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postman@1101.comから。

【人生の時間と、隣人について】


こんにちは。

今日の「ポストマンから」では、3月下旬にいただいた
マジメで、すこししんみりするメールを、ご紹介しますね!

まず、はじめに、先日、
3月22日の「今日のダーリン」でとりあげられた
「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
というお話についてのメールを、いくつか、お届けしますね。







・私の住んでいる家の隣の神社で
 ピンクの花のつぼみをみつけました。
 私は31歳ですので、割ると10といくつかに
 なるんですが、自分で勝手に解釈すると
 ちょうどお茶の時間ですね。
 私は10時のお茶タイムが好きです。
 午前中の仕事の手を休めて
 ちょっとお腹もすきつつある頃、
 お茶とお茶菓子で、少しだけお腹を満たして、
 あと少し、がんばろうか、って思うときです。
 そしてひとふんばり。
 少し仕事をした充実感と、
 これからまだ1日は長いぞ、どう過そうか、とか。
 色々考える時でもあります。
 夫は41歳なので、ちょうど
 食休みって感じでしょうか。
 私たちはちょうど人生の一休み中どうしなんだなぁ。

 夫は20年勤めた会社をやめました。
 それから転々と職を変えて、
 今の会社に勤め出してまだ1ヶ月です。
 外仕事も経験したし、夜勤も経験して、
 人生の中で今1番がんばっていると言っています。
 人生ぼちぼちですな。
 これからどっちへ向うんだろうって思うけど、
 流れる方へ流れることだろうと
 毎日毎日を幸せに生きています。
 (かぴばら)



・昨日あまりにも天気がよかったので
 ぶらっと公園に行きました。
 桜はまだつぼみだったけれど、つぼみが
 木の枝の一部ではなく、花の蕾らしくなってきていて
 それだけで、うずうずうきうき、してきました。
 わたしは人生の時間でいうと
 午前11時を少し過ぎたあたり。
 そう、「ほぼ日」が更新される頃ですね。
 平日だと、お昼までもうひと踏ん張りじゃー!って
 がががががー!と掃除機かけてたり
 買い物に走ったりしている頃。
 休みの日なら、なんぼゆっくり寝ていたくても
 子どもに起こされて半強制的に朝食を済ませて
 ぼーっと新聞を眺めてたりして
 ゆっくりゆっくり温めてきた体のエンジンが
 平日モードの8割方くらいまで
 まわるようになってきた頃かなぁ。
 今、そばでおもちゃを出せるだけ出して遊んでいる
 我が家の長男・4歳は午前1時を少し過ぎた頃。
 彼はもちろん熟睡してますが
 (さんかく)



・今日のダーリンに便乗じゃあないですが、
 俺の父ちゃんが言ってくれる上がる言葉を
 思いだしたので、送らせて頂きます。
 「おまえらの人生は常に七掛けだっ!」
 今32歳になったばかりの道楽次男の自分に、
 いつもこの言葉を掛けてくれて安心させてくれます。
 つまり32×0.7=21か22
 だからまだ成人したばかりの
 ガキんちょなんだよ、おめーわ、と言ってくれます。
 ただの親ばか発揮しまっくりの父ちゃんかも知れませんが
 ふっとあせりを取ってくれる、余裕をくれる言葉です。
 (甲)



・自分の年齢を3で割る「人生時間」。
 なんかの本で読んだことがあります。
 私は33歳。だから11時なんです。
 結婚だけが人生のゴールだった20代を超え、
 30代も軽く超えた今、
 結婚もせず定職にもついてません。
 でもフリーライターになりたい!
 あきらめられなかったことを、やってしまえー、
 と走り始めた。時刻は11時です。
 お昼時間が少し延長してもいいんで、
 39歳くらいまでは、全速力でがんばりたいな。
 (きょん)



