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いままで生きてきて、
 いちばんおいしかったもの。
まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.34>

ルールは超が付くくらい簡単です。
ラジオ番組にハガキを出すくらいの感じで、
ちゃちゃっと書いて送ってください。

第34回のお題

いままで生きてきて、
 いちばんおいしかったもの。

●葉子

銀座の鮨屋で食べた、天然あなご
昭和天皇お抱え寿司職人だった、という
すっごい人が出した店で、
一見さんお断りの敷き居の高い店でした。
でも、美味しいと評判のあなごを焼いてるのは、
どうみても普通のガスコンロ。
コンロに乗せた網にポンとアナゴを置いたっきり、
特別な技を使ってるようにも見えない。
「おっさん大丈夫か?」と思いましたが、
食べるとこれが旨い!
身はまさに蕩けるようで、
あなごの濃〜〜〜い旨味が口中に広がって…

他にもあわびのヒモや、マグロ赤身も絶品でした。
感動する私達をしり目に、
「実は俺、肉の方が好きなんだよね」
と奥で肉を焼いて食べていた店主の思い出と共に、
忘れられない味です。


●kaoru

もう今は亡きおばあちゃんが作ってくれたすいとんです。
おばあちゃんのすいとんは
小麦粉団子をカツオベースの醤油スープに入れて、
ありあわせの野菜と豚肉の細切れをいれて
ぐつぐつ煮るだけ。
おばあちゃんはいつも
「こんな食事はおばあちゃん、
 戦争の時にいっつも食べてたからね。
 もう見るのもいやだね。
 なんでおまえはこんなものを
 わざわざ食べたがるのかね。」
と毎回繰り返しながらも、ほぼ毎日作ってくれました。
25年後の今、いざ自分で作ってみても
あの時の味とはぜんぜん違うんです。
いったいどこが違うんだろう。
本当に誰か教えてほしい。


●さ

ベルギーのブルージュで食べたチョコレート。
親子でやっている店で、
プラリネと外側部分のバランスが絶妙!
その店だけの味でした。
店のマダムが美しくて愛想がよいのに、
職人の旦那さんは無愛想で
食えばわかる」といっていたと思われる雰囲気が
そのチョコのよさの味付けでもありました。
チョコのイメージが変わりました。


●ayako

海鮮親子丼。
インドネシアに海外赴任していた我が家。
当時は鮭とかイクラ等が現地ではなかなか手にはいらず、
一時帰国の時に成田空港で
家族で食べた海鮮親子丼に家族全員目が血走ってた。
その影響で今でも家の家族は
彼等親子を「御」とか「様」付けで呼んでいる。


●まぐまぐ

ぶりこ”という魚の卵の塊を醤油で煮たもの。
ぶりこなのでぶりの子供?だったのでしょうか。
昔は(30年くらい前?)たくさん捕れて乱獲して
今は捕っちゃいけないというお決まりのパターンです。
東北の日本海側の港町で、
昔の商店街の店先で冬になるとふつふつと煮えていた。
テニスボールくらいの大きさで
固い粒々の卵をぶちぶち噛んで味わった。
味は極上の筋子かける100倍のおいしさ、と記憶してます。


●りえっち

幼い頃食べず嫌だった「なす」。
生まれて初めて食べた「ぼてなす」に感激!
油で焼き、普通のなすと違い少し特徴のある、
地方限定のなすだけど、生姜醤油で食べたあの味が、
忘れられません。


●hama

いままでで一番美味しかったもの・・・
それは、大学時代にアルバイトで乗った
漁船上で食べたタラの白子
捕れたては生で食べ、残りを煮て食べました。
特に煮た白子は、ホクホク・トロリとして
口の中から幸せがわき出すような気分が味わえ最高でした。
あ〜っ、食べたくなった!


