだろうか?
それとも落ち着いて厳かな大人っぽい店なんだろうか?
電話かける前に手に入れた情報と、
電話をとった声の第一印象や、
受話器を通して感じられる電話の向こうの気配などを
総動員してその店の雰囲気を想像するわけです。
映画で言うところの予告編を見るような瞬間ですネ。

実際、ボクは何度もこの予約の電話の
レストランの第一声の印象が
あまりにひどくて陰鬱で、
ごめんなさい、間違えました、
って言ってそのまま電話を切ってしまったことがあります。
たまたまその電話を取った人の具合が
その日、悪かっただけなのかもしれないし、
そんな些細な部分で店全体を判断するのは
良くないことかもしれないけれど、
でもヒントは大切にしたいんです。
自分のイマジネーションに合うような店を
丁寧に選びたい。そう思いますから。

その点、馴染みの店に電話をかける、
という行為は楽しくて仕方がないですね。
せわしげに取った電話に対して、
「ごめんなさいね、まだ忙しかったんですね」
と会話を続けることができる、というのは
なんと幸せなことでしょう。

だから、馴染みの店をもつって、いいんですよネ。

電話で軽やかにあいさつをし、
その場の雰囲気を満喫する。
そしてこの店こそが
自分が席をリザーブするにふさわしい店である、
ということが確認できたら、いよいよ
「予約という実務」がスタートすること、となります。

お店とあなたとのエレガントにして
厳粛な決闘の始まりです。


次回は「予約の実際」をお届けします。
さああなたは、座りたい席が確保できるでしょうか?

illustration = ポー・ワング




さあいよいよ電話をかけて、レストランを予約しましょう。
そう「予約の実務」に入ります。
あなたは、まだ行ったことのないレストランに電話をかけ、
これから予約をするところです。

まず小さく深呼吸。
テキパキとこなさなくてはなりません。
性急すぎず、気取り過ぎず、
横柄であることは最悪だけど
卑屈であることも避けたい。
つまりあくまで普通に。
まあこの「普通に」が一番難しいのだけれど…、ネ。

良いレストランに悪い席はありません。

電話がつながったら、まず名前。
これは前回お話ししました。
その次は、

・日程/時間
・人数
・差し障りのない程度の目的


を告げましょう。
「来週の週末に2人でお願いします」
「次の水曜に4名で。
 実は両親の結婚記念日なんです」

そういった感じで大丈夫。
そして、次に

・席の希望

を伝えます。
自分が座りたい席を的確に確保すること。
これが予約するときの、いちばんの目的です。
せっかく予約しておいたのに
自分が思っていたのとは違った席を用意される。
これはかなり悲しいことですよね。

では、どんなふうに頼んだらよいのでしょう?
「なるべく良い席をください!」
なんて頼み方はつまらないですよね。
そう言われた方は
「ああ、この人はレストランを
 あまり使い慣れていない人なんだな…」と思っちゃう。
向こうも、あなたにどう対応すればいいか、
分からなくなって戸惑ってしまいます。

そもそもレストランには、
「悪い席」というものは存在しない。
そう考えてみましょう。

例えばトイレのすぐそばの席

そんな場所なんか最低だ、とたいていの人は嫌います。
でも女性同士、しかも気のおけない友達同士で
気兼ねなく長居したいような時、
トイレ前の小さなテーブルは最適でしょうね。

あなたたちが進んでそこに座るなら
お店の人は人気の無い席を
敢えて選んでくれたことに感謝するし、
あなたたち的には他のお客様の目を気にする事なく、
何度でもトイレで化粧直しするチャンスを
得ることが出来る。
といって
「何度でも化粧直し出来るテーブルを下さい」
とリクエストするのはいかがなものか?
と思いますけど、
「友達との気軽な会食ですので
 他のお客様のご迷惑にならないお席を」
ぐらいは言ってもいいですね。
何よりスマートだし、
この人、レストランを使い慣れてると思ってもらえます。

「親密な会食にしたいので目立たない席を」
と言えば柱の陰などが貰えて、
それは大人同士の怪しくも濃密な
カップルのための特等席です。
「なるべく出入り口に近い席を」
と言えば、
もしかしたら別れ話を持ち出すつもりの
食事なのかと思ってもらえる…かな?

と、それはかなりブラックに過ぎるけど、
それにしてもレストランのテーブルは
様々なお客様の様々な目的を
満たすために作られているんです。
どのテーブルがどのお客様にとってふさわしいか?
ということを良く知っているレストランは
素晴らしいレストランだし、
彼らにそうした知識をフル活用させてあげられるような
ヒントを正しく伝えられるお客様は
素晴らしいお客様だ、ということになります。

キッチンの前はどうでしょう?
昔は最低と言われた席です。
パリのレストランにおける、
日本人観光客の指定席でした。
うるさくて匂いも強くて。

でも最近、オープンキッチンのレストランが
たくさん出来るようになって、
そうした評価も変わりました。
むしろ
「キッチンの前=完璧な状態の料理を
 臨場感たっぷりに楽しむことが出来る通好みの席」
になっていたりするんですから。

でもそうした席で恋を語らう、というのは
かなり、リスキーな行為です。
何故ならあなたの会話が
シェフの芸術的な作業とスマイルに敵わなかったら?
会食としては成功したけど
デートとしては失敗だった、
となる可能性も大いにあるから。

同じように景色が良いのが売り物のレストランの、
中でも特別景色の良い席というのは、
付き合い始めたばかりで
まともに会話も出来ないカップルか、
倦怠期の夫婦のためにある、とボクは思ってます。
なのにそうした席ばかりを
おねだりする人が多いこと、多いこと。
ちょっとスマートじゃ無いな、と思ってしまいます。

他人がどう思おうと、
当のあなたの今日の気持ちにあった席が
最高の席なんです。

だからその日、その店を利用する目的を
的確に伝えること。大事でしょう?
そして後はお店の人に委ねることも大事。
決して「いい席が欲しいんです」とばかり言わないで。
また「どんな席でもいいですから」なんて
口が裂けても言っちゃダメですよ。
情けないからネ。

料理と、お客様の雰囲気をたずねてみます。

来店の目的を伝えられたら、
「お料理はどんな感じなんでしょうか?」とか、
「どんなお客様が多くてらっしゃるんでしょう?」とか、
そのお店の雰囲気を間接的に聞いてみましょう。

お料理のもつ雰囲気は、
どのくらいの単価で楽しめるか、
が分かる手掛かりですし、あるいは
食事にどのくらいの時間を要するか、
という手掛かりともなります。
「当日お越しいただいてからのご注文で
 大丈夫ですよ?」
と言う店なら
多分、カジュアルで、
食べ終えるまでの必要な時間もお客様まかせのお店。

逆に「コースだけになりますが」と言われたら
ある程度の時間は覚悟しなきゃいけませんね。
お洒落して行きたいけれど、
長時間座っても疲れない程度の
お洒落にしとこうかな? なんてイメージできます。
このイマジネーションが大切。

と言ってあまり直接聞くのはダメ。
「何が出るんですか?」とか、
「その日はどんな料理になるんでしょうか?」とか、
根掘り葉掘り料理そのもののことは聞かないこと。
そんなこと聞いても、
予約したとき(たとえば1週間前)にもう
その日のメニューが決まってるような店は
ろくな店では無いでしょう?
なにより実際に行くまでの間、
「どんな料理が食べられるんだろう」と
あれこれ想像する楽しみを無くしてしまいます。
だからせいぜい
「ご予算はいくらくらいなんでしょう?」
ぐらいにしておきましょう。具体的なことを聞くのはネ。

一方、そこに来るお客様の雰囲気は、
その日どんな洋服を来て行けばいいのだろう、
ということをイマジネーションするヒントとなります。

レストランにおいて「目立つ」ということは
非常に重要なことです。
良いサービスを受け、覚えてもらい、
次の機会にはさらに良いサービスをしてもらう為に
目立たなくては損です。
ただ「目立つ客」であることを必死に目指すあまり、
結果「浮いた客」になってしまうことがあります。
悲しい。あまりに悲しいです。
そして悲しいけれど、とても多いコトなんですネ。

「お洒落なお客様である」ことは
「目立つお客様になる」まず第一歩ではある。
それは間違いありません。
でもやみくもに最先端のお洒落をすればいいか?
というと、例えばクラシックな雰囲気で
落ち着いたお客様ばかりの店では浮き上がってしまいます。
それならひたすら豪華であればいいのか?
というと、カジュアルなビストロなんかに
毛皮のコートにシャネルスーツ、というのでは
全くの場違いで、
この人洋服にお金を遣い過ぎて
食べるもにのまで手が回らなかったのかしら…?
と思われても仕方ないですよ。
そんなの嫌でしょう?

目立つお客様は、
その場にふさわしい装いの
笑顔のきれいな人である!
ということを覚えておきましょう。
そしてレストランにおけるお洒落は
自分のためにあるのではなく、
その場を共有する全ての他人のためにあり、
彼らの期待に応えることが
良いお客様の最低条件なのだ、ということ。
…これも覚えておきましょう。

独り合点で自分はお洒落と思っていても、
そのお店の他のお客様にとって
お洒落とは思えないような、
しかも目立って仕方ないお客様は、
邪魔な存在なのだ、ということです。

だからお店の情報を集めます。
自分のためにもその日は、
同じ空間を共有するであろう他のお客様のためにも、
ひたすら情報収集。
何より完璧な状態でお客様を迎えようと、
日夜努力している素敵なレストランの人達のためにも、
情報収集…、です。

ところでもし希望の日程で
好みのテーブルが空いていなければ
別の日程で再度チャレンジすればいいですよね。
その日でなくては駄目なのであれば、
お店を変えるしかありませんが、そのときはその旨を伝えて
「また別の機会にお願いします」とか言って、
最後にその人の名前を聞いてみてはどうでしょう?
次に予約の電話をする時には自分の名前を告げ、
そしてその時に聞いた人の名前を言ってみましょう。

「サカキですが、タナカさんはいらっしゃいますか。
 予約をしたいのですけれど…。」

素敵でしょう?
まだ一度も行っていないはずなのに、
ちょっとお馴染みのお客様みたいな気分になれる。
予約する…、という行為そのものが
楽しい体験になってきます。

それでも「予約するのは面倒だ」
と言う人がいると思います。
確かに予約なんかしないで空いてる店に行けばいい、
…のかもしれないのだけれど、でも、その人は
レストランというものを
「料理を提供しお客様に満腹を保証するただの店」
だと思っているんだろうと思います。

でもレストランという場所は
単に料理を食べ腹一杯になる場所ではありません。
そこは「見知らぬ人々が集い、
同じ空間と同じ時間を共有しながら
楽しい思い出を作る」場所であって、
そういう意味では限りなく
「誰かの個人宅における団欒の一時」に近いんです。

フランスの人達は往々にして瀟洒なレストランのことを
「メゾン(=家)」と呼んだりするけれど、
ボク達がレストランで食事することは、
シェフと支配人が住む家に招き入れられることと
ほとんど等しいのだと思います。
……他のお客様と共に。
家だったら、不意打ちは謹みたいですよね。

結婚披露宴でアナウンスされる
「ご近所にお寄りの際にはお気軽にお寄り下さい」
の社交辞令をまじめに信じる人はいないだろうし、
例えばあなたは電話もしないで、
のこのこ部屋を訪ねて来るような友達を
欲しいとは思わないでしょう?

だから予約する、という習慣、大切にしましょう。
そしてなにより
「楽しい食事の始まりが予約という儀式なんだ」
と思うようにしましょう。


では次回は、ボクがとあるレストランで体験した
「予約をしたからこそのシアワセ」の例について
お話しします。

illustration = ポー・ワング




こんにちは、サカキシンイチロウです。
今日は「レストランを予約するコトによるシアワセ」の
具体的な例を紹介したいと思います。
ボクがハワイのホテルで体験した
ちょっとしたお話です。

朝食を予約するのって、ばかばかしいかな?

オアフ島のホノルルで、素晴らしい食事を、
より素晴らしい食事にしようと思ったら、
やはり目の前にダイアモンドヘッドと
ビーチがなくてはなりません。
ワザワザ日本からハワイまでやってきた日本人としては
この部分にこだわりたくなるのは仕方ないことでしょう。
といっても、観光客がドッサリたむろしていて、
ここはアメリカの一部分であるはずなのに、
英語よりも関西弁が幅を利かせていたり、
或いはこれ見よがしのポリネシアン趣味と
ハワイアン音楽で満たされた
かつての常磐ハワイアンセンターのような環境では
決してない場所で、ネ。

上質のリゾート空間としてのダイニング環境に、
ダイアモンドヘッドとビーチの気配が
プラスされたレストラン。

ワイキキにはこうした条件を満たすレストランが
5箇所ほどあります。
そのほとんどは、ホテルのダイニングルームで、
当然のことながらランチタイムとディナータイムの予約は
非常に取りづらくなります。
少なくとも、ハワイに着いてから予約、
というのでは、「素晴らしい」という程度の食事はできても
「より素晴らしい」体験にまで
辿り着くことは難しいんですね。

でも、そんなレストランも、
誰もが楽しめる時間帯があります。
そう、「朝食」です。
こうした人気レストランでも
「朝食」の時間帯はそんなに混むことがありません。
リゾートでくつろぐ人の朝はユックリ‥‥、
ということなのか、
どんなに混んでいても
少々待てば着席することができます。
だからボクはホノルルで
ダイアモンドヘッドを堪能するために、
朝、早起きして、そんなレストランに足を運んでいました。
大抵の場合、予約もしないでフラッと気の向くままに。

ボクが母と一緒にホノルルに行った時のことです。
そうしたレストランの一軒で朝食をとろう、
と予定した前日の夜、
たまたまボクはそのレストランの近所まで
来ていたこともあり、
人一倍セッカチで待たされることが嫌いな母のためにも、
そうだ、明日の朝の予約状況でも聞いてみようか?
と、そのレストランのレセプションに足を運びました。

「明日の朝食の予約ってもう入ってますか?」

レセプションの彼女は予約確認票を見ることも無く、
イイエと答え、
ご予約していただけるのであれば
お客様が最初のゲストになります、
と笑顔で返してくれました。
それまでは予約の必要性は
感じてはいなかったのだけれど、
でもあまりにその笑顔が素敵に美しかったものだから、
思わず

「では9時から二名で…」

とボクは答えました。
9時でもいささか早いかなぁ、と思いながら
「了解」の声を待つボクに、彼女はこう言いました。

「もし歩いておこしになるご予定であれば、
 できれば8時半までに
 お越しになるのがよろしいかと思います。
 なぜなら明日は9時前後に
 大きなシャワー(にわか雨)がやってくる、と
 さっき天気予報で言ってましたから」

うん、なかなか気が利くじゃないの、
このレセプショニスト、と思い、ボクは続けました。

「じゃあ8時半でお願いします。
 サカキといいます。
 S・A・K・A・K・I、…サカキです」

続けて

「テラスでダイアモンドヘッドのよく見える席を
 くれるかなぁ、実は母と一緒だから」
 
すると彼女はなにやらレセプションブックに記入しながら
こう言いました。

「わかりました、ミスターサカキ。
 お母様のために完璧なテーブル
 ワタクシがご用意させていただきましょう」

ボクは意気揚々と部屋に帰り、
翌朝、同じように意気揚々とその店に向かいました。
母と一緒に。

さて、ボク達が案内された席は?

入り口では何組かのお客様が待っています。
待つのは嫌だわ、と、心配顔の母に、
大丈夫だよ、昨日予約したから、と告げます。
名前を言うと即座に

「お待ちしておりました、ミスターサカキ」。

母は笑顔で背筋が伸びましたネ。

「お待ちしておりました」

という言葉を聞いて、あらためてボクは思いました。
そうか、ボク達はこのお店の人達から
「待って」もらっていたんだって。

入り口で待つ人達に軽く会釈してダイニングホールに入り、
彼女の言う「完璧なテーブル」に向かいました。
意気揚々と。

そのレストランには目の前にダイアモンドヘッドと
ビーチしか見えない、素晴らしいテーブルがあるのを
ボクは知っていました。ですから、
ボク達はてっきりそこに案内されるものと
思っていたのだけれど、
そこはあっさり素通り。
そして若干奥まったテーブルに案内されました。
いささかボクは失望したのですが、
でもボク達のテーブルはそれなりに素晴らしく、
圧倒的でないにせよ
目の前にはダイアモンドヘッドと白い砂浜があります。
完璧、とは決して思わなかったけれどもネ。

絞りたてのオレンジジュースがサーブされるころ、
それまで晴れていた空が急に分厚い雲で覆われて、
昨夜の彼女が言った通り、
物凄いシャワーがやってきました。
プールの水面が泡立つほどに大粒の雨に、逃げ惑う人。
果たしてその後から客席に案内される人の
殆どがびしょ濡れで、
なるほど、完璧なるテーブルは、
完璧なるタイミングとセットになって
はじめてその実力を発揮するんだ、
って思いました。
8時半にしてよかった。
母もかなりご満悦でした。

でもびしょ濡れながらもボク達の後からやってきた
騒々しいだけのアメリカ人ファミリーが、
目の前のダイアモンドヘッド鑑賞の特等席に座って
写真をバシャバシャ撮り始めるや、
母は言いましたネ…。
「やっぱりアメリカは白人の国なのね!」
ボクも口に出しては言わなかったけれど、
そうかもな、って思いました。
せっかくいの一番に予約までしたのに、
あの席はもらえないんだものな。

目玉焼きの焼き加減は完璧だったし、
母のフレンチトーストだって素晴らしい出来でした。
気を取り直し、今日一日の予定を相談し始めた
その瞬間、雨が上がりました。
手のひらを返したように強い日差しがさしはじめ、
一瞬にしてテラスのほとんどのテーブルが、
赤道直下クラスの直射日光に照らされます。
太陽の下のテーブルのお客様は、
それまでの笑顔が怒ったようなしかめっ面になり、
(怒ってるわけじゃありません、まぶしいのです)
ダイアモンドヘッドを眺めるのにも
手で庇を作る羽目になります。
例の特等席の白人のご婦人方は、
無礼にもサンブロックのローションを取り出し
塗り始める始末です。みっともないよネ‥‥

そこで、ボク達は、気づきました。
ボク達のテーブルが、実は
「今日このタイミングでは最高の特等席なのだ」
ということに。
そう、ボク達のテーブルだけは、
そうした喧騒からは無縁だったのです。
なぜでしょう?
ボク達のテーブルの横にある
大きな木が日よけになって、
本当に何故だか、僕らのテーブルだけに
心地よい影が落ちていたのでした。

風が吹く。
葉っぱがそよぐ。
波の音と一緒になって、
母は、
「もう暫くここで時間を無駄遣いしましょうか…。
 せっかくのハワイなんだから」。

ボクはコーヒーを注ぎなおしてくれる
お店の人にこう言いました。
「素晴らしいテーブルをいただけて、今日はうれしい!」
すると彼は声を潜めてこう答えました。

「ミスターサカキ、
 私どものテラスにはテーブルが14個、
 その中でダイアモンドヘッドが
 正面に見えるテーブルは6つあります。
 幾つかのテーブルの横に、ほら、
 ごらんいただくとわかるでしょう?
 木が何本か植わっております。
 季節によって、
 太陽の位置によって、
 そしてその日の気候によって、
 これらの木が落とす影の位置が微妙に変わり、
 日差しが心地よく感じるテーブルが決まるのです。
 今日の午前中は、まさにこのテーブルが
 素晴らしい日差しと、
 素晴らしいダイアモンドヘッドを
 同時に楽しむことの出来る、唯一のテーブルなんです。
 ご予約いただいて、本当にありがとうございました。
 ミスターサカキ」

母は彼に握手を求め、
ボクは勘定書きの金額に
25%のチップを乗っけてサインしました。

客席を確保するだけならば必要のなかった予約です。
でも予約するというほんの小さな行為が、
完璧なるタイミングと
完璧なるおもてなしに守られた、
完璧なテーブルをボクにくれたと言うコトです。

予約とはそういうものなんです。

面倒臭がらずに予約をしましょう。
そしてその予約は全身全霊を傾けて、
細心の注意と最高の朗らかさをもって、頑張りましょう。

それはそうとあなたは今、
何時に予約をいれようと思っていますか?
「夜7時ちょうどでお願いします…」
と言おうとしているのであれば、
来週まで待って。
次のパラグラフを読んでからにしてください。
次回は「予約時間」のお話ですから。


illustration = ポー・ワング




こんにちは、サカキシンイチロウです。
ディナーの予約をするとき、
食事の開始時間を何時にすればいいんでしょう?
深く考えすぎなくてけっこう。
答えは単純、あなたがおなかがすいていて
目的のレストランに遅れず到着できる、
考える限り早い時刻で…、ということになります。

ただ。
予約に際して、ボクはちょっとした
テクニックを使うようにしています。
今日は、そのお話をしますネ。

「7時ちょうど」の落とし穴。

「7時ちょうどでお願いします」
ボクは、けっしてそういう言い方はしません。
じゃあ、どう言うかと言うと、こうです。
「7時10分前後になるんじゃないでしょうか?」
あるいは、
「7時15分過ぎ、
 でも7時半は越えないように参りますから…」
という具合なんです。

なぜ、こんなふうに
「ちょっとあいまい」にするんでしょう?
それはまず、「印象的なお客様」になるためです。
そんなへんてこりんな時間をワザワザ指定するなんて…、
と、電話をとったスタッフには、それだけで記憶に残ります。

でも、ただそれだけではありません。
そうすることによる実利もしっかりあるんです。

大体ほとんどの人は
「○○時ちょうど」とか
「何時半ぐらいに」というような予約をします。
でもこれが思わぬ不都合をお店に与えることがあるんです。

例えば週末の7時、なんてのは
沢山のお客様が真っ先に思い浮かべる時間です。
べつにほんとうに
7時ちょうどじゃなくちゃいけない人なんて
そんなにいないと思うんです。
でもなぜか不用意に口に出してしまう時間なんです。
つまり、夜7時は予約のラッシュアワーです。
下手をすると、その晩に利用する
ほとんどすべてのお客様が
「7時ちょうど」の予約かもしれません。
店に行ってみたら入り口に
何十人ものお客様が並んでいて、
案内係の従業員はてんやわんやの大騒ぎ…、
になっていたりすることが
あるかもしれないんです。

でも、まあそんなことが
滅多に起こらないのは、
7時ちょうどと言いながら早く来るお客様がいたり、
遅れがちの人がいたりと、
偶然がもたらす幸せな時間差によって
多くのお客様が鉢合わせしないように
なっているからでしょうネ。
でも偶然は偶然であって、
絶対にてんやわんやが起こることがないのか?
というとそんな保証はどこにもありません。


「7時15分ならあいています」
その意味はいったい‥‥???

