まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.27>

●JUN

中学校の国語教師。
たいへんいいかげんなヤツで、
なんてったって授業をサボる。
そのためいつも自習ばかりでした。
そんな教師ですが、
意外と几帳面に、
授業参観もサボり通したときには、
ちょっとエライナと思いました。


●nogu

高校の時の化学の先生は、
かなり加藤茶に似ていた。
どのくらい似ていたかと言うと、
教員室の自分の机の横に
生徒からもらった加藤茶の人形を
ぶら下げていたり、
ホワイトボードにいつごろか書かれた
加藤茶=自分の似顔絵を
私が在学していた3年間の間、
誰かが消そうとする度に
必死で守りとおしていたくらい似ていた。

今でも、その先生について語る時、
「○○先生がさ・・」
「誰だっけ、それ?」
「ほら、あの加藤茶に似てた先生だよ」
という前置きを必ずする。


●ぐー

高校一年の担任のY先生は、
指示代名詞を多用してしゃべる先生でした。

「みなさん、いいですか。
 あれをそれしてこうしてください。」

私たち生徒がきょとんとしていると

「みんな、何しろがんばれ!」

今でも、何をがんばればよかったのか不明です。


●もっち

高校のときの数学教師「おかもん」。
顔はいかついけどとても気さくな先生で、
脱線話が面白かった。
そんな彼は何を隠そう超がつくほどの、

「長島(茂雄)信者」。

ある日、授業のためにいつものとおり
教室に現れた彼を待ち受けていたのは、
黒板すべてをうめつくした
「ながしましげお」の文字・・・。
「ながしましげお」を消すことができない先生は、
私たちを屋上に連れ出し、
時間いっぱい脱線話をしてくださいました。


●お稽古

今日、閉店まぎわにTSUTAYAに行き、
ビデオ返却しようとした。
レジは数人の客が並んでいて、
そのなかに中学校時代の部活の顧問がいた。
会ったのは5年振りぐらいで、
その当時は自分の意見が間違っていても
認めない人だったので、嫌いだった。
でも、その返却したビデオが、
私が借りたやつと一緒だった・・・。
意外といいヤツなのかもしれない。


●かずみん

中学校の時の理科の先生は、
ヘリコプターのことを
「へりこぷーた」と言っていました。
授業中私達が指摘すると、

「へ、へ、へり・・こぷうた」

とうつむきながら
真っ赤になって言い直していました。


●しょしょ

“世界史”の先生が、授業中に突然、

「俺は過去を振り返るのは嫌いだ!」

と叫びました。
びっくりしました。
自分の職業を真っ向から否定するその大胆発言に
感動すら覚えました。


●ぴろぴろ

高校時代の現代国語の先生です。
難解かつ非常に偏った授業で有名でした。
生徒が質問に答えられないと
「おまえはミジンコだ。次、隣」
と言って、答えが出るまで
横一列が“ミジンコ”になります。
横の列が全滅すると、次は縦の列に移ります。
すると、縦と横で2回当たる人が出ますね。
2回目も答えられなかった彼または彼女には
こう言いました。

「おまえはダブルミジンコだ」

ちなみに“アメーバ”バージョンもありました。

2002-01-07-MON

●らるが

高校の時、国語を教えていたおじいちゃんT先生。
女子高だったのでなんとかウケようと、
みえみえの準備をしてきて、黒板に向かい
「今日は暑いなあ」
と言いながら上着を脱ぐのです。
すると、ベストに大きな穴が・・・。
これを夏中やるのです。
そんな先生が可愛くて、
みんなで爆笑してました。


● 紫秩父

あれは小学校5年の朝の出来事です。
「ガラガラッ」
先生は戸を開けるなりやたらと元気な声で
「おはようございまぁ〜すぅ!」
というと同時に、
突然口元を押さえゴミ箱にダッシュしました。
「何事だっ?」
クラスの大半が見守る中、
その先生はそのゴミ箱に
「ゲロゲロ〜っ!」と戻しました。
ひとしきり吐き終わると
「いやぁ、二日酔いで・・・」
と、小5の僕らには
「その感じはわからん・・・」でしたが、
とにかく「二日酔いはきっと吐きたくなる物」
というキーワードを
頭にインプットさせられた出来事でした。
教室で吐いた先生は
後にも先にもこの先生だけです。
今も元気ならいいのですが・・・。


● エミリオ

私の高校はカトリックの女子高でした。
校長先生は、とっても怖くて厳しいシスターで、
“ブルメス”というあだ名でした。
ブルドックのメスみたいだから、という理由です。

