まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.06>

◆「まるでハガキのように」によせられた
「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。

● よしたけ
子供の頃「蟹江敬三」の「蟹」の字がコワかった。
蟹江敬三さんご本人もちょっとコワかった。
蟹江さんごめんなさい。


● とことことん
物語の主人公になりきっていた小学生のころ。
自宅近くの川にしょっちゅう洗濯に行っていた。
もちろんじいさん役の友達は芝刈へ。
お気に入りの洋服を、ザブで洗い、
早く桃太郎が流れてこないかな−と待ちわびていた。
あるとき通りかかった近所のおばさん。
「便所の水流れてっとこでさ、何やってんの?」


● アラレ
男の子のお尻に女の子のような割れ目がないことを知って、
本当にびっくりした。それまでは、
立ってする便器のときと、女性用の座る便座のときで、
おちんちんと割れ目を使い分けられるのだと思っていた。
女性は座ってしか出来ないので、
それで普通の家は便座タイプなのだと思っていた。
20ン才まで。


● すかん
「お父さん」「お母さん」「お姉ちゃん」皆頭に
「お」をつけるのに自分の事には「お」がつかない事に
引け目を感じ、ずっと「お僕」と言っていた。
少し背伸びし「俺」と呼ぶようになって、止めた。
おおれ・・・?


● 稲荷
糸井さんは、紙のコピーをして生計をたてている。
と小学校中学年のときは、思ってました。
そんなんで生きていけるんだなぁトカ考えたり、、、、。
コピーライターと気づいたのは
「糸井重里のバス釣りNo1」が、紹介されたときでした。


● うるる
小学校の頃、占いやジンクスがやたら流行っていた。
その中に「デジタル時計の数字がゾロ目になったら
(2時22分など)親指を隠して心の中で
願い事を唱えると叶う」というのがあった。
デジタル時計がゾロ目になるたび、律義に親指を隠して
必死で祈っていた。でもそれで願いが叶ったことはない。
それでも未だに、デジタル時計をふと見た時に
ゾロ目になっていると、どうしても親指を隠してしまう。


● ナオミント
いたいけな少女だった頃、
トイレで用を足すスタイルを様々試そうと思った。
便器に後ろ向きに跨り用を足してみたりしたが、
ふと男子の立ちションに興味を持ち、
果たして女子でもできるのか否か気になり、
実践したことがある。
和式トイレだったのだが、出来た。
しかし、自分でその小便のでる方向があまり上手く
調節できないことは難であり、
またしゃがんでするのと違って立ってするというのは
便器の水面までリーチがかなりあり、
その飛沫のすごさにびびったという爽やかな記憶がある。

2000-02-23-WED

● フトン
ツツジの花の蜜はおいしいと聞いて、
友達と3人で必死になって近所の家に植えてある
ツツジを吸っていました。
いつのまにかツツジが全部なくなってしまって
足元には花のがいっぱい。
あたかも咲いているように見せかけて花を葉の間に
差し込んでおきました。
次の年花が咲かなかったら私たちのせいだと
本気で心配してた。でも咲いた。


● ム。
そこを通るとタタリがある、という「呪いの階段」が
近所に1つ2つあった。
今思えば、その階段の両脇には民家があったのに
その家の人たちはどうしていたのだろう。


● こお
" 孫とおじいちゃんの会話"

孫「アイツんちねー、すっごい貧乏なんだよ!
  なんかビンに一円玉いっぱい貯めてた!
  百万枚位あったよ!」

祖父「そりゃお金持ちだねぇ。」

孫「なんで?一円玉ばっかだよ?
 (言いながら"あれ?"と思っている)」

当時4歳、超実話。


● しょういっチ
ガキの頃は、バカだったなぁ。と思うことって何?
と彼氏に聞いたところ子供が
自然にできると思っていたことといった。
精子が空中に漂っていると思っていたようだ。
なんでそう思ったのかなぁ。
想像してみた、尻尾をブルブルふるわせて、まーるい、
ツルッとした頭。
想像した精子は人間サイズ。バカだなぁー。
と思うよりも怖くなった。