●なの

そばの白あえ。
大学時代にアメリカへ行ったときに、
ホテルのレストランで食べた。
そこはバイキング形式のところで、
たくさんの洋食のなかにぽつんとあった。
あんまりにもやさしくおいしい味だったので、
白あえを知らなかった私は、
家で一生懸命マヨネーズとそばをまぜた。
まずかった。


●ドム

高知生まれのわたしは、鰹のたたきがふるさとの味です。
たまには、トロみたいな霜降りの鰹もいいけれど、
やっぱり安い赤身の鰹のたたきが旨いな〜。
1cm位の厚めに切って、薬味をむやみやたらにかけて、
たれもお魚屋さんにもらったやつをぶっかけて・・・
でも、県外で食べたときには
不味くて不味くて、食べられませんでした。
肥えちゃったね、口が。


●キノミドリ

忘れられない味、それは子供の頃に食べた、
わが家の渋柿の木の上で熟した柿です。
殆どが実が固いうちに収穫して干し柿にするのですが、
そのまま実を置いておき、
赤くプルプルに熟したところを兄妹3人で採って、
近くの川に向かって口から種をプププっと飛ばしながら
食べてました。
お行儀は悪いけどおいしかったー!
いろんな想い出もひっくるめて、
秋の最高のおやつでした。

2003-02-11-TUE

●マリア

スペインでふらっと入ったカフェで食べた、
ストロベリーシャーベット
少し溶けかけたシャーベットの甘酸っぱさと
甘さ控えめのホイップクリームが
ちょうどいいカンジで混ざり合い、
なんとなく懐かしい味がしました。
たった一言、
「うまい!」しか言えませんでした。

彼と二人で「幸せだね・・・」と言いながら食べました。
カフェのオネーサンさんに、
また夏にアイスを食べに戻ってくることを約束すると、
オネーサンは笑顔で
「待ってるわ!」と言ってくれました。

多分、私、今一番幸せな顔してるって思った一瞬でした。


●カナカナ

海のカキ。
恥ずかしながら社会人になって初めて食べました。
会社の取締役に新橋の料亭でゴチしてもらった、
一つ何千円」のヤツ。
岩手産、広島産どちらも制覇!!
味付けなんてなぁんにもいらないの。
海水から揚げたすぐのをカコカコはずして、
ヅルンッと・・・・
独特の甘味と磯の香りにもだえましたわ、ホント。

ただ・・・・
私の体には生カキが合わないらしく、
あの幸せを味わう代償に
今まで生きてきて一番痛くて苦しい
思いをしなければならないなんて。


●ちさぞう

初めてダッチオーブンで焼いた鶏丸ごと1羽
鶏の旨みがギュウと凝縮されてパンパンになった
皮をナイフで突くとパチンとはじけて肉汁がじゅわ〜。
味付けは塩だけで充分。
夫婦2人で平らげました。
あのときほど
ニワトリに感謝しながら食べたことはありません。



●Boo

1959年生まれの私の幼い頃は、
鯨肉が当たり前のように食卓へ。
カレーの肉ももちろん鯨。
で、忘れられないのは鯨の皮の部分
うちでは「うねす」と呼んでいたと思います。
かまどに鍋をかけていため、
醤油と砂糖で味つけ。
鯨の食感がなんともおいしくてだいすきでした。


●おねえさん

今の恋人と付き合い始めてすぐに
「信じられないくらいおいしいよ」
と教えてもらった北海道の愛山渓ドライブイン
まいたけ丼」。
キノコが大好きな私はずっと食べたいと言い続けて、
約1年後にようやく一緒に訪れて食べることが出来ました。
それはもうまいたけの概念が変わるおいしさでした。
シャキシャキして香りが良くて。
そして、恋人の過去を少し共有できたような気もして
なんだかすごく幸せになりました。


●おーき

夫婦ゲンカをしたとき、私が家を出て行きました。
その後夫が、
「おなかすいたなあ」というと、
8歳の娘がお米をといで、
炊飯器のスイッチを入れたそうです。

ご飯が炊けるまで、卵焼きを作ってくれたそうです。
今でも、夫に、
あの時のご飯と卵焼きは美味しかったと言われます。



●しまぴ

マカオで食べた牛乳プリン
リアルな牛の絵の大きな看板のお店で、
牛乳と何かを入れて蒸して冷やしたものでした。
一口ごとに
「おいしくて困っちゃうー」と言いながら食べました。
翌日香港に帰ると同じ看板の店があり、
どうやらこちらが本店のようで、
やっぱりそこでも困りながら食べました。
あれを食べるためだけに
香港、マカオに行く値打ちがあるぐらいおいしいです。