でも浪人中の12月のある日、
「神の御加護がありますように。
 頑張って!」

というクリスマスカードが届きました。
ブルメス校長からでした。
もう卒業した私に、
励ましのメッセージだったのです。
今でもじわっと嬉しくなる思い出です。


● さのまおまお。

K野先生は高校の時の生物の先生でした。
どっちかっていうと、
ぼんやりしていて、ぽやぽやっとした
カバのようなK野先生は
当然のごとく女子高生になめられまくり。
やれ自習にしようだの、
今日は授業を早く切り上げようだの、
寒いからストーブの周りで授業しようだの、
散々好き勝手言って、
授業をマトモに聞かないのでした。

そんなK野先生。
2学期の期末試験も間近な頃、
なぜだか丹波哲朗にえらく傾倒したらしく、
テストの問題に

『死後の世界についてどう思うか?』

などという配点が30点くらいの
文章問題を出してきました。
死後の世界って・・・。
あんた、生物の教師なのに・・・。
生き物の話しようよ。


● ICHI

ボクの中学の音楽の先生に
「メーデル・ハーデル」
というあだ名の先生がいました。
ただ、残念なことに
ボクは他の音楽の先生だったので、
ものすごく想像が膨らんでしまったわけです。
すごく奇麗で音楽家みたいなネーミングに、
さぞかしスゴイ先生なんだろうなぁと、
いつも思っていました。
そんなこんなしているうちに幼なじみのヤツに、
その先生のことを聞いてみたら、

「単に、目と歯がでているからやで」

とのこと。
実際、ほんとにそうでした。


● kakiko

高校の英語の園城寺先生。
女子校で、圧倒的に女性の先生が多いなかで、
珍しく男気のある感じの方でした。
木造校舎で勉強中、
けっこう強い地震が来たときに、

「死なば諸共(もろとも)だ」。

インパクトが強すぎて、
今でも地震が来ると、
呪文のように唱えてしまいます。


● さいこ

私の小学校の教頭先生は、
とても穏やかで優しげな先生でした。
終業式の挨拶はいつも、

「死ぬな・怪我すな・病気すな」

で締めくくってました。
生徒達も毎年のことなので、
先生と一緒に言ったりして。
卒業し、地元の中学校の入学式の時。
先生から祝辞が届き、
中学校の先生が読み上げました。
それはやっぱり、
「死ぬな・怪我すな・病気すな」で
締めくくられておりました。
同じ小学校だった子は大喜びで、
私も懐かしくて大感激でした。
その先生が亡くなったと聞いた時は、
本気で悲しかったです。


● それでも1児のハハ

小学4年生のとき。
女子生徒だけが体育館に集められ
「初潮の仕組」に関するビデオを見せられました。
みんな興味のあることなので、
いつもは騒がしい女の子たちも
静まり返って熱心に見ていました。
しかし、ビデオ終了後
壇上に立った家庭科のおばあちゃん先生が

「初潮は、だいたい身長が
 155センチ以上になったらはじまります!」

ときっぱり言い放ったので、
今にもはじまる! と青くなる子や、
大人にならないとはじまらない〜と
がっかりする子で大騒ぎになってしまいました。
何を根拠にそんな説を・・・。
先生、私、33歳になった今も、
身長150センチしかないんですけど・・・。


● ogawa

小学校時代の恩師が

「昔は馬が道のどこにでも糞をした。
 そこに生えてくる茸を
 『馬糞茸(まぐそだけ)』と言った。
 ほっつき歩って
 どこにでもいる奴のことをそういうんだ」

・・・三十路独り身のワタシ、
落ち着き無くふらふら遊び歩いてるときに
この言葉を思い出します。


● のこ

毎年年賀状の時期になると思い出します。
小学校2年生の時に来た年賀状に、

「宇宙の星からこんにちは、
 ケケメル星人、ネテンハハロ」

と、書いてありました。
それは当時の担任の筆跡で書かれていましたが、
ひょっとして・・・と、ドキドキしたものです。

2002-01-03-THU

●かば

「11歳下も9歳下もかわらんだろっ!」

「いいや、違う。
 10歳を越えたら犯罪なんだっ!
 俺はそこは守ったっ!」

多感な中学生だった私の目の前で繰り広げられた、
男性教師二人の会話でございます。
おわかりかと思いますが、
奥様との年齢差です。
翌日からこの二人をどういう目で見ていいのか、
悩んだものです。