● ミホ
男の人と女の人が、一緒にお風呂に入ると
赤ちゃんが出来ると本気で思っていた。
それが、その時点で考えられる
一番いやらしいことだったからだ。
それから いろいろ分かってきて、その度に
びっくりしていたが 特にびっくりしたのは、
未知の穴が1つ存在するということだった!
衝撃的だったな。


● 風呂当番
6歳の頃、百科事典で温泉のしくみを知り、
その後ずいぶん長くまで
風呂桶の下には「マグマ」が流れてると思ってた。


● ゴー
小学4年の頃、ビー玉がすごく流行っていた。
ぼくは勝ち続け、最初は20個くらいだったのが
いつのまにか1000個を超えていた。
数kgはあろうかというのに、
毎日抱えて登下校していた。おかげで今は筋肉マンだ。


● おおかわら
巨人の星で、ひゅうまの恋人の美奈さんが、
爪に黒い点がついてて「これは私の死の星です」
とか言って死んじゃう話がありまして、
それを読んだオレ(小三)は、
毎日、爪を確認していた。
ちょっと傷がついてたりした日にゃ、眠れなかったっす。


● ふな
昔、子供の頃釣り入門の本を見ていて
ブラックバスの釣り方を示しているイラストのページで
「ワーム」という字が「ウーム」に見えて
ブラックバスが食うか、
食わないか悩んでいる絵だと思ってました。
ワームだと知ったのはここ数年です。
今では一応プロです。


● あた坊ニク坊
カルメン77が流行っていた当時、
『〜あなたをきっととりこに してみせます』んとこを
『〜あなたをきっとゴリゴリ してみせます』と歌っていた
ボクは、遠足の帰りのバスで吐いてしまったんです。


● よう
出かける時は鍵をかけていくように言われ、
鍵をドアのぶにかけ、
「おかあさんへ、ちゃんとかぎをかけました」と
メモをはりつけてでかけていきました。
その時は丁寧にメモまで残した自分を、
気が利くなぁなんて思っていました・・。
が、何もかも間違ってました。


● みゆ
下校途中にどうしても「大」がしたくなったわたしは、
公園の木陰の中でことを済ませ、
こともあろうにその生まれたての「大」を習い事バック
(エレクトーン用・黄バイエルが入っていた)のなかに
入れて持ち帰りました。あのころのわたしは
「大」を布製バックに入れる行為よりも、
公園に我が「大」を置いて帰ることの方が
恥ずかしかったのか・・。
今となっては謎なり・・。

2000-02-22-TUE

●えび
カセットテープがめずらしかった頃
どうやって音楽をきくのか分からずにいたら
友達のお兄さんが
「テープを口にくわえてひっぱると音がきこえる」
といったので友達とふたりでシュルシュルとひっぱりだして
いました。
「聞こえん」というと
「集中力がたりない」
といわれて夕方になるまでずっとやっていました。


● えび
冬の日、金魚が寒いと思い、
ポットからお湯をいれてあげましたら
天に召されてしまいました。


● メル
小学校低学年だったころ、
先生に給食を残さず食べなさいと言われていたので、
数ヶ月間、ギンガミホイルも、牛乳キャップも食べていた。

なんでみんな食べてないのかな?
バカだなと思ったけど、いま考えてみると、
僕のほうがバカだったなあ。


● くり
小学校3年のころ、ピンクレディーが大流行していた。
ピンクレディーのふりつけが、好きな私は、
ピンクレディーの踊りを踊りながら、歩くのが、
かっこいいと思い込んで、
UFOを踊りながら、歩いていた。
その姿をみた友人が『変だよ』と言ってやめたが、
その間、半年は、踊りながら歩いていた。
さぞ、変だったろう。



hannah
小学校一年生のとき。
酔っ払って帰ってきたお父さんが、お茶漬けを
おいしそうに食べている姿を見た。
”別の飲み物で試してみるともっと美味しいのでは”と、
大好きだったファンタグレープをご飯にかけた。
素晴らしいアイデアだと思ったが、
食べてみて絶句。白い御飯と紫の液体、まずかった。