あるリゾートホテルでの経験です。
南洋のとあるへんぴな島の
とびきり辺鄙な場所にあるこのホテルでは、
余程のことがない限りホテル内のレストランで
食事をすることになっています。
ホテルの外で、ということになると
車で小一時間ほどかけて
町まで出なくちゃいけなくなる、
そんな場所にあるから仕方ないんです。

ボクは、チェックイン早々に
そのレストランに向かいました。
広い庭の一番端。
太平洋に突き出るようにしつらえられた店で、
その晩の予約をしよう、と思ったわけです。
レセプションに近づくと凛々しい系のオトコの子が
微笑みかけてきます。
May I help you?という感じの笑顔でウェルカム…ですネ。

「今晩の7時なんですが、
 4名でお願いできないでしょうか?」

彼はレセプションブックを眺めて、
申し訳ないが7時の予約は
もう一杯になっている、と言います。
ああ、当日のことだから仕方ないよな…と思いつつ、
ならば何時があいているの? と聞きました。
多分、7時が一杯なら5時とか9時とか、
晩御飯を食べるには少々不適切な時間しか
あいてないんだろうな…、と思いながら。
すると彼はこともなげにこう言ったんです。

「7時前後でしたら7時15分、
 7時30分があいてます。
 7時以前だと6時15分があいてますけど、
 それじゃあ早すぎるでしょう?」と。
 
7時は駄目だけど7時15分ならOKと言う意味が、
その時、にわかには理解できずに、
でもそれなら7時15分でお願いしよう…、
ということになったのです。

そしてその日、太陽がそろりそろりと
西側に傾き始める7時10分に僕達は部屋を出て、
そろりそろりとレストランの方に向かって歩みをとりました。

レストランに近づきます。
エントランスには昼間と違った女性が一人。
名前を告げようと近づく僕達をみるやいなや、
「ミスターサカキ、お待ちしておりました」。

びっくりしちゃいました。
初めてのホテルの始めてのレストランで、
誰も僕の顔を知っているわけでないのに
レセプションの女の子は僕の顔を見るなり確信を持って
「ミスターサカキ」とそう言ったんですから。
思いがけないサービスをされた時、
人は本当に素直に感動するものですネ。
ボクは非常に感動をしました。
でも感動はすぐに大きな不思議に変わりました。

「そう、サカキです」と答えながら、
ボクはその時の不思議の気持ちを
彼女に素直に打ち明けました。

「どうしてあなたは僕のことが
 ミスターサカキだとわかったの?」

彼女はレセプションブックを僕に見せ、
そのからくりをこう説明しました。

「わたし達は15分毎に二組のお客様しか
 予約を取らないようにしております。
 今日の7時15分には、
 ミスターサカキとミスターゴールドマンが
 それぞれ予約をしていただいており、
 ミスターサカキはどう見ても
 ミスターゴールドマンにはお見受けできないので、
 だから私は自信をもってあなたのことを
 ミスターサカキとお呼びしたのです。
 間違ってはおりませんでしたでしょう?
 …私の推察は」

うーん、お見事!
彼らが7時ちょうどの予約は一杯だ、
と言った意味がその時わかりました。
彼らにとって7時ちょうどの
「客席」は空いていたけど、
7時ちょうど分の「サービス」は一杯だったんだネ。
彼らはすべてのお客様を
すばらしい状態でお出迎えしたかった。
だからボクは7時じゃなくて
7時15分に店を訪ねる必要があったわけです。

しかも、すばらしい状態は、
決してお出迎えだけじゃなかったんですよ。
料理の注文をとるタイミング。
料理を提供するタイミング。
ワインを抜くタイミング。
それらすべてが待たせ過ぎることも無く、
すばらしい状態で、それならたくさんの従業員が
万全の体制で働いていたか…、
と言うとそんなこともなく、
でもドタバタ慌てふためく様子もなく、
非常に快適に僕達は1時間半ほどの食事を楽しみました。
二組づつが15分おきにやってきて、
1時間半かけて徐々に満席になったその店のサービスは、
つまりありとあらゆる時間帯で
二組づつ分で十分なわけだから、
なるほど、これは理にかなったシステムなんだな…、
と感心もしました。

同じ時間に律儀に押しかける。
同じ時間に一生懸命注文を押し付ける。
結果、厨房の中はてんやわんやの大騒ぎで、
なんだかせわしないだけだったネ…、
ということにならないように、
予約時刻の設定は一ひねりをしましょう。

夕方の忙しい時間帯を避けて、
8時半くらいを選んで予約してくれるお客様。
あるいは忙しさが始まる前の
開店時間の20分後くらいを選んで来てくれるお客様。
昼は1時以降を必ず選んでくれるお客様。
どれも素敵なお客様です。

ところであなたは誰と一緒に食事しよう…
と考えているのでしょうか?
その人にはどういう店で食事するつもりなのだ、
と正しく伝えることができているのでしょうか?
そしてその人とはどこで待ち合わせて
その店に向かうのでしょう?
次回はそんなお話。「お店に行く準備」です。


illustration = ポー・ワング




さあ、行きたいお店に電話をかけたあなたは
希望の時間に希望の席を予約することができました。
さっそく、同行の友人(でも、恋人でも)に伝えます。
「この前、一緒に行こうって言ってたレストラン、
 あの日程で予約が取れたよ」
「うわーっ、良かったね。楽しみだね」
・・・と、これで終わっていませんか?
それだけじゃ、準備不足。
いや、まあ、食事はそれでじゅうぶんできますけれど、
「それだけじゃつまらない」でしょう?
今日はそのための演出のお話です。


予約した人は、
同行メンバーに
お店の情報を伝えましょう。

レストランで食事する、
というのは特別のことがない限り、
二人以上で食事する、ということだと
ボクは考えています。
どこで何を食べるかも大切だけど、
誰と何を食べるか? の方が
もっと大切になるんじゃないか、
と思うんです。

たまに、こんな光景に出会ったりします。
若い男の子と女の子が一緒に食事してるんだけど、
つまらなそうに別々の料理を
バラバラに食べている。
二人なのに一人。
または、数人のグループで会食して、
楽しいはずなのにその人だけ一人ぽっちのような
疎外感を漂わせていたり。

これはそこに集まっている人達の期待感が
てんでバラバラだから起こる問題なんだと思います。
今日その日にその場所に集まっている人たちの、
その店に対する情報とか認識が一緒じゃないから
取り残される人が出て来るんじゃないか、
と思うんです。

だから人を食事に誘う立場にある人、
特に自分でその店の予約をし、
とりあえずその瞬間は一番多くの
その店に対するヒントをもっている人が、
それを他の参加者に伝えることは義務でもあり、
礼儀でもあります。

電話で予約した時の印象。
お店の人から言われたちょっとした一言。
そんないろんな事柄を事細かく伝えて、
そしてどうしようか相談しましょう。


テーマを決めて
服装を考えてみようよ。

ボクはその時に
「テーマを決めてシミュレーションしてみる」
ということをしたりします。例えばこんな具合に。

どうも今度のレストランは
外国人もターゲットにした店らしいぞ。
だって予約の電話を受けた女の子、
日本語がたどたどしかったもん。
料理はキューバンアジアで、
ニューヨークっぽいらしいよ。
多分、IT系の国籍越えた系
エグゼクティブ狙いの店なんだろうな。
ならどうだろう、ボク達もそんな会社の
若いけど取締役候補、
みたいな感じで行ってみないか?
シンガポールに本社がありますって具合で。
だったらやっぱりスーツは細身に仕立て上がった
イタリアン・メード、
黒にピンストライプみたいな具合なら
いけてんじゃない?

・・・とかということを話しながら盛り上がり、
みんなでそのテーマに沿った装いで集まります。
ドレスコードを自分たちで考えて決める、ってことです。
その日の食事のコンセプトを考える、
と言ってもいいかもしれません。

レストランビジネスの人たちが
店を作る際に大切にするのが
「コンセプトワーク」です。
どんな人のどのようなニーズにあった店を
どうやって作ろうか、のような事が
「コンセプトワーク」。
そうしたお店でお店の人たちの意欲と
エネルギーに負けないように楽しもう、と思ったら、
お客様サイドも自分のことを
コンセプトワークするくらいの
前準備があってもいい、っていうコトです。

これがうまく行くと、かなり面白いですヨ。
その日、何げなく集まって
「おいおい、なんでそんな格好して来るんだよ」
なんて喧嘩にもならない。
それに何より実際にレストランに行く前に、
一度、そのレストランで食事してみたような
気分になれて得したね的楽しさもあります。
もしみんなのシミュレーションが見当外れで、
みんながみんな、その場で浮いた存在になったとしたら
それは悲しいけど、でも一人じゃないんだ、
この失敗はみんなの失敗、ぐらいに気軽に笑い飛ばせます。
だからお薦めなんです。

女の子同士でも今日は丸の内系で攻めてみようか、
次は広告代理店風にしてみようとか思いながら
盛り上がることができます。
楽しいでしょう?

夫婦で外食する時だって、
今日は不倫カップル風で行ってみましょうか、
どうもそんな大人の危うさを売り物にした
色っぽい店みたいだから、なんて具合に
自分で自分をプロデュースできる
お客様がどんどん増えると、
日本のレストランはもっともっと楽しくなると思います。

もっと単純に今日はイタリアンレストランに行くから
イタリア人みたいな感じでいきましょうヨ。
お洒落なミラネーゼな雰囲気で!
というのでもいいんじゃない?

今日は中国料理だから、中国人みたいに
食べ散らかして大声でしゃべって手鼻を噛んで・・・
っていうのは嫌だけどネ。

でも「テーマを持ってみんなが集まる」というのは
とても素敵なことだと思います。


お店の人たちと
仲良くなれる第一歩です。

お店で働いている人も、
目の前のお客様の正体を見破ろうと必死になります。
こうした謎掛けと謎解きこそが、
そのレストランが「自分の店」になって行く
プロセスなんだから、楽しまなくちゃ損ですよ。

ボクはレストランビジネスの端っこを
コソコソ歩いている存在だから、
なるべく自分の正体がばれないようにしています。
その方がそれぞれのレストランの
本来の姿が分かったりするから、
無名のボクのほうが好都合なんです。
でも無名であっても「顔」はなきゃいけない訳だから、
それぞれのお店でその店に好都合な顔を勝手に作ります。

楽しいよ、自分と違う別人の時間、
自分で作り上げた架空の人の時間を
生きることができる。
自分でもなかなか
うまくやり通すことができるもんだな、
と感心するんだけど、
それでもやっぱり、通っているうちに
正体がばれちゃいますネ。

「サカキさん、レストランの関係者なんですってね!」

でも、たいてい、もっと仲良くなれます。
だって正体ばれちゃうまで通い詰めるということは、
ボクがその店をとても好きだということだし、
ボクの正体を見抜くほどボクのことを
観察してくれるお店の人達は、
ボクのことが好きに違いないから。
だからとても上手くやってけるんです。

さて次回は、今回の続き。
「お店の人が期待するお洒落は?」っていう話題です。

illustration = ポー・ワング




昔々、ボクがとても生意気な男の子だった頃の話です。
小学校の4年生くらいのこと。
ボクは地方の都会‥‥、県庁所在地ではあったから
そこそこの都会的なものがそこにはあって、
でもやっぱり田舎でしかない町に住んでいました。
そんな小さな男の子が生意気に育つ、ということは
ボクの両親も正しく生意気で、
その言葉が失礼に値するというのであれば
限りなく上昇志向の強い家族であった、
と言えばいいんでしょうネ。
父は仕事で東京とその町を往復する生活で、
東京であるホテルを根城にしていました。
しばらくして彼は、そのホテルの
有名なメインダイニングで家族揃って食事する、
という極めてささやかな野望を抱きました。
多分、ぼくが7歳くらいの頃だと思います。

「レストランには子供を
 連れてっちゃいけない」
という意見、あなたはどう思いますか?

ボクはそれから一週間に一回、地元の三越の特別食堂で
フランス料理をナイフフォークで頂く
トレーニングをすることとなりました。
生意気なボクは瞬く間に
一人前のテーブルマナーを習得せしめるに至りました。

‥‥って、嫌な物語ですよね?
でも我慢して読んでください。
ここには大事な教訓がありますから。

そしてある夏休み。記念すべきある日の夕刻、
ボク達親子は東京に上陸し、
そのレストランの入り口の前にいました。
親父は誂えたばかりの三つ揃えを着、
母なんか美容室から直行する程の気合の入れようで、
どこをどうみてもボク達は田舎者には見えず、
しかし丁重にレストランから断られました。
理由はこうです。

「当レストランでは
 殿方はジェントルマンであるべきで、
 紳士は必ずジャケットを着、
 足を踝まで包むズボンをお召しになるものです。
 ほかのお客様もみなそうでらっしゃいます。
 ひるがえってそちらの小さな紳士は
 いささか紳士であることを
 お忘れのようではございませんか?」

果たしてボクはその時、半ズボンにポロシャツでした。
子供だからこんなもんだ、
という思いがあったんでしょうネ、両親にも。
子供は駄目だ、と言われたら、
いやうちの子は大人顔負けのテーブルマナーで
ご迷惑はかけませんから、
としたり顔で反論するつもりだったのだろうけど、
紳士の格好をしていない、と言われては
ぐうの音も出ません。
ボク達はほうほうのていで部屋に戻り、
悔し紛れに両親は料亭で散在をする、
という暴挙にでました。

それでも親子の悔しさは収まることなく、
田舎に帰ってボクはスーツを作ってもらいました。
肥満体の父親の誂え服は一人分の生地で足りず、
だからいつも出ていたかなりの端切を使って、
子供用のスーツができました。ご丁寧にも三つ揃え。
そして数カ月後の冬休み、ボクは見事、
東京のフレンチレストランデビューを
果たすことができたのでした。

あの時、ボク達を見事追い返した
ウェイター頭のおじさんはびっくりしたろうね。
忘れたころにやって来た
マフィア顔負けの田舎紳士淑女の集い。
ただ首尾よくもぐりこめたその店での
食事が楽しかったか? というと、
正直そうじゃなかったような記憶があるんです。
漠然と、ですけれど。

だいたいフランス料理は
子供だったボクの味覚に合っていませんでしたしネ。
ただ、大人の場所には大人の掟があって、
それを守るということが大人であって
別に「年令制限がある」訳じゃないんだ、
ということは分かりました。

男の世界もある。
女の世界もある。

例えば、大人の男たちが男の掟を守ることで
一人前扱いしあう店、
というのがこの世の中にあります。
例えば英国のパブ。
そこはつい最近まで女人禁制でした。
特権意識、という理由ではなく
いつも女性に気を遣っている
レディーファーストの国の紳士たちは
ひととき、女性の存在を忘れてくつろぎたい、
そんな気持ちに襲われるのでしょう。
そこでは女性に聞かれたくない話が出来たり、
女性に見せたくない
情けない男の部分をお互い慰めあったり
することが出来たりしたわけですね。
日本で言うとつい最近までの
頑固な親父が握る寿司屋、というのが
そうした場所に属するでしょう。
そこには早食いをたしなめる美しい妻もいなければ、
威勢のよさを荒っぽさと勘違いしたり、
職人肌を愛想なさと見間違う
度量の狭い彼女もいませんでしたから‥‥。
ちょっと言い過ぎかな?
でもそうやって日本の寿司はずっと守られて来たし、
火を使いこなすことが料理の基本とする
世界的な常識からいささか外れつつも、
しっかりとした料理の世界を構築することに
成功したのかもしれません。
だから単なる好奇心とかで
何げなく来てみました、
というのだけはやめたいですね。
迷惑をかけなきゃいいでしょう? じゃないんだね。

こういうボクだって、
ああ今日のこの店にとってボクは迷惑だったろうな、
と思うことがたまにあります。
例えば、目当ての店のドアを開けた瞬間、
振り返った先客はすべて「おばさま」で、
むくつけきボク達はまるで
汚いものを見下すような目に曝され、
身も竦むような思いをしたときとか‥‥。

彼女達からみればボク達は
きれいなキッチンに紛れ込んで来た
ハエの集団のようなんだろうな、
と自己嫌悪に襲われます。
「呼ばれていない」というような感じですね。
ああ、なんで電話で予約した時に悟れなかったんだろう。
多分、お店の人はなんらかの信号を
ボクに発信したはずなのに、と後悔しても後の祭り。

でもボクはそんな幾多の失敗にもめげません。
ボクはレストランで食事する全ての機会を、
次のレストランでもっと楽しく素敵に食事するための
予行演習だと思っていますから。

お店が期待するお洒落を考えれば
間違いを起こしませんヨ


ちょっと話が脇道にそれちゃいました。

ここでボクが言いたかったことを確認しておきますネ。
お店に行くのにおしゃれするのは必要だけど、
自分勝手なお洒落じゃなくて
「そのお店の人が期待するお洒落」を
しなきゃいけないんだよ! ということ。
ふだん着であることが一番お洒落であったり、
キリリとして女っぽくはないことが
逆に女らしさを引き立てるような
レストランもあるんだ、ということ。
それを知らないと寿司屋で香水、とか
料亭の漆の食卓にブレスレットで傷をつける、
なんて間違いを起こしちゃうんです。

そのためにも情報収集は怠りなく、
打ち合わせは入念に…、ということなのでした。

さて次回は、お店に入る前に、
この店は評価に値する店なのかどうか?
と見極める方法
についてのお話です。


illustration = ポー・ワング




お店に入る前に、
「この店は評価に値する店なのかどうか?」
を見極める方法があります。

少なくとも不快な気持ちをしなくてすむ店かどうかを
決めるポイントは「やる気があるかどうか」です。

だれも思いつかないような料理を見事な手際で作る。
お客様がして欲しいことを先回りして思いつき
完璧な状態でサービスする。
尊敬に値する商品知識をもっている
(例えばソムリエのように)。
──というようになることが、努力だけで可能か、
というと残念ながらそうじゃありません。
例えばセンスとか環境とか、
あるいは運命的な師との出会い、などが必要になります。
レストランで働く人すべてに
そのような才能と幸運がもれなく付いて来るのか?
というと、そんなことはありません。
他のどんな職業とも同じように、
神様は人に対して不公平です。
残酷です。

けれど「才能と運」には関係なく、
「やる気」があれば
誰にでも実現出来ることがレストランの中にはあります。
幸運なことに。

お客様に喜んでいただくためにレストランが
日々、レベルの向上に努めなくてはならないものが
3つある、と言われています。
それが「QSC」です。


やる気がある店は、
いつも清潔に決まってます。

QSCとは、

1)クオリティー(Quality=品質、つまり料理の美味しさ)
2)サービス(Service=サービス)
3)クレンリネス(Cleanliness=清潔さ)


の略称。

この3つの要素の、どれが欠けても
レストランとしては失格!
これは外食産業の定石でもあります。

これらの中でどれが才能に関わりなく
やる気さえあれば誰にでも
一人前の水準でこなせるようになるのか?
というと、それは文句なく、
清潔を保つ行為、つまり「掃除する」という作業です。

時間がなくたって、経験がなくたって、
特別な教育を受けていなくったって、
予算がなくったって、
掃除というものは「やる気」さえあれば誰にでも出来ます。
「やる気」が、レストランの水準に如実に反映されるんです。

ボクの会社のベテランコンサルタントは、
お店に行って
「おやっ、この店、元気がないぞ。レベルが下がってる」
と思ったら、
「おいっ、みんなで掃除をしようよ」
って本当に掃除を始めちゃいます。
まず自分がバケツ持ってトイレに行って
素手でゴシゴシ便器に手を突っ込んで洗い始めるので、
他の人達もびっくりして掃除を始めます。
小一時間も磨いたり、掃いたり、拭いたりしてると
当然、店はきれいになるし、
不思議とその日の料理は美味しいし
サービスにも心がこもってる、というんですね。

だからお店の前に立った時にその周辺に
「きれいの気配」が溢れているかどうか、見てみましょう。
ドアのノブが汚れていたり、
窓のカーテンが斜めになっていたり、
入口前の床にゴミが落ちたままになっていたりしたら
その店の「やる気」の水準は
かなり落ちているってコトです。
そんな店では、どんなに技術のあるシェフでも
どんなに経験のあるウエイターでも、
実力以上の奇跡を起こすことは出来ません。
「やる気」がないんだから‥‥。

「一生懸命掃除をしてるんですけどね、
 店も古いし、手が回らないんでしょうがないですヨ」
 
などと言い訳する小さなビストロの
オーナーシェフがいるけど、
一生懸命掃除してきれいにならない、ということは
「きれいに対するセンスがない人」であって、
だから彼の作る料理が、安全で美しいはずもありません。

帰りましょうネ。
そのような店には入らず、帰りましょう。
店の前から踵を返し、電話をかけて、
「すいません、急に体の具合が悪くなったものですから、
 行けなくなってしまいました」
と断って帰ればいいんです。
だってそんな店で食事したら
体の具合が悪くなっちゃうに決まってます。
だから決してウソをついたことにはなりません!
‥‥ですよネ。
健康のための自己予防です。

それともうひとつは「あいさつ」。
「いらっしゃいませ!」
に代表される、お迎えのあいさつ。
これも掃除と同じように、
「やる気」があるかどうかがはっきり分かります。
掃除と同じように、技術力なんかなくたって、
お客様を気持ち良くおもてなししよう、
という気持ちさえあれば
いいあいさつは誰にでも出来ます。
ただ、やみくもに大声を張り上げ
魚屋のような威勢良さで
「へい! らっしゃい」するフランス料理店、
なんてのはへんてこりんすぎてよろしくないように、
「自分のお店がどんな雰囲気の店で、
 どのような言葉、言い方がふさわしいか?」
を十分に理解した上でのあいさつ、という
注釈付ではあるけれど、
でもあいさつというのは「やる気」があって、
躾が行き届いているという環境の中におかれれば
誰にも出来ることですからネ。
出来ればそれプラス笑顔…これで決まりです。

あなたがレストランを判断する基準は
レストランがあなたを判断する基準です。


「清潔さ」と「あいさつ」。

実はこの店選びのヒントとなる第一印象は、
お店側がお客様を判断する際の
重要なヒント、でもあります。

「私はこれから行くレストランにとって
 本当に歓迎されるお客様なんだろうか?」
「レストランの支配人って
 お客様を第一印象で値踏みする、って
 本当なんだろうか?」

こんな心配を持つ人って結構いるんじゃないでしょうか。
ボクもいろんな人からそんな疑問をぶつけられます。
どうなんだろう?

一番目の質問の答えはこうです。

すべてのお客様を歓迎して差し上げたい。
でも他の大多数のお客様の手前、歓
迎して差し上げられないお客様もいる。

そして二番目の質問の答えはこう。

お客様の「値段」を判断している訳じゃない。
お客様の「値打ち」を判断したい。
‥‥うーん、わかりづらいか‥‥。

あなたが「いくら使ってくれるか」で
判断したいのじゃなく、
あなたがどのくらい
「楽しむ準備ができているか」
というコトを直感したい、
と言い直せばわかりやすくなる?