2003-02-06-THU

●みいこ

私は「牛乳豆腐」です。
実家が昔酪農をしていて、たまに食べたのですが、
子牛を産んだ母牛の最初の母乳を蒸す(?)と、
そのあまりの濃厚さに、牛乳が凝縮してできます。
ごま豆腐みたいな感じで、
ちょこっとだけお醤油をたらして食べる味と言ったら!!
コクがあってまろやかで優しいような・・・。
超美味です。


●shimo

生卵がまだ貴重で毎朝食べれない頃の話。
なぜだか忘れたけれど、卵かけご飯が食べたくて、
ある日の夜に親の目を盗んで卵を2つ割って、
どんぶりに入れた冷やご飯にかけて食べた。
美味しかったなあ。
ホカホカご飯ではなくて、冷めたご飯。
半熟にならず生のままご飯とからみ合う味がいい。
あれから十年、いまでも時々食べたくなる味。
いつも、うまいなあって思います。


●いっこー

小学校に上がった頃、
お母さんが「ご飯の残り」を干して、
油で揚げて砂糖をまぶしてくれました。

市販のあられとは全然違う米の味にビックリしていました。


●Kuro

南米に住んでいた時に食べた、
まるごと一匹の鯛の塩焼きです。
40〜50センチの大物を家族3人でつついて食べました。
あまりにおいしかったので、
最後は骨だけになった姿に緑茶をかけ、
それを白ご飯にかけてお茶漬けにしました。

お茶漬けをズルズルすする私と母を見て、
父はそこまですることないだろう、
という目で見ていました。


●SORA

うちは新潟出身なもので、
東京で生活するようになってからも、
お正月は新潟風雑煮
これがやはり私の一番です。
大根・里芋・焼き豆腐・カマボコ・コンニャク・
がはいって、
仕上げにトトマメ(塩漬けの筋子を茹でて作る)
彩りよく。
これを食べると、ああ、お正月がやってきたと実感。
本当に幸せな瞬間です。


●もすもす

私の家は高知の農家です。
小さいころの遊び場はビニールハウスの中でした。
おやつにいつも食べていた、
もぎたての温かいトマトの味は忘れられません。
生きているものを食べてるんだなあと、
子供心に興奮するような味でした。


●legoe

父の知人の真珠養殖屋さんからよくいただいた
真珠貝の貝柱」です。
真珠貝はシンジュを取るために飼ってるから
貝柱は流通しないらしいんですが
おいしいからってパックにぎっしり分けてもらってました。
これがもう。すっごくおいしかった〜。
勾玉みたいな形をしてて、超コリコリ。
串に刺して塩焼きにしたり、バターソテーにしたり。
上京して10年、
お正月くらいしか帰郷しない今となっては、
もう二度と口にする機会もないだろうと思えば思うほど、
もう一度食べてみたい思いは募るものですね。


●もるつ

大学受験を目前にして風邪で寝込んでいたとき、
母が作ってくれた何にも入っていない
白米だけのおにぎり(俵型)の冷えたやつと、
きゅうりのぬか漬けのまるごと1本です。

母いわく、僕がこれがどうしても食べたいと
うなされていたんだそうです。

2003-01-22-WED

●YOSHI

真冬のあんこう鍋屋さんで食べた、特大あん肝です。
鍋に入れずに、もみじおろしとポン酢でいただきました。
フォアグラより美味しいはず
(フォアグラ食べたことないけど)。
お口の中で溶けるとはまさにこの事!!
溶ける前の、ねっとり感・しっとり感は
大人で良かったと思わずにいられなかった瞬間です。
女将さんが「胆は2月よおー!」と言いきる
納得の大きさになるまで、
12月・1月の間、待ちきれない切なさです。


●柴犬子

4歳のとき、保育園帰りの格好で
母にひきずられて清水(きよみず)の陶器市に行った帰り、
何を思ったか母が間口の狭いお店に入って行きました。
そこは祇園のお店
遊びと歩き疲れとで、
子供心にも場違いと悟った
その店の威圧的な雰囲気を嫌がって、
ぐずる私を黙らせた逸品が、
最初に出された赤貝とキウィの酢の物でした。
一口食べて
「おかあさん、おいしいね。めがさめたわ。」
と言ったそうです。
茶色弁当系の母でしたが、
そんな母のわけのわからない勇気のおかげで
小さいころは貴重な経験をしていたようです。