● naoppi
毎朝、テレビからながれてくる道路交通情報。
そこに映る車を見て、「あ!ほらお父さんの車」という
母と兄の言葉にずっとだまされ続けていた。
私はなんの疑いもなしに 
「お父さん、毎日テレビに映ってる。」と
思いながら見ていた。
でも、それが勘違いだと気づいたのは、つい最近。
いい大人になってからだった。
ふと、同じような場面を見ていて気付いた。
あんなに速くて、何台も通り過ぎる車の中から、
見つけれるはずがない。
ただ、車の色が同じだというだけで信じていたし、
さらにはその一瞬で父の顔が映っているかを
チェックしようとまでしていた。ガックリ。


● ゆきぴ
むかし
「名前は1人に1つだけで同じ名前のひとはいない」と
なぜかかたく信じていました。
そのため家に1人「おばあちゃん」がいるので
母の実家にあそびにいった時母方の祖母を「おばさん」と
呼んでしまった。
ショックを受けた母方の祖母の告白により発覚し、
母から説明をうけた私はその時同時に「お母さん」と
「おとうさん」にももう
1つづつ名前があることを知り、衝撃をうけた。
なんであんなにかたくなに思ってたのかなあ。
今思うと不思議です。


● ronaudo
ブラジルから帰国してきて入った中学校ではやっていた
アソビ。
「失神ごっこ」やりかたは簡単。
胸を手のひらでひたすら押してもらい
脳に酸素をいかないようにするのだ。
そうすると目の前が真っ白になり本当に失神する。
休み時間みんなそれをやっていた。
帰国したばかりのぼくは、
「日本人のすることよくワカリマセン」と思いつつ
僕も誘われるままやってみました。
倒れた瞬間相手をぶん殴ってたらしい・・・
バカなことやってたな


● そのりん
小学3年の時、宿題をよく忘れる子でした。
「次、忘れたら、廊下に立たせるわよ」と
言われていたにもかかわらず、忘れてしまった私。
そこで「お腹が痛い」と仮病を使って、保険室へ・・・
そして病院へ・・・
翌日、盲腸の手術をしました。
この真実を、両親は知りません。ごめんね。
でも、私、女優になればよかったかしらん。


● 森田恵
幼稚園の園庭で、蟻の行列一人しゃがんで見ていた。
蟻さんは甘いものばかり食べているから、
きっと甘くて美味しい
1バン大きいのをつまみ口に入れた。
苦くて脳天までキーンとくる味だった。
あの味は40になる今も忘れられない。


● も
小学低学年の頃,ある映画で木の上に家を作って
隠れ家を作っているシーンをみた。
それで,それがすごくうらやましくて友だちと
協力して自分達もつくることにした。
しかし,材料などが揃うはずもなく,
結局わりばしを一膳,木の幹に打ち付けただけで,
建設は断念した。
あのわりばしはどうなったのだろう


● TAMA
買物したのに、母の手もとのお金が増えるのが
不思議だった。
お札の価値はみんな同じと思っていたので、
1万円札で払って4千円のお釣をもらうと、
枚数の多いほうが金額も多いと当然思っていた。


● ヤマザキ
小学校の帰り道、前方の電柱にねらいをさだめ、
あそこにたどりつくまでは息を止める、
できなければ何かよくないことが起きるだろうと決めて、
何度も息をこらえて家をめざした。
このことは今まで誰にも話しませんでした。


● かつまる
くだらないことを結構一生懸命考えました。
1〜10までの「数字」なんですが、
1〜3まではすうじでいいの。

 1
 2
 3
 たくさん(4)
 いっぱい(5)
 でーれー(6)
 どーれー(7)
 どすげー(8)
 めーれー(9)
 めちゃくちゃ(10)

名古屋弁満載です(「めーれー」ってなに?)
子供って方言を大切にするなぁ。


● リエコ・ラモーン
弟が2歳 私が小学校2年生の時、
私が持っていたチョコレートを弟が
「たいちゃんにーもちょうだい。」
とそれはかわいらしい声で言ったのに対し
私は「やらん。」とものすごい低い声でひとこと
言い放ち 弟が泣き出した。
大人になったある日、親戚の家に遊びに行って
「ぞ〜うさん ぞ〜うさん♪」と
無邪気な声で歌っている幼い頃の自分の
録音テープが出てきて「か〜わいい」とか言ってた後に
冒頭のやり取りもテープで聞かされ、
ぞうさんなんかすっかり帳消しで
極悪姉みたいで嫌だった。