一等地の一流のビルのテナントで、
高級が売り物の老舗なのに、
実際に行ってみると薄汚れていて、
葬儀委員長のような陰気臭い支配人が
ドヨドヨした空気の中を
無言で近づいて来るような店があります。

一方で、パッとしない町の
探しづらい路地裏にある
お世辞にも豪華とは言えない
質素な外観のビストロで、
でも玄関先までピカピカで、
ドアを開けるとかわいいマダムの満面の笑顔と一緒に
「いらっしゃいませ」というような店もあります。

立場を変えて考えてみましょう。

カシミアのテーラーメイドのスーツを着て
いかにも金を持っていそうだけれど
予約の時間に遅れた理由を運転手の不手際のせいにし
大声で罵倒する横柄な紳士
(紳士の頭を注意深く見つめれば、
 ポマードで固まった毛の塊の間に
 フケが浮いていたりします)に伴われた、
シャネルスーツで化粧品臭く、
無表情に蚊が鳴くようにしゃべる
陰気臭い爬虫類のような御婦人の二人連れのお客様がいます。

かと思うと、
決してプラチナカードなどは持っていそうにないけれど、
でも清潔感一杯で(たとえその服がちょっと流行遅れでも)、
なによりもはきはきしたあいさつが
はつらつとした印象のお客様がいます。

どうです? ボクだったら、後者に親切にします。
お店もお客様も、決して
「お金がかかっていそうで、豪華」
というようなことが大切なわけじゃないんです。
ただ知り合った最初のステップでは
見た目で相手を判断するしか手立てがなく、
そのヒントとして重要なのが
「清潔感が溢れている」ということと、
「笑顔とあいさつが美しい」ということなんです。

次回は、このことについてもうちょっと詳しく説明します。
「オトコはハンサム、オンナはエレガント」にネ、
っていうお話です。

illustration = ポー・ワング





レストランでの食事を楽しむための、
「先味」作りの総仕上げを考えてみましょう。
あなたはどんな格好をして
レストランに行こうとしていますか?
そしてその格好は一体、
どんな印象を見る人に与えるのでしょうか?

レストランで尊敬される人は
次のキーワードを満たしている、と思うのです。
それは、
「オトコはハンサム、オンナはエレガント」。

間違っても
「オトコはリッチ、オンナはゴージャス」
ではありません。

エレガントとゴージャスは違いますよネ?
似ているけれど、違うんです。
どちらも多分、華やかであり、
日常生活からちょっと飛び上がったような
高揚感あるイメージでありますが、
ゴージャスにはなにか
高級な洋服にしても、高価なアクセサリーにしても、
「人に見せびらかす」という感覚が付きまとう。
例えば多量の香水、などと言うものは、
目に見えぬくせして
周辺10メートル四方の空気を侵すほど
たちの悪い「見せびらかし性」を秘めています。
こういうものはすべて「ゴージャス」であり
「エレガント」とは違うんです。

エレガントとは何?
ハンサムってどんなこと?


レストランに集まる人達の目的は、はっきりしています。
「食事を楽しむこと」です。
良いレストランというのは、
食事を楽しむ目的の人達に優しいもののはず。
だから素晴らしいレストランで食事しようと思ったら、
今日一日で最高の思い出は
「素敵な料理と素敵なサービスと、そして素敵な会話」
になるように心砕くべきであって、決して、
「素敵な洋服と素敵なネックレス、
 そして鼻の曲がりそうな化粧品の匂い」
が今晩で一番の思い出になってはならないんだネ。

そういうお客様はお店から確実に嫌われます。
お店の人が嫌わなくても、
そのお店にいる、他のお客様から嫌われますヨ。

だから「エレガント」。
繊細で控え目で、
一緒に食事している人の記憶にさえ残らない程度の装い。
今日のお料理を引き立てる洋服。
それでいて上質で、一時間でも二時間でも
着ているあなたも同席の人も疲れない‥‥程度の装い。
これこそがレストランにおける
完璧な女性のあり方じゃないか、と思います。
(一生懸命、想像力を駆使して考えてみましょう。
 きっと見つかりますから!)

続いて男性です。
「リッチ」じゃなくて「ハンサム」。
‥‥これは、いささか難しいですよネ。
リッチはわかる。
金無垢の腕時計を見せびらかすコト。
一万円札でパンパンに膨れ上がった財布を
お尻のポケットから覗かせること。
女性にとってのゴージャスと同じで、
見せびらかしはレストランでは慎みたいですネ。

だから「ハンサム」に。
この場合の「ハンサム」というのは、
日本語になってしまったハンサム=男前、
という意味でなく、
英語本来の「男性として立派に見える」という意味での
ハンサムです。
ここが要注意点です。
英和辞典を引いて、確認してみましょう。

【handsome】
1)顔立ち、容姿の整った男性的で凛々しいこと
2)堂々として魅力的であること
3)気前の良いこと。


凛々しいなんて、もう日本では
死語になっちゃった、って思いませんか?
それ程、「堂々とした男性」が少なくなった。
‥‥まあかく言う私も男性の端くれでありますから、
堂々として気前の良いお客様と思われたい、
と思うのだけれど、
時折、そうした気持ちが
フライングを起こすことがあります。

男の「ハンサム」って
こういうことなんだと思う。

ボクが20代後半のときの話です。
親父が
「お前も大人の男として
 料亭遊びの一つも経験しなさい」と、
ボクを京都の飛び切りの料亭に連れて行ってくれました。
ボクは当時の自分が出来るお洒落の中で、
飛び切り一番の贅沢をまとって行きました。
一晩でどのくらいの散財が必要なのか、
当時のボクには想像すら出来ぬほどの名料亭でした。
まず通された小さな待合は、
ただならぬ緊張感と重苦しいほどの静寂の中でした。
まずお茶が振舞われ、
無造作にそれを手にしようとした瞬間、
父がこう言いました。

「指輪をはずしてからにしなさい」

当時のボクは大振りのカレッジリングを嵌めていて、
それはボクのプライドでもあったのだけれど、
父にそう言われて、なぜかわからず、それでも、
素直に指輪をはずし、
それから茶碗を手に取りました。
驚くほどにその茶碗は軽かった。
しかも表面は繊細にして、
ちょっとしたことで引っかき傷がついて
台無しにしてしまいそうな代物でした。
‥‥だから指輪をはずす必要があったんだ!
と、やっと気づきます。
父はそんなボクに続いてこう言いました。

「腕時計もはずしておきなさい」

そう言いながら、父も自分の
金属のブレスレットのついた重く大振りな時計をはずし、
背広のポケットに滑り込ませます。
次の間に通されて、
ヌメらかに光る大きな漆の座卓を見て、わかりました。
ボク達の腕時計は、
漆のテーブルにとっては凶器である、というコトを。

そうした一連の振舞いは、
ボクの父をとてもハンサムに見せました。
その晩、ボクが張り切って着ていった
カシミアのスーツのズボンの膝は一晩で抜け、
使い物にならなくなりましたが、
それがボクにはとてもよい勉強となりました。

最後の最後に、玄関に並んだボクの靴を見て、
それがピカピカに磨き上げられているのに
ビックリしました。
同時に、汚れたままの靴を履いてきたことに、
顔から火が出る思いでした。
しかもどうみても履き潰れる直前のボクの靴は、
美しいその空間に場違いでした。
和食を食べに行くときには靴を磨こう。
若きサカキシンイチロウ君の苦い教訓でした。

男が堂々と見える瞬間というのは、
ふんぞり返った時じゃない。
相手の都合を見通して、
敢えてそれに合わせてみせる寛大な姿勢が
男を堂々とみせるんですね。
一緒に食事する相手の装いに合わせる。
これが一番の「ハンサムさ」だとボクは思います。
一緒に食事する人が
楽しく食事をまっとうできるように心を配る。
これがハンサムな人がすることだとボクは思うんです。

私たちがレストランに
持っていくべきものは?

レストランは「家」と同じだ、という話を、昔、しました。
そしてその家に招かれるのが私達、
お客様である、というコトも。
誰かの家に招かれたとき、
そして準備万端整って、実際にその家に向かう時、
あなたはどうします?
手ぶらじゃいかないですよネ。
何かお土産を持ってゆく。
お花一輪でも構わないし、
或いはデザートの足しにって
ビスケット一箱でも構わない。
ワインなんかもって行くと喜ばれるだろうし、
気の利いた室内楽のCD一枚なんてのも素晴らしい。

でも、これらはレストランに全部あるもので、
それでもやっぱりお招きいただいたからには、
なにかプレゼントを持って行きたい。
そう思いませんか?

で、ボクはとっておきのプレゼントをいつも用意する。
「笑顔と、約束の時間どおりに店に行く」
というプレゼント。
喜ばれないことはありません。
よほど偏屈な経営者のいるレストランでない限り、ネ。

さて次回は「待ち合わせ」のお話に入ります。
レストランに行く時、あなたはどこで待ち合わせますか?

illustration = ポー・ワング



誰かと目的の店に行く時に
あなたはどこで待ち合わせをしますか?
選択肢は3つ考えられますネ。

(1)会社や家から一緒に出掛ける。
(2)どこかで待ち合わせて、そこから一緒に出掛ける。
(3)そのお店で直接待ち合わせをする。


(1)は会社の仲間や、恋人同士、
あるいは家族とかでレストランに行く場合、
いちばん、問題が少ないです。
これから同じレストランで
同じ時間を共有する人達同士の
確認作業が存分にできていますから。
一緒に行く人達がどんな洋服を着ているか?
その人の今日の気分や健康状態はどうなのか?
そうしたことを十分に確認しあって
レストランに向かうことができます。
「理想的」と言っていいでしょう。

問題は、別々の起点から
ある特定のレストランを目指す時です。
そして多分、東京のような大都会では
その方が圧倒的に多いのだと思うのだけれど、
その際、直接、目的地であるレストランで
待ち合わせするの(3)はこの上もなくリスキーです。
なるべく避けたい行為なんです。


魔法の時間が始まるためには
その前段階も重要ですよ!

なぜならば、まず相手が本当に
この店までたどり着くのかという心配が
あなたに生じます。
もちろん、時間どおりに食事が始まるのかも心配ですネ。
待っている時間の手持ち無沙汰な状態に
自分の精神力と忍耐力がついてこれるかどうかも心配。

そしてなにより、お店の人が心配で仕方ないからネ。
だってあなたと一緒に食事する相手が
どんな人かが、店の人にも分からないわけです。
というコトはレストラン側が
あなたに用意したテーブルが
果たして本当に良い席だったのかどうかも
判断出来ないんです。
待っているあなたに、
どのように接すればいいかどうかも分からない。
店の人たちまでも、八方塞がりになっちゃう。
そんなふうに手持ち無沙汰気に誰かを待っているお客様が
自分の店に何人もいたとしたら?
ボクが支配人なら泣いちゃいます。
泣いて表に出て天を仰ぎながら、神様に祈る。
「早く残りのお客様が無事、到着しますように‥‥」。
そして当たり前のサービスを
一分でも早くさせて下さい、って。

だから出来る限り、どこかで待ち合わせ、
同じテーブルを囲むすべての人達が
一緒にレストランのドアを開けるようにしましょう。
そうすればレストランの人達は
そのグループがどんな目的で
今日、自分の店に来てくれたのか、
正しく判断することができますから。
そこからすばらしく奇跡的なサービスが始まり、
魔法のように楽しい時間がスタートするんですから。
とどこおりなく、ネ。

カフェで待つ時は
どういうふうに待つ?

さあ、それでは、どこで待ちましょうか?
まず、おすすめは「カフェ」です。
想像してみてください。
レストランに向かう前に、
まずカフェで彼女(彼)を待つ。
「今日はどんな洋服で来るんだろう?」
「道路が混んでそうだから時間通りに来れるのかなぁ?」
とかあれこれ思いを駆け巡らせながら相手を待つ。
雑誌を読みながらでも構わない。
でも今日、一緒に食事する人のことと
その人と過ごせるであろうすばらしい時間のことを
想像しながら待ちましょう。
きっと、あっという間ですね、その人が来るまで。
で、やって来る。
「ああ、髪切ったんだ‥‥素敵だよ!」
とか
「そのネクタイ、素敵ね。似合ってるわ」
とか言いながら、目的のレストランに出発する。
そのネクタイが栄えるレストランならいいね、
楽しみだわ、とか言いながら。

もういちど復習。
彼女(彼)の来るのを楽しみに待つのに
ふさわしい場所はカフェであって、
レストランじゃありません。
レストランで直接会う、のは駄目ですよ。
どこかでまず待ち合わせしてレストランへ行きましょう。

どうしてもレストランで待つことに
なってしまった時は?

でも、事情によっては、
どうしてもレストランで直接待ち合わせをしたいことも
あるでしょう。
そんな時は電話で事前に確認しておきます。
「待たせていただけるスペースはありますか?」って。
ある程度規模の大きなレストラン、
あるいは規模を越えて高級で知られたレストランには
サロンとかバーという名前で
お客様が全員揃うまでの間を楽しむための
スペースが用意されています。
そこなら心行くまで、
誰にも迷惑をかけることなく
来るべき人を待つことができます。
安心です。

そんなスペースがないレストランの場合、
‥‥それがほとんどの日本のレストランの
現状なのだけれど、そんな時は客席で待つことになります。
くれぐれも新聞を広げたり
週刊誌を読んだりしないこと。
ゆったりした姿勢で、ホールの雰囲気を堪能しましょう。
あるいはメニューを見せてもらうのもいい。
お水を一杯もらって味わいながら
気持ちを落ち着かせるのも手だし、
予算が許せば、食前酒をなめるのも悪くないです。

この場合のポイントは「ゆったりと」。
腕時計なんかセコセコ見ないで、ゆったりと。

「ええ、僕は心配してませんよ。
 彼女は必ずやってきますから。
 お洒落して飛び切りの笑顔で、
 お待たせっ! って、やって来ますから。
 それより、今日は何が
 美味しく食べられるんだろうなぁ(ワクワク)」
といった風情で、待ちましょう。

そんなあなたの風情を見ればお店の人は安心をします。
そしてあなたにそろそろと近寄って、
世間話をしてくれます。
運が良ければ今日のお薦めのメニューとか、
このお店のシェフの経歴とか得意料理とか、
普通の人が聞けないようなことを
(わざわざ聞かなくても)
いろいろしゃべってくれたりしますヨ。
これがもし、あなたが腕組みして
苦虫をかみつぶしたような表情で
入り口をにらみつけていたり、
貧乏揺すりしながら本のページを
めくり続けているような人だったら、
お店の人も腫れ物に触るような対応しかしない。
それじゃ、損でしょう?

実はボクは結構、お店に先に行って
一人で待つことを上手にこなすことで得をしています。
ボクは店長やシェフから名刺をいっぱいもらってるけど、
その半分ぐらいはこのタイミングでもらったものなんです。
同じテーブルを囲む遅れて来た連中に
「ここのシェフって前にどこそこの店にいてさ」
なんて、少々うんちくめいた事を言って
さすがって思われたり、
店長に誰よりも親しげに話して貰ったり、
かなり羨ましがられます。

だからもしその場で待ち合わせ、ということになったら
絶好のチャンスを貰ったと考えて、
自分を売り込みましょう。
ポイントは、これも簡単。
「ワクワクした表情でその場の空気に溶け込む」こと。
すると得する情報が向こうからやって来るもんです。

間違っても、彼女を待つまでエグゼクティブを気取って
手帳でひたすらスケジュールチェック、
なんてことをしちゃ駄目ですよ。
そんな彼氏を見て、彼女も
「ああ素敵!」なんて思っちゃ負け。
仕事は会社でするものです。

「待つ」という行為において
絶対しちゃいけないことは?

ところでレストランで直接待ち合わせの時には、
まず予約した本人が誰よりも先に行くのが
一緒に食事する人にとっては礼儀だし、
お店の人にとっても安心できる当たり前のこと。
だとしたら、誰よりも得しようと思ったら
まず自分で予約をすることですネ、これ基本。

それから当たり前のことだけど、
予約の時間には遅れないように。
遅れる、というのは、
あなたを待ち焦がれているテーブルに対して
申し訳ない出来事です。
そのテーブルはたまたま今晩、
あなたのためだけに用意されているわけであり、
もしかしたらあなたより強烈に
そのテーブルを必要としている人を
悲しい思いにさせた結果であるかもしれません。
そう思うと一秒でも早くそのテーブルに
キスしたくはなりませんか?
だから時間は守りましょう。
大人なんだから。

さて、次回は、外で待ち合わせるときの裏技です。
カフェ以上にいい場所が、じつは、ひとつあります。
それは、‥‥さあどこだと思いますか?


illustration = ポー・ワング





ボクはレストランデートの待ち合わせ場所として
最も優れた場所は、
「本屋」さん、だと思っています。
意外ですか?
理由は簡単。どこにでもあるから。
もっといい理由が、「ただ」だから。
そして時間をタップリつぶすことが出来るから。
‥‥本屋さんごめんなさい、立ち読みの勧めみたいで。
でも、
「どこそこの駅前のなんとかっていう本屋さんで
 待ち合わせしましょう!」
と言う、この一言そのものには
あまり特別な意味がないでしょう?
だからいいんです。
例えばこれが何々デパートの一階、
ルイ・ヴィトンのブティックで、
と何気なく言った貴方は、
彼に物凄いプレッシャーをかけたかもしれません。
逆に「○○ホテルのロビーで」と
言ってしまった貴方は、
電話を切ってから不安にかられるかもしれない。
‥‥なんか変な勘ぐりをされたかもしれないな、って。
駅前で本屋さんよりもっと幅を利かせている銀行の前?
味気ないですね。
消費者金融ローンの看板の前?
そんなこと言われたら、もうそれだけで多分、
このデートは失敗の予感がするネ。

で、本屋さん。
せっかくだからちょっと早めに行ってみましょう。
それでお店の中をゆったり、歩いてみる。
今日の食事のことを考えながら。
どんな話題で盛り上がろうか?
そんなことも考えながら。


パリのレストランでの出来事。


パリのあるレストランで、
こんな夫婦にあったことがあります。
年の頃、50の後半。
日本人の夫婦でした。
正確に言うと、男女のカップルですから
夫婦でない可能性もあったのですが、
これから述べるエピソードから判断するに、
十分に夫婦であろうと確信が持てるカップルでありました。

裕福な人生を絵に描いたような二人、
と言えばイメージできますか。
殿方は仕立ての良い服を着て、
ご婦人は落ち着いた装いで、
ちょうど以前話した
「ハンサムな紳士、エレガントなレディー」という、
海外の日本人には珍しい空気を放ったお二人で、
粛々と食事を進めてらっしゃいました。
ナイフフォークを操るマナーも完璧。
料理を食べる。
お互いの目を見合わせて、
美味しいネ、という確認作業を無言で行いながら、
一皿を平らげ、テーブルがきれいになると、
次の料理がやってくるまで、終始無言で、
そして再び次の料理が運ばれるや、口に運んで、
眉を上げる仕草で「美味しい」を語り、
そしてまた無言になる‥‥の繰り返し。

紳士はなぜ無言だったのか?
レストランはパニックに。


そうした行為の繰り返しが一時間を越える頃には、
レストランのホールを差配する支配人が
パニックに陥ったのがわかりました。
自分たちの料理を楽しんでいただけているならば
彼らはなぜ無言なのだろうか?
料理に不手際があったのではないか?
何かサービスの不都合で気に触られたのではないか?
というようなことを彼らに告げています。
当の紳士はなかなかのフランス語で、
「いや、そんなことは無い。十分、私達は満足している」
と答えつつ、でも二人は始終、無言のままでした。
まるで明治時代の日本人のよう。

挙句に困った支配人が、同じ日本人のボクを見つけて
「大丈夫なんでしょうか、あの二人は」
と、聞いてくる。
それほどレストラン中はパニックだったんですね。
店の従業員ばかりか、他のお客様も、
もしかしたらあの二人はこれから
大喧嘩を始めるんじゃないか。
この無言は嵐の前の静けさなんじゃないか?
というような、心配で怪訝な目を
彼らに向けているのがわかりました。

僕も、あんまり大丈夫か、大丈夫か、
とうるさいものだから、面倒くさくなって、
「日本の男性というもの、
 人前でむやみにご婦人と話をして、
 高笑いをしたり、
 感情をさらけ出したりしないようにと、
 教育されている。
 ボクなどは堕ちこぼれの日本人だから、
 そんなことお構いなしに喋ってるけど、
 多分、彼は素晴らしい教育を受けたのだろう」
なんて、どうでもいい受け答えをしました。
ボクとしてはそんなことに煩わされずに、
目の前のフォアグラとイチジクのソテを
早く口に頬張りたくて仕方なかったんですから。
だから無責任に答えて、
ついでにそのテーブルを見てみたら、
デザートを待つ紳士の首が、
コックリコックリ揺れていました。
‥‥寝てたんだ!

美しい女性と素晴らしいデザートを前に、
居眠りができ、しかも三時間近い無言の空間を
共有できる、という関係は
よほど以心伝心の運命の男女か、
あるいは倦怠期を乗り越えた夫婦で
あるとしか考えられない。
で、彼らは後者だとボクは思ったんだネ、その時。

この話の教訓は、
レストランの人たちをパニックに落としいれないためにも、
数時間分の話題の種を仕入れておく。
これがレストランに向かう準備の一つでもある。
ってことです。

本屋で情報を仕入れましょう!


だから、本屋さんは「話題の宝庫」。
レストランに行く前の待ち合わせのひと時を過ごすのに、
これほど、素晴らしい場所は無いんです。
時間潰しをかねて、話の種の仕込める場所。
いいでしょう?
出来ればいつも読んでいるのとは
違った本とか雑誌を手にとって、
ペラペラ数ページ、めくってみる。
そしてもっと出来れば、
これから一緒に食事する人が読んでいそうな雑誌を見てみる。
あなたが女性だったら、車とかカメラの雑誌を読んで、
へぇー、こんな新商品が出てるんだ、なんて
たわいも無く思ってみる。
あなたが男性だったら、それこそ山のような
女性誌が本屋さんの一番目立つ場所に置いてありますから
どれでもいいから手にとって、
ふーん、て思ってみる。
この「ふーん」が、これから始まる数時間のエピローグです。

そうやって本を眺めていると、
相手があなたを見つけてくれる。
あれっ、なんで時計の本なんか読んでるの?
って言われたら、
「いや、なんか目に付いたものだから」
なんてはぐらかしながら、
そっと食事中に聞いてみるといい。
「トゥール・ビヨンって凄いの?」
もし彼が時計のことが大好きだったら、
もうそれからの一時間はあっという間に過ぎてくネ。
楽しい会話で‥‥。
二人共通の話題で盛り上がりたければ、
旅行雑誌なんか読んでるといいのかな?
憧れのリゾートホテルの特集かなんか。
料理雑誌を読んで、フランス料理を食べに行くつもりが、
すっかり頭の中が中国料理になっちゃってどうしよう、
って言うのも困りモノだけど、でも
「次は中国料理を食べたいよネ。
 さっき見てた雑誌にこんなお店がのっていた」
なんて話題は、食欲増進のために
とてもふさわしい話題だったりもする。

「婚約指輪特集」の写真ページを
食い入るように眺めている。
それだけはやめましょう!
恐ろしすぎる。
ダイエット特集? うーん!

