第3回 青春のない父親


雑誌をはじめるときの出費は
どういうふうに考えたんですか。
一万部の印刷も、
二十二歳の青年には、
相当な費用ですよね。
オイルショック前だったので、
まだ、紙が安かったんですよ。
それに創刊の準備をしているときに、
突然、ぼくのアパートを、
ぼくの親父が福島から訪ねて来るんです。
ベニヤのドアをドンドン叩いてね……。
(笑)田中邦衛が立ってそうだ。
いきなり
田舎から親父がきたので
こっちも驚きましたが、
向こうも驚いてました。
息子の部屋に、
むくつけき男が
何人かごろごろ寝ていますから。
(笑)
ラーメンのどんぶりかなんかに、
タバコの吸殻が山になっていて……。

「おまえ、ここで、何やってんだ?」

親父を
近所の喫茶店に連れていきました。

「親父には
 いってなかったけど、
 雑誌を作ってる」
(笑)うわ!
親父は田舎の人間だし
「何考えてんだ、おまえは」
ってことですよね。

「就職、どうするんだ」
「いや、雑誌やるから」
心は決まっていたってことですよね。
「それより親父は何しにきたの?」
「いやぁ、
 うちに、大学から手紙がきた」

親父は封筒を出すわけです。

「おまえには大学時代に、
 何にもしてやれなかった。
 これをやってやろうと思って……」

いわゆる
卒業旅行のパンフレットなんです。
大学からきた手紙というんだけど、
いわゆる、旅行会社のDMですよ。

大学の名前を使ってはいるものの、
誰が見てもDMじゃん、
と思うようなものなんですが、
親父は「大学からきた手紙」と(笑)。
(笑)いい話だなぁ。
「ヨーロッパに
 旅行にいったらどうだ」

「それはありがたいけど、
 今、ちょっと忙しいから
 旅行は行けない……でも
 親父がせっかくそこまで
 考えてくれているんなら、
 これからやろうと思う雑誌は
 金がかかるんで、
 そっちの資金に、
 まわさせてもらえないだろうか」

「……わかった、
 おまえの好きなようにしていい」

ちょっと、
詰まっていましたけどね。
そのときの金は
三十万円ぐらいでしたが、
当時の三十万円は
けっこうでかい金です……。
おおきいですね。
初任給が三〜四万円じゃないですか?
そんなもんです。
だから、おやじにしたら、
ずいぶん大奮発だったんです。

わけのわからないことを
やっている息子に、
よく「いいよ」と
渡してくれたなと思うんですけど。
今の話を、
その時代に自分は
何をしてたんだろうと思いながら
きいていました。

ぼくはコピーライターに
なっていたころで……
ちっちゃくて、
食えるか食えないかつぶれるか、
みたいな会社にいたんですけど、
賞に応募して、
とてもいい賞をもらったんです。
一等と二等を両方とももらったみたいな。

「やった! これでだいじょうぶだ」
と思っていたら、表彰式の時に
「オイルショックがあるから
 これからは浮かれていられないよ」
とお説教をされたのをおぼえてますね。
ほう。
おなじ時代に、
矢内さんは、
下宿でぴあをはじめていたんですね。
糸井さん何年生まれですか?
昭和二十三年。(一九四八年)
ぼくは二十五年(一九五〇年)だから
ふたつちがうか。
ぼくは大学をやめちゃってますし、
二十歳の時には
仕事をはじめちゃったんです。

矢内さんと
同じ時代に仕事をはじめたから、
親が金を出してくれる時の感覚が、
とてもよくわかるんですよね。

たぶん、お父さんの年齢って、
大正のまんなかくらいですか。
はい。大正九年です。
うちが大正八年なんですよ。
たぶん似たような年齢で、
これからの日本で、
息子に何をしてほしいかわからないけど、
あたらしいものが
生まれはじめてることを、
できれば認めてやりたいなという気分が、
うちの親父なんかにも、
あったと思うんです。
うちにもありましたね。
自分たちは果たせなかったですから。
いろんな事情があって
できなかったというのがあるんでしょうねぇ。
だから、息子がやりたいといっているのなら、
どうなるかわからないけど
好きなようにやってみろよ、
という許容量はあったんじゃないかな。
戦争でいちばん打撃を受けた親ですよね。
そうです。
メシは食えるようになって、
日本の高度成長もあってという中で、
あたらしいものがはじまるときの
ちいさなスポンサーになろう、
みたいな気分があったのかもしれないね。
はい。
ぼくは父親に
「大学いくか百万円とるか」
といわれたことがあります。

「大学にいくと、
 群馬から東京に
 出ていくことも含めて、
 ざっと百万円ぐらいかかる。
 もし大学にいかなければ
 その百万をあげるから、
 使っちゃったにしても何しても、
 それはおまえの器量だ」

ぼくは頭の中が
できてなかったから
「ともだちもいくから」
という理由で
大学にいきたかったんですね。
そんなにたいしたことを
考えている人間じゃないですから。
いや、でも、
みんなそうですよね。
親のほうには、
もうすこし博打の気分が
あったんでしょうね。
まぁ、それで大学にいって
結局やめたんだから、
何にもならないですが……
ただぼくは、図々しいんですね。

「大学にいってるぶんだけ
 金がかかるはずだから、
 仕送りは四年ぶんしてください」

といったんです。
一年でやめちゃったくせにねぇ。
でも親は「それはわかる」といった。
うちの親父って、
ふだんケチなんですけど、
そのときは「わかる」といったんですよね。

「ムダな苦労を
 しなくていいようにするから。
 食えるぶんだけ送るから」

そのおかげはほんとにあります。
コンサートに行ったりする金を
ケチらずにすんだぶん、
いろんなものを
ナマで見られましたから。
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2005-08-24-WED