●kaula

うちの実家は黒豆で有名な自然豊かな土地。
黒豆として収穫する前に、ちょこっとだけとって、
ゆでる枝豆(私の家族は“黒豆の枝豆”と呼んでいます)が
最高に美味しいんです。
毎年食べているけど、毎年感動します。
家族が作ったものだからかな?
とにかく柔らかくて、大きくて、
ホクホクでホワホワな、濃厚な豆の味・・!
1年に1回しか食べれないっていうのも
ポイントなのかもしれません。


●はっぱ

お歳暮だかお中元だかで
父の仕事先の知り合いから送られてきた
大きな活車海老
天ぷらにして塩で食べたのですが、
これがもンのすごーく美味しかった!
甘くてジューシーでとろけそうでした。
私はそれまで
海老をそこまで好きだったわけではなかったのですが、
これが海老の味…!!
と衝撃を受けました。
単身赴任中の父の口には入らず
私と弟と母の三人で十尾ぐらい
全部食べちゃったんですけどね。
ごめん、父よ。


●くみこ

福岡のおばちゃんちで食べたかしわの水炊き
本当の鳥の味がした。
たれは、おしょうゆって言ってたけど、
私の知っている濃くてしょっぱいおしょうゆとは違って、
色がだしのように薄くて、甘みがあった。
中学生という難しい年頃で、
父(おばちゃんの兄)が再婚し、
家庭内がギクシャクしていたとき、おばちゃんが
「気分転換に」と数週間ほど
招待してくれたときのことだった。


●セイラ

バリ島で食べたバナナホットサンドです。
関西空港のできる2年程前に行ったバリ島で、
1泊朝食付き1100円の宿に泊まりました。
朝になるとどこからかあんちゃんがやってきて
庭で宿泊客のためにホットサンドをつくってくれます。
薄いパンにスライスバナナをはさんで焼くだけなのですが
そのおいしいこと。
熟れたモンキーバナナが熱でとろとろにとけて、
まったりと口にまとわりつきます。

5日間毎日食べたけどまったく飽きない。
家に帰って作ってみたけどあの味はでません。


●ひまじん

今を去ること十数年前に、
知り合いが北海道から送ってくれた毛蟹
タラバやズワイは食べたことがありましたが、
なんといっても毛蟹が絶品!
こんな豊かな味わいがこの世にあるんだ!と感動しつつ、
鍋にして最後の一滴まで味わいつくしました。
スーパーで見かけると、買ってくるんですが、
なぜかもうあの味は出ません。
なんでー?

2003-01-17-FRI

●はさみ

去年の秋に、京都のとある
湯葉専門店で食べたお豆腐
土鍋の中に、とっても濃い豆乳が温まっていて、
そこに、お猪口一杯のにがりを自分で入れてかき混ぜ、
ふたをして、数分待つのです。

お店の方が「もう、いいですよ」といってくださったら
できあがり。
豆乳がお豆腐に。
これが、暖かくて、甘くて、ふわふわで!
もう信じられないくらい美味しかったです。
本当に本当に、美味しくて、感動して、涙が出ました。
そして、涙が出た自分にちょっとびっくりしました。


●kkirikirimaimai

あれは私が短大生の頃。
農業を営む友人の家の納屋に、
とれたてのがあったのです。
出荷前の容器に入った苺。
これは売り物じゃないから食べて良いよ。
と友人。
大きさが揃ってなくて、色もまばら。
でも、ひとつ口の中に入れると、とても甘くて・・・。
この時ほど、実家が農家ってうらやましいと
思った事はないです。

●まりりんパパ

14年前、新婚旅行でスペインに行きました。
スペインの片田舎のドライブインで飲んだ
エスプレッソコーヒー
です。
あまりにも美味しかったので
旅行から帰ってきてエスプレッソマシンを買って
自宅で飲んだのですが、あの味は出ませんでした。


●プー次郎の妻

小学校低学年の頃(昭和40年代前半)、
山の中の母親の実家で盛大に行われた
田植えに連れて行かれ、
昼ごはんに出た伊勢海老の味噌汁
何度お椀を箸で引っ掻き回しても、
海老のかけらも発見できなかった。
にもかかわらず、極上の伊勢海老フレーバー
成人してから、母親に、
忘れられないこのお味の話をしたら、
あれは、前日の身内の結婚式で出された
伊勢海老の刺身の殻の方をダシに作った、とのこと。
お椀の中に殻すらみつからなかったのは、
田植えの労働力として
認められていなかったからでしょうネ。