今晩の楽しい食事を、
もっと楽しくするためのヒントを共有する。
そういう視点で、本や雑誌をめくってください。
かなり楽しい待ち時間になりますよ。
それに何より、「楽しい会話の花が咲いている」、
これはレストランでサービスしている人たちに
「もっといいサービスをしてあげよう」
と思ってもらう、一番の元気の素だったりもします。
件の、無言の夫婦が陣取るテーブルと、
中国料理の話題で楽しげに盛り上がるテーブル。
あなたならどちらのテーブルを
優先してサービスしますか?

「何かお困りですか?」
そんな一言から始まるサービスなんか誰もしたくない。
「中国料理ですか!
 私、とっておきの中国料理屋さん、
 知ってるんですヨ。シェフが友達で。
 ご紹介しましょうか?」
‥‥そんな一声をお客様にかけたくて
仕方ない人が働いているのが
良いレストランなんです。
さあ、素敵な人に会いに行きましょう。
素敵な時間を過ごしに行きましょう。


さあ、次回は「何を持っていく?」というお話。
あなたの手の中には何があるでしょう?
素敵なお客様になるためのワンチェックをしておきましょう。


illustration = ポー・ワング





お目当てのお店が近付いてきました。
お店の前はきれいに整えられ、
厨房から流れてくる
美味しそうな料理の香り‥‥。
ドアの向こうには、
賑やかで華やいだおもてなしの気配が感じられます。
さあ、扉を開けましょう。

‥‥、としているその時の、
今まさにドアをあけようとしている、
あなたの両手はどのような状態なのでしょう?
あなたは何を片手に、
ドアに手をかけているのでしょうか?

今日はそんなお話です。

ニューヨークのとあるレストランで
明暗を分けたのは「コート」でした。

ニューヨークの冬は非常に寒いものです。
歩いているだけで凍ってしまいそうな
シカゴの冬ほど寒いことはないけれど、
でも厚手のコートが無くては、
笑顔で目的のレストランまで辿り着くことは
不可能な程度に、非常に寒いのです。

でもニューヨークの人は、冬が好きだと言います。
寒いからこそのお洒落が出来るから、
好きなんだ、と。
彼らにとってのお洒落というのは
「自己表現」と言うコトですネ。
彼らは、自分を表現するチャンスが多い
(=重ね着のできる)冬が好きなんです。

昔、なかなか予約が取れないレストランを、
地元の友達に頼み込んで
3ヶ月越しで予約を果たし、
明日の今日、というその日に、
ボクは予約を手伝ってくれた彼女から
こんな電話を貰いました。
「あなたのクロゼットの中の
 一番いいコートを着てこなかったら
 承知しないからネ!」と。
当日、雪の舞う街を、
一張羅のコートを羽織り、
彼女と待ち合わせをしました。
彼女は彼女で上質を絵に描いたような
カシミアのショートコートを身にまとい、
そしてその店のドアを開けると、
当然のごとく、コートを脱いでクロークに預けます。
クロークの女の子はとても美しかった。
良い店のクロークには
本当にキレイな女性が立っているけれど、
その女の子は本当に愛らしかった。
そしてボクのコートを手にした彼女は
「ナイスコート」とつぶやくんです。
‥‥ああ、いいコートを着てきて、本当に良かった。
ボクのコートは彼女の手の中で誇らしげだったもの。
同行の彼女は、少々意地悪げに
「鼻の下が伸びているわヨ。
 ‥‥でも恥かかなくて良かったでしょう?」

僕らはレストラン全体が見渡せる、
しかし適度に隔離感のある良いテーブルに案内されました。
つつがなく食事を終えて再びコートを受け取る時に、
「次回からご予約されるときにはこの電話番号に」と、
特別のショップカードを、
そのとてもかわいらしいクロークの
女の子から受け取りました。

ボクはその時、自分の実力以上の自分を、
お店の人に一番最初に手渡した
コートというモノによって
表現することに成功したわけです。
まだボクが20代も前半の話です。
(やれやれ、いまから20年も前のことです!)

手荷物を抱えたレディたちの運命は?

別の機会に、同じように
冬のニューヨークにボクはいました。
その滞在の目的の一つでもあった
話題のレストランに向かおうとした時に、
ふと、このときのことを思い出しました。
思いだして自分を見ると、
防寒着としては優れているけれど、
決してお洒落には見えぬコートを着ていました。
しかも両手には今まで買い物した
ショッピングバッグをつかんでおり、
これじゃぁまるでロシアから来た
買い出し部隊みたいだな、と思って、
急いでホテルに戻り、コートを替え、
当然、買い物袋を置いて出なおしました。
実際に行ったその店は
それほどに立派なしつらいでなく、
だからクロークもほんの小さなものでした。
でもそこに立っていたレセプションの女性は
飛び切りの笑顔で、ボクのコートを預かると、
どのテーブルに僕らを座らせようか…?
と、案内係と相談を始めました。

実はその時、僕らは二つのテーブルを巡って
知らず知らずのうちに
熾烈な争奪戦の中に巻き込まれていたんだネ。
当然、予約で一杯のその店に
その段階で残っていたのは二卓。
こういう場合、どうしてだろう、
一つは良いテーブル、
一つは(なかなかお目にかかれないような)
最悪のテーブルでした。
最悪の方は出入り口のすぐ前で、
ドアが開く度、冷たい風が吹き込んでくるような
テーブルだったんです。

悪い予感がしたネ。
僕らは男だけのグループで、
お世辞にもお洒落ではなかったから。
どうなるんだろう?
と思っていたら、ドアが開き、
日本人の女性のグループが入ってきました。
うーん、やられた、と思いました。
明治時代から、日本女性は
世界に通用する素晴らしい逸材だけれど、
日本男児は世界的価値を持たぬ不良品。
西洋人と付き合っていると痛感させられることです。
しかも彼女たちは非常にお洒落で、
とても爽やかな笑顔の人たちでした。
ニューヨークを堪能している真っ最中なんだろうネ。
両手に沢山のショッピングバッグを持って。
彼女たちに、良い方のテーブルを譲りましょう。
ジェントルメンの僕達はそう覚悟していました。

でも、彼女たちを見た瞬間、レセプションの女性は
「あなたたちのテーブルが決まりました。
 ご案内しましょう」
と言って、なんと最良のテーブルを僕達にくれたんです。

‥‥どうしてだろう?
彼女たちと僕達は、どこがどう違ったんだろう?

案内してくれた女性に、
本当にボクたちがこのテーブルでいいの?
と聞いたら、彼女はこう答えてくれました。
「このテーブルはワザワザ、
 ワタシ達の店に来ていただいたお客様のために
 取っておいた席です。
 だから買い物のついでに寄る人には
 座る資格が無いの!
 なによりワタシ達のクロークは小さくて、
 あんな荷物を預かるための
 スペースまではないんですヨ」‥‥と。

確かに彼女たちが持ち込んだ
色とりどりのショッピングバッグは、
バリバリ雷のような音とともに
クロークの中に押し込められ、
クローク担当の女性が体を動かすたびに
ガサガサ騒々しく音を立てています。
それはレストランという空間には、
いささかふさわしくない出来事でありました。

教訓。手荷物は最小限に。

僕達も、もしコートを着替えに
ホテルに帰っていなければ、
彼女たちと同じように
ショッピングバッグを抱えて
この店に来ていたのだろうし、
同じ条件で僕達と彼女たちを比較すれば、
当然、僕達は入り口近くの最悪の方に
座っていたんだろうな、と思います。

沢山の荷物を持ってレストランに行く。
ショッピングバッグを
山のように抱えてレストランに行く。
それはあまりお洒落ではないですネ。
なにより、レストランの人たちに
迷惑になる行為であろう、と思います。
当然、レストランに向かう途中で、
買い物をしたい欲求に駆られることもあるでしょう。
その時もレストランの迷惑にならないように、
って考えてみましょう。
イタリアンレストランに向かう途中に飛び込んだ
スーパーマーケットで買ったオリーブオイルが、
お店の人との楽しい会話のキッカケに
なることもあるでしょう。
待ち合わせ先の本屋さんで買ったカメラの専門誌が、
そのレストランのシェフの
思いがけない趣味を
発見させてくれることもあるでしょう。
そうなれば、素晴らしくシアワセな
ことでありますけれど、
持ち物は控え目で目立たぬことであることがベター。
だって日本のレストランのほとんどは、
特別なクロークを持ってはいないし、
クローク専門のスタッフを置く、
ということもないのですから。

そして何より
「ワタシ達はこの店を目指してやってきたんです」
という意思表示をするためにも、
手に持つものは最小限の荷物に限りましょう。

これが礼儀であろうと思います。

素晴らしいレストランという存在は、
今日一日で最も素晴らしい思い出をここで作ろう、
と思ってやってきてくれるお客様のためだけに、
今日一日で最も素晴らしい思い出を
作ってくれるものなのですネ。

レストランのドアをあけるその瞬間に、
あなたの手の中にあるもの、
そしてあなたがレストランの人たちに
手渡そうとしているもの、
それはあなたを表現する雄弁なるヒントなのです。


さて、次回は
「それでもお店から断られるってどういうこと?」
っていうお話です。
悲しいかな、ボクも、あるんです、そういう経験が!


illustration = ポー・ワング




さあ、あなたは予約からお店のドアを開けるまで、
これだけ沢山の準備をし、
レストランに対しても気を遣ってきました。
ところが、それでもドアが開かない‥‥!
そんなことは、あるんでしょうか?

あるんです。

今日はそんなお話です。
渋谷で「カフェバー」というモノが
幅を利かせていた昔のお話、
20年近くは前になりますけれど、
昔だから起こった出来事なわけではありません。

ガラガラにすいている店で
「満席です」だって!?!?

地方の飲食店の経営者の方々が
「カフェバー」と言うモノを見てみたい、
とおっしゃるのでご案内することになりました。
彼らは50歳の半ばで、
年齢的にはその店のターゲットから
外れてはいたけれど、
でもさすが、それぞれの地方を代表する
レストランの経営者たちばかりです。
みなさん、なかなかにコジャレタ装いでありました。
だからボクは、コレなら大丈夫だろうと、
それでも店が忙しくない時間帯がいいだろうなぁ、と
おやつ時を狙って、ある一軒の店を訪ねました。
週末などはお客様で溢れかえるような話題の店でした。

まず入り口で店内を見るとガラガラです。
だってその日は平日。
しかもお酒を出す店の午後3時過ぎですから、
ガラガラなのも当然ですよネ。

ボク達は、確か、5人でした。
入り口に出てきたお店の男の子が
ボク達を一瞥して、あきらかに困った表情をしました。
そして「少々お待ち下さい」と言い
彼は店の奥に店長を呼びに行きました。

そして、出てきた店長は即座にこう言いました。

「お客様、本日、この時間は
 満席でございます」

ガラガラなのに満席!
すごい断られようです。
これほど潔い断り方はなかなか出来ないですネ。
その一言にボクは、
ああ、やっぱりおじさん達は歓迎されないんだな、
と思い知らされ、ほうほうの体で店を後にしました。

一部始終を見ていた経営者の人達は
かなりの立腹だったけど、
ボクは、じつは、まあ、仕方ないかな、と思ってもいました。
なぜかというと‥‥

ボクたちにはそのお店に
入る資格はなかったんだ。


後日、ボクはその店に、同世代の仲間と一緒に訪れます。
かの店長がボクを見つけて
「ごめんなさい、先日は」と頭を下げます。
「いやいや、やっぱりこの店、
 おじさんには無理だよネ」と言うと、
彼は申し訳なさそうに、しかし力強くこう言いました。

「レストラン業界の方々だったんでしょう?
 先日のあの人達は。
 だって私達の顔を見て挨拶するより先に、
 天井のしつらえとかテーブルの置き方とかを
 一生懸命見ていらっしゃいましたから。
 楽しみに来られたんじゃないんだなって
 一目でわかりました。
 業界の方お断りというわけではないんです。
 ただ、たとえ業界の方でも、
 店にお越しになった限りは
 楽しんで帰っていただきたい。
 ここで楽しもう、という意欲満々のお客様に対して、
 初めて私達は良いサービスが出来るんですよね。
 そうしたお客様のためにある店だから、
 この店は流行らせていただいてるんですヨ。
 だからそんな気持ちを持っていないとわかる
 お客様に座っていただくテーブルは一つもありません。
 私はかねがねそう思っていて、
 だからちょっと厳しい言い方を
 してしまったかもしれません。
 ごめんなさい」

そう、店長がボクらを断った理由は、
「本来の目的で訪れたお客様ではないと、
 一目でわかるような行動をとっていたから」。
見た目で選んだのでなく、
お店に対する情熱と
目的のベクトルで選ばれなかった、と言われれば
もう納得するしかないでしょう。

ボクはそれからずっとこの店長と
良い友達であり続けています。

ロンドンタクシーに学ぶ
「サービスのスタート地点」とは?


ロンドンタクシーって、
乗られたことがあるでしょうか?
世界で最高水準のタクシーはロンドンにあり、
その最高水準である理由はふたつ。
一つは、タクシー用に作られた
専用の車を使っているという
ハードウェア的な素晴らしさにあります。
もう一つは、自分達は世界で最も難しいといわれる
試験をパスして初めてなれるタクシーの運転手である、
という乗務員の誇りが生むサービスの素晴らしさです。

笑顔が素晴らしいわけでなく、
おべっかを言うわけでもありません。
あくまで大英帝国の末裔的とっつきにくさは
我慢しなくてはならないけれど、
道を聞かれて知らない、というコトはまずありえないし、
最良にして最短の道を選べなかった時など、
心から申し訳ないと謝ってくれる。
ロンドンのタクシーの運転手は素晴らしい人達であり、
それに乗ることは、素晴らしい体験でもあります。

ただこの世界最高水準の経験をするためには
少々の儀式を必要とします。
例えば日本ならば街角で
タクシーに向かって手を上げますネ。
目の前に止まる。
すると自動的にドアが開き、
乗り込んでからやおら行き先を告げる、という手順です。
ドアが自動的に開くか手で開けるかの違いはあれども、
基本的に止めれば自動的にドアが開く。
これがタクシーという公共の交通機関の姿です。
しかしロンドンでは、手を上げタクシーを止めると、
車に乗る前にまず運転席の横に立たねばなりません。
タクシーの運転手が窓を開けて
「どこまで行きたいのか?」と訊きます。
そこで例えば、トラファルガー広場まで、と言うと
初めてドアが開くのです。
それまで客席のドアは鍵がかかっているから、
運転手に開けてもらわないかぎり、
絶対にタクシーに乗ることは出来ないんです。

なぜか?
彼らはこう考えます。

タクシーといえば
確かに公共的な交通機関かもしれないけれど、
知らぬ同士がひと時、
一つの空間を共有するという意味では、
非常にプライベートな交通機関でもある。
自分達の優れたサービスを
間違いなく提供できる人を選ぶことが、
プライベートな交通機関にとっては必要。
例えば英語のしゃべれぬ人間を乗せたら
サービスなんか出来ない。
例えば自分の行き先も思い出せぬほど
泥酔した客を乗せたら、
サービスどころの騒ぎじゃなくなる。
だから自分達のサービスを
喜んでもらえるであろう人を、客として選ぶ。
これがサービスのスタート地点である。

──そう考えるのです。
そうやって客として選んだが最後、
運転手は、責任を徹底的に負います。
ドアを開けた客に対しては
全身全霊を傾けて喜んでいただく努力をします。
これがロンドンのタクシーです。

誰に対してでもドアを開く。
にもかかわらず、行き先を告げても
その場所を知らなかったり、
或いはあえて遠回りして一稼ぎしよう、
と思うような運転手が平気で乗っている
国のタクシーと、
どちらにあなたは乗りたいと思いますか?

さあ、そこを突破するための
方策はあるんでしょうか?


レストランも同じです。
良いレストランはお客様を選びます。
彼らがその瞬間、見抜こうとしているのは
その人がこれから始まるであろう
レストランにおける素晴らしい時間を
味わいつくし楽しみつくそうとする心構えが
できているか否か? というコトです。
その中に「服装や身なり」が
たまたま含まれている、と言うコトであり、
見た目だけで判断しようとしているというわけでは
決して、ないのです。
誰にでもドアを開くレストランは、
気軽ではあるけれど、
お客様を楽しませるということに対して、
最後まで責任を取ってくれるかは
定かではない‥‥、のです。

確かにときおり、
お客様であるボク達が想像する以上の
心構えが必要なレストランの
玄関先に立ってしまうことがあります。
どんなに情報収集に明け暮れようと、
不可抗力のような出来事です。

例えばリゾート地のホテルのダイニングルームに、
スニーカーを履いて行ってしまったら?
大理石でピカピカに輝く床を見て、
スニーカーを履いた足を
くるぶしまで沈めてしまいたくなる
エントランスの雰囲気に
「どうしよう!?」と戸惑います。
ここでビクビクしていては多分、
「お引取り下さい」と言われるでしょう。
そういうときは、ニコニコしながら、
「本当に楽しみにしてここまでまいりました。
 私はウェルカムして損の無い客なんですよ」
という、とびきりの表情で
レセプションの人を見つめましょう。
ボクはそうやって
何回も従業員用の革靴を履かせて貰ったことがあります。
(そう、借りたっていう意味です。)
25.5センチなんていう小さな男靴が
欧米のホテルやレストランの
従業員ロッカーの中にざらにあるわけがなく、
いつも靴下を何枚も重ねて
大きな靴を履くはめにおちいるけれど、
熱意は重いドアを開けるものです。

カジュアルウェアが正装のような
南カリフォルニア郊外の、
しかしながら英国譲りのジェントルメンズクラブに
ショートパンツで出かけ、
レセプションの老紳士に手渡された
ひざ掛けの毛布を腰に巻き、
まるでバグパイプ吹きのようないでたちで
シングルモルトのオンザロックを
舐めたことだってあったし、
袖を三重、四重にまくりあげ
輪ゴムで止めた借り物の上着で
フランス料理を食べたコトだってあります。
(この仕事も、それなりにタイヘンです。)

この人をもてなしてあげたいと思えるような
真剣なお客様には、良いレストランは極めて柔軟に、
そして小粋に原則を曲げてまで
ドアを開いてくれるものなのです。

さあ、熱意を持って、ドアを開けましょう。
いよいよ、素晴らしいレストランにおける、
楽しい時間が始まるのです。


次回は、「入店」について、です。


illustration = ポー・ワング




Moment of Truthという言葉が
接客の世界にはあります。
真実が明らかになる瞬間=
モーメントオブトゥルース。
お客様が店にこられた最初の瞬間が、
それから始まるであろう一連のサービスの
印象を決定づける極めて重要な瞬間なのだ、
というのがその意味です。
だからレストランの人達は
お店のドアをきれいに磨き上げ、
そのドアを開けるお客様のために
最高の「いらっしゃいませ」を用意して待っています。
だからお店に入ったら
お店の人の「いらっしゃいませ」に耳を傾けましょう。
お店の人の笑顔に目を向け、
雰囲気を味わう努力をしましょう。
まずその店の空気を体一杯吸い込む。
レストランには当然、いろんな料理の匂いがあって、
でもそれ以上にいろんな非料理的香りがあります。
店に染み付いた伝統の香りだとか、
他のお客様のムードだとか、
働いている人の気配だとか、
そんないろんなものがたっぷり混じり合った空気を
一杯に吸いましょう。
自分が今まで吸っていた外の世界の空気と
完全に入れ替えてやるぞ、ぐらいの決意で、
深呼吸したら、飛び切りの笑顔でこう言いましょう。
「予約していましたサカキです。」

さあいよいよお店に入りました。

モーメントオブトゥルースは
何もお店の側だけにあるのじゃない、
とボクは思っています。
お店を利用するお客様の側にも当然、
真実がお店に伝わる瞬間、
というものがあり、それは
「わたし達は今日、楽しい時間を過ごす準備が
 万端整っています…だからよろしくね」
という気持ちを込めて、
笑顔であいさつする瞬間でもあるのです。

お店の人が
「ああ、このお客様をお待ちしていて
 本当に良かった」と思っていただけるように、
背筋は真っすぐ、とっておきの笑顔と元気なあいさつ。
これが大切です。
すみやかにしてとどこおりなく、
あなたはテーブルに案内されるでしょう。

テーブルの前であなたは迷います。

さあ男性は女性の椅子を
引かなきゃいけないんだろうか?
女性が座るまで座っちゃいけないんだろうか?
女性や目上の人には
上座を薦めなきゃいけないんだろうか?
そもそも上座、ってどこなんだろう?
‥‥と、そんなあれこれを考え過ぎると
テーブルのかたわらで立ちすくんじゃいます。
ビジネスディナーなんかでの席順に関しては、
いろんなマナーブックで説明されているだろうから
ここでは割愛。
親密な、あるいはこれから親密になるであろう
男女におけるテーブルの囲み方を考えてみましょう、
ここではネ。

ごくごく一般的に女性には
壁に背をした席を薦め
男性は通路側に座るのが
マナー的に優れている、と言われています。
だいたい壁際の席は
通路側のそれに比べてゆったり出来ているし、
場合によってはベンチシートのようになっていたりして、
これがハンドバッグを置いたりするのに
とても具合がよかったりする。
後ろ姿を誰かにのぞき込まれる心配もないだろうし。
だからまず、大切な人には壁際を薦めます。


ただし壁際の席は‥‥

ただテーブルとテーブルの間があまり離れていない、
つまり客席がわりとギッチリと
押し詰められているような店では
この壁際の席、というのは曲者なんです。
例えば化粧室に行く。
立ち上がる。
隣のテーブルに遠慮しながら
カニがする横歩きのように不格好に
体をずらしながら通路まで出る。
格好悪い。
化粧室から帰って来る。
再び先ほどの行程を逆回しに行う。
格好悪い。

だからそのような店の場合は
一言、相手に確認しつつ
「今日はボクが壁際をもらおうかな、
 いい? それで」
と言いながら彼女をまず通路側に座らせてから
奥に入りましょう。
‥‥かっこいいね。ただその場合、
1時間少々はトイレに立たない忍耐力と
強靭な肉体を必要とするけれど。

もひとつ。
壁際の席というのは
相手の視線を独占することが出来る
幸せなポジションである、ということ。
これ重要です。
つまり男性が女性に
壁際席をプレゼントするというのは
イコール自分の注意を100%彼女に捧げる、
ということであって
最大のおもてなしであるのだ、ということなんだね。
しかも彼女は自分の背中の向こう側で起こる
さまざまな出来事を
存分に満喫するという自由を持っている。
ああ、あの人、付け合わせのグリーンピースを
ころころ転がしちゃったわ。
向こうのテーブルの人達って
もしかしたら不倫なんじゃないかしら?
あのソムリエさん、さっきから呼ばれてるのに
気づきもしないで
ウエイトレスとお喋りしてていいのかしら。
とかなんとか。
この人間観察こそがまたレストランで食事することの
醍醐味のひとつであるわけで、
その誘惑にさらされ
また誘惑のままに楽しむことを許された彼女に、
注目してもらおうと思ったら、
注目に値するよう容姿に気を配り、
注目に値する会話を用意しなくちゃならなくなります。
レストランにおける通路際の席、というのは
これほどに厳しく、
それこそが男性の置かれた社会的ポジションの厳しさ、
ということになるんじゃないでしょうか。
ややおおげさかな? でも多分、正しいですよネ。

それがなんらかのアクシデントで
男性が壁際を選ばざるを得なかった時には、
テーブル越しに広がる壮大なる舞台には
なるべく目をくれぬよう、
目の前の彼女一人に無制限の関心を
払い続けるべきです。これ、エチケットです。

実はボクの父のお気に入りの喫茶店が
家の近くにあって、そこにゆくと必ず父は
ボクに壁側の椅子に座るよう促します。
通路側の椅子は堅い座面の小さな椅子で、
一方の壁際のそれはフカフカのビロード張りで
座り心地も遥かに違うのに。
何度、固辞しても父は通路側にしか座ろうとせず、
これは彼の息子に対するいたわりであるのか、
と思いつつ恐縮することしきりでした。
ある日なにげなく母に、
こんなことがあるのだけれど
親父っていつからあんなに優しくなったのかなぁ?
と聞くと、吐いて捨てるように彼女はこう言います。
「あの店、壁が鏡張りになってるでしょう?
 あの人、ナルシストだから
 鏡に自分の顔映して悦に入ってるのよ」
果たしてその次、その店に行った時、
親父はやはり通路側に腰掛け、
壁に向かって右を向いたり左に首をかしげたり、
上目使いになってみたり舌なめずりしてみたりと、
まあ表情チェックに余念ないこと。
ボクに毎回あてがわれる上席は、
過剰なる愛情のなせる業ではなかったと安心しつつ、
人にとって快適なる席というもの、
それぞれの事情で決まるものであり、
一概に一つの法則でくくれるものでない、
と思ったりしました。

ところでもしあなたが案内されたテーブルが
思っていたようなものと違っていたとしたら、
あなたはどうしますか?
次回は「テーブル交換のお願い」
スマートにする方法を。

illustration = ポー・ワング




もしかしたら、あなたの案内されたテーブルは、
あなたにとって、あまり好ましいものでは
ないかもしれません。
そんなとき、あなたはまず
予約した時の自分の説明能力の欠落を嘆き、
今日の自分はそのテーブルに
ふさわしくなかったのかもしれないなと自己反省し、
それでも納得がいかなかったら
そっとそのテーブルに案内してくれた人を呼ぶでしょう。

でも、そっとね‥‥、
他の人に気づかれないようにそっと、です。
そして簡単に自分の期待とこのテーブルが違う、
という旨を伝えます。
穏やかに、すみやかに、簡潔に。
ほとんどのテーブルが埋まっていない状態なら
たいていの場合、
こうしたリクエストは受け入れられます。

ただ、もし、そのリクエストが通ったとしても
絶対に勝ち誇ったように
ズンズンドシドシ新しいテーブルに
向かっちゃ駄目ですヨ。
特に他のお客様を見下すような態度は、
特別扱いをして上げたそのお店の人に対して
失礼極まりない行為だから、絶対に駄目です。


テーブル交換のリクエストは
受け入れてもらえるでしょうか?