● ふみ
小学校5年の時の事。
学校からの帰り道、選挙カーが通ったので手を振ってみた。

選挙カーのおねーさんが
「五千円ありがとうございます」と言った。
”私は五千円なんてあげてないぞ、
もしかして親が渡したのか?でもなんで
私が五千円渡した子供だって分かったのだろう?”
としばらく真剣に考えてしまった。
「ご声援ありがとうございます!」の
聞き間違いだと気づいたのは、家に帰り着いてからだった。

2000-02-21-MON

●まー
僕が保育園児だった頃のこと。
ある日母と買い物に行き、新しいはさみを買ってもらった。

家に帰りとにかく何か切りたかった僕は、
その日買ってきた新しい靴下を切っていた。
その後の展開を想像する力は、まだなかった。


● やっちん
4才の頃と思う近所のおばちゃんに母さんのなまえは?
ときかれて「ふく」じゃあ父さんは?
「ズボン」と得意に答えて笑われていた。
どうして笑われるのか解らず母さんに聞いたすると
涙を流すほど大笑いされた。
母さんの「ふく」は「服」ではなく
父さんの本当の名前も義久というのをその時知った。


● りゅうたま
小学校のとき休み時間は体育館であそんだ。
次の授業を知らせるチャイムが鳴ると、
みんないっせいに教室へ駆け込むが、
私だけ体育館の床に貼られたライン
(競技によって色が違う)を、
自分がその時決めたところまで踏んでいかないと
教室にもどれなかった。
どうしてそんなバカなことをしていたか分からないが、
すごくあせりながらも、ラインをきちんと踏んで走った。
踏みはずすとやり直ししていた。
あのときの、あのせっぱつまった気持ちは
なんだったのだろう。


● KA-YAN
バレンタインデーは、好きな男子にチョコレートを、
おくる日だとは知らず、好きな女の子にチョコレートを
送ったことがある成人男性は、私です。


● おきどん
小学校5・6年の頃、A型とA型の両親からは
A型の子供しか生まれないと思い込んで、
O型の私は「橋の下でひろわれたのかもしれない」と
泣きべそかいたっけ。なつかしいなぁ。


● まとっこちゃん
ママキッチンとかいう子供向けの調理器具を
買ってもらってホットケーキを焼こうとした時、
「フライパンを充分暖めてから生地を流し込む」と
説明書に書いてあるけど、手で触ったら熱そうなので、
迷わず熱したフライパンをなめました。
ジュゥっといい音が鳴り、舌は膨れ上がりましたが、
誰も心配してくれず、ただバカ呼ばわりされました。


● かおる
特撮なんかで「なんで日本ばっかり狙われるんだろう」と
不思議に思ってました。
「なんで宇宙人が日本語喋ってるんだろう」とは
幼すぎて気付かなかった


● げある
歩いて1分もしないところに家があるのになぜか公園で
オシッコやウンコをしてたなぁ。
で自分のウンコを自分で見つけた振りして
「みんなー踏まないように気をつけてー!」
なんて言ったりして。
ちなみに私の弟はクラスの女の子に立ちションしながら
ブランコに乗れることを見せつけようとして
地面に落っこちました。


● kome
小学校6年生の時、友達と
「男と女とどっちが欲の皮がつっぱっているか?」
という話になり、少ないおこづかいを賭けて
実験したことがあった。
犬のウンチの入った小銭入りを男女5人ずつで
何人拾うかを実験した。
結果は、男は3人、女は全員だった。
この実験で分かったことがもうひとつある。
男は先ず中を覗いて確認するが、女は先ず指を突っ込む。
当然、ウンチが付いた。
僕は、賭けに敗れこづかい100円を取られてしまった。


● ねこむすめ
子供の頃は、24歳になったら、みんな結婚して
子供がいるものだと本気で信じてました.
その頃の予定では、27歳でノストラダムスの予言どおり
27歳で子供とともに死ぬはずだったんだけど・
予定は狂うものです.ちなみにまだシングルさ!