●oko

私は1953年の生れで、
中学一年生のときの思い出ですから、
1966年のことになるでしょうか、
山の方に住むクラスメートと仲良しになって、
遊びにゆきました。
農家で大人が野良仕事に行くので
子供がお炊事はするということに驚きました。

もちろん毎日のお炊事は
ガスや水道のある台所でするのですが、
私を歓迎して、お滝場で
彼女が作ってくれたお昼ご飯が忘れられません。
町で買ってきた鶏ひき肉を使った炊き込み御飯
歯釜で炊いてくれて、
七輪で焼きナス滝で冷やしたスイカ
スイカの皮は塩もみにしてお漬物代わり。
町の子だった私は薪拾いを手伝ったくらいでした。
のちのち主婦になってから思い出すと、
改めて感心します。
あの日から、焼きナスが大好きにもなったものです。


●きゃつ

昔の話ですが、学生のころ、
ひそかに想いをよせていた人がいました。
ある時その人に、
「ベトナムに行ってきたおみやげです」と
ビン入りのまぜもの無しのハチミツをもらいました。
(ビンにはベトナム語がかいてありました)
私は家に帰り、フレンチトーストを作り、
それをかけてたべました。
とても甘くて、とろとろで、
かすかに花の香りがしました。
懐かしい、忘れられない味です。


●い

焼きタケノコ。
まだ五右衛門風呂があったときのこと、
義父が裏山から取ってきた「大名竹」を
風呂の下の灰の中に突っ込んで置きました。
焼けたら皮を剥き、
それに酢みそを付けて食べさせてくれました。
タケノコがあんなにおいしいとは。
今では義父も亡くなり五右衛門風呂もありませんが、
5月から6月頃に焼き肉をする時、
網の上で焼いて食べます。
でもあの味とは少し違う気がします。

2003-01-13-MON

●妖精

まだ私が子供の頃、
豆腐屋だった我が家はいつも忙しく、
おやつなんて、めったに用意してくれませんでした。
でも冬になると、
おもちを油揚げの鍋で素揚げして
それに砂糖をまぶして食べてました。


●智ピー閣下

OL時代、会社の先輩に奢ってもらったお寿司。
時価の大トロは、めまいがする程、舌が衝撃を受けました。
例えて言えば、普通の世界で、普通の人とする恋愛と、
トム・クルーズとする恋愛とでは
次元の違う感覚があると思うんです。
トム・クルーズ級と恋愛せずに終わる私には、
一生、知りえない五感の感動、
そういった未知なものを大トロは教えてくれました。
舌には「甘い・辛い・苦い・酸っぱい」だけじゃなくて、
こんな感覚も感じることが出来たんだ、人間って。

とびっくりしたものです。


●ぽんたろう

中学生の頃、父が海で取ってきた「ウニ」
家の井戸端で剥いてくれて、
すぐに熱々のご飯にしょう油を一垂らしして食べました。
「ウニ」の甘みと潮の香りが口の中に広がりました。
ウン十年経った今でもよみがえります。


●かんちゃん

小学校5年生のとき、
発熱して一週間ひかなくて、
楽しみだったプラネタリウム見学に行けなかったとき、
つめたく冷えた桃を剥いて、母が持ってきてくれました。
熱でぐったりした身体に、
甘くて冷たい桃が美味しくて、
物を食べて涙が出たのは、
後にも先にもこのときだけです。



●ヒロ

蒸しジャガで作る肉ジャガ。
いつもの肉ジャガを作る時、
ジャガイモだけ別に蒸します。
蒸せたら適当な大きさに砕き、
他と混ぜ、味をなじませる。
これ、煮崩れたイモも好きな人にオススメ。
中はホクホク、外側はトロホロ。
目からウロコっすよ。


●tomo

日本で街角の栗といえば「天津甘栗」。
でもイタリアでは「焼き栗」でした。
ミラノのドォーモの前の広場で食べた栗は、
粒が大きくって、甘くって、柔らかくって、
あったかくって、ものすんごいおいしかったです。