昔、こんな痛快極まりない出来事に
遭遇したことがあります。
出来たばかりの超高層ビルの最上階のレストランで、
でもすべてのテーブルにもれなく
夜景がついてくる訳でもないそのレストランで、
彼らのテーブルは、
入り口近くの景色無しの席でした。

女の子は30代半ば、
連れの男性も同年代ぐらい。
いかにも彼女におねだりされて
やっとの思いでたどり着いた系カップルです。
座るやいなや彼女は
「えっ、窓際じゃないじゃない!」
‥‥と大声を上げました。
「こんなんじゃ、この店に来た意味がないじゃない!」
とか、
「別の店にすれば良かった!」
などとグズグズ言い、挙句の果てに泣き始めました。

おおっ、スゴイ、この女、もう最終兵器
使い始めたぞ‥‥と思って見ていたら、
お店の人が彼らのもとへやって来ました。
「こちらへどうぞ」
って、一つだけ余っていた
窓際の席に二人を案内したんですネ。

そのテーブルに向かう途中、
驚いたことに彼女はペロッと舌を出しました。
ヒールはカツカツと
腹立たしいほど大きな音を立てるし、
腰はクネクネ動かしながらだし、
そんな女がテーブルの間を
勝ち誇ったようにフラフラ歩くんです。

やれやれ。
でも彼女は勝った訳じゃないんだネ。
お店の人にやっかい払されただけであって、
その追い払われた場所が
たまたま運よく窓際の席だった、という訳なだけ。
なのに彼女は勝ち誇ったような態度。
情けない彼氏を後ろに従えて、
高らかにヒールの音を
カツ・カツ・カツ・カツ‥‥‥‥。
ボクは彼女が転べばいい、と思ったね。
あれだけ細く尖って、
馬鹿みたいに長いヒールの靴なら
転ぶぐらい泣くより簡単だろう、と思っていたら、
‥‥転びました。
すってーんっ、と、
マンガならそう効果音がつくほど、
物の見事に転びました。
ボクは笑っちゃいけないとは思ったけれど、
我慢することは出来ませんでした。
笑いました。馬鹿笑いはしなかったけど、
クスクスって感じで。
それは他のお客様も同じであって、
結果、レストラン中はとても幸せな笑いで包まれました。
なんたるシアワセ、なんたる幸運!
(ああ、ボクも意地悪ですネ!)
あわててウエイターが駆け寄るより早く
彼女は立ち上がり、
毅然として目的のテーブルに向かいました。
決して泣かなかった。
窓際に行きたい、とおねだりする時には
あんなに簡単に出た涙が、
その時は一滴たりとも流れることはありませんでした。
あっぱれ。

‥‥と、こんなふうに、
笑われた彼女のようにならないように、
テーブル交換のリクエストは密やかにさりげなく。
テーブル移動は謙虚に、静かに、速やかに。


次回に期待を込めて、言うんです。


たとえ満席に近い状態で、
なんか言ったところでテーブルの変更は
不可能であろうと分かっていても、
一応、言うべきことは言った方がいいですヨ。
「このテーブルは自分が思っていたのとは違う」
ということを。
ただそれが、“クレーム”になっては
「うるさい客」と思われるだけ損です。だから
「あのテーブルに座りたかったなぁ。
 今度来た時には、よろしくお願いしますネ!」
くらいな感じで、さりげなく。
「分かってますよ、わたし達が予約する前に
 ほしかったテーブルは埋まってたんですよネ。
 だから今日はベストじゃないけど、
 でも考えられる限りいいテーブルを
 今日はくれたんですよネ?
 だから今度来たらよろしく」
‥‥この「今度来たら」の部分が大切です。

それにしても、絶望的に、
自分にとっての「ひどいテーブル」が
回ってくることがあります。
不可抗力による業務上過失致死のような席。
お店の人も申し訳ない顔で、
サカキさん、ごめんなさい、
とんでもない席になっちゃって、
と言うようなテーブル。
店そのものの雰囲気が悪い訳じゃない、
そう申し訳なさげに頭を下げるウエイターもいい感じで、
そうしたときは
「よし、今日はこの店に恩を売るいいチャンスだ」
とか、
「よしこれでボクもこの店の常連になるチャンスだぞ」
と思うようにしています。

すいません、ここ透き間風が入って
寒いと思うんですが‥‥
「いいよいいよ、ワインを飲んで
 体を暖めれば同じだから」。
 
ごめんなさい、洗い場の近くで
騒々しいと思うのですが‥‥
「大丈夫、賑やかでいいんじゃない?
 皿洗いのお手伝いは出来ないけどね」。

余裕をもってウィットで受け止めましょう。

申し訳ありません、この部屋、
窓もなければ窮屈で
息苦しささえ感じるかもしれませんけど‥‥。
──それでも大丈夫。
要はそうしたハンディキャップを補って
あまりあるほど、
愉快な話題とおいしい料理で盛り上がればいい、
ってだけですからネ。

しかし。
そもそも店そのものが自分の印象と違い、
その空間に自分が求めるテーブルが
一つとしてなかった場合はどうしましょうか?
運が悪かった、と思って
一秒でも早くデザートまでたどり着きますようにと
祈るしかないですね。
アーメン。

さあ、なにはともあれ、席に着きました。
さあ、まずどうしましょうか?
どうしたら、ほかのお客様よりも
いい思いができると思いますか?

次回は「状況把握、情報収集」についてです。


illustration = ポー・ワング





レストラン。
そこは小さな戦場です。

もしあなたがありあまるお金を駆使して、
一つのレストランを貸し切る、
或いは、ありあまる上に
ありあまるお金の力を行使して、
自分専用のレストランを一軒作る、
と言うのでもなければ、
基本的にあなたは、
そのお店のシェフを独り占めすることは出来ないし、
そのお店で働いている人は、
あなた以外のお客様のサービスのついでに
あなたのサービスをするんです。
これがレストランで食事する、と言うコトです。

にもかかわらず、あなたはそのレストランの中で
一番よい料理を食べ、
一番良いサービスを受けて、
満面の笑顔で店をあとにしたいと思っています。
一番でなくてもかまわないから、
出来るだけ良い料理とサービスを受けたいナ、
──これが本音です。
そのためには周りにいるお客様を
ちょっとでも上手に出し抜きたい。
レストランにおける歓喜の笑顔は、
勝利の笑顔でもあるんですネ。

‥‥ああ、書いていて
ボクって嫌な奴だな、って思っちゃった。
でもコレが実際でもあります。
時折、店中のお客様みんなが
素晴らしい一体感をもって
「楽しい食事」に向かって
手に手を携えて驀進しているような
空気に包まれることがあります。
居酒屋とかパブとかなんかで
良く遭遇するある素敵な偶然によって
奇跡的に生まれるそんな雰囲気。
一人残らずシアワセそうな空間。
一晩、頭がじーんとして眠れなくなってしまうような、
これこそが外食する醍醐味なんじゃないかな、
っていうことがあるのだけれど、
でも非常に稀。奇跡的です。

そう、大抵のレストランは戦争です。
みんなそれぞれに着飾ってはいるけれど、
しかしそこは戦場。
往々にして戦装束というのは
美しく出来ているでしょう?
戦いを制するにはまず自分が置かれた状況を把握し、
情報を収集すること。
コレに尽きます。
では順番に行きますよ!
(今日は長いですよ、覚悟めされい)


まずは椅子。硬い? やわらかい?


まず座った椅子の座り心地を確認しましょう。
体全体を椅子にかけてみます。

座り心地が良い場合。
これは、ゆったりくつろいで
食事を楽しんでくださいネ、という
お店からのメッセージです。
ああ、この店だと少々、
お行儀悪くしてもいいんだな、と思えばいいんです。
戦いの主導権はお客様側にあって、
だから明るくどんどん、
要求をワタシ達のほうから
ぶつけていけばいいんだ、と思えばいいんです。

座り心地があまり良くない、
でも作りがしっかりしている椅子。
これはお行儀良く食事を楽しんでくださいね、
というメッセージですね。

肘掛もなく背も垂直に近く、
不快なのではないのだけれど、
くつろげると言うほどの座り心地じゃない、
自然と、背筋をしゃんと
伸ばしていなければいけないような椅子。
戦いの主導権はこの段階ではお店側に存在します。
だから、お客様であるワタシ達が
とやかくいろんな要望をぶつける前に、
まずお店の人の話を聞いてから、
ということになりますネ。

これが椅子が教えてくれる状況と攻略法。


テーブルがあなたに教えてくれることは
多いですよ!


ついでテーブルです。

テーブルクロスは敷かれていますか?
テーブルクロスは
「ワインをおねだりする魔法の布」
だとボクは思っています。
よくテーブルクロスのある店は高級、
そうじゃない店は大衆的で
カジュアルという言い方をするけれど、
値段の問題じゃないとボクは思いますネ。
あのテーブルクロス、
特に真っ白で無地のテーブルクロスを目の前にすると、
この布地にワインの色を写してみたら
どんなにきれいだろうなぁ、と思います。
特に赤ワインの入ったグラスを低めにかざして、
照明の光を通した色彩の表情を眺めたら、
どんなにシアワセな気持ちになれるだろうか? と。
だから覚悟しましょう。
目の前にテーブルクロスがあったなら、
グラスでもいい、ワインを取ってみようかなぁ、と。

そうそう、赤白の大きめのギンガムチェックとか
或いはパステル色の大柄な模様の入った
テーブルクロスの場合。
これは「家庭的」のメッセージだから、
ワインを取る必要は一挙にダウン。

テーブルクロスの無い店は、
自由に自分の食べたいものを
食べたいように注文して楽しめばいいんだ、
と思えばいいネ。

それからそこに並んでいるナイフ・フォーク、
グラスの類。
光っていますか? 背が高いですか?
テーブルの上が光っている、というコトは
それだけお客様がお越しになる前、
ワタシ達はお客様のことを心待ちにしながら
準備をしておりました、という気合の証拠。
テーブルの上に置かれているグラスの位置が高い、
と言うコトは、
このグラスの内容物がちょっとでも少なくなったら
ワタシ達は即座にここに飛んできて、
サービスをさせていただきます、
という気持ちの証拠。
それぞれに少々の値がはることを
覚悟しなきゃいけない、というメッセージです。


周りの席を見渡してみましょう。


そしておもむろに周りのテーブルの様子を眺めてみます。
いろんなお客様がいらっしゃいます。
それぞれにそれぞれの期待を抱え、
そしてあなたと同じ戦いをする人達。
その人たちの表情や様子も
興味のあるところでありますけれど、
ここは一つ、この空間が
どのくらいの混み具合なのか? を把握しましょう。

テーブル全体のどのくらいが
既に埋まっていますか?

緩やかに8割くらいの埋まり方、というのが
レストランにとっては最も素晴らしい状態が
期待できる時でしょうね。
厨房の中は余力を残しながらも、
よし一生懸命頑張ろうと意欲満々。
そんな時は実力以上の料理が出来る可能性が高いんです。
サービスも行き届きますし、
ホールの人と厨房の人のコミュニケーションも
十分にとれる状態です。
ただちょっとした難しい注文が立て込んだり、
お客様が引き起こすイレギュラーな出来事次第では、
一挙に調理スピードがガタガタと崩れてしまう、
そんな危うい状態でもあるんです。
そんな時はまずリラックス。
そしてお店の人のペースやサジェスチョンを
極力、考慮して楽しむようにするといいですネ。

テーブルの半分以下がまだ空いている。
これから徐々に埋まっていくのかもしれないけれど、
もしかしたら今日は暇な一日かもしれない。
そんな日、厨房の中は案外拍子抜けであったりします。
空いているからシェフ独り占めでラッキー、
と考えるのは大きな間違い。
例えばあなたが歌手で
コンサートを開催したとしましょう。
一生懸命練習をして準備万端、
大きな会場を手配して、いざ蓋を開けてみたら
客席はガラガラ。
嫌でしょう?
上手く歌えるつもりだったのに結果は散々、
というコトになりかねない。
このときはあなたのムードが大切です。
お店の人に
「今日はちょっと変わった料理を頼んでみましょうか?」
とか、
「手間のかかる注文をしても大丈夫なんですよネ」
とか、こんな日に来たワタシ達のために
よろしくお願いします、元気を出して!
‥‥的な発言をしてみることです。
明るく振舞うことです。
でないと、お通夜のような雰囲気で
勢いに欠ける料理を食べさせられるはめに
なりかねませんから。

満席。
それも普通の満席でなく、
例えば4人座ると一杯程度の丸テーブルに
6人も座らされている程の超・満席。
‥‥覚悟しましょう。今日の料理は遅れます。
でも大勢で食べる料理はおいしいものですよネ。
何より今日、お店の人たちは
忙しいかもしれないけれど
売り上げが上がってよかった、って
かなりご機嫌で料理を作ってくれるはず。
そんな料理がまずいはずはないから、
提供時間が少々遅いぐらいは我慢しましょう。
ただ、長期戦に備えて
椅子の座り方は注意をしましょう。

従業員は何人いますか?


そして次に、何人の従業員がホールに立っているか、
調べてみましょう。

そもそもレストランでは
一人のウェイター、ウェイトレスが、
いくつくらいのテーブルを
一度に担当できると思いますか?
それはそのお店のサービスの品位や
商品の特徴によって幾分、左右はされるのだけれど、
だいたい、一人が4つから5つくらいの
テーブルを担当するのが一般的だといわれています。
そのくらいであれば、いろいろな作業を同時進行して、
それぞれのサービスが著しく悪くなることもなく、
混乱することもないんです。
だから自分が今、座っているレストランに
いくつテーブルがあるのか、見渡してみましょう。

一般的に若いオーナーシェフが頑張っている
ビストロのような店は、
テーブル数にして10個から15個ぐらいが
一番、多いのじゃないですかね。
とすると、もしそうしたお店が
満席な状態だとしたらば、
ウェイターやウェイトレスが
3人から4人いなくてはいけないことになります。

極端な話、もしそんな店で
ウェイターが一人しかいないとしたら、
ああ、今日はろくなサービスがうけられないぞ、
と覚悟しなくちゃいけません。
だって彼がどんなに情熱を持って
誠心誠意、サービスしようと努力したとしても、
それは徒労に終わることが目に見えているんだから。
彼、彼女たちはまず料理を運ぶことに
精一杯にならなくちゃいけない。
小さなホールを文字通り、
駆けずり回らなくては
一人で10個ものテーブルの料理を届けるなんて芸当、
出来はしないです。
当然、本来しなくてはいけない、
気配り──たとえば、お客様のお冷やを
こまめに交換するとか、灰皿をチェックするなんて
余裕なんかなくなっちゃう。
お客様の要望を聞いてさしあげる、なんてこと、
夢のまた夢、になっちゃうんです。

10個のテーブルの人たちみんなが一斉に手を挙げて
「すいません、お冷やお願いします」
なんて言ったら、
彼は辞表を出したくなるかもしれません。
だから、テーブルの数に対して
何人の従業員がホールに立っているか、
確認してみるんです。

なんでテーブル数なの? 客席の数じゃないの?
って思われるかもしれないけれど、
サービスというのは基本的に
テーブル単位で行われるもの。
だから、客席の数じゃなくてテーブルの数。
これが基本です。

ついでに本当なら厨房の中まで入っていって、
キッチンで何人くらいの調理人が働いているのかも
見たいところですね。
難しいところですけれどね。
厨房の中を覗き込んでも
わからないことが多いから。
厨房のスタッフの数というのも
料理の水準によってずいぶん前後はするのだけれど、
一人の人が同時進行で一度に作れる料理の数は
7人前から8人前が限界だと考えられています。
サービスはテーブル単位だけれど
調理は一人単位が原則。
だから先のオーナーシェフの店で、
10テーブルが全部2人がけだとしたら20席。
その店が満席の時に必要な厨房のスタッフの数、
つまり20人分の異なる料理を
同時進行でつつがなく作れる最小限の人数は3名、
ということになります。
それより少ないと、商品提供がすごく遅れるか
品質が悪くなる。あるいはその両方。
‥‥いやですね!
だからそんなときは、
一番簡単そうで一番安そうなものを頼んで
お茶を濁しておきましょう。
それ以上の人員が厨房に入っていれば、
すばらしくスムーズで
素晴らしい水準の料理を楽しむことができます。
けれど、素晴らしい対価を必要とするでしょうね。
人が多く働いている=高級店の証、
ということにもなるのです。

以上、ちょこっと経営知識というところですね。
でもこれらの状況、つまり、
お店の経営のあるがままの姿というのは
その日のサービスや料理の状態に直結した環境なんですね。

そして客層。
グループが多いですか?
二人連れの濃密なカップルが多いですか?
家族を連れた方がいらっしゃいますか?
これらは全て、その日のそのレストランの
空気を左右する大きな要素です。
基本的には「大きな流れには逆らわない」。
しかしその流れに乗って、美しく飛び跳ねてみる。
‥‥楽しいでしょう?

そして最後にダイニングホールに立っている
お店の人の様子を見ましょう。
彼らはどこを向いて立っていますか?