● かろのすけ
僕の地元ではある伝説があった。
どこの地方にも似通ったものがあるとは思うが、
僕の小学校ではカラスが頭の上を通ると
その日よくないことがおこるといっていた。
そのため、朝礼の際にも一部の人間が逃げ回るほどだった。

しかし、一方、シラサギが頭の上を通れば
その日いいことがおこるという。
今考えれば謎だ。

2000-02-20-SUN

●1009
小学生のころのイタズラ。
戸棚にしまってあった父のお酒を持ち出して、
食パンにしみこませた。
それをちぎってばらまいて、鳩に食べさせてみた。
歩き方がよろよろになった。
面白がって追いまわしたら、
ヨタヨタしてつまづきながらもなんとか飛び立った。
けれども飛び方が酔っぱらっていた。


● まさ
中学生の頃、近所の友達が
「親のエロビデオ見つけたから、今日一緒に見ようぜ。
外人だぜ!」と誘うので、
二階の彼の部屋で一緒に見ていた。
感動しながら見ていると、音もなく彼のお母さんが
洗濯物を取り込みにその部屋に入ってきて、
友達は寝たふり。
僕は、あえぎ声をBGMに「こんにちは」と言って、
おばさんが出ていくまでテレビを見つめるしか
なす術がなかった。


● けん
こちゃん投稿で、うなぎの肝吸いはオチンチンじゃない
っていってたけど、私もずっとオチンチンだと思いながら
食べてました 40過ぎまで。


● もこもこ
小学校4年の時、優等生に君臨しながら
「人間はどうして生まれてくるのか」に、
異常な興味を示していた私。
お子さま向けの本によくある
「花にたとえるなら、人間の雄しべと
雌しべがくっついて、、、」という本のくだりを読み、
それを鵜呑みにした私は、友達に教えて回った。
近所の奥様や、両親、祖父母、我が家の訪問者にも、
自慢げに話していた。
みんな、にこやかに話を聞いてくれた。
まさかそのための行為のことなどしるよしもなく、
真相を知ったときは、ショックで夜も眠れなかった。
ああ、純情だった、あのころに帰りたい・・・。


● おかばちゃん
小学校入学前に知能テストが行なわれた。
問いは「馬と羊を囲いに分けなさい」という感じで、
何頭づつかを問うような感じだった。
私は一生懸命考えているうちに、
ここにいる馬は私が知っている馬じゃないかも知れない…
と自分の馬に対する認識を疑い始めた。
そしたらもうどっちが馬で羊だか
わからなくなってきたので、隣の子はどうしているか
教えてもらおうと覗き見した。
小学校はいる前にカンニング!そのテストを
どう答えたのかは覚えていないけど、
そのあと廊下に立たされた。
そして、校長室に連れて行かれた。
母も呼び出され、危うく小学校に入れないところだった。
フォレスト・ガンプと同じ経験しちゃってるのよね。
おバカだけど、貴重な体験。


● かえるかば
小学生のときに、テストで点がつくんだか
つかないんだかわからない漢字があって
(たしか救急車の"救"だった)、
1回濃く描いて、少し消して、
それからまたうすぅ〜〜〜く書いておいた。
先生が都合のいいほうに解釈してくれますように…
との願いを込めて…。
当然大きくバツが書かれて帰ってきた。やっぱりね!
と思いつつ懲りずに何度も試みた
(巨人が書けずに大臣の臣を書いてたり…)。
やっぱり全部バツだった。


● ランバダ
中学に上がるくらいまで
自分の目の前の物以外は
すべて止まってると思ってた。
自分が見る瞬間に動き出す。っていう・・・
これって自己チュー?