しかもとっても安かった覚えがあります。
本当はもっといっぱい食べたかったのですが
「いやしい」と思われたくなくって、
1袋でやめた事を今だに後悔してるくらいです。


●どらえもん

私が小学校の2年生くらいだった頃、
岡山で、納豆はそんなにポピュラーではありませんでした。
その頃、今は亡き父が、納豆を買ってきてくれ、
生まれて初めて食べました。
世の中に、こんなに美味しいものがあるのかと思うくらい
美味しかったです。

父は好きだったけど、母は納豆の匂いが嫌いで、
実家にいるときは、あまり食べませんでした。
結婚して、主人も納豆の匂いが嫌いで、
だから、私は、主人と子供たちが夕食を食べ終えてから、
3個100円の納豆のパックを開け
ご飯と一緒に食べるのです。
でも、なんで、
あんなに父に分けてもらった納豆が美味しかったのか、
いまだによくわかりません。

2003-01-07-TUE

●nyar

かつて田舎のタウン誌を作っていたとき
グリーンアスパラの記事を書くことになって、
高校の同級生で農家を継いでいる友達に
電話取材をしたことがあります。
一通りを聞いたあとで、
農家の人しか知らない美味しい食べ方があったら教えてと
聞いた時の答えが、
」。

明け方の気温が上がる前に収穫したものをその日のうちに、

1.気温が上がると甘みは根に戻ってしまう。
2.アスパラは呼吸量の多い野菜なので
  すぐ生きが悪くなる。
  良く洗って味噌マヨネーズをつけ
  生でバリバリに限ると。

取りにくるなら1kg1千円で分けてあげるといわれ、
迷わず4kg買いました。
約束していた友達に2kg渡し、持ち帰った2kgのうち、
半分近くを一気に食べてしまいました。
別の知り合いの農家の方にも、
出荷できないサイズだからと、
不ぞろいの生のホワイトアスパラを頂いたことがあります。
これも指定どおりにお浸しにしておかかと醤油で。
口福とか、目ウロコとか、人生観が変わるとか
そういうモノが嵐のように全部やって来る体験でした。

あんな美味しいアスパラ、もう食べられないだろうなー。
土の近くでお仕事されてる方は、ホント、すごいです。


●maruko

発売当時のカップヌードル
プラスチックのフォークが付いてきたよね。
必ず。
こんなうまいものが、世の中に!?
と思いながら食べていたけど・・・。


●くう

京都の大市のすっぽん鍋と
そのスープを入れて飲んだ熱燗
です!
世の中がバブリーなころ、
別になんの恩恵もこうむっていた
わけではない一介のOLだったのに、
世間の浮かれ気分に乗せられ、
友達と2人で京都まで
すっぽんを食べに行ってしまいました。
おひとりさま19800円だった気がします。
後にも先にも、そんな高いものを食べたことはないです。

その後、荒木経惟さんの
「センチメンタルな旅・冬の旅」で病床の奥様が
大市のすっぽんなら食べられるかもしれない
と言うので、連れて行ったというような話を読み、
私の中の記憶はますます理想化され
幻の崇高な食べ物」となりました。
生きているうちに、もう1回食べてみたいです。


●ありがとう!

小学2年生の時、クリスマスに食べたしゃぶしゃぶ
父が会社を起こして3年、
やっと軌道にのってきた記念として、
家族みんなで食べにいきました。
口に入れた瞬間に、お肉がとろけて
どこかにいっちゃったのにびっくりして
夢のようだ…」と呟いたら、
仲居さんに笑われました。
母も笑いながら泣いてました。
本当においしかった。


とよんとよん

30年ほど前の10歳くらいの時に食べた
紙袋にバターがしみた
生まれて初めて食べたクロワッサン
小さなベーカリーの品でしたがホントに美味しかった。
あの新鮮な感動をもう一度味わいたい!


●はらっち

どこで食べたというのはないのですが
宮崎生まれの私が上京してきて
一番うまいと思ったのは「ちくわぶ」です。

こんなおいしい物があるのかと感動しました。


●ぱーる

一番美味しかったモノと言えば、
もう15年以上前の話ですが、
祖父の退職祝いの時に食べた「伊勢エビのお造り」です。
親戚一同が集まり海辺の料亭で食べたのですが、
甘くてプリプリしていて思い出すだけで
ああ幸せ」って感じです。

2002-12-26-THU

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