「今日のダーリン」善は待てよ?


ほぼにちわ。

10月2日の「今日のダーリン」で糸井重里は、
いつも聞いている吉本隆明さんの言葉から、
「善いこと」をする時のこころ構えについて、
自分がどうありたいか、述べていました。

これを読んだ読者のみなさんの多くも、
自分と「善いこと」について、
またどうありたいかについて、
メールを送ってくださいました。

では、その「今日のダーリン」と
みなさんのメールをご紹介いたします。

2009年10月2日の「今日のダーリン」

・「なにか善いことをしているときは、
  ちょっと悪いことをしている、
  と思うくらいでいて、ちょうどいいんだよ」
 というのは、吉本隆明さんがよく言うことで、
 これは、ほんとうにそうなんだよなぁと思うんですよね。

 いいことというか、善行というようなものは、
 誰に恥じることもない「善いこと」に決まってるわけで、
 それをしているじぶんを強くしてくれたりします。
 そして、善いことをしているじぶんは、
 守られるべきだし、それをしていない人は
 悔あらためるべきであるというような気持ちに、
 とてもなりやすいんですよね。

 じぶんが、「善いこと」と思われることを、
 しようかなと思いついたときに、
 ぼくは「善は急げ」と考えないようにします。

 「善は待てよ?」と考えるようにします。
 ほんとに善なのか、誰にとって善なのか、
 善というイメージのなかに、じぶんの怪しい気持ち、
 功名心だと虚栄心だとかを
 紛れ込ませてはいないだろうか。
 じぶんの生来のいい加減なところを、
 追いつめて息苦しくしてはいないだろうか。
 そんなことをしばらく疑います。
 で、「ま、いいか」と思えるようだったら、
 「ひとつの自分勝手なこと」として、やることにします。

 いろんな「善いこと」のお誘いを受けたりするのですが、
 そういうことのすべてについて、
 ちょっとまとめた考えを言ってみました。

・ぼくは、「善いことをする」よりも、
 「あたたかくする」「やわらかくする」「たのしくする」
 というようなことが、得意だし、やりたいことです。
 そういうことが、結果的に、
 「善いこと」につながってしまうのは、
 お恥ずかしいけれど、よかったかもしれない
 ‥‥というくらいのことです。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
小さな焼きいもくらいのあたたかさがありますように。


メールアイコン 二人の男の子の母親をしています。

>「善いことをする」よりも、
>「あたたかくする」
>「やわらかくする」「たのしくする」
>というようなことが、得意だし、
>やりたいことです。

この部分、はっとしました。
「ああ、そうなんだ。そうだったんだなあ。
 あったかいっていいよな。やわらかいって
 自分もひともやわらかくするなあ。」って。
子供と接するとき、ちょっと自分が
落ち込んだときに思い出せるように、
ちゃんと心にしまっておこうって
思った一言でした。
(a)



メールアイコン そうかもしれません。
「正論を振りかざすことで、
 相手を傷つけることがある」、
そのことをきちんと自覚していないといけないと
改めて思いました。
以前、弟に説教くさいことをあれこれ言って、
「お姉ちゃん、いつも正論だ」
って言われたことを思い出しました。
もう何年も前のことです。

正論や常識が、
柔軟な思考を奪っていることもあると思います。
それが正しい、それ以外のことは間違ってる、
そう思って、頭が硬くなってしまうのです。

やわらかい頭でありたい。
今を楽しく過ごしたい。
近頃、そんなことを思っています。
(y)



メールアイコン これまでもやもや感じていたことが、
言葉になって目の前に現れた感じで、
どきっとしました。

「善いこと」をしている人たちに、
脅迫されているような、
責められているような気持ちに
なることがあります。
まるで「善いこと」を武器のようにふりあげて、
周囲を攻撃する人たち。

同じ「善いこと」をしている人でも、
そう感じる人と、
ただあたたかく感じる人とがいます。
そこにある違いは、
「わきまえ」「冷静さ」「謙虚さ」な気がします。
あとは、「照れ」?
「善いこと」を武器にしない人には、
こちらも素直に共感できます。

そして、「善いこと」をする人たちが
ほぼ必ずいう「協力」という言葉。
この言葉は意外にあいまい。
何をすることが協力なのか、
どこまですることが協力なのか。
「協力」という言葉はとても美しいけれど、
そこには、責任や、対価のない、
「奉仕」「寄付」「従う」ことへの期待が
隠れている気がします。
(yu)



メールアイコン 鍼灸師やってます。
「あたたかく、やわらかく、たのしく」。
自分は医療に携わっているためか、
又はたいしたことないのに「先生」と
呼ばれているせいか
「善いことなんだ!!」という意識を
持ち易いように思います。
またそうではないように見える人たちを
こころの中で責めたりもします。
これはやっぱり変ですよね。
善いことをすることで、誰かを責めたり、
そうすることを強要するのは
既に「善いこと」ではないですよね。
いや、どっちでもいいか、そんなこと。
「やわらかい」は大好きです。
こちらの気持ちもやわらかくなりますね。
(U)



メールアイコン 今日のテーマは共感しました。
「善いこと」をしたな‥‥とふと思ったら
なんだか自分がその人(たち)に
それを押し付けてしまったような気がして、
それと自分が偉そうに思えて、
もうちょっと静かに生きよう‥‥と
反省することがあります。