● ぶりぶり
小学1年生の初めての長期のお休み。
やっと宿題も終わり、もうすぐ2学期が始まるという
ある日、私は突然母親に中学校には
どう行けばいいのかと尋ねたらしい。
どうやら私は1年の夏休みが終われば中学生になると
思い込んでいたようだ。
大笑いされて小学生のままだと言う事を納得した私は、
今度は、2年生になるとお友達と離れ離れになるのかな、
などとまだ言っていたらしい。


● おかん
ガキの頃、人間は地球の内側に住んでると思っていて、
アポロが宇宙に行った時、人類は地球に穴を開ける技術を
開発したのかと思っていました。
ロケットがその穴を通って宇宙に出ていく所を想像して、
すごいなーと思っていました。
月はいつも見てるのに、ぜんぜんおかしいと
思わなかったあの頃…。


● 源氏星
幼稚園児の頃、道端で近所の小学生の悪がきとでくわした。
200円持っていた私は
「小学生にならないと100円以上もってちゃいけない」
というその悪がきに素直に200円のうち
100円を渡した。
人生で最初で最後のカツアゲされた経験である。


● moegi
小学校2年生の頃、友達の家の前にある空き地を、
北にあって・新しいから・「北新村」と勝手に命名して
「村長」になりました。
ただの水たまりを「水田」とか言って耕して、
立派に「村長」務めてました。
ちなみに村の人口は4人くらい。


● メル
小学校1年生だったころの話。
筋力トレーニングとは、物を蹴ることだと思っていて、
さっそく挑戦。
ソファーに蹴りをかますとバキッと妙な音が。
足が真っ青になり、2倍ぐらいにはれあがってしまったが、

そのときは、筋肉がついたんだ!と
痛みをこらえながら喜んだ。
その後、すぐに病院へ。
2年後、筋力トレーニングのやり方や意味を初めて知った。


● みなと
私、すき焼きは土鍋で作るものだと、
社会人になるまで思っていました、しかもお汁たっぷり。
同僚に「それは肉鍋だ!」と指摘されるまで
気付かなかった。


● てつ
私の場合はシナチクです。
シナチクは割り箸を料理したものだと思っていました。
ラーメンを食べているとき、割り箸で
シナチクをつまむ瞬間に
「おなじ仲間なのに片方だけ食べられてしまうなんて
カワイソー」
なんて、少し暗い気持ちになったりしました。


● も
小学生だったとき,若貴のおかげで相撲がはやっていた。
わたしも,テレビの相撲中継にむちゅうになっていた。
お相撲さんたちが,仕切りの間に気合いを入れるために,
まわしを叩いてるのが何故かとってもかっこよくみえて,
自分も気合いをいれるときにはウエストの辺りを
ポンと叩くことにしていた。
周りの人は,そんな私をどうみてたんだろ


● Kiyu
幼稚園のとき、
母親に「この年賀状、郵便局に出してきて。」
とおつかいを頼まれて、
三つ下の弟と連れてその建物に入り、
「これ、出したい。」と言ったら、
そこにいた大人全員に爆笑された。
笑われたのがショックで「あんたが悪いのよ。」と
帰り道に弟をののしり、二人で泣きながら帰った。
(ごめんね、弟。)
何年かして分かったが、そこは
銀行というものだったらしい。

2000-02-19-SAT

●白河夜船
私が初めて飼ったペット…それはザリガニ。
水槽の代わりにお菓子の箱に入れて机の下に隠していたら、

その夜、箱から出て祖父の布団の中へ入りこみ、
次の日めちゃくちゃ怒られた。
かなり恐怖だったらしく行方を見届けないと気が済まない
祖父と一緒に、川へ返しに行くことに。
ごめんよ、おじいちゃんとザリガニ。


● じゃいける
小学校一年生の時、マイケル・ジャクソンのことを
「じゃいける・まくそん」と呼び、
上級生から「じゃいける」とあだ名された。
じゃいけるではなくマイケルのニューアルバムが
もうじき出るらしい。楽しみな今日この頃だ。


● キーポン
「当然」という字は
当たり前が縮んで「当前」になったんだと
長いこと勘違いしていた。


● Koji
消しゴムのかすを
消しながらつなげるとすごく上手くいく事に
気がついたあの頃授業そっちのけでとぐろうんこを
作る事から始まり机の端から端まで届くくらい
長くしたりもした。授業中。
その時の思い出は鮮やかな形で今も
自室のガラクタ入れの、シガレットチョコの
ケースの中に束ねて入っている。