● 美央

高校の頃の政治経済の先生の話。
たしか経済の話で
銀行には現金が山積みであるわけではない
という事を力説したあとで

「いいか、わしの授業をうけた奴で
 銀行を襲った奴がいたらわしが撃ち殺す。」

と言ってました。
そしてさらにひきまくっている生徒を前に
先生は続けました。

「襲うんなら、現金輸送車を襲え!」

何が彼にそこまで言わしめていたんだろうか。


● yuki

私の思い出の先生は、
幼稚園の時の“きゅうりのおばちゃん”です。
先生ではなく用務員のおばちゃんで、
本名は“キュウチ”だったと思います。
だけどみんな覚えられなくて
“きゅうりのおばちゃん”と呼んでました。
ある日いじめられっこだった私が
幼稚園に行くのをいやがってメソメソ泣きながら
職員室の前を通りがかった時、
きゅうりのおばちゃんが言いました。

「なんで泣いてるん?」
その時泣き虫のくせに強がった私は、
「泣いてるんちゃうわ、まぶしいねん。」
おばちゃんは笑って、
「それやったら、目の下じゃなく
 目の上に手をおかなあかんやん。」
って私の手を目の上に持っていってくれました。
それから私がいじめられて泣いてる時は、
いつも笑って明るく
「まぶしいんか?」
って手を目の上に持っていってくれました。
なんだか、
「おばちゃんはアンタが強い子って知ってよ。」
って言ってくれてるみたいで、嬉しかったなぁ。


● よしよし

私が小学5年の時にいった
サマースクールでのこと。
入浴がすんで、
みんなでわいわい夕食の配膳をしていると、
見知らぬ女性がいるのです。
慌てて隣にいたk子に、
「あの人だれ?」
と聞くと、いとも簡単に彼女は

「いやだーー! M先生じゃない!」

と、答えてくれたのでした。
私は、そのとき生まれてはじめて、

女の人の化粧というのは、恐ろしいものだ

と悟りました。
今では私も、
ごみを捨てに出るときでさえも化粧する毎日です。


● るる

高校時代の英語の先生は、
70くらいのおじいちゃん先生で、
江頭先生といった。
なので、「えがじい」と呼んでいた。
彼は、英語の構文で
「provide〜with〜」とかいうやつを、
こう発音する。

「ぷろばいど、ぶるぶる、ういず、びらびら」

え、ひょっとして波線(〜)のことか?
と理解するには少々時間がかかった。


● あたふぉな

大学時代のO先生の言葉。

「人生の喜びとは、
 “ガバ”のモーメントがいくつあるかだ」
 
思わず「ガバっと」飛び起きてしまうほどの衝撃を
彼は「ガバ」と名付けていた。
歳をとるにつれ、
なるほどなあ、と思うことしきり。


● じんろう

高校の時の英語の先生。
授業を始める時に必ず

「英語は学問ではなく、言語である。
 読み書きよりも
 会話出来る事の方が重要である。」

とご立派な前置きがありました。
で、修学旅行。
京都の某ホテル前で自由行動となり解散。
先生達もきままにお散歩。
と、哲学の道の前でばったり、その先生に遭遇。
そこへ外人さんが
「Excuse me, we're lost. Can you help us?」
と言いながら接近。
期待して先生を見つめる我々生徒一同。

「I don't speak Englis〜〜〜〜〜〜〜sh!」

と言いながら哲学の道を走って逃げた先生・・・。
修学旅行後、
彼は二度と前置きを語る事が無くなりました。


● エム

大学2年の時、万葉集がご専門の先生の授業を
とっていたことがあります。
もう来年定年というおじいちゃん先生でしたが、
軽い江戸っ子弁が粋な感じの人気者でした。
ある日先生が、授業中突然煙草を取り出して、
ぷかぷか吸い始めました。
「え?いいのか?」
と思っていると、こんなことを言い出しました。

「僕は、結婚してから
 ベッドで寝たことがほとんどない。
 夜中に調べものしてて、
 何かわかったりすると寝るのが惜しくなるんだ。
 眠くなったら、
 ウィスキーをあおって無理矢理目を覚ます。
 一段落ついたら書斎のソファで仮眠をとる。
 こんなことを最近までずっと続けてきたんだ。
 女房には悪いことをしたと思ってる。
 だから、ここを定年になったら
 少しのんびりしたいと思ってる。
 もっともそれまで生きてられるか
 わからないけど。」