・早速計算してみました、
 今、私が何時にいるのか。
 もうすぐ午後1時になりそうな時間でした。
 数字の12を見た時は、おっ、まだそんな時間?
 と思いましたが、よくよく見ると
 もうほとんど13時で、昨晩遊びすぎて、
 すっかり大寝坊し、起きたらもう
 午後になってた時の脱力感みたいなモノを感じました。
 なんだかまるで私の人生そのものだなあ、って感じです。
 もう、お弁当を作って遠出する事も、
 外出前に掃除・洗濯をすませる事も、
 出来なそうな時間であります。
 でも、まだチョットした事はできそうな時間です。
 だらだらランチを食べながら、
 安売り広告なんかを眺めてると、
 あっという間に3時4時になってしまうので、
 人生という一日を有効に使う為、
 もたもたダラダラなんてしてられないなあ〜
 と、気が引き締まる思いでした。
 頑張ろ〜っと、思いました。
 (しましま)



・今日のダーリン読みました。
 なんだかすごく嬉しくなりました。
 「まだまだ自分を使い尽くす時間はあるじゃない!」って。
 しかも自分の今の時間は朝8時20分。
 行先はまだハッキリとは定まってない。
 決まっても遅刻はするかもしれない。
 それでも全然やる時間はあるぞ、これからだぞ。
 そう自分に言い聞かせることができました。
 (N)





それぞれの方が、淡々と、外の風景なんか見ながら、
じっくり書いてくださっているのが、伝わってきました。
ほんとに、どうもありがとう。

ちなみに、darlingの、
この「3で割ること」についてのコメントは、

「自分の年齢を計算したら、なんと!18時です。
 ゆっくり夕食を考えるのもいいし、
 もうちょっとがががっと仕事してもいい時刻。
 夜中までには、できることもいっぱいあるけれど、
 なんでもできる、というほどの時間はないなぁ。
 ・・・だけど、深夜になってからも
 大活躍している人もいないわけじゃないし、
 がんばんべー、と思いましたよ。
 そのあとは、いろんな知りあいのいる時刻を、
 計算しては、うらやましがったりしていました。
 成人になったばかりの人たちなんかは、
 まだ朝の7時にいるんだもんなぁ。
 なんでも、どうにでもできそうだぞよ。
 あらためて、あなたは、いま何時にいますか?

 ・・・これ、たのしいでしょう?
 やってみると、だいたいの人は、
 「まだまだいろいろやれそう」と思えてくるんだ。
 90歳の人で、30時でしょ。
 つまり、翌朝の早朝6時ですよ。
 日野原重明先生なんかは、そういう時間に活躍してる。
 実際、そういう生活をしている人らしいから、
 これはこれで当たっているようにも思うんだ。
 あの年で、トースト口にくわえて出かけてくような
 ものすごい日々を送っているらしいものね」

コレでした!
・・・さて、次も、ちょっとマジメな特集をお届けです。

3月24日の「ダーリンコラム」の中の、
「新訳聖書のなかに、
 自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい、
 ということばがある。
 ここにすべてが集約できるほど、大きなことばだという。
 おそらく、限りある命を生きる人間に、
 できることは限られているということを、
 優れた宗教家は、よく理解していたのだろうと思う。
 思い煩いの種子は、限りなくあり、
 ひとりの人間の可能性には限りがある」
このへんの言葉に、たくさんの反応があったんです。

マジメな話ですが、ごく一部を、ご紹介しましょう。







・聖書の解釈がどうなのかは知りませんが、
 「隣人」というのは文字通り「隣の人」の意であって
 身近にいる人のことだと思ってました。
 日々の暮らしで関わる人たちということ。
 またはかつて関わった人たちということ。
 その連鎖が大事なのだと・・・ま、
 人間は理性でそのように努力してる「動物」なんだと。
 実際は、なかなかねぇ。
 同じ種だからって仲良しこよしってことはまずないし、
 集団じゃなく個と個であればまた違ったりもするし。
 人間だけ特別視しない方がいいんじゃないでしょか。
 まだまだ身体に縛られた脳的な動物に過ぎないと。
 愚かだけれどごくごく自然なことを繰り返しながら、
 遺伝子は次々と乗り継がれて行くのでしょね。
 ソイツはよりよく生き延びようとするのだろうし、
 そこにこそ希望はあるのかもしれないなぁ。
 (とらふー)