ちなみに隣のケースには
犬の抜け毛を紡いだ長いものが入っていた。


● Koji
みずのりとけしごむで、
はなくそを作って遊んでいました。
すごい作った。いろんな色のも作った。
当時キン肉マンやってたから小4か5の頃かな。
女の子だったのに授業中何してたんだろう。


● メル
幼稚園に通っていたころ、陶器製の貯金箱にお金をいれて
音をならすのが好きだった。
そこで、鉄でできている缶のなかに貯金箱をいれれば、
音が2倍になると思っていれ、
ガチャガチャと振ってみた。いい音だ!!と感じたが、
缶を開けてみると、すでに貯金箱の原型はなかった。


● なおぴん
小学校1年生のころ、わすれものが多かった。
そんな私に「バカ!」とよく母が言ったものだった。
今、1年生の我が子に言っている自分がなんだかつらい。
良いところだけ遺伝すればいいのに・・・・。


● ogawa
友達からクリープ(粉末でコーヒーに入れるクリーム)の
おいしさを教わった私はその日からとりこになった。
親に怒られてもう食べないと約束させられた後も
こっそり食べつづけた。なのにある日バレた。
なぜ!?と思ったらズボラな私がフタを
きっちり閉めなかったため湿気て固まってしまったから
だった。トホホ。


● ogawa
ウチは田舎なので1棟ずつ独立した建物が敷地内に
アパートのように集まった形式のラブホテルが数多い。
子供の頃その存在の意味を知らず車で側をとおった時に
妹に「大きくなったらお金貯めてホテルめぐりしようね」
と言ったら親に「何いってんの!!」
と怒られた。だって壁の色とか可愛いし
宿泊代も安かったし。


● さとし
幼稚園児のころ。
幼稚園には「宝の砂場」の噂で持ちきりだった。
噂は本当で、僕はいつもその砂場で宝を発掘していた。
出てくる出てくる、超合金、ビー玉、etc…。
そうなんです。他の子供が忘れていったおもちゃを、
横取りしていただけだったんですねぇ。
そういえば、どこに行ったのかな、あのおもちゃ…。
あぁ、そうか。
結局僕も「宝の砂場」で遊んでいて、
「宝」にしちゃったんだ。


● のび太
小学生の頃,家の近所に駐車場が沢山ありまして,
その駐車場のどれにも「月極駐車場」なる看板が
掲げてありました。
「ツキキョクさんて大金持ちなんだなあ」
「生まれ変わったらツキキョクさんちの子供になりたい」
と真剣に思っておりました。


● はるはるか
よくテレビドラマで、「おまえはクビだ―っ」って
会社の社員が叱られてるシーンがあるじゃないですか。
わたしは小学4年まで「クビ=首を切る」だと思ってて、
「大人って大変なんだな―」と、本気で思ってました。


● はるみ
小学生の頃、私は言葉の意味もわからず、
おまけに間違えて覚えていたが、なんとなく
疲れた時に使う言葉ということだけは、
わかっていて、母親の前で
「あー、性転換したい(実は気分転換)」といって、
驚かれたことがある。


● 団子無視
小学校の国語の時間で「甘い」の反意語が
「辛い」であることを習った。
そこで、塩水に砂糖水を同じ分量加えると
真水になるのではないかというスゴイ仮説を立てた。
帰宅して「科学と学習」(学研)の付録としてついていた
バネばかりを用いて計った20gずつの砂糖と
食塩をそれぞれ100ccの水道水に溶かし、
よくかくはんして飲んでみた。
結果はいうまでもない・・・・。

2000-02-18-FRI

● ららら
中学生の時、ボーリング場の女性用トイレに進入、
ふたつあるうちのひとつに鍵をしめしばらくいると
数人の女性がはいってきた。
ノックをしてきたのでノックでかえすと
しばらくすると声がしてきて、
「そこずーとはいっているよおかしくない」と
聞こえてきたがしばらくするといなくなった。
すきをみて無事だしつした。
スリルと緊張感があるなか度胸だめしとしてやっていた。


● ひっきー
警察の「家宅捜索」は、一生懸命に
捜索することだと思っていた。
・・・「堅く捜索」。
でも、あながち間違ってはいないと思う。


● いちごジャム
まだ、それはかわいらしかった4歳ころ、
お母さんに隠れて こっそり、レースのカーテン のかげで

ジャムのびんを抱えてなめていたらしい。
私は記憶ないけど母が。
カーテン(でもレース)の陰、とは なんて賢いお子さん。
こっそり、ナイショの つ も り で。
蜜の味 も増すって感じでですかね?