しんみりした口調で、
ゆっくり煙草をふかしながら
そんなことをおっしゃってました。
それから数ヵ月後の1月のある朝、
新聞を見たら、
先生のお名前が死亡欄にありました。
ひたすらショックで呆然としました。
それからさらに一ヶ月位あと、
大学の機関誌が
その先生の退官記念号を出していました。
先生の経歴の部分を読むと、
「2000年3月退官」の後に
「2000年4月○○女子短期大学学長就任」
とありました。
海と山の間、
自然の豊かそうな所にある短大でした。
それを読んだときは、
もう泣けて泣けて仕方なかったです。
直接お話はしたことなかったけど、
先生に万葉集を習えたことは
幸せだったなと思います。

2002-01-02-WED

●みぃ

あれは小学校の時ですね。
休み時間から始まり、
授業開始のチャイムを無視して
仮面ライダーごっこにあけくれている
3人組がいました。
そこへ担任K登場。
注意してもなかなかやめない3人組に一言。

そんなに好きなら
 お前らこれから全員ショッカーだぞ。
 いいなっ


そして授業が始まりました。
担任K
「S村、42ページから読んでみろ」
S村君
「はい。その時ちいちゃんは・・・。」
担任K
「ちがうだろ、君は今ショッカーなんだ。」
S村君
「え?」
担任K
「ヒーっていわないと駄目だろ。」
S村君
「ヒーッ、その時ちいちゃんは・・・。」

もちろんほかの3人も同じ目に。
今思えば問題かも知れませんが、
そのときは純粋におもしろかったです。


●美央

うちの高校の時の歴史の先生。
発掘など考古学が趣味だったらしく
骨などが見つかると
「毒殺された骨には
 色がついているからわかります。」
などとよく云っていました。
そしてついには

「みなさん、死体を埋めるときには
 なるたけ野ざらしにした方が
 早く白骨化しますから。
 よく事件なんかで
 埋めた死体がそのまま残るのは
 上から土を叩き固めるからです。
 だからなるたけふんわりと埋めましょう

と云っておりました。

先生は一体何を教えたかったんだろうか


●パンダ

小学校5年のときの担任。
見た目は館ひろしのようにダンディで、
運動会には黒いジャージにサングラスでした。
その先生がゆとりの時間にしていた
クラス全員でするバスケット。
通称「殺人バスケット」。
ゴールする以外はなんでもあり。
先生が一番怖く、
子供を押し倒してボールを奪ったり、
体当たりしてシュートしたり。
気がつくと友人の髪の生え際から
真っ赤な血がタラっ・・・。
それでも試合は続行してました。
でもなんだかとても楽しかったなぁ。


●Xin

大学時代の社会学の先生。

出席したりしなかったりの授業だったが、
それでも試験だけは受けてみた。
試験はALL持ち込みOK。
出題は1問。
先生が黒板に書き出した問題は、

わたしはこの1年間で
 3回間違ったことを教えました。
 さてどれでしょう?


だった。やられた。
でもその先生が好きになって
翌年は皆勤で試験に臨んだ。
案の定、同じ問題だったが
「間違い」が分からず、結局2連敗した。


●さんきち

高校のときの英語の先生。

オレは、大切なところは
 “だぜ”と言うからな。


という最初の言葉通り、
授業で重要なポイントにくると、
「ここは、大切だぜ!」と叫ぶ。
(この人の「だぜ」は、「だ」にアクセントです)
もっとも、よく覚えているのは、
「ビートたけしは、芸能人だぜ!」
ってやつ。
確か、「beto不定詞は、○○だ」という公式の、
ゴロ合せでした。
もちろんあだなは、「だぜ」。


●ROKU

乞食と坊主と先生は三日やったらやめられない

と教えてくれた先生がいた。
何を教えてくれようとしたのかは、
今もって不明だ。


●kazu

男子高校の社会の先生。
陽気で男気があって良い先生だった。
ちょっと頭頂部が薄いのが気になるかな
って感じだった。
あるひ、教室に入って来た。
髪の毛がふさふさだった
皆びっくりした、正真正銘目が点になった。
唖然とした。
教室中シ〜〜ン。
其処で先生が一言

・・・っという事で今度結婚する事になった。

・・・・・良い先生だった。


●Katchen

社会人になってからなんですが、
会社の同僚が行っていた高校は食堂があるので
学生と時間が合わないし、
安いから行ってみました。
食堂にいったら受け付けのおばちゃんに
指輪をじゃらじゃらしていたら
「派手になって〜」
と言われ卒業生でもないのに
「そうですかね。お元気でしたか」
なんて言葉を交わし、
隣で食事が来るのを待っている先生が
わたしを見て、
「何か見た事あるな」
と言われ、わたしも
「お久しぶりです」
と挨拶し、
「元気だったか」とか
「こいつ学生の時、悪かったんだよ」
と同僚に説明していました。