今いる職場はみんなしっかりしていて、
お互いがお互いを尊重しようと
なんだかやりとりもまわりくどいし、
みんなに丁寧に‥‥と思いすぎるあまり
逆の感情を生んでしまうこともあります。
私も実はそんな一人ですが、
どうみても息苦しい感じなので
一人でふざけています。
ちゃんとやるべきことは、仕事ですから
もちろんちゃんと、
そうじゃない自由がきく部分のことは
いたずらっ子のイメージで、
急に頭のネジが吹っ飛びます。
「適当でいいんじゃないですかねー」とか
調子のいいことを言って
その場の硬ーい物事を
やわらかくするというか。
眉間のシワをなくしたいというか。
それで上の人に怒られたとしたら、
「私が言っていた」と言えばいいですから、
といったような。

テレビのニュースの中だけで、
実感できなかったことが
今年に入って嫌というほど
実感するようになったそんな時勢ですから、
みんなダメな方向へ評価されるのを恐れています。
そうなると体も固まって、いいことも
思いつかなくなるような気がします。

私も「あたたかく」「やわらかく」するほうが
好きなのでそれで「たのしく」なれば
何よりだーと思います。
(もどかしい猫舌)



メールアイコン >そして、善いことをしているじぶんは、
>守られるべきだし、それをしていない人は
>悔あらためるべきであるというような気持ちに、
>とてもなりやすいんですよね。

例えば戦争が起こるときなんか、
その傾向があると思います。
大義名分があって、戦争になるんですよね。
でもその大義名分=善いこと、ってなに?
と考えることが、「善は待てよ?」なんですよね。

私の会社の上司も、
本当に正しいことが好きなんです。
「お客さん」「会社の収益」などを
大事にしていて、もちろん、
それは守るべきこと、で、
大事にすることが正しいこと、
なんでしょうけど、
それ以外を全て悪とするのは、
私は、うーん待てよ?です。

自分で明確な「善」を感じるときは、
明確な「悪」も認識するってことなんですよね。
排除する、徹底的にやっつける、
という気持ちに罪悪感なく、なってしまう。
無意識に自分がそうなるのは
怖いことだと思います。
(せざき。)



メールアイコン >「善いことをする」よりも
>「あたたかくする」「やわらかくする」
>「たのしくする」というようなことが得意だし、
>やりたいことです。
‥‥に、にんまりしてしまいました。

私もそうありたいとおもっているのですが、
あんまり得意ではありません。

でも、おんなじさそり座さんの糸井さんが
言ってくださって、
なんだかうれしかったのです。
そうですよね、そこめざしたいですよね!
と思いました。勝手に親近感でした。

私は「わかりやすくする」のが得意です。
自分ではとても得意だなんて
思って無かったのですが、
らくにできて、ひとの役に立っていたら、
それは得意って言ってもいいのかなって、
最近思うようになったしだいです。
もう一歩すすんで、
「やわらかく、たのしく」したいなあと思います。
(tree)



メールアイコン とてもつまらないことかもしれませんが、
嫁姑の関係で最も辛いことは、
独善的ということだったと思います。
善いことをされて、自分はなぜ苦しいのか、
誰にも相談できないのです。
私の場合、同じ経験をした実母がいたので
助かりましたが、善悪は人の歴史や
性分によって決められる主観ですからね。
相手を責める訳にもいきません。

私自身は、末っ子で、お下がりばかりもらって、
好む好まざるにかかわらず
ありがとうを言わされてきたので、
大人になってから、新品でも人に物をあげるのは、
あまり気安くできません。
もしあげても、後で感想なんかは
絶対きかないことにしています。
押し付けられたものなら、
捨てる自由を相手に与えなきゃね。

今日のダーリン、日頃の私の思いと
重なっているようで、とても嬉しかったです。
みんなどの位同じ思いなんかな〜?
(k)



メールアイコン 「善いことをしているじぶんは、
 守られるべきだし、それをしていない人は
 悔あらためるべきであるというような気持ちに、
 とてもなりやすい」

なっていました! そういうことなんですね。
“正義の味方”の気分ですかね。
 「功名心だとか虚栄心だとかを紛れ込ませて」
も、いましたね。確かに‥‥。
これが目的になっている時もあるような。

これまで“善いこと”をしている時に
心にモヤモヤしていたものが
すっきりしたと同時に
自分の人間としてのステージの低さにがっくり。
どんより。

確信を突かれてぎょっとしたので
思わずメールを送ってしまいました。

(やた)



メールアイコン あたたかくなるっていいですね。
良かれと思ってすることでも、
みんなに良かれとはなかなかいかなくて、
ダメ出しの言葉がどこからか聞こえ、
もう何もやらない方がいいのではないかって
よく思ったりするのです。
小さな焼きいもくらいのあたたかさ。
素敵です。
(☆あや☆)



>「善いことをする」よりも
>「あたたかくする」「やわらかくする」
>「たのしくする」というようなことが得意だし、
>やりたいことです。

とくにこの部分について、
感じ入ったことを書かれた方が多かったようです。

よろしければ、この「今日のダーリン」を読んだ
ご感想や、みなさんのメールを読んで思ったことなど、
メールをいただけると、とてもうれしいです。

それでは、また。

2009-10-04-SUN

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