ぼぉっと天井を眺めているような従業員のお店。
一番安くて早く食べ終えることが出来そうな
料理を頼みましょう。
今日のレストランの選択は大きな間違いでした。

厨房の方に体が向いてしまっている従業員のいる店。
ここのシェフは鬼のようなシェフです。
お客様より従業員より、
料理が大切だと思っているシェフのお店ですから、
料理は素晴らしいかもしれないけれど、
素晴らしいだけの料理を食べて美味しいと思うのは
料理評論家ぐらいですから、
これから数時間を楽しく過ごせる話題の整理を
今のうちにしておきましょう。

あなたの顔や手もとをジックリ凝視して
身じろぎもしない従業員が立っている。
その子は多分、極度の近視なだけですネ。

あなたのことを見つめるでなく、
かといって見忘れるでなく、
絶えず関心を持って見守ってくれている
従業員を発見したら、さあ、これは楽しみ。
今日の食事は素晴らしいものになりそうです。

‥‥と、今日はここまで。
たっぷりお聞きいただきました。
次の戦いの一手は、
完全にあなたの手もとに移りましたヨ。
では、いよいよ「注文」です!


illustration = ポー・ワング






メニューを眺め、注文を決める。
レストランにおける最もスリリングな時間でしょうね、
間違いなく。

メニューの読み方を説明するとなると、
かなりの労力と努力を必要とします。
だからスキップ。
分からないことがあればお店の人に聞けばいい訳だし、
そうしたお店の人とのコミュニケーションこそが
注文を決定する際の醍醐味だから、
ボクがとやかく言うことはやめにします。
ただメニューは
「解読するものじゃなくて、感じるもの」
だということ。これだけは言っておきます。


ほんとにわからないことは
どんどん聞きましょう。


往々にしてメニューには
専門用語がたくさん潜んでいて、
その意味を一つ一つ解読していこう、とすると
どんどん憂鬱でつまらなくなってきます。
それじゃぁ、お任せのコースにしちゃいましょう!
ってことになっちゃって、
それは「料理を味わう楽しみ」の
3分の1を放棄したことになる、とボクは思います。

覚えていますか?
先味、中味、後味。
その先味の最後の仕上げが
メニューを眺め、料理を一旦、頭の中でイメージして
味わうという行程なのですから。
イメージする。つまり感じる、ということですネ。

例えば商品名を口に出して朗読してみる。
そんなことでもかまわないんです。
だいたい優しくて軽やかな料理は
その名前も軽やかだし、
力強い料理ならば力強い名前をもっています。
不思議と口に出して読んでみるとわかるもんです、
その料理の性格が。
大声でみんなが一斉に読み上げ始めたりしたら
お店の人も面食らうだろうけど、
一人が読み上げる、みんなで目を閉じて
それを聞きながらイメージする。
頭の中に思い浮かんだそのイメージを
一人一人が説明し合う、
なんてことを繰り返して行けば、
なんとか自然にメニューなんて
分かっちゃうもんだとボクは思ってます。

安心して。
本当に分からないことはお店の人が教えてくれますから。
それから今日のお薦めとか、
このお店の名物料理だとか、
そんなことはニコニコしながら
お店の人を見つめていればどんどん教えてくれますから。

コースはシェフの模範解答。
アラカルトのヒントが満載です。


ただ何をおいてもお店の人に聞かなくちゃならないのは
「どう選べばいいですか?」ということ。
特に初めてのお店では
何皿頼むのが適切なのかは聞かなくちゃわかりません。
「何を頼めばいいですか?」と聞くのは
お客様としての義務を放棄する恥ずかしいことだけど、
このメニューにのっかっている料理を
どのように組み合わせるのが
いちばん満足しやすいのか? ということは
聞いて恥ずかしいどころか、
聞かなきゃ損なことなんだネ。

メニューには大抵、
コースとアラカルトの両方が書かれてあります。
コース、というのは
シェフがお客様に出した宿題の
模範解答のようなもので、
そのお店の料理の傾向とか、
何皿くらいで満足出来るのか、
あるいは幾らぐらいの予算で楽しめるのか、
といった情報が詰まっています。
あれこれ考えるのが苦手な人は
それを頼む、のも良いでしょう。
往々にしてコースはお値打ちに出来ているし、
お店側も準備万端ですから
比較的早く食事にありつけ、
比較的短時間で食事を追えることが出来ます。
それがありがたい、という人は
迷わずコースをお願いするといいでしょう。

でもボクは模範解答よりも個性的な答えを好む、
十分な臍曲がりなものだから、
初めてのお店でも、アラカルトから頼んでやろう、
と思うようにしています。

メニューを開きます。
コース料理の内容に一瞥を投げ、
その構成を頭の中に叩き込みます。
おもむろにページをめくり、
アラカルトの料理一品一品を吟味します。
コースとアラカルトを見比べながら、
自分ならどういうコースを組み立てるだろう?
などと思いながら、
メニューの端から端を行ったり来たりします。
そうしながら、なんだかやっぱり
コースの方がお得だな、
あるいはアラカルトに何だか面白みがないな、
というような理由で
コース料理という模範解答を
選んでしまうこともあるけれど、
それってなんだか誰かが書いてくれた作文を
いやいや読んでるような気分にされるから、
やっぱりあんまり好きじゃないんです。
アラカルトの中に
「自分を待ってくれている料理」を見つけようと、
一生懸命頑張ります。
必要な情報をいろんなヒントから獲得しながら、
ひたすら悩みます。
時には、何十分でも悩みます。

ボクも食べたいものが決まらず20、30分、
あれこれ悩み考えこんでしまうことは日常茶飯事です。
決して恥ずかしいことじゃないし、
それ自体も楽しく食事することの一部分であるので、
どんどん悩むべきだとボクは思ってます。
‥‥なんだけど、そんな時はまずとりあえず
グラスでいいからシャンパンか何かを
とってあげましょう。
スマートだし、お店の人もほっとします。
何よりシャンパンのアルコールの魔力を借りて
頭がトロントロンにならないと、
いくつもの魅力的な料理名の中から
今日の一品を選び出す、なんて芸当が
できるはずないんですから。
それに何もないテーブルで
メニューを開いてただひたすら
何かを相談し合う景色なんて、
まるで魔法使いの集会のようで
あまり美しいものではない、と思いますしネ。
だから、シャンパン、
カジュアルな店ならばビールでも可、
当然、シェリーでもマティーニでも全然大丈夫、
を頼んで、ひたすら悩みましょう。

途中、数分おきに
「どうですか? 決まりました?」って
お店の人がくるかもしれないけど、
そんなプレッシャーには動じず、
ひたすら心行くまで悩んで結構。
決まってもないのに決まった振りして
「前菜はこれで、でもメインディッシュは
 どれにしようかなぁ」なんて、
お店の人をかたわらに立たせっぱなしにしたままで
あれこれ悩むのは野暮だし、
忙しいお店の人に対して失礼だから、やめましょう。
正直に「どれもおいしそうなんで悩んでいます」と
答えましょう。


自分の料理は自分で頼むこと!


全員の注文が決まったらお店の人に来てもらいます。
この時に「すいません」なんて言わなくても大丈夫。
メニューから顔を上げ、
目が合った人にうなずく合図をすればいい。
こうした楽しげで
貪欲なお客様が座っているテーブルからは、
お店の人は目が離せなくなっているはずだから、
簡単にお店の人の目は探せます。
わざわざ探さなくったって
メニューをテーブルの上においた途端に
誰かが飛んでくるはず。
しかもほほ笑みと一緒に。
さあ、やっと注文が聞けるぞ。
ってわくわくしながら飛んで来てくれるはずですね。
迷いに迷って、やっと決まったこの人達は
どんなふうにこの店で楽しもうと思ってくれたんだろう、
って、勇んで飛んで来てくれるはずです。

ところで、散々悩んだあげくの注文で、
誰かの注文に続いて
「私も同じもので結構です」
と言うのだけはやめましょう。
「で結構です」なんて!
それじゃあ悩んだ意味もないし、
うちにはそれ以外に
おいしそうなものがないと判断されたのだろうか?
って、お店の人はとても絶望的な気分になるだろうから。

実は一つのテーブルの注文が全部同じという状態は
厨房で料理を作る人にとってはとても楽な状態です。
分かりますよね、同じ料理を何人前か
一度に作ればそれで済むのだから。
逆に4人が4人とも別々の料理を頼む、
というのはかなり厄介。
一度に4つものことなる行程を
同時進行させなくちゃ駄目な訳で、
手間もかかるしなによりも緊張を強いられます。
だからとても忙しく特別な努力しなくても
お客様が来てくれる、例えばクリスマスなんかには、
クリスマス特別コースなんてのがあって、
みんなが同じ料理を同じ時間に食べ始めて
同じ時間に食べ終わるようなことが起きちゃうわけ。
同じテーブルの人達が、どころじゃなく
同じ店中の人達が同じものを同じように食べる。
まるで結婚披露宴の退屈な時間を
わざわざ高いお金を出して自ら進んで選ぶようなことを
させてしまうのはなぜか? というと、
やっぱりそれが楽だからなんだネ。

でもやる気と才能のある料理人は、
大変でめんどうな注文をするお客様の前でこそ
自分の才能を120%発揮することが出来るもの。
ボクはそう思います。
なにより自分が作る料理を一品でも多く、
できればメニューの隅から隅を
全部食べ尽くして欲しい、と思うのがシェフであり
その店で働く人達の総意である訳だから、
なるべく別々の料理を取って上げるようにしましょう。

そして、注文するときは、
注文を取りに来てくれた人の顔を見て、
にっこり笑って一人一人がはっきりとします。

一人がみんなの注文を
まとめて言うようなことは絶対にやらないように。
だって料理を注文するというのは、
お店とお客様が結ぶ契約のようなものであって、
私は自分の責任において食べたいものの
意思表示をしましたよ、
だからあなた達も責任をもって
私を楽しませて下さいね、ということだから。

意思確認はあくまで一対一でやるものです。
団体交渉は許されません。
なにより、熟練した客席係は、
注文を受けながら
「そのお客様」の注文が多すぎないかとか、
その人にふさわしいか判断しつつ、
なにか心配なことがあればその都度、
アドバイスすることを仕事としています。
厨房の作り手とお客様、
この直接コミュニケーションすることの出来ない
二人の通訳役をしているのが彼らなんだから、
彼らにその仕事を存分にしてもらうために、
自分の注文は自分でしっかり、はっきりと。

似通った味の料理が続くような選択をした場合には
その旨を告げてもらえるだろうし、
なにより彼らが望むような組み合わせで注文を組み立て、
そう告げた時には
「すばらしい選択です」とか、褒めてももらえますヨ。
プロから褒められるって、何たる幸せ、何たる光栄。
だから、自分の注文は自分で、ね。

ところで隣のテーブルに目移りするのは駄目?
やっちゃいけないバッドマナーなんでしょうか?
次回はそんなお話。


illustration = ポー・ワング




隣のテーブルに目移りする。
あんまりジロジロ隣を覗き込むのは当然、
立派なマナー違反だと思います
でも何を頼もうかあれこれ悩み決めあぐねている時に、
なんだかおいしそうな料理が隣に運ばれて来たら?
そんな時、近くのウエイターにそっと目配せして
「あちらのテーブルのご婦人が頼まれた料理、
 とてもおいしそうですね」
と聞いてみるぐらいはいいんじゃないかな?
指さして「あれは何?」って大声で聞く、とか、
逆にみんなでチラチラ見ながら
ヒソヒソあれはなんだろうと噂する、
ようなことをしさえしなければ、
他の人が頼んでいる料理は
この上もなく説得力のある参考資料なのだから
利用しない手はないですよネ。


NYでボクは向かいの席の女性を
まじまじと見ちゃったでした。


ニューヨークでの出来事です。
マディソンアベニューの60丁目前後ですから
広告代理店系の贔屓さんが多い店だったんでしょう。
華やかな雰囲気ではあるのだけれど、
エスタブリッシュメント的では決してなく、
むしろ挑戦的な新しさをすんなり受け止めるような
寛容さをもった店でした。
ブルックス・ブラザーズ的じゃなくて
ジョルジオ・アルマーニ的。
だからメニューはかなり手ごわかったです。
料理用語的知識を駆使しただけでは解読出来ぬ、
抽象的な形容詞が踊るメニューを前に、
さて、どうするかなぁ、と腕組みしたその時、
ボクの目の前をピラミッドのような物体が通り過ぎました。
あまやかなトラッフルの香りと一緒に
その皿はボクの向かい側のテーブルに置かれました。

しかるべき場所に皿を置き自由になったウェイターの
エレガントな手をそのまま追ったその先には、
仕立ての良さげなスーツを着た女性の顔がありました。
メグ・ライアン以外に
彼女ほどピンストライプのスーツの似合う
ブロンドの女性をボクは後にも先にも知りません。
‥‥ってくらいにチャーミングな彼女は、
ボクのその視線に気が付いていたんだろう、
ボクの目を捕まえてほほ笑みと軽い会釈を
ボクに返してくれました。
どぎまぎしたボクは
まともに彼女の無言のあいさつに応えることも出来ず、
再びメニューに目を落としました。
耳の先まで真っ赤じゃなかったのかな?

大きな深呼吸4回分ほどのつかの間の後に、
顔を上げた時。
恐らくボクが今まで見つめていた
くだんの料理の最初の一口目が、
彼女の口の中に消えてなくなった直後だったんだろう、
彼女は大きく目を見開いて顎をゆっくり動かしながら
目を閉じていました。
自分の口の中にあるものが美味であることを
納得させるような口の動き。
見とれました。
客観的にその時のボクは、
物欲しげで哀れな東洋人(まったくその通り!)に
見えているんだろうなと思いながらも
目を離す訳にも行かず、
果たして口の中のものを飲み下す直前の彼女と
また目が合ってしまいました。
彼女はその皿の上の料理を指さし、
「gooooood...」と声にはならぬが唇を動かし
ボクに小さなウィンクを投げてよこしました。

即座に左手人差し指を立てたボクに
ウェイターは飛んで来て、
「あちらのお料理は
 アンコウとジャガイモを使った
 ミルフィーユ仕立ての暖かいスターターでございます」
といいます。
いかにボクの目線があからさまであったか、
ではあるけれど、その直感のままに頼んだそれは
非常においしかったし、
それに良く合うとウェイターに薦められた
メインディッシュもすばらしかった。
何よりボクの不躾な目線を
しっかり受け止めさらりと応えてくれた、
寛容なお客様と向かい合わせになったことが
とても、うれしかった。
映画ならこれが運命的な
ロマンスの始まりになるところが、
ボクには何も起こらなかったけれど。
まあ、そんなもんだネ。


誰かが見ていたら、教えてあげましょうネ。


だからもしコッソリ自分の頼んだ料理を
覗き込もうとしているお客様と目が合ったら、
ニッコリを返して上げよう。
隣のテーブルに手が届きそうなほど
親密なビストロ的空間でそのような事件が起こったら、
ニッコリと一緒に
「これは○○という料理なんですよ。
 おいしそうでしょ?」と言ってみましょう。
ボクにはやって来なかったロマンスが来るかもしれません。

ま、そんなものやって来なくったって、
そのテーブルの周辺の空気が瞬間にして柔らかくなります。
店中が暖かく脈打って感じられるようになるはずだから。

「あのお料理はあのお客様のお召し上がり分で
 最後でございました。申し訳ありません」
もしそう言われたら、
アハハと笑って誤魔化すしかありません。
情けない思い出話がひとつ増える程度の恥ずかしさ。
それもまた良し。

ところで、
もしあなたがその日、最初のゲストだったら。
参考とすべき戦いの同志が他にいない、
孤軍奮闘の状態だったらどうしましょう。
ちょっと思い浮かべてみましょう。
このお店ではどんな人が料理を作っているのか?


illustration = ポー・ワング





お料理は作る人そのものである。
ボクはそう考えるようにしています。

もっと正確に言うと、
「作った人の人柄が
 正しく伝わる料理が良い料理である」
と言いうコトになるかな。
だから「誰が作ろうが同じ料理」と言って
はばからないような店の料理は
あまり尊敬に値しない料理だ、と思っています。
つまり、そんな料理はわざわざ
今までのような面倒くさい手順を踏まなくても、
食べたい時にふらっと行って、
大した期待もせずに味わった方が良い、
というコトになりますね。

良い店の良い料理というモノ、基本的に
「作った人が美味しいと思う料理」
に尽きると思うのです。
自分が今日食べたくて仕方ないものを
お客様のために作る。
コレが一番美味しい。
だって家庭で料理を作っていてもそうでしょう?
自分の苦手な料理は幾ら作っても上達しないし、
仮にその料理を食べた人に褒められても嬉しくはない。
やっぱり自分が美味しいと思うものを作って
褒められたいでしょう?

だから「厨房の中でどんな人が料理を作っているのか」
ということは、
「何を頼めばいいのか?」の、
非常に重要なヒントとなるんです。

見るからに古典的な顔のシェフが
斬新で独創的な料理を作るだろうか?


かつて、「斬新で独創的なフランス料理」というモノを
食べに、あるレストランに行ったことがあります。
お店の雰囲気もマリー・アントワネット風じゃなく、
フィリップ・スタルク的であり、
ホールで働いている人たちもなかなかに若々しく、
「この店の斬新なら信頼できるかな?」
と思ったけれど、
テーブルに向かう途中でチラッと見た厨房の中で
腕組していたシェフは、
齢恐らく60に届こうという年齢でした。
年齢はともかく。何より眉間の皺のあまりの深さが
「ワタシは頑固です」と叫んでいるような‥‥。
そんな姿を見せられると
「ほ、ほんとうに斬新? ‥‥大丈夫?」
と心配と不安に襲われてしまいました。

ボク達はその時、一計をめぐらせました。
店の売り物といわれる「斬新な料理」を半分。
その頑固親父的シェフが作って美味しそうな
「古典的な料理」を半分。
そう、頼んでみたのです。
果たしてその時の斬新な料理は
「斬新を装っただけの不可思議な料理」であり、
古典的に属した料理は
「30年前のフランス料理の亡霊」のようであったネ。
‥‥ああ、失敗したなぁ、と思いました。
まずくは無かったんです。
しかし斬新を売り物にしながら、
斬新にふさわしくないシェフが料理を作る、という
「看板に偽りあり」の現実に、
僕らはかなりゲンナリしてしまいました。
なんでだろう、そんな時に限って
シェフがわざわざテーブルまでやってくるではありませんか。
しかもご丁寧にも、
「いかがでしたか? お気に召しました?」
と聞くものだから、
「フォアグラのテリーヌと、
 牛頬肉の煮込みは良かったですよ」
とボクは答えました。
ボクとしては
「斬新から程遠い古臭い料理は良かったヨ。
 だからボクらはまんまとだまされました」
と、かなりの皮肉を込めてそう言ったつもりなのに、
シェフは満面の笑顔で
「左様でございましょう、
 どちらも古典中の古典ですから。
 これがまた、なかなかに手間がかかりまして‥‥」
と、したり顔でそれから暫く延々、
自慢話めいたことをしゃべり続けました。

シェフを見た、その第一印象を信じていれば、
と思いましたね。

料理を作ってくれる人が発散している雰囲気を、
頭の中に充填をして、メニューを開く。
そしてその中のどの料理が一番、
あのシェフらしいのかなぁ、なんて思いながら考えてみる。
そうすれば、かなり正しい結論を
引き出すことが出来たと思うのです。

例えば、同じイタリアンレストランでも、
若い上に、逞しくて元気のよさそうな人が
調理場に立っていたら
「仔牛のグリル」なんておいしいだろうなぁ、
と想像します。
だってあの人、そんなのをモリモリ食べそうだから。って。
細身ですらっとしていて髪の毛のサラサラした
まるで少年のような人が調理場に立っていたら
「彼の作るパスタは繊細で素敵に違いない」
とかって、そんな具合に思ってみましょう。
そうした予想を見事に裏切る、
骨太で男勝りの料理が得意な女性シェフも
いるにはいるから、
いつもこの作戦が成功するとは限らないけど、
でもとても楽しいヒントにはなるものです。

何より厨房の中に関心を示してキョロキョロしてると、
シェフと目と目が合ったりします。
会釈してくれたり、運がよければ
テーブルまで来てくれるかもしれません。
‥‥それは楽しいコトですよ。

かといって全ての店が、
全ての客席から厨房が見えるような
構造にはなっていませんよネ。
それどころか厨房が頑丈な壁で仕切られて、
テーブルに案内される途中でだって、
トイレに向かう途中にだって、
シェフの姿を盗み見する場所が用意されていない、
まあ高級レストランにはこうしたまるで要塞のような
キッチンが多いのだけれど、
そんなことも、かなりあります。
ボクはそうした店でも、一生懸命、
どんな人がボクの料理を作ってくれるんだろう、
と、そのヒントを探り出そうと努力します。

最近では雑誌のレストランの特集なんかで、
シェフの顔写真が出てることがあったりしますよネ。
ボクはそうした雑誌を見つけると、
その記事の中に同じく掲載されている
その店のインテリアや料理の写真より、
シェフの顔を頭の中に焼き付けるように努力しています。
この人はどんな料理を作るんだろうか?
ってイメージしながら。
店に向かう時だって、
あのシェフに会いに行くんだ、と思いながら行きます。

シェフの顔がまったく見えない。
そんなときは、どうすればいい?


残念ながら、そうした手がかりが事前に一切無く、
しかもシェフの覗き見も許されない、
そんなレストランではこう聞くことにしています。

「このお店のシェフってどんな方なんですか?」

‥‥不躾な質問だと思いますか?
そんなことはないんです。
だってレストランにとって最大の商品は
「シェフ」そのものであって、
誰だって商品の特徴を知らずに
モノを買いはしないでしょう?
だから大丈夫。
サービススタッフの目を見て、ハキハキと。
叩けよ、されば開かれん! の心意気。

この時のサービススタッフの対応、
というか受け答えが、誠心誠意で、
しかもシェフに対する愛情に溢れていれば
その店は素晴らしい店です。
だって一緒に働いている人に愛されていないシェフが、
お客様に愛される料理を作れるはずがないのですから。

そうそう、ボクは若い頃、
こんなばかげたことをしていたことがありました。
レストランを沢山利用すると、何度かに一度は
「なんでこんな店にきちゃったんだろう」と
頭を抱えるような店に遭遇することになります。
今でこそ、そうした失敗も勉強のうちだよ、
と笑って自分の怒りを納めることも
できるようになりましたけど、
昔はそうじゃなかった。
まだまだ未熟の塊だったし、
何より金銭的に許せなかったんです。
だからボクは
「一体、どういう人が料理を作ってるんだろう」
という情報収集に命をかけました。
今のように、レストラン関係の情報誌が
沢山あったワケじゃありません。
インターネットだってなかった。
だから自分の足で情報を集めなきゃならなかった。
どうしたか? っていうと、
お店の人たちが仕込みを始めそうな時間を狙って、
お店の裏口をブラブラし、
シェフと思しい人を探したんです。
‥‥‥‥、今になって思えば、ばかばかしい。
でも当時のボクにはタップリの暇と
情熱があったものですから。
ランチタイム開始の小一時間前に行けば、
かなりの頻度でシェフに出会えました。
厨房のドアを開けた途端、一際大きく、
「おはようございますっ」
とスタッフみんなが挨拶するから、
ああ、彼がシェフだったんだ、とすぐわかりました。

面白かったですヨ。
厨房の中でえらそうにしているシェフじゃなく、
本当に一人の人間としてのシェフの顔を
ボクは沢山そのときに見ました。
そしてボクは次の法則を手に入れたんです。

「普段着の素敵なシェフの料理は感性豊か。
 厨房に入る時の挨拶が元気なシェフの料理は感情豊か!」

かなりいい勉強をしたな、と思います。

ただ、こうした経験に味をしめて、
六本木の外れのフランス料理店の裏口で
ウロウロしていた時に、
税務署の職員なんじゃないか?
とそのお店の若い人達にとっつかまえられて、
危うくボコボコにされる経験をして、
この秘密の行動はお蔵入りしてしまったのですけれど、
本当に、かなりいい勉強になったな、と思っています。

普段着の素敵なシェフの作る料理には
間違いがない。
今でもこの原則は変わりません。

だからシェフを見ましょう。探しましょう。
そして何を食べるか、イメージしましょう。

次回は、メニューで迷ったとき、
お店の人からお勧めを聞き出す呪文について、です。


illustration = ポー・ワング



迷っているお客様を
お店の人はどんなふうに観察しているのでしょう?

メニューを開いて、何の迷いもなくさっさと注文する、
決断力に満ちたお客様がいらっしゃいます。
何の面倒もなくお店の人としてみれば
都合のいいお客様なのだけれど、
心に残るお客様でもなく、
魅力的なお客様では決してない。
では、どんなお客様が魅力的なのでしょう?
たとえば今日一日の営業が終わって
営業日誌を記入する時、
今日はこんな素敵な人がいらっしゃって、
その方にこんなサジェスチョンをして差し上げたら
とても喜ばれた、というエピソードを
提供してくれるお客様。
今日はとてもよいサービスをすることが出来た、
という実感をプレゼントしてあげられるお客様こそが
魅力的なお客様なんです。
みなさんにもそんなお客様になってもらいたいな、
と思うのです。

素敵なお客様は素敵に悩みます。
素敵な悩み方、というのは
「私は自分で全部決めることも出来るんですけど、
 せっかくだからプロの意見も聞きたいんですよね」
って悩み方。
素敵じゃない悩み方とは、
「私は全然、選ぶことができないんです、
 助けてください」。
‥‥馬鹿にされます。

二度と食べることができない料理、
それが「今日のお勧め」です。


今日のお勧め料理を提案してあげたくなるお客様がいます。
その一方で、定番で間違いのない、
でもいささか退屈な料理を勧めたくなるお客様がいます。
かと思うと、今晩で一番高い料理を
勧めてしまいたくなるお客様もいるんです。

あなたはどのお客様になりたいですか?