ちなみにわたしは
その高校とは全く関係がありません。

この学校を卒業した同僚の立場は・・・・。


●ほうわ

中学の時の中年おばさんT先生。
音楽教師であった彼女に
ついたあだなは『うま』。
そのまま、馬面だったから。
しかも髪はゆるやかな、アイパー。
男子生徒になめられまくってた『うま』は、
よく授業妨害を受け、
泣きながら飛び出していったっけ・・・。

そんなある日、いつものように
妨害され号泣したうまが
いつもと違ったのは
職員室には行かず、
ピアノをばんばか伴奏しながら
『魔王』を熱唱しだしたこと。

髪を振り乱し、なかば半狂乱で『魔王』を。
(もちろん父と息子のパートもひとりで)
恐れをなした男子諸君が謝った時の、
あのうまの鼻水と涙で、
ぐでんぐでんのニカっと笑った顔は、
今でも忘れられません。


●メリークリスマス

クリスマスになると思い出します。
中学の担任だった先生が、
私が社会人になってすぐくらいに、
突然、北海道から手紙を送ってきて、

今、札幌にいます。
 ふと、君を思い出して、
 ホテルからイルミネーションを眺めながら、
 この手紙を書いています・・・


と、まるで、ラブレターのようでした。
私も先生に憧れてたのでうれしかったけど、
あとで、もう結婚されていて、
お子さんもいるって聞いて、
ショックだったな。
ほのかに期待しちゃったのに。

2001-12-25-TUE

●吹奏楽部員

高校時代。
厳しいと有名な漢文の先生。
放課後、学校の中庭で
個人練習をしている吹奏楽部生に向かって

俺の校舎に向かって
 騒音を出すなぁぁぁぁ!!!


勢いよく窓は閉められた。


●よ

高校の日本史の先生T(30代後半)。
何かへまをやると、決まって
「あああぁぁっっ!
 ごめんなさいごめんなさい」
と両手で頭を抱え込んで懺悔する
かなり下手でおとなしい先生。
ある日、「学園紛争」がテーマの授業の時、
「ぐわあっっ!!!!」
と叫びながら誰かが教室に入ってきた。
教室は一気に静まり返った。
見ると、真っ赤なヘルメットをかぶり、
サングラスとマスクをつけ、
手には空き教室から取ってきたと見られる
鉄パイプを持って、
教室の入り口でポーズをキメている
先生の姿が・・・

そして、

「こ、こんな格好している人たちが
 たくさん大学にいたんです」

といつもの口調で、
しかも微妙に満足げに解説した。
そしてあの時、
サングラスをサッと取ったときの
先生のさわやかな顔を私は忘れることはできない。


●エム

数学のH先生は、
ちょび髭が似合う
ちょっと素敵なおじいちゃん先生でした。
ある日、そのH先生は突然お休みされました。
おじいちゃんだし、
どうしたのかなぁとみんな心配していました。
数日後、元気な姿で数学の授業に現れた先生。
授業の合間の雑談で、
お休みした理由を説明してくれました。

先生な、こないだ駅のホームから
 落ちちゃったんだ

 その日は先生、
 お酒をたくさん飲んで酔っ払ってたんだ。
 で、その時な、
 駅のホームに目の見えない人用の
 黄色いツブツブあるだろ。
 あれは本当に役に立つのかって・・・

 ふっと思っちゃったんだ。
 それでな、試しちゃったんだ
 目をつぶってこう
 (と言ってカカシのようなポーズをとられ)
 ツブツブの上を歩いたんだ。
 いーち、にー、・・・ストーンッ!だったな。
 おかげで肋骨が折れちゃったんだよ。
 あれはプロの人じゃないと
 怪我するものなんだって、先生わかったぞ

 みんなも気をつけるんだぞ。」

プロとかそういうことなのか?
でも今、酔っ払って駅のホームに立ったときには
先生のそのお話を思い出したりします。


●ばすけ

高校3年の時の国語の先生。
40代半ばの男性だったのですが、
なにしろ彼はちっちゃい
150センチあるかないかってぐらい。
そんな彼についたあだ名が「小芋」。
ところがある日、
その小芋が顔に大きな大きな
赤茶のかさぶたをこさえてやってきた。
なんでも自転車で転んで
顔から地面に激突したらしい。
で、新しくついたあだ名が「焼き芋」。
でもみんなわりと焼き芋が好きだった。


