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矢内さんのアパートに
ごろごろしていた七人のともだちたちは、
何の求心力で、そこに集まれたんですか。
リーダーは
やっぱり矢内さんだったんですよね。 |
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はい。
常時七人ぐらいがいたので、
もっとたくさん出入りしてました。
みんな食えないから
バイトをしてるわけですけれど、
ヒマなときに、やってくるから、
だいたい七人ぐらいはいつもいたな、
という感じです。 |
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おもしろかったんじゃないですか。
大学という場所にいた学生たちが、
社会とのつながりを、自分たちで
作ろうとしているわけじゃないですか。
そこに
夢があったのかもしれないし、
ひょっとしたら
「自分たちの世界が、
『ぴあ』で作れるのかもしれない」
という。
『ぴあ』をはじめるメンバーは、
ぼくがTBSで
アルバイトした時の仲間なんですよね。
大学三年生のころ、
TBSのテレビニュース部というところで
出会った連中が最初です。
アルバイトをしていても、
「就職どうする?」
みたいな話が出てくるんです。
このまま、卒業して、
サラリーマンとして
レールに乗せられていくのが
癪だなという感じがあり……
そういう共通の感覚を持った連中が、
いつのまにか集まってきて
「なんかやろうよ。
それなら自分たちで
自分たちの仕事を作るのが
いいんじゃないの」
という、
そういう軽いノリですよ。 |
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矢内さんの紹介の中で、
「ベンチャーのはしり」
という人がよくいますが、
そんな言葉はなかった時代ですよね。
ただ「ベンチャー」よりも
「社会とつながりを持ちたい」
という言葉はぴったりですね! |
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そうです。
当時から
「冗談のつうじあう仲間たちで
共通の経済基盤を作ろう」
といってたんですよ。
まぁ、どうせ
安酒を飲みながらの話ですが、
冗談半分、本気半分で。 |
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最初は、
古本屋をやろうとか、
カレー屋をやろうとか、
なんかこう、あたらしさも
何もないような話をしていましてね。 |
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そんなのをやったって
しょうがないじゃないか、
というような話になったあとに、
やっぱり世の中は
できあがっちゃっていて、
われわれが入っていくような隙間は、
もう、残されていないのかなぁと、
みんな、若干、
悲観的になっていましたね……。 |
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(笑)当時も
そのセリフがあったわけですね。
今もおなじことがいわれてますが。 |
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はい。
ただ、
ある日ふと思いはじめたんです。
学生からは
「世の中はおとなの作ったものだ」
というふうに見えているけど、
おとなにはわからない、
われわれにしかわからない世界が、
どうもあるんじゃないだろうかと……
それが『ぴあ』になっていきました。
ぼくは
映画好きで大学時代も
映画研究会なんてやったりして、
他の学生に比べると
本数もたくさん観ていたわけです。
ところが、とにかく金がないから、
封切ロードショーで映画を見られない。
高いですから。
安くなってくるのを
待って見るのですが、
あの監督のあれを見たいと思っても
その情報がないわけです。
新聞の広告を見るか、
キネマ旬報の巻末の
名画座情報を見るぐらいしかなくて……
いずれにしても
情報は網羅されていないから
もれているわけですね。
見逃してしまうことが
たびたびあったりして、
非常に不便に思ってました。 |
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ええ。
下宿は転々としましたが、
みんな新宿につながるところにいました。 |
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時代ですねえ。
アートシアターはあるわ、
昭和館はあるわ。さそり座とか。 |
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新宿は、
ぼくらの時代にとっては
ニューヨークみたいなもんでしたよね(笑)。 |
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ぼくの子供のころのたのしみは
映画しかなかったですから。 |
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ええ。
他に娯楽、なかったです。
中村金之助の時代ですよね。 |
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はい。
東映や日活を見て育った子が、
東京に出てきて映画を見ると……
ヌーベルバーグなんですよね。
ゴダールなんかを見た日には、
ぶっとんじゃいまして。 |
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矢内さんも?
ぼくも。
『気狂いピエロ』ですよね? |
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はい。
「こんなのありかよ」という感じでした……。 |
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ぼくも、
やけになって、
『気狂いピエロ』を
何度も見ましたから。 |
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起承転結の
決まりごとがあるものと思ってたら、
とんでもないものが出てきちゃった。
映画の可能性や深さを、
驚きと一緒に見せつけられたんですよね。
東京にきてから、
映画はほんとにおもしろいと
のめりこみはじめました。 |
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田舎にいるとき、
東京では
あらゆる映画をやっていると
思いこんでいましたもん。
誰も知らないような
タイトルの映画が上映されていることに、
おそろしさを感じていて。 |
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新宿がメッカだったんですよね。
オールナイトのイベントで
壇上にずらりと映画関係者が並んで、
いきなり客席に
コップを投げつけちゃったりして。 |
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ヤクザみたいな映画関係者、
たくさんいましたよね。
「作っている側そのものが役者」
だったんですよねぇ。
当時、本人たちも、
自分のやってる意味を
よくわかってなかったと思う。
だって、お客さんに
コップ投げる意味なんか、ないんだもん。 |
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ケンカしないと
名前があがらないみたいな……
ただ、そんな映画の世界に
『ぴあ』はつながるわけなんですね。 |
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網羅されている映画館の情報があったら、
少なくとも自分には
とても便利なものになるだろうなぁ、
とまずはじめに思いましたし、
東京という大好きな町には、
自分以外もそれを便利だと思う人間が、
もっと、たくさん、いるはずだ、
というのがきっかけでした。 |
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それは
「本好き」ではなくて
「町好き」の発想ですね。 |
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田舎にいると、
町というものを
方角で見るんですよね。
松がこうなびいているから
こっちが海だなとか、
そういう風にわかるんです。
ところが、東京にきたら
方角はわからない……
東西南北が、わからないんです。 |
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東京にあるのは
矢印なんですよね。
中野いきとかどこそこ方面とか……
東京にきたとき
「東京ってのは、矢印の町だ」
と思ったわけです。 |
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いちいち、
おもしろいことを考えていますねぇ。
そういってる二十二歳がいたら、
ぼく、会いたいです。
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