一番高い料理を売りたくなる相手、
それはお金持ちのおじさん達が多いですね。
レストランに入ってメニューを一瞥、従業員を呼んで
「何でもいいから一番おいしいのを持ってこい」
「この店で一番高いものをくれ」
とつっけんどんにいう人。
彼らには何ら迷いがないように思えるけれど、
実はなにを頼めばいいのか全然わからない迷える子羊。
なのに、なにを食べていいのかわからないと
言えないものだから、
とりあえず高いものを持ってこいと命令をする。
狼の毛皮をかぶった子羊、ああ、かっこうわるい。
でも彼らは「幾らの料理を食べたんだ」
というコトを自慢して喜んだりしますから、
決してそうした薦め方は、的外れではありません。
むしろ、最高のサービスをした、
というコトにもなりますか。

「私、何でもいただきますから、
 今日一番おいしいものを選んでくださらない」
と、これも言い方こそソフトだけれど、
さっきのおじさんと同じこと。
高いのを売っておけばいいんだ、って思われます。
だってこの人は自分の意志とか好みとかを
持っていないんだから、と思われても仕方ない。
損ですね。

定番料理を勧めてお茶を濁したくなってしまうお客様。
知ったかぶりで頑固そうなお客様に多いですね。
メニューを見ながら薀蓄を言う。
曰く、今の時期のカツオは痩せてるんだとか、
葉野菜はやっぱり朝摘みに限るんだとか、
なんだか「オレは知ってるぞ」と言う顔をして
メニューを見てる人です。
変なものを薦めると多分、
気分を悪くしちゃうんだろうなぁ、と思っちゃう。
だから誰もが知っている料理とか、
シェフが何回も何回も作り尽くして、
作り飽きちゃったような料理、
まあ、とは言っても、熟練の商品ですから
美味しいに決まってはいるんでしょうけれど、
そんな料理を勧めてしまう。
これも損ですネ。

美味しければ良いと思い込む、
グルメ気取りの人達は別として、
「レストランを楽しみたい」
と願っている私達が楽しむべきは
「今日、この瞬間に食べなくては
 二度と食べることが出来ないかもしれない」
料理です。

そもそも「料理を作る人にとっての定番料理」
というのは、
ずっと褒められ続けてきた料理、というコト。
人間、けなされるより褒められる方が
うれしいに決まっているけれど、
ずっと同じコトを褒められるとうんざりするでしょう?
褒められることに対する感動もなくなってくる。

でも「今日のお勧め料理」というのは
シェフにとって一種の賭けです。
もしかしたら嫌いと言う人もいるかもしれない。
でも今日の食材を眺めながら、
コレを作ればお客様は喜んでくれるかもしれないなぁ、
と思いながら一生懸命作った料理。
それが「今日のお勧め料理」です。
今日だからこそ作れた、
明日は作ることが出来ないかもれない料理を
褒めてくれたお客様のことを、
シェフは忘れることが出来ません。
あなたのことをシェフは一生、
忘れることが出来なくなるかもしれないのです。

だから、お勧め料理を進んで食べましょう。
私達のために一生懸命汗水たらして
厨房で働いているシェフを喜ばせるために、
お勧め料理を聞き出して、それを食べましょう。
‥‥いいお客様です。

それじゃあ、そうした料理を勧めてもらうためには
どうすればいいのでしょう?
「今日のお勧めは一体なんですか?」
とあからさまに聞くようでは面白くないですよネ。
ワタシ、レストランのこと何も知らないんです‥‥、
と言っているようなものですし。

どういうふうに水を向ければ
お店の人は教えてくれるだろう?


ボクはこうします。
メニューを開いて、
何か美味しそうに思える一品を選びます。
舐めるようにメニューを眺めていれば、
一品ぐらいは「ワタシを食べて!」と
訴えかけてくる料理名が目に飛び込んできます。
その直感を信じて、お店の人に目配せします。
お店の人は飛んできますネ、
いかがいたしましょう? とかって言いながら。
おもむろにこう言います。

「ボクは今日、是非、この料理を
 食べてみたいと思うんですが、
 それにあわせて前菜を選ぶとしたら、
 どういうのがお勧めですか?」

そうすると彼はこう答えます。
「お客様がお選びになったメインディッシュは
 とても力強くて濃厚なお料理です。
 それに合わせるのであれば
 メニューのこの野菜の前菜が良いのですが、
 実は今日、素晴らしいキノコが入荷しておりまして、
 それを使った料理があるのです。
 シェフが作ってみたい、
 と言って作った自信作なんですが、
 それなどはどうでしょうか?」

ほら、すんなりお勧め料理を聞き出せた。
ボクはレストランの作法を知らないお客様ではないネ、
このやり取りの中では。
自分の食べたいものは自分で選ぶべきである、
という大人のお客様としてのルールをしっかり守った。で
も、自分の決断をより素晴らしいものにするために、
プロフェッショナルである
レストランの人たちの力を借りた。
うん、誇らしい瞬間であります。

そのあとのいろんな話し合いの中で、
一番最初の直感があっさり覆されて、
全部、お店のお勧めになっちゃうようなことも
良くあるけれど、でもそれはそれで素晴らしいことで、
なんといってもボクの一番最初に
「これを今日は食べたいんですが」という一言が、
全てのキッカケになっているのですから、
ボクは素晴らしいお客様です。

実は世界中、どこにいってもボクはコレで通します。
アルファベットでも漢字でもない、
例えば韓国なんかに行くと
メニューを開いてもチンプンカンプン。
何を頼めばいいのか、全然、わからない。
そんな時には「エイヤッ」と
メニューの一行を指差して、ニコって笑う。
「これは絶対頂戴」の意思表示ですネ。
それから、お腹を押さえて腹ペコだって顔をして、
小首をかしげながら幾つかの料理名を次々指でさし、
その度に「Good?」とかって、
一番最初にボクが選んだ料理に合うであろう料理を
聞きだしていく。
大抵、お店の人は途中で面倒くさくなって、
「ワタシに任せろ‥‥」みたいな顔をして
厨房に向かって行くネ。
で、頼んだのかどうだかも定かでない料理が
次々出てくる。
最後の最後まで、自分はどんな料理を食べたのか、
わからないままお腹だけが一杯になる、
なんてコトも数多い。
でもそれでいいんだ、と思う。
楽しかったら、それでいいんだって。

さて、これで注文は完了。
料理を待つ時間です。


illustration = ポー・ワング



注文を首尾よくし終えたら、一息いれて、
今、座っているテーブルの周辺を眺めてみましょう。
そして大きく息をして、
お店の香りでおなかを一杯に満たしてみる。
グーッ、とおなかがなるはずですネ、その瞬間に。
実際に料理を待つ食べる前に、
空腹であることを実感する。
ああ、私のおなかはこんなにも空いているんだ、
ということがわかると、
もう料理が来るのが待ち遠しくて仕方なくなる。
早く体の中に美味を放り込みたくて仕方なくなる。
空腹感は、最良の調味料であるのであって、
だから思う存分、今の空腹を楽しみましょう。

料理を味わう前に、まずお店の雰囲気を味わう、
ってことですね。
先味完了、中味スタート。
専門的にはそういうことです。

待つときはお行儀よく、
背筋を伸ばしてネ。


ところで、皆さんがこうした手順を踏んで
たどり着いたこうした店であれば、
注文した料理がすぐやってくる、
ということはまずありません。
マクドナルドじゃないんだから、
料理は注文してから作り始めるものであるから、
すぐにありつける訳がないんです。
だから、待ちます。

大切なのは「待つときの姿勢」です。
背筋をしゃんと伸ばす。
肘は付かずに膝の上か
軽く両手を握ってテーブルの上に。
足は組んじゃいけません。
それでいてリラックスして「見える」こと。
これが大切です。
これが基本姿勢です。

日本人にはお洒落な洋服を着こなすのが難しい、
とよく言われます。
ファッション雑誌のモデルさんや
ショーウィンドーの中のマネキンが着ていると
格好よく見える洋服が、
実際に袖を通してみると違って見える。
着る前にイメージした姿と、
似ても似つかないあまりの惨状に愕然としたりします。
特に男性がスーツやジャケットを試着したときは
それが顕著で、たいてい、こう言い訳するものです。

だって体格が違うだろう?
西洋人は背も高いし腕も長い。
足だってすらっとして
お尻だってクリンと小さく持ち上がっている。
東洋人の俺が着たら、この程度になるのは仕方がないよ。

まあこれはかなり当っているし、
僕達のDNA上のあるミスプリントをうらんでも
仕方ないので、
みんなは変だぞと思っても我慢して買いますよね。
こんなもんだ、と思いながら。

でも、本当に日本人は西洋人に比べ
体格が顕著に劣っているか? と言うと、
ボクはそんなことは無いと思っています。
例えばイタリア人。
彼らは僕らと同じように足が短く背も低く、
僕ら以上に腹にたっぷり脂を巻いて、
太くて短い首に汗をにじます。
なのに彼らのスーツやジャケットの着こなしは、
惚れ惚れするほど美しいんです。
映画「ゴッドファーザー」のどのシーンの
どの出演者をとっても
理想的な体型をしていると言うわけではないのに、
かっこいい。そんな感じ。

どうしてか? と言うと、
彼らは一様に背筋がしゃんとしているんです。
女性も男性も背中が一直線にすっと伸び上がっていて、
まるで天井から一本のピアノ線が
頭を吊り上げているかのように見えたりします。
男性はそれに加えて胸板が厚く張っていて、
だから彼らはすばらしく服を着こなすことができるんです。

一説には、イタリア人の食事時間というのは
世界でももっとも長い部類に属し、
子供の頃から一時間や二時間は
悠々として食卓に張り付いていなくてはならなかった。
そうした日々のトレーニングが
彼らの背筋を世界でもっとも丈夫な部類にまで
発達せしめた、‥‥のだそう。

うーん、悔しいネ。
日本人もイタリア人のように背筋をしゃんとさせ
食する習慣を、あと二世代も続ければ、
イタリア人のようにお洒落が
できるようになるかもしれません。
そう思ったら、今日の晩ご飯から実践ですネ。

背中を従業員のために。
胸元は一緒に食事する人のために。
肩は非常事態を伝える信号として。


料理を待つときの姿勢、
あるいはその発展形としての食事をするときの姿勢を、
こう考えてみてはどうでしょう?

背中を従業員のために。
胸元は一緒に食事する人のために。
肩は非常事態を伝える信号として。

レストランの客席で働いている人にとって、
それぞれの食卓のお客様の現在の状態を
どこを見て判断するか?
表情? 見えないですね。近づかない限り。
ウェイターやウェイトレスの目に
最初に飛び込んでくるお客様の情報は「背中」です。
だから背中は従業員のために!
凛として姿勢を崩さず食卓に向かう人を見た従業員は
どう思うでしょう?
真剣に作った料理、真剣に行ったサービスに対して
真剣に立ち向かってくれるすばらしいお客様、
と思うでしょう。
何よりも自分を律するトレーニングをしっかり果たした、
尊敬に値する人間、として見てくれる筈。
しっかりと伸びた背筋には
まず優先的にサービスしたくなるし、
ゆるぎない後姿に拍手したくなる気持ちで一杯になります。

食卓に肘をつく?
レストランに来る前に
フィットネスクラブにでも行って
背中を鍛えていらっしゃい。

それでは一緒に食卓を囲んでいる人たちは、
あなたのどこを見て時間をすごすのか?
というと、それは胸元ですネ。
顔? そんなもの5分も見たら飽きちゃいます。
何よりそれほど親密でもない人たちが、
顔だけを見つめ続けるなんて、
恐ろしい光景でしょ?
かといってテーブルクロスの柄だけを一生懸命見ている。
‥‥気の進まないお見合いじゃないんだから、それも駄目。
で、胸元です。
相手に対して関心を持ちつつ、
不躾で無遠慮じゃない適切な場所といえば、胸元なんです。
男の人が発明したネクタイというものは、
非常に正しく「あなたに無関心じゃないんですヨ」
と言う目線を作りだすのに優れた服飾品です。
一緒に食事する人をおもてなしするつもりで、
胸元をせいぜい、華やかに彩る努力はしましょう。
レストランのお洒落で、
どんなに素敵なスカートをはいても意味が無い。
あまりに短すぎるスカートというものは
斜め前に座る見ず知らずのオジサンに対しては
特別な意味をもつのだろうけど、
それはそれで厄介なもの。
だから胸元。上半身です。

肩?
どういう意味かというと、
肩という部分は上半身の中で
一番饒舌にその持ち主の感情を表現する場所なんだね。

肩を落とす。
肩を張る。
肩を怒らせる。
肩で風を切る。
肩の荷が下りる。
肩をすくめる。

ざっと考えただけでこれだけの肩に絡んだ表現があります。
料理を食べた瞬間、肩を落としたお客様。
お店に入ってきた瞬間、肩を張ったお客様。
‥‥びっくりするでしょ?
もしあなたがその店で働いていたら、
お客様の肩の表情が気になって仕方ないはず。
だから、もしもの時のために
「肩の力」は取っておきましょう。
というコトは?
肩の力を抜いて、みんなで楽しく。
これが肝要! なによりスマートに見えるんです!

これで「待つ」姿勢は完成です。
次回は、さあ、まず手に取るのは‥‥
そう、これはわりとみんなが悩む
「ナプキン」です。
あなたは、どのタイミングでナプキンを取りますか?

illustration = ポー・ワング




テーブルの上に置いてあるナプキンは
どのタイミングで手に取ればいいんだろう?
悩んだことはありませんか。
テーブルについたらまずナプキンを取る、
と書いているマナーブックもあるし、
いやいや何か一番最初に
口に入れるものが出てきた時でいいんだよ、
という人もいます。

ボクはこう考えるようにしています。

ナプキンはライブパフォーマンスにおける
「ステージの幕」である。

待つときはお行儀よく、
背筋を伸ばしてネ。


劇場に入るでしょう?
ロビーや劇場のしつらえを悠々と眺めながら、
プログラムに目を通しながら、
今日はどんなパフォーマンスを
楽しむことが出来るんだろう、と思っていると、
幕の後ろからオーケストラの
チューニングの音が聞こえたり、
大道具の最後の調整をする音がしてきたりと、
いろんな気配を感じながらドキドキしますよネ。
緞帳があがると同時に、
それまでの期待が一挙に現実となって
ボク達を襲う‥‥というのが、
ビデオや映画なんかでは味わうことの出来ない、
ライブパフォーマンスの醍醐味です。

レストランでお食事、というのも
まるで同じくライブパフォーマンスの一種だ、
とボクは思ってるんです。
店の設(しつら)え、メニューを眺めること、
厨房から料理を作る気配を感じること。
劇場における「待ち」の状況と
驚くほど似ているでしょう?

劇場にあってレストランに無いもの、
それが「幕」であって、
レストランにおける劇場の幕=ナプキンだ、
とボクは考えているんです。

贅沢だとは思いませんか?
劇場の幕は観客に有無を言わせず一斉に上がります。
でもレストランでは、お客様が自分の意思で幕を上げ、
下ろすことが出来るのです。
まあそれだけに演ずる方の苦労は
大変なものなんですけれどネ‥‥。

私はもう料理を楽しむ準備が出来ました、
という合図にナプキンを取る。
大抵が注文をし終えた後、
ということになるでしょう。
お店によっては、一番最初に
アミューズと呼ばれるお通しのような小さな料理が
出ることがあるけれど、
そんな時以外は、注文をし終えたときで大丈夫。
ああ、一仕事終えました、
あとは美味しい料理に身を任せるだけ、
というような安堵感と一緒にナプキンをひろげる。
これが一番スマートでしょう。

幕は、いったん上げたら
最後まで下ろしちゃいけません。


ナプキンの扱い方に関する様々な面倒なことは
いろんなマナーブックに書いてあるでしょう。
だからココでは言及するのはよしましょう。
ただ覚えておいて欲しいことがひとつ。

「一旦、幕を上げたら、
 舞台が終わるまで下ろしちゃいけませんよ!」

レストランで食事の幕を下ろす、というコトは
ナプキンを始まりの状態まで戻すということ。
つまり一旦、ナプキンを膝の上にひろげたら、
食事が終わるまで絶対、食卓の上に戻さない、
と言うコトです。

食事をしていて中座する必要に迫られることがあります。
トイレに行く。
化粧直しをする。
あるいは急にかかってきた携帯電話を取る。
いろんな場面で中座する必要性に襲われることがあります。
そんなとき、ナプキンはどこに置くか? というと、
椅子の上にクシャクシャと丸めて置いておく。これは
「まだ私は食事を堪能している途中です。
 このナプキンをワタシの身代わりに
 おいておきますから、よろしくネ」
という合図です。

何人かでテーブルを仲良く囲んでいるときはまだしも、
もしあなたが一人で食事していて、
なんかの都合でテーブルを立ち、
その後にキレイに畳まれたナプキンが
テーブルの上に乗っかっていたら、
戻ってきたとき、
間違いなくお店の人が飛んできます。
お勘定書きを抱えて、
「お客様、何か不都合がございましたでしょうか?」
と心配顔に飛んできます。
気をつけましょう。
そんなつもりはなくても、
ナプキンをテーブルに戻すと言うことは
舞台においての幕切れを意味する行為なのですから。

東京の西新宿、超高層ビルのホテルの
最上階のダイニングレストラン。
夜になるとジャズのライブが入るバーを併設した、
恐らく日本で最も景色が良く、
またアメリカンスタイルのスマートなサービスが売り物の
‥‥とここまで書くと勘のいい方は、
ああ、あの店だなと思われるでしょう。
その店のランチタイムは、
前菜とデザートがバフェ(Buffet)、
メインディッシュが厨房からサービスを伴って、
という変則的なシステムで、
またそれが人気を呼んでなかなか予約の取りづらい
話題のレストランです。
バフェ、というコトはセルフサービスですから、
どうしても席を立たなくてはなりません。
一回の食事で少なくとも前菜の時に一度、
デザートの時に一度と、二回は席を立つことになります。
そのたびにナプキンをクシャクシャと丸めて
椅子の上に残します。
レストランの真ん中の壮大なバフェカウンターの
料理に心奪われて、しばしテーブルを空にして、
戻ってくると、あーら、不思議、
ナプキンがきれいに畳まれてテーブルの上に置いてある。
最初はそんなこともあるのかなぁ、と思いながら、
でも再び席を立って戻ってくると、
またナプキンがきれいになってお皿の上にのっている。
どうしたんだろう?
怪訝な顔で、まわりを見渡す。
見ると隣のテーブルでお客様が立ち上がった瞬間、
ウェイターがやってきて、
クシャクシャのナプキンを畳み直して
テーブルの上に置いている。
‥‥これがここのサービスです。
サービスがなってないんじゃないんですよ。
戻ってきたお客様は、ボク達と同じように
怪訝な顔をしながらも、再びナプキンを
パンとひろげて食事を始めています。
そう、このレストランは、
何度も何度も幕を上げることが出来る楽しみ、
何度も何度も、いらっしゃいませと言われる楽しみを、
たったナプキン一枚で演出しているんですネ。
素晴らしいことでしょう?

最後は「クシャ」でOK。
でも美しく、ネ。


ナプキンでのメッセージは、世界共通の言葉です。
中座するときナプキンを無造作に椅子の上にポン。
帰ってきたときにそれがキレイに畳まれて置かれていれば、
自分達はお店の人から気配りをされている、
という証になります。
しかもです。
自分が残してきた同席の仲間は、
ナプキンを畳みに来てくれたお店の人と、
一言二言、会話を交わしていたに違いない。
バフェでないかぎり、
中座という行為は申し訳ない行為であるけど、
でも「サービスと会話のキッカケを椅子の上に残した」
というコトで帳消しになるんじゃないかな?
と思ったりもします。
だからナプキンは椅子の上にクシャ!

食事が本当に終わって、お勘定も終わって席を立つとき、
その時はテーブルの上にナプキンを。
同じように無造作におきましょう。
「ご馳走様!」の合図です。
ナプキンはどのように使ってもいいけれど、
その最後の瞬間、あまりに見苦しく汚れた布切れを
テーブルの上に残したくはないでしょう?
だから、口をぬぐうにしても気を使って、
美しく汚れるように工夫しましょう。
なんといっても「幕切れは美しく」、これが大切です。
(その方法は‥‥? それはこの連載の範疇外。
 あなたの手近のマナーブックの
 「ナプキンの使い方」の項目を参考にして下さいネ。)

さあ、ナプキンをパン! と開いて、
幕を上げましょう。
あなたとあなたの友達と、
そしてレストランの素敵な人たちとが繰り広げる
素晴らしい舞台の始まりです。

次回からは、これもなかなかの難題とされる
「ワイン」のお話をします。
あなたは、どんなふうにして、選んでいますか?

illustration = ポー・ワング




「注文をし終えました。
 ナプキンを拡げて料理を待ちましょう」
というのが前回までのお話。
あれ? なにか足りないような気がします。
そうですね。
その時のテーブルの上はどんな状態でしょう?

料理があるわけじゃない。
たいていの場合、パンもない。
お水すら置かれていないことがほとんどで、
テーブルクロス以外何も見当たらない、
というような殺風景な状態です。
そんなテーブルを囲んでただひたすら待つ、
というのはあまりにさみしい。

何かをテーブルの上に置きたくはならないですか?

だからワインリストを貰いましょう。

ワタシ、ワインは頂けないから‥‥。
なんて無粋なことを言っちゃいけません。
どんなワインを取るのか、
あるいはワインでなくどんなお酒を飲むのかは
この際、問題じゃないんだネ。

眠っているテーブルより
動きのあるテーブルになろう。


リストを貰う。
これだけで殺風景は幾らか和らぎます。
なによりまたしばらく分の暇つぶしの材料が出来ます。
だからリストを貰う。
和食のお店なんかでワインリストが無い場合は、
お酒のリストなんかでも構わない。
暇つぶしの種を一生懸命さがして、貰うんです。

レストランにはあなたの座っているそのテーブル以外に
沢山のテーブルがあります。
物凄く、本当に目の飛び出るほどに
もんのすごく高級なレストランの場合、
ひとつのテーブルにサービス係が
ひとりついたりしますから、
別にこれから言うようなことを
気にする必要はありません。
だけど、たいていのレストランは
ひとりで3つから4つくらいのテーブルの
サービスを掛け持ちしています。

「全部のテーブルをまんべんなく
 公平にサービスする」

これが良いサービスの建前だけど、
それはあくまで建前であって現実じゃない。
人間はそんなふうに器用には作られていないからネ。
ちょっとした物忘れとか、ちょっとした気まぐれで、
あるテーブルには最上級のサービス、
それ以外のテーブルにはごく普通のサービス、
というコトになったりするんです。

つまり得するお客様がいたり、
損するお客様がいたりするのは仕方ないことなんです。
これが現実。

なんでそういうことが起きるのか、
レストランサイドの目線で考えてみましょうか。

レストランのプロのホール係の目に、
それぞれのテーブルがどう見えているか?
ということを考えてみましょう。

1)動きのあるテーブル
2)眠っているテーブル

彼らにとって、レストラン全体のテーブルは
このふた通りに区別されたイメージとして、
頭の中に格納されています。
眠っているテーブル、というのは
何も置かれておらず、
当然、お客様も特別なアクションを
起こそうとしていない、そんなテーブル。
いくつかのテーブルを眺めながら、
何かサービスを必要としているお客様はいないかな?
と、行動のきっかけを探すサービススタッフの目は、
自動的に眠っているテーブルを
スキップする(飛ばして見る)ように
プログラムされています。
だからテーブルに何も置かない状態で
さみしくさせていたら?
そのテーブルはスキップされてしまい、
サービスされるきっかけを失ってしまうんです。
もったいない!

