第4回 自分たちの世界


矢内さんのアパートに
ごろごろしていた七人のともだちたちは、
何の求心力で、そこに集まれたんですか。
リーダーは
やっぱり矢内さんだったんですよね。
はい。
常時七人ぐらいがいたので、
もっとたくさん出入りしてました。
みんな食えないから
バイトをしてるわけですけれど、
ヒマなときに、やってくるから、
だいたい七人ぐらいはいつもいたな、
という感じです。
たまり場っていうことですか?
おもしろかったんじゃないですか。
大学という場所にいた学生たちが、
社会とのつながりを、自分たちで
作ろうとしているわけじゃないですか。

そこに
夢があったのかもしれないし、
ひょっとしたら
「自分たちの世界が、
 『ぴあ』で作れるのかもしれない」
という。

『ぴあ』をはじめるメンバーは、
ぼくがTBSで
アルバイトした時の仲間なんですよね。

大学三年生のころ、
TBSのテレビニュース部というところで
出会った連中が最初です。

アルバイトをしていても、
「就職どうする?」
みたいな話が出てくるんです。

このまま、卒業して、
サラリーマンとして
レールに乗せられていくのが
癪だなという感じがあり……
そういう共通の感覚を持った連中が、
いつのまにか集まってきて
「なんかやろうよ。
 それなら自分たちで
 自分たちの仕事を作るのが
 いいんじゃないの」
という、
そういう軽いノリですよ。
矢内さんの紹介の中で、
「ベンチャーのはしり」
という人がよくいますが、
そんな言葉はなかった時代ですよね。
ただ「ベンチャー」よりも
「社会とつながりを持ちたい」
という言葉はぴったりですね!
そうです。
当時から
「冗談のつうじあう仲間たちで
 共通の経済基盤を作ろう」
といってたんですよ。
まぁ、どうせ
安酒を飲みながらの話ですが、
冗談半分、本気半分で。
うまいいいかただなぁ。
最初は、
古本屋をやろうとか、
カレー屋をやろうとか、
なんかこう、あたらしさも
何もないような話をしていましてね。
はい。
それは
「おとなのまねごと」ですもんね。
そんなのをやったって
しょうがないじゃないか、
というような話になったあとに、
やっぱり世の中は
できあがっちゃっていて、
われわれが入っていくような隙間は、
もう、残されていないのかなぁと、
みんな、若干、
悲観的になっていましたね……。
(笑)当時も
そのセリフがあったわけですね。
今もおなじことがいわれてますが。
はい。
ただ、
ある日ふと思いはじめたんです。

学生からは
「世の中はおとなの作ったものだ」
というふうに見えているけど、
おとなにはわからない、
われわれにしかわからない世界が、
どうもあるんじゃないだろうかと……
それが『ぴあ』になっていきました。

ぼくは
映画好きで大学時代も
映画研究会なんてやったりして、
他の学生に比べると
本数もたくさん観ていたわけです。

ところが、とにかく金がないから、
封切ロードショーで映画を見られない。
高いですから。
安くなってくるのを
待って見るのですが、
あの監督のあれを見たいと思っても
その情報がないわけです。

新聞の広告を見るか、
キネマ旬報の巻末の
名画座情報を見るぐらいしかなくて……

いずれにしても
情報は網羅されていないから
もれているわけですね。
見逃してしまうことが
たびたびあったりして、
非常に不便に思ってました。
文化の中心は新宿、
という時代ですよね?
ええ。
下宿は転々としましたが、
みんな新宿につながるところにいました。
時代ですねえ。
アートシアターはあるわ、
昭和館はあるわ。さそり座とか。
そうそうそう。
唐十郎さんの芝居なんかは、
見てますよね。
ええ。
花園神社にいくし。
新宿は、
ぼくらの時代にとっては
ニューヨークみたいなもんでしたよね(笑)。
ぼくの子供のころのたのしみは
映画しかなかったですから。
ええ。
他に娯楽、なかったです。
中村金之助の時代ですよね。
はい。
東映や日活を見て育った子が、
東京に出てきて映画を見ると……
ヌーベルバーグなんですよね。
ゴダールなんかを見た日には、
ぶっとんじゃいまして。
矢内さんも?
ぼくも。
『気狂いピエロ』ですよね?
はい。
「こんなのありかよ」という感じでした……。
ぼくも、
やけになって、
『気狂いピエロ』を
何度も見ましたから。
起承転結の
決まりごとがあるものと思ってたら、
とんでもないものが出てきちゃった。
映画の可能性や深さを、
驚きと一緒に見せつけられたんですよね。

東京にきてから、
映画はほんとにおもしろいと
のめりこみはじめました。
田舎にいるとき、
東京では
あらゆる映画をやっていると
思いこんでいましたもん。
誰も知らないような
タイトルの映画が上映されていることに、
おそろしさを感じていて。
新宿がメッカだったんですよね。
オールナイトのイベントで
壇上にずらりと映画関係者が並んで、
いきなり客席に
コップを投げつけちゃったりして。
ヤクザみたいな映画関係者、
たくさんいましたよね。
「作っている側そのものが役者」
だったんですよねぇ。
当時、本人たちも、
自分のやってる意味を
よくわかってなかったと思う。

だって、お客さんに
コップ投げる意味なんか、ないんだもん。
ないですよ。
灰皿が、ポンポン飛んでいて。
ケンカしないと
名前があがらないみたいな……
ただ、そんな映画の世界に
『ぴあ』はつながるわけなんですね。
網羅されている映画館の情報があったら、
少なくとも自分には
とても便利なものになるだろうなぁ、
とまずはじめに思いましたし、
東京という大好きな町には、
自分以外もそれを便利だと思う人間が、
もっと、たくさん、いるはずだ、
というのがきっかけでした。
それは
「本好き」ではなくて
「町好き」の発想ですね。
田舎にいると、
町というものを
方角で見るんですよね。

松がこうなびいているから
こっちが海だなとか、
そういう風にわかるんです。
ところが、東京にきたら
方角はわからない……
東西南北が、わからないんです。
(笑)山もないし。
東京にあるのは
矢印なんですよね。
中野いきとかどこそこ方面とか……
東京にきたとき
「東京ってのは、矢印の町だ」
と思ったわけです。
いちいち、
おもしろいことを考えていますねぇ。
そういってる二十二歳がいたら、
ぼく、会いたいです。
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2005-08-25-THU