●ab

現代国語の先生。
神経質そうなくらい、
やせた目の大きな先生でした。
笑顔で教室に入ってきた先生は、
元気に明るくいつものように授業をしていた。
ところが、突然、先生の言葉が途切れた。
そして、沈黙。
生徒の静かな驚き。
しばしの後、先生の震える声。

「きみ達。
 ぼくはきみ達のために、
 昨日予習して、それを録音して、
 何度か聞き返して、これでよいと完成させて、
 今日のこの授業に臨んだのだ。

 もちろん、冗談を考え、
 授業の合間に・・・
 ここで先生冗談をいう・・・
 生徒笑う・・・
 と録音してだ。
 それなのに、聞いているのかいないのか。
 ぼくの冗談に誰も笑わない。 ・・・。」

それから、しばらくうつむいてしまった。
生徒の誰もその冗談に気づいていなかった様子。
先生は涙を浮かべた。
その涙を隠そうともしなかった。
そして、手で涙を拭い、先生は歌い始めた。

「白〜鳥や〜。
 悲〜しからずや。海の〜青。空の〜青にも。
 染ま〜ず漂う〜。」

それは、透き通った声でした。
その後、先生は
黒板に「若山牧水」の名前を書いて、一礼した。
それは、若山牧水の歌を歌ったことについての
一礼だったのか。
単に歌った後の一礼だったのか。


●息子

高校の時の担任、アダナはずばり「親父」。
彼は、真紅のジャージ姿とその風貌で
学校のどの教師よりも異彩を放ち、
生徒に恐れられ、また慕われていた。
そんな「親父」が
定期テストが近くなったある日の言葉

「いいか!お前らぁ!
 目の色、三角にして頑張れ!!」

お、親父い・・・
それ以来辛い時、私は
“目の色、三角”にして
頑張るよう心がけています。


●YUKO

大学の先生なのですが、
試験前、質問に先生の部屋に行くと、
他の学年の生徒とビールをを飲んで
酔っているN先生がいました。

一緒に飲むか?

って・・・・お昼なのに。
っていうか、学校なのに。


●なす

中学校の時、
保健の授業もやっていた体育の先生(男)。
欲求とマスターベーションの説明に入ったとき、
からかっては笑う男子に向かって一言。

マスターベーションは悪いことじゃない。
 先生も今朝してきたばかりだ!


当時は特になんとも思わなかったのですが、
今思うとそれもどうかと・・・・。


●C

一番人気があった数学の先生、
あだ名は“ヌー”でした。
本名が、漢字で「またいち(又一)」だったから。
わたしは当時、ひねくれモノで、
ヌーの事を、
“人気の先生なんて胡散くさーっ、
 どうせ口だけやろ”
と思っていたのですが、
その先生が、
おかしい話ばかりする合間に言った一言は、
今でも忘れられません。

ほんとに信頼できる奴が
 一生のうちに5人もいれば上出来や。
 家族も含めてな。


だれからも好かれたヌーがそんな事言うなんて
似つかわしくないなあとおもってたのですが、
この言葉のおかげで、
自分は人付き合いも下手だし、
友人も数は少ないけど、
恵まれてるなあって思います。
明るくて、友達がたくさんいることが
いいことだー、
友達作らなくっちゃーという強迫観念からも
自由でいられる。
数学は嫌いだったけど、
やっぱりヌーはわたしにとって先生です。


●コッコ

高校の時にいた先生。
数学のU(オトコ)先生。

ある寒い冬の日、噂が流れました。
私の学校は当時、修学旅行はスキーでした。
その為に新品の板を購入し、
寒い日には霜が降りた渡り廊下に
スキー板をおろし、
密かに特訓しているらしい・・・
と。


●ふにゃ。

高校の時の歴史の先生。
ある日、何の脈絡もなく、

人はなぁ、誰かとつきあうときには
 『この人とはいつでも別れられる』
 という気持ちでいなければいけないんだ


と、一言。
そのとき、彼氏とラブラブだった私は
「なんのこっちゃ?」
と思ったが、大人になって、
いろいろ別れを経験するたびに思い出す。
名言でした。
寝ないで、もっとちゃんと
授業を聞いておけば良かったと思います。
マジで。

2001-12-23-SUN

BACK
戻る