・「隣人とはどこにいるのか」読みました。
 ここ数年ほとんどいつも考えているというのか、
 感じているようなテーマだったので、
 すごくしんみりきちゃいました。
 でもやっぱり整理できないままでいますけれど、
 無性にメールしたくなりました。
 「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」
 その通り実行できたらさぞ素晴らしい人生なんだろう、
 と思いつつも、見聞きするたび、
 でもね・・・と、どこかくじけてしまうような、
 どうしても引っかかってしまう言葉でした。
 (匿名のかた)



・「隣人」は自分で決めてしまうものだと思います。
 darlingはこのHPを知らなければ遠い人でした。
 いまは、遙かに近い。
 距離の問題ではなく、
 その人をどれだけ思うことができるかが、距離を決めている。
 一人の人が気にかけられる人数は
 どんなに時代が流れても、そんなに多くはなりません。
 イラクに知り合いが居たとします。電話をかけて
 「バクダットはどうだい?」
 「心配しなくていいよ。みんなで頑張るから」
 札幌の知人に電話をかけます。
 「貴方の息子、風邪は大丈夫だった?」
 「病院に通い続けているけど、なんとかなりそう」
 たかが一本の電話ですが、通話数は変わらない。
 そんな気持ちがします。

 南の島の夜は、空の下一族皆でよりそって
 明日、上がる太陽の事をちょっと考えながら、
 踊ったり、歌ったり、騒いで、
 今日楽しかった事を話して、笑って、
 そして眠たくなったら眠っていました。狭い土地でした。
 でも、思いを寄せる人の人数は逆に多い気もするのです。
 都会に来て、情報は確かに多くなりました。
 でも、人間はあまり変わってない。
 悪くなってきたかもしれない部分はあるけども、
 あまり縄文時代から人の思いは変わらないのではないか?
 そう、南方や古代の事を考え続ける日々です。
 (かなず)



・「この戦争」の影響。
 わたしたちは新婚旅行を止めました。
 式を挙げて3か月以上たったけど、
 ダーリン並に忙しい彼が、
 やっとの思いでとってくれた1週間の休み。
 こんな時期にのん気にハネムーンなんて・・・。
 という気持ちもありました。
 でも、一番は、飛行機乗ってたりして、
 私の隣にいてくれる彼が危険な目に遭ったりしたら嫌だ、
 という気持ちが大きかった。
 私が認識した「隣人」は、彼、だと思います。
 母親から、血の繋がりは絶対的なものと、
 刷り込まれて生きてきた私に、
 母親より大事な人ができました。
 ですが、彼は、私にとって絶対的な存在ではない
 と日々感じ生活してます。
 彼は私とは違う人間です。
 だから、大切に、いとおしみ、敬い、愛していこうと。
 隣人と認めることで、大事にできるのです。
 国や人種、宗教と幅広く当てはめると、
 戦争している人は立ち止まってくれるのでしょうか。
 明後日からの1週間、寝正月ならぬ、寝・春休みです。
 ダーリンもどうぞお大事に!
 (志保)



・かなり前からほぼ日を楽しく読ませて頂いていますが、
 メールを書くのは初めての学生(24才男)です。
 3月24日のダーリンコラムを読んだ
 感想を書きたいと思います。
 ぼくは自分が無宗教なので、
 キリスト教をはじめとする宗教の信者の方が
 どのようにその宗教の思想を捉えて
 信仰しているのかということが
 なかなか納得できなかったのですが、
 キリスト教の「隣人を愛せよ」ということばについては
 強く納得したことがあります。
 たしか池澤夏樹さんの本だったと思うのですが、
 キリスト教、またはそのおおもとのユダヤ教は
 砂漠で生まれた宗教で、空と大地の間に
 自分が独り立っているというのが基本的な世界観で、
 そこから一神教という絶対的な存在を想定した宗教が
 生まれたのだという話を読みました。
 神との関係が一対一というのが明確であるということと、
 日本のような島国でなく大陸であるために
 常に身近に自分と異なる「他者」がいるという状況を
 説明されて、少しだけ
 キリスト教のことが分かった気がしました。