料理がくるまでサービス係に見捨てられる、
なんてこと、耐えられないでしょう?

だからワインリストだけでも貰って、
みんなで眺めることです。
へぇ、こんなに高いワインもあるんだ、とか
これ飲んだことあるような気がする、
とかって言いながら、
それだけで最高の暇つぶしになりますから。

お気に召したワインはございましたか?
と訊かれたら‥‥!?


そう、暇つぶし。
レストランという場所は、
暇を持て余した人達が編み出した
暇つぶしのための装置だ、とボクは思ってます。
忙しくて仕方ない人はワザワザ、
ボクが今まで書いてきたようなことを
喜んでするはずはないですからネ。
普通に忙しい人がスケジュール帳を開いて、
今度はいつ外食しようかな、と
舌なめずりしながらページをめくるのは、
忙しがっている自分に
暇というプレゼントを奢ってやろうとする行為だ、
と思うんです。
例えば料理が出てくるのを待つ、という行為。
暇でなくちゃ我慢出来ない!
というか暇を楽しむためにやってきた
レストランなのだから、
沢山待たせてくれるレストランであればあるほど、
優れた暇つぶしの場所なんだ、
とうそぶけるくらい覚悟を決めて
待つことを楽しむといいんです。

その気になって見渡せば
レストランの中にはたくさんの
暇つぶしの種が転がっているし、
暇つぶしの相手を喜んでしてくれる
従業員がいてくれるわけですからね。

ワインリストを眺めながら
あれこれ楽しげに話をしていれば、
自然にサービススタッフが、
もしもいればソムリエが
近づいてきて話しかけてくれます。
暇つぶし、つまり楽しく待つための
手助けをしにやってきてくれる。

お気に召したワインがございましたか?
とか言われたら、知ったかぶりは駄目です。
もしもあなたがワインに対する
豊富な知識と経験があるか、
あるいは大胆不敵な決断力の持ち主であるなら、
堂々と飲みたいワインの名柄と
ヴィンテージを告げればよいでしょう。
もし何を飲みたいかが決められなければ?
正直に今日の気持ちを打ち明けてみましょう。
例えばこんな具合に。

「今日は一本を大切に飲みたいと思います。
 だから力強くてしっかりした味わいのワインを
 お願いできませんか?」

のような感じ。
「力強くてしっかり」の部分が
「華やかだけど軽やか」でもかまわないし、
「饒舌でキラキラした」でもかまわなければ
「個性的で気難しい感じ」でもかまいません。

ちょっと余談‥‥。
こうやって挙げてゆくと
ワインを表現する言葉は女性の特徴を表現する言葉に
とても似ているのにびっくりしませんか?
ボクは不幸にも
男性だけで食卓を囲まなくてはならない
はめになった時は、必ず
「その場にいてほしかった女性」
をイメージしながらワインを頼みます。
するとその食卓に本当に
そうした女性が座ってくれたかのように
花が咲くから不思議です。
そのうち
「当然、同席の女性は多ければ多いほどいいよね」
とか言いながら、次々異なる個性の
ワインを抜くこととなるんですけれど。
あまりに興が弾んで
それこそテーブル一杯にワインの空き瓶が
並ぶようなことになったら、
まあかしましいことかしましいこと。
頭の中で何十人もの女の人がいっせいに笑ったり、
しゃべったり、泣きわめいたりするような
気分になってしまったりネ。
まあ人はそれを称して
「酔っ払った」というのだけれど‥‥。

女性ばかりのテーブルだったら?
そうだ、私みたいなワインを飲んでみよう、
と思うのもいいかもしれません。
ただその「私みたい」を形容する言葉を探してみたら、
「退屈で陰気でつまらない」
になったとしたら、そりゃ困りものだけれど。
‥‥そんなことはないよね。

なぜワイングラスの背は高いのか?


ワインを頼む。
ワインが運ばれ、栓が恭しく抜かれ、
しかるべき様々な手順の後にグラスに注がれる。
それはそうと、なんでワイングラスって
あんなに足が長くて、高い位置に口があるんでしょう?
考えてみたことはありますか?
ワインというデリケートな飲み物が
様々なものから影響を受けないように
高い位置に置くんだ、とか、
あの細くて長い足を摘んで傾ける、
その緊張感が女性の手首を美しく見せるからなんだ、
とかあれこれいろんないわれがあります。

それらはそれぞれに正しいと思うけれど、
でも僕は
「ワインの液体が高い位置にあればあるほど、
 中身の減り方が確認しやすいから」
あのような形にグラスが進化したんだ、と思ってます。
テーブルに根を生やしたように寸詰まりのグラス。
よほど近づいて覗き込まなくちゃ、
中身がどのくらい減ったか
確認することは難しいでしょうから。
でも足長のワイングラスならちょっと減っても
その減り具合が遠くからでもわかる。
つまりお店の人に、そろそろ注いでくれませんか?
と、あなたが言わなくても
グラスがサービスをおねだりしてくれる、
それがワイングラスの形状だ、と思うのです。
だから高いワインを思い切って頼むと、
テーブルの上のワイングラスが大げさに大振りで
背の高いものに交換されたりします。
お店の人は、
「ありがとう、今日は素晴らしいサービスの
 きっかけを与えてくれて」
と気合いが入るし、頼んだお客様も
「お願いね、今日は期待してるよ」
と、目を輝かす。
足の長いワイングラスに注がれたワインというのは、
より濃密なサービスを引き出すきっかけであり、
素晴らしい時間の扉を開くパスポートでもある。
だから、出来ることならワインを頼みましょう。

では次回は「ワインの選び方」をもうちょっと詳しく
お話しします。


illustration = ポー・ワング



ところでワインって、
だいたいいくらぐらいのものを
どのように選べばいいんだろう?

ワインにすごく詳しい人ならともかく、
ふつうなら、誰もが浮かべる疑問ですよネ。

そんな時、まず自分は今日、
どんな目的と期待感をもって
レストランに来たのかを思い出してみましょう。

1)食事することが目的でレストランに来た。
2)食事を楽しむのが目的でレストランに来た。
3)食事と贅沢な気持ちを味わうことが目的で
  レストランに来た。
4)特別な出来事を祝うつもりでレストランに来た。
5)酒を飲みに来た。

レストランを使う際の言い訳の代表的なものを5つ、
挙げてみました。
ワインに配分されるべき予算は、
これらの利用動機によって決まるんですね。

目的とワインの値段の関係。
これは覚えておきましょう。


まず「食事することそのものが目的」の時、
例えば食堂で定食を食べる、というような場合です。
このとき、基本的にワインは必要じゃない。
予算=限りなくゼロ、ということでよいでしょう。
お腹一杯になることが目的なのですから。
ただ、というのか、だからというのか、
この時、濃密なサービスは期待しちゃいけない。
期待すべきはおいしい料理であって、
サービスではない、と割り切る姿勢が必要です。

次いで「食事を楽しむのが目的」の場合、
その楽しみの中には
「気の利いた会話」と「素敵なサービス」が
必須条件として含まれているはずだから、
ワインは欲しいところですね。
たとえば二人で食卓を囲んだとしましょう。
ワインを1本、あるいはあまり飲めなければ
ハーフボトルを1本、というのが現実的な分量でしょう。
予算は、1人分の食事代、と思ってみてはどうでしょう。
例えば、3800円のプリフィックスを頼んだら
一本4000円前後のワインを頼む。
これがちょうど良い料理と
ワインの品質のバランスだと思います。
だから、3800円のコースを売り物にしているのに、
一番安いワインでも6000円以上、
とかというワインリストを持っている店は
誠意のない店だ、と思っても良い。
大体、レストランのワインというのは
料理とのバランスでそろえられるべきであって、
高ければいい、というものじゃないから。
どんなに美味しいと言われ、
流行と思われているワインでも、
自分のお店の料理とバランスが悪いものであれば
取り扱わないことが、
良識あるレストランのすべきことなんですね。
一人前の料理よりも遙かに高いワインばかりを置き、
売りたがる、という店は
ワイン好きを対象としたワインバーであって
レストランではない、そう思っても良いくらいです。

「贅沢な気持ち付きの美味しい料理」を食べに来た、
という場合には、ちょっといいワインを奮発しましょう。
予算は同じテーブルを囲む人たちの料理代金の総合計、
と考えると良いでしょう。
さっきの店であれば、
3800円のプリフィクスを2人で食べて
7600円だから、ワインは8000円前後。
そこそこによろしい出来のワインが楽しめる値段でしょう。
もし3人で行ったとしたら、
3800円×3=11400円というワイン予算。
これを一本で豪勢に費やすか、
それとも6000円前後のワインを2本飲むか。
徹底的に悩みましょう。
例えば、1杯1200円のグラスシャンパンを
まず1杯ずつ飲んで、8000円前後のワインを抜く、
という選択肢も考えられます。
どのプランで行こうか考え始めると
もうてんやわんやの大騒ぎになるはずです。
お店の人も巻き込んで、徹底的に悩みましょう。
「贅沢な気持ち」の中には
「楽しく悩む」も含まれているのですから、
心おきなく悩みましょう。

「何か特別な機会の会食」となると、
ワインに費やす予算の考え方はきわめて柔軟になります。
もう「懐の許す限り」という具合になるのですが、
でも、料理とのバランスを
あまりにも無視する訳にはいきません。
ワイン1本当たりの予算は1人分の料理代金の
せいぜい2倍まで。
これがスマートな考え方です。
後は何本飲むか、の問題になるでしょう。
程度をすぎて、ひとり2本も
ワインをあけてしまうような状況は、
すなわち「酒を飲みに来た」状態ですからネ。

これでめでたく5つの代表的なレストランの使い方別
ワインの予算に関する一考察の完了、
ということになります。
それでは次に、
「どのようなワイン」を選べばいいのか?
を考えてみましょうか。

あなたはあなたの好きなワインを。
それがいちばんです。

じゃ、どうやってそれを探す?


ワインの頼み方にはいろんなルールがある、
と言われています。
曰く、
「料理に合わせるとすれば」ああとかこうとか、
「季節を考えると」どうこう、
「このワインとあのワインの相性が」なんだらかんだら。
ひとつひとつ覚えていると頭の中が一杯になっちゃって
毛穴から溢れ出しちゃいそうなほど、
いろんなルールがあります。

アドバイスです。
そんなものとりあえず忘れちゃいましょう。

そうしたルールは、
ワインを飲むことを仕事にしている人だったり、
1年に100本以上もワインを飲む生活を
している人だとかが、勝手に考え出したことであって、
私達はもっと純粋に
「自分の好きなワインを飲む」
ということに徹すればいいと思うんです。

まじめに勉強するにしても、経験をある程度積んでから、
でいいんだと思うんです。

私の友人に非常に聡明な女性がいます。
彼女はレストランに行くとき
必ずハンドバッグの中に
2枚のエチケットを入れていきます。
エチケットというのはワインのラベルのことです。

ちょっと脇道にそれてもいいですか?
フランスの王朝時代、現代人の感覚で言うと
恐ろしく不潔な時代だったと言われます。
例えば、驚くことにベルサイユ宮殿にはトイレはなかった。
お丸をまたいで、排便したらその内容物を庭にまく。
これが当然であった時代です。
そんな時代の晩餐会‥‥!
それはそれは大変な出来事だったのでしょう。
だって宮殿に招かれた人たちは貴婦人であれ騎士であれ、
自然に呼ばれると庭の灌木の間に入っていって、
用を足すほか、術がなかった。
それがひとりやふたりなら
問題にもならぬことであったのでしょうが、
大きな晩餐会となると何百名もが勝手に
いろんな場所で用を足す。
そりゃあ、シャンゼリゼ通りにおける犬の糞、
どころの騒ぎじゃなくなります。
困った、というので、宮殿の特定の場所をトイレと決め、
それ以外のところで用を足すのはご遠慮いただきたい、
という意味の札が立てられました。
その札の名前がエチケット。

この話にはエレガントバージョンがもうひとつあって、
それは宮殿の庭でご婦人方に贈るための
花を手折る紳士が余りに多く、
庭師がココでは花を摘まないように、
と札を立てたのがエチケットの語源、
というものなんですが、
ボクは人間としてより切実な逸話の方が面白くて好きだな。

時代が流れ流れて、
「人前でしてはならぬことと、
 しなくてはならないことの境界線」
の集大成である、現在のエチケットという言葉の
これが語源になりました。
また一方で、「内容を示す札」という、
もともとの言葉の意味そのままに、
ワインのラベルを表す言葉にもなったんです。
豆知識ということで、今度、
ワインを抜くときにひとくさり、
使ってみてくださいネ。

で、彼女は5000円で飲んで
ものすごく美味しいと思った
カリフォルニアワインのエチケットを1枚、
もうひとつは1万円と値段が張ったけれど、
自分のワイン観を決定づけたと
心から信じている北イタリアのメルロー系の
ワインのエチケットを1枚、
バッグの中に忍ばせて、戦いに挑むのですね。
これからワインを頼もうと言う段になると、
やおらその日のお料理の予算に合わせて、
どちらか一枚を選んでお店の人に手渡しながら、
「私はこのワインがとても美味しいと思ったのですが、
 今日、お願いしたお料理に合うもので
 このワインに近いものがあれば
 勧めて頂けませんか?」と言うんです。
笑顔を添えて。
彼女はこのエチケットの裏側に、
今までいろんなお店で勧めてくれた
そのワインに近しい味わいの、
しかしながらそれぞれ異なる特徴を持った
ワインの銘柄をお店の人に書いてもらいます。
だから、そのエチケットには
何枚かの紙切れがくっついて分厚くなっているのですが、
それを確かめると
たいていのお店のソムリエは襟を正して、
彼女の好みに合いそうな素晴らしいワインを
セラーから数本、抱えて出てきます。
そして一本一本、丁寧に説明をしてくれ、
根気よく、彼女のリストの
最後の一行を飾るにふさわしいワインを選ぶ
手伝いをしてくれるんですね。
時にそれは南半球の一風変わったものであったり、
フランスのへんてこりんな
ヴィンテージのものであったり、
思いもよらぬサジェスチョンに出会ったりするけれど、
彼女はそれを確実に思い出に変えてゆく。
お店の人に書いてもらった最後の一行の傍らに、
必ず一言自分の感想を添えて書き、
日付を書いてバッグに戻します。
お店の人のサジェスチョンを信じて、
失敗したことはないの? と聞くと、
「失敗も立派な思い出」と胸を張って言います。
そしてその時はコメントの代わりに×印をつけて、
次の1本を選んでくれる人へのヒントにするそうです。

彼女はそれを宝物のようにしています。
それで彼女はワインの知識が豊富になっているか?
というとそんなことはないのがご愛敬。
「ワインの勉強はしないの?」と聞くと、
「そんなことしたらソムリエさんの仕事が
 なくなっちゃうじゃない。
 私はいろんな人からワインの話を聞くのが好きで
 レストランでワインを頼むんだから、
 自分の楽しみを自分でなくしてしまうような
 余計な努力は一切しないの」
と言うんだね。

そう。
僕たちはワインを楽しめばいい。
難しく考えるのでなく、楽しめばいいんです。
予算と好みという明確なガイドラインを決めさえすれば、
あとはお店の人と共同作業。
身構えるのは損。
心構えさえしっかりしていればそれで良し。
そう思えばいいんです。

今日は長くなりました。
次回は‥‥まだまだ「ワイン」が続きます。
ワインの楽しみ方、を。


illustration = ポー・ワング




あなたは首尾よく、
今日の気分にぴったりのワインに
ありつくことができました。
さあ、どう「楽しみ」ましょうか?
是非、銘々に今、口の中にある
ワインの印象を言葉に出して言ってみてください。
どんなつまらないことでもいいですよ。
気が付いたことを自分の言葉で。
私はこう思う、と。

一口含んで、
「草原を吹く風の匂いがする」とか?
ちょっとかっこよすぎるかもしれないですね。
じゃあ草原を吹く風の匂いってどんな匂いよ、
って言われるかも。
そんなこと説明しようがないに決まってるけど、
でもそんなことを言ってみましょう。
例えばそれに続いて、
「うん、わかるわかる、時折、
 カウベルがカランカラン鳴るのが
 聞こえるって感じかな?」
「柔らかな風味に乗って無機質な刺激、
 ってことね。
 ワタシ、好き。このワイン」
「そうかなぁ、私には土っぽく感じるなぁ。
 草って言うより土?」
「ふーん、じゃああなたのとこだけ多分、
 草が枯れて土が剥き出しになっちゃったのよ」
で、一同爆笑。

ははは、安っぽい舞台の
シナリオのようになっちゃったけど、
これこそ素晴らしい暇つぶしでしょう?

こんなふうにふるまっちゃ、
いけません!


ボクのお気に入りのレストランで
笑い話のような出来事がこの前ありました。

なかなかに美貌の女性が
中年の男性を伴ってやって来ました。
さまざまな状況に目をつぶれば
「女性が男性に伴われてやって来た」
というのが適当なのだろうけど、
ボクは断じてそのような月並みな表現は取りたくはなく、
その堂々たる態度、一貫したイニシアティブの取り方、
なによりも手慣れた注文の作法を目の当たりにすれば、
彼女が彼氏を伴って来たという事実は一目瞭然。
おねだりされた男はもう彼女の言うなり。
ワインリストに一瞥くれるやいなや、
驚くほどのワインを頼みます。
もちろん、高いやつネ‥‥!
誇らしげに大声でそのワインの名を告げるから、
店中が「おおっ」というどよめきに包まれました。

注文のワインが、セラーから届きます。
一瞥。
ラベルを指でなぞりながら
「いいビンテージよネ。軽やかな年」
と一言。

ほれぼれしたね。
嫌みだけど、なかなかのおんなっぷり。

抜く。
注ぐ。
当然、テイスティングワインは彼女の手元で、
そこからが見物だったね。
彼女の、そのグラスを頭上に掲げて
ぐるぐる回す様(さま)。
フラメンコかなんかを踊り始めるのかと思った。
それくらい勢い良くグラスを回す。
それもグラス底を見つめながら。
目が回ってワインを飲む前に
酔っ払ってしまいそうなほどぐるぐるグラスを回して、
ゴクっと飲む。
音がするくらいね、勢いよくゴクっとやって、
バタンとグラスを置いて、こう言い放った。

「思ったほどじゃなかったわ。
 別のをちょうだい、もっといい奴」

ワインを抜いてそれが気に入らなかったら
別のを貰うことは失礼でもなんでもないんだよ、
とよく言われるし、ボク自身、
テイスティングに際して50回に一回くらいの割合で、
これ変ですね、替えて下さい、と言いたくて
仕方ない衝動に駆られることがあります。
‥‥でも、できない、そんなこと。
それを、このおんな、軽々としやがった、
とびっくりしたね。
うらやましくはなかった。
ただびっくりした。

彼女達が帰ってそのお店のマダムに、
ああいった場合、2本分のお金を頂戴するんですか、
と聞いたら
「本当は3本分、貰いたいところなんだけど、
 2本分で我慢したわ。本当に失礼しちゃうわよね」
と言いました。
で、2本目はどんなワインを出したの? と聞くと
「たいしたことないけど高いだけのワイン。
 うちの料理には合わないんだけど、
 たまに有名なワインはないのか、とか、
 高けりゃいいんだってお客様がいらっしゃってね、
 そんな人のために置いてあるの。
 嫌いにならないでね、うちのこと。
 これも商売だから」って。
ああ、どの店も大変なんだな、って思いました。
客商売って大変なんだ。
嫌われたかったらこの客を真似しましょう。
お店の人に塩をまかれたかったら、
横柄な態度で知ったかぶりをしてみましょう。

自分の感想を素直に言うこと。
それがよいサービスを受けることにつながる。


レストランで提供されているあるとあらゆるものは、
「良い・悪い」とか「正しい・正しくない」
という基準で云々されるものではないんです。
味にしたって量にしたって、
すべて食べる人の好みで良くもあれば悪くもなります。
だから料理とかワインとかは
「好き嫌い」で判断されるべきであり、
感情に素直になれないかわいそうなおじさんたちは
必死でヴィンテージがどう、とか産地がどうとか、
挙句の果てに1本何万円だとか、
という知識と情報を頼りに注文したり
評価を下したりしがちになるんです。
これはね、男が好きな車を云々する際に、
必ず排気量が何ccだとか
最高時速がなんだらかんだらとか、
性能スペックを基準にしなければ
評価の一つもできない退屈さに似ています。

レストランのさまざまを車のように語るのは
大きな間違いです。
なのにワインを車のように語りたがる人が非常に多く、
それは心からレストランを楽しむことができない
退屈な人達が、
そうじゃない幸せな人達に仕掛けた巧妙な罠、
だとボクは思う。
だからのっちゃいけません。

男性より女性の方が外食を楽しむことができる、
と言われるのは女性の方がより
「好き嫌い」という感情に忠実だからです。

食べたらその時の感覚を正直に言葉にしてみる。
2人で同じ物を食べ、
2人がそれぞれの感想を言い合えば、
そのおいしさは2倍になります。
3人なら3倍、4人なら4倍。
これがレストランで食事する醍醐味なんだね。
だからこんなことを言ったら笑われるかもしれない、
とか素人と思われたらどうしよう、とか心配しないこと。
知ったかぶりは駄目だけど、
萎縮して自分の感じたことも言えないようでは
情けないというものです。

ワインのテイスティングは
お店の人とお客様との
信頼関係の始まりの儀式でもあります。
自ら抜栓したワインを口に含み
味わうお客様を心配げに見つめるソムリエの目を見て
「素晴らしいです」と穏やかに答える瞬間は、
ワインが素晴らしいということでなく、
あなたを信頼いたします、
あとはよろしくお願いします、
と告げる瞬間であるんです。
そう思いましょう。
同時にそれは、あなたが寛容で
信頼に値するお客様であるということを
お店の人に知ってもらう瞬間でもあるのです。

あとは再びこの章の最初に戻って、
あれこれワインに対する
勝手な感想を言い合って料理を待ちましょう。
一杯のワインを話の種に、
あれこれ盛り上がって楽しそうなテーブルを見、
聞いたお店の人はこう思います。
ああ、早くあのテーブルの人達に
料理をサーブして差し上げたい。
うちの料理をあの人たちは
どんな表情で迎えてくれるだろう。
どんな言葉で表現してくれるだろう。
わくわくしながら次のサービスの
きっかけを待ってるんです。

ところで、もしワインが飲めない、
飲みたくない、飲むべきものが見当たらない。
これらのいずれかに該当してしまったら?
さあ、どうしましょう。
次回はそのお話です。
「ワイン以外は頼んじゃ駄目?」

illustration = ポー・ワング