● あんな
幼稚園生の頃、思い切り遊んでお腹が
ぺこぺこになって帰宅した時のこと。
「ご飯だから手を洗ってきなさい。」と言われて
洗面所まで行ったのはいいが、白い石鹸が
ものすごくおいしそうに見えて、
ついその端っこをかじってしまった。
まずくて死にそうになったが、その見た目と
味のギャップに納得がいかずに、数年後
再びトライしてみた。


● you and me
小学生の頃メガネの似合う友達がいた。
私もメガネをかける事にあこがれ 
何とか目が悪くならないかと、押し入れに懐中電灯と
本を持ってこっそりと読んでいたら母に見つかって
『こんな所で何してるの目が悪くなるやろアホ』と
叱られた。なんや複雑な気持ちになった。

なるほどメガネの人は皆寝ながら読むのか 


● じお
千葉県の東京寄りに住んでいた私は、
「マザー牧場」が世界の果てだと思っていた。
仙台の叔母のことは、
「反対側の世界の果て方面」からやってきてるのだと
思っていました。
その考え方を進化させ、
「どこでも世界の果てになり得るな〜、
地球は丸いからな」と
ほくそ笑んでいる現在の自分に成長することを、
その頃の私は知らない……。


● サイコロ
近所の工場裏に友人と集い、
それぞれにコーラの空き瓶を用意して、
その場でうんこをビンの中に出そうとしていた。
成功したのは一人だけだった。


● 柴俊夫のくま
その日は給食に玉こんにゃくがでた。
いつもなら当たり前のように噛んで飲みこんでおわり。
ふと、こんにゃくって舐めるだけだとどのぐらいモツのか
無性に試してみたくなった。
一人で舐め続け耐久時間を計測してもなんの面白みもない。

10人程度が、参加。
6時間目も終盤、雑巾野球の掃除の時間も含め
2時間経過、私のこんにゃくは口の中で消えた。
その直後、「おまえら口に何いれとんだー」
教師に見つかった。いいだしっぺなので
一緒に怒られる事にした。くだらないことをしたもんだ。


● ガンモット
まだ幼稚園生だった頃、雨の日、兄貴達と遊んでて、
アパートの砂場に出来た水たまりを見て兄貴が、
「みて、これ飲んだらおいしいんだぞ」なんて言うので、
よく見てるうちにだんだん飲み物の様に思えてきて
一口飲んだ。
イメージとしてはコーヒーだったのだが、味は全く水。


● かりサマ
小さい頃、よくスーパーなどで、
上りのエスカレーターを走って降り、
下りのエスカレーターを走って上るという、
なんとも迷惑な事をして遊んでいた。
ある日、ふと「この手すりも動いてるけど、
どの位のパワーなんやろ?」と疑問に思い、
無心で手すりのところを押さえてみた。
そしたらなんとエスカレーターが止まった。
なんとなく「ヤバイ」と感じ、とりあえずその場から
逃げたものの、やはり気になって戻ってみると、
警備員やらお店の人やらがうようよいて、びびった。
「指紋残したままやっ!!」と本気で捕まることを
心配したが、今のとこ大丈夫。よかった。
・・・じゃない。ごめんなさい。


● たいぶん
観光客の兄ちゃんたちと友達になった。
「滑り台の下に100円隠したから、明日探すといいよ。
誰にも内緒だ。」
次の日、独りで探した。100円はなかった。
騙されたことも辛かったが、何より、
100円が欲しかったんだぞ、兄ちゃんたち!

2000-02-17-THU

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