 糸井さんの文章の中では「隣人」という言葉が
 「遠く」に対する
 身近な人というふうに解釈されていますが、
 僕の中では「隣人を愛せよ」という言葉は、
 自分と相互に影響してしまうほど
 近い距離(物理的でなくとも)にいて
 なおかつ最も精神的に遠い、どんなに努力しても
 最後まで理解し合えないかもしれない他者を、
 それでも尊重すべきだという言葉としてとらえています。
 愛すべき隣人はどこにいるか、というより、
 最も愛する対象にしにくい
 他者をこそ愛せ(尊重せよ)というような。
 最も難しく、最も必要なことかもしれないな、
 と思わせられる言葉です。
 (や)



・ほぼ日のみなさんこんばんは。
 今日更新のダーリンコラム読みました。
 ちょっと長かったけど、ノートPCの画面に
 吸いこまれるような感覚で、夢中で読んでました。
 「隣人を愛せよ」というダーリンの思い、
 なんだか胸がずきずきするくらい伝わってきました。
 私はプロテスタント系の大学へ通っています。
 入学するまでは、
 「キリスト教?だから?」という考えでした。
 だって、宗教なんてなくても生きてゆけると思っていたから。
 偶像崇拝やら、一神教やら、
 そんなこと私の人生に関係ないと思っていたんです。
 でも、強制的に受けさせられていたキリスト教概論や、
 後の担当ゼミ教授となる
 国際社会保障論のお話を聞くうちに
 私に関係ないと思っていることこそ実はとても興味深く、
 奥が深く、そして私が生まれる前から
 私に関係していたことがわかりました。
 キリスト教にかかわらず、宗教って
 なにかとてつもないエネルギーを持った
 実体のないもの、ということを学びとりました。

 ・・・なんだか
 まとまりがなくってきてしまうのですが、
 今回の戦争では、宗教に関わらず
 実体のないもの(人間の感情や欲とか)の恐ろしさ、
 膨大なエネルギーが
 世界中を取り巻いているということを感じます。
 実体のないものが映像や文章を通して
 私のこころの中へ入っていきます。スッと。
 (アッコ)



・隣人が誰なのかはわからないけど、
 私が気をつけるようにしたいのは
 「自分の体の感覚を大事にしたい」ということです。
 自分の歩ける距離、見れたり、聞けたり、
 感情も距離にはいるかも。
 あとは、相手にもわかってもらえる距離。
 こっちが一方的にわかっているだけってのは
 隣人じゃない気がする。
 (takuma)





自分の「残り時間」のことを思ったり、
ともすれば流れるにまかせてしまう人間関係の中で、
誰が「隣人」なのかをチラッと想像してみたり、
そんなメールが、心地よかったので、ご紹介いたしました!

あなたは、このメールの数々を読んで、どう思いましたか?

また、このコーナーで、お会いしましょうね。
今回のメール選びは、「ほぼ日」の木村俊介でした!




postman@1101.com宛てのメールは、
スタッフ全員が必ず読んでいます。
これからもご意見、ご感想をお寄せください。
アクセスの数字の後ろに「人」の姿が見えると、
スタッフ一同、なによりの励みになるのです。

postman@1101.com 宛に送ってもらったメールは、
このコーナーで紹介させていただくかもしれません。
掲載されちゃ困るメールには、「載せちゃイヤ!」と
書き添えてください。逆に「載せて!」と
書いてくれるのもけっこうです。

◆あと、無理じいするつもりはありませんが、
「ほぼ日」では、顔文字禁止です。
どうしても使いたい人に「やめろ」というつもりは
ありませんが。
(darling)

2003-04-04-FRI

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