|
|
|
|
|
雑誌をはじめるときの出費は
どういうふうに考えたんですか。
一万部の印刷も、
二十二歳の青年には、
相当な費用ですよね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
オイルショック前だったので、
まだ、紙が安かったんですよ。
それに創刊の準備をしているときに、
突然、ぼくのアパートを、
ぼくの親父が福島から訪ねて来るんです。
ベニヤのドアをドンドン叩いてね……。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
いきなり
田舎から親父がきたので
こっちも驚きましたが、
向こうも驚いてました。
息子の部屋に、
むくつけき男が
何人かごろごろ寝ていますから。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ラーメンのどんぶりかなんかに、
タバコの吸殻が山になっていて……。
「おまえ、ここで、何やってんだ?」
親父を
近所の喫茶店に連れていきました。
「親父には
いってなかったけど、
雑誌を作ってる」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
親父は田舎の人間だし
「何考えてんだ、おまえは」
ってことですよね。
「就職、どうするんだ」
「いや、雑誌やるから」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「それより親父は何しにきたの?」
「いやぁ、
うちに、大学から手紙がきた」
親父は封筒を出すわけです。
「おまえには大学時代に、
何にもしてやれなかった。
これをやってやろうと思って……」
いわゆる
卒業旅行のパンフレットなんです。
大学からきた手紙というんだけど、
いわゆる、旅行会社のDMですよ。
大学の名前を使ってはいるものの、
誰が見てもDMじゃん、
と思うようなものなんですが、
親父は「大学からきた手紙」と(笑)。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「ヨーロッパに
旅行にいったらどうだ」
「それはありがたいけど、
今、ちょっと忙しいから
旅行は行けない……でも
親父がせっかくそこまで
考えてくれているんなら、
これからやろうと思う雑誌は
金がかかるんで、
そっちの資金に、
まわさせてもらえないだろうか」
「……わかった、
おまえの好きなようにしていい」
ちょっと、
詰まっていましたけどね。
そのときの金は
三十万円ぐらいでしたが、
当時の三十万円は
けっこうでかい金です……。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
おおきいですね。
初任給が三〜四万円じゃないですか? |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そんなもんです。
だから、おやじにしたら、
ずいぶん大奮発だったんです。
わけのわからないことを
やっている息子に、
よく「いいよ」と
渡してくれたなと思うんですけど。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
今の話を、
その時代に自分は
何をしてたんだろうと思いながら
きいていました。
ぼくはコピーライターに
なっていたころで……
ちっちゃくて、
食えるか食えないかつぶれるか、
みたいな会社にいたんですけど、
賞に応募して、
とてもいい賞をもらったんです。
一等と二等を両方とももらったみたいな。
「やった! これでだいじょうぶだ」
と思っていたら、表彰式の時に
「オイルショックがあるから
これからは浮かれていられないよ」
とお説教をされたのをおぼえてますね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
おなじ時代に、
矢内さんは、
下宿でぴあをはじめていたんですね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ぼくは二十五年(一九五〇年)だから
ふたつちがうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ぼくは大学をやめちゃってますし、
二十歳の時には
仕事をはじめちゃったんです。
矢内さんと
同じ時代に仕事をはじめたから、
親が金を出してくれる時の感覚が、
とてもよくわかるんですよね。
たぶん、お父さんの年齢って、
大正のまんなかくらいですか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
うちが大正八年なんですよ。
たぶん似たような年齢で、
これからの日本で、
息子に何をしてほしいかわからないけど、
あたらしいものが
生まれはじめてることを、
できれば認めてやりたいなという気分が、
うちの親父なんかにも、
あったと思うんです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
うちにもありましたね。
自分たちは果たせなかったですから。
いろんな事情があって
できなかったというのがあるんでしょうねぇ。
だから、息子がやりたいといっているのなら、
どうなるかわからないけど
好きなようにやってみろよ、
という許容量はあったんじゃないかな。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
メシは食えるようになって、
日本の高度成長もあってという中で、
あたらしいものがはじまるときの
ちいさなスポンサーになろう、
みたいな気分があったのかもしれないね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ぼくは父親に
「大学いくか百万円とるか」
といわれたことがあります。
「大学にいくと、
群馬から東京に
出ていくことも含めて、
ざっと百万円ぐらいかかる。
もし大学にいかなければ
その百万をあげるから、
使っちゃったにしても何しても、
それはおまえの器量だ」
ぼくは頭の中が
できてなかったから
「ともだちもいくから」
という理由で
大学にいきたかったんですね。
そんなにたいしたことを
考えている人間じゃないですから。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
親のほうには、
もうすこし博打の気分が
あったんでしょうね。
まぁ、それで大学にいって
結局やめたんだから、
何にもならないですが……
ただぼくは、図々しいんですね。
「大学にいってるぶんだけ
金がかかるはずだから、
仕送りは四年ぶんしてください」
といったんです。
一年でやめちゃったくせにねぇ。
でも親は「それはわかる」といった。
うちの親父って、
ふだんケチなんですけど、
そのときは「わかる」といったんですよね。
「ムダな苦労を
しなくていいようにするから。
食えるぶんだけ送るから」
そのおかげはほんとにあります。
コンサートに行ったりする金を
ケチらずにすんだぶん、
いろんなものを
ナマで見られましたから。
| |
|
|
|
|
もどる |