まるでハガキのように。
お題付き短文投稿ページ<1.06>

◆「まるでハガキのように」によせられた
「ガキの頃は、バカだったなぁ」を、楽しみましょう。

●ゆうこ
子どもの頃、「ひき逃げ事件」とは、
車で人をはねるのが趣味のひき逃げフェチの人たちが
おこしている事件だと思っていました。
(当たり屋の反対語だと思っていたのかも・・・) 。


● mayu
ガキの頃はではなく、ガキの頃から5〜6年前までの
話です。アイスホッケーのチーム「コクド」を、
「国土地理院」(学校で使う地図は
みんなここの発行でした)と思いこんでいて、
「地図作っているところなのに、
 ホッケーが強いなんてすごい!」とずっと思ってました。
会社でバレました。


● eggb
負けず嫌いな私は兄貴にできることが
自分にできないなんて涙が出るくらい悔しかった。
だから、立ちションは何回もチャレンジしました。
パンツをひざ下まで下ろしてえびぞって。でもダメなのね。
最終的にはパンツを脱いでやってみた。
何でそこまでって感じだけど、やっぱり飛び散るんだよ。
そん時はもう小学校3年くらいだったから
自分のしたことがわかってて、尻丸出しのまま
トイレを拭いてまわりましたけどね。
それ以来やらなかったし。


● 44
小1の頃、学校帰りにおシッコを我慢できず、
家の玄関で『おもらし』をくり返した私は、
その打開策として帰り道の途中に『おシッコポイント』を
設定。(某大学の農学部)
共に帰る友人と『じゃあ、私はあっちね』等と言いながら、
青空トイレで用をたす習慣が付いた。


● miw
「もーろびとーこぞーりーーてーー
 シュワッキマッセリー!! シュワッキマッセリー!!」
・・・の「主は来ませり」を、ずっと
「シュワルツネッガー」のような、
何か外国語だと信じていました。
だって、勢い込んで歌う「シュワッキマッセリー!!」って、
今思っても、あんまり日本語っぽくないですよね。
他の方はどう思っていたのでしょうか。


● くゆきゅ
小学校のクラスで、七夕の願い事を
一つ決めることになった。
クラスのペットが元気でありますようにとか、
みんなが仲良くいられますようにとか、
そんなのがやっぱり多かったような気がする。
そんなか、「癌になりませんように」と言い放ったわたし。
悩める小学生をもてあましたのか、
先生はコメントすらくれなかった。


● こたつアリシオ
天才バカボンのはじめの歌で、
「天才一家だ、バーカボンボン」のところ、
「私ねぇ、子どもの頃『天才いかだ(船の)』
 だと思ってた」、と言うと友達Aは
「えーっ!? 今の今まで『天才以下だ』だと思ってた」
と言い、横にいた友達Bは
「えーっ!? 今の今まで『天才いかが?』だと思ってた」と言って、
3人でとほほ状態になったのでした。
でも、あれ、本当に「一家」なのかな。
実は違ってたりして。心配。



● Lisa
ガキとはいっても中学生の時の話ですが
隣の席の男の子に、思いっきり普通に
「ねぇねぇ『頭痛生理痛』って何?」
と聞かれたことがあります私は
恥ずかしくてしょうがなかったのですが、
彼はそんなことに気がつかず、
しつこく聞かれて真っ赤になってしまった記憶が
あります確かにCMで聞いただけでは
「ずつうせいりつう」という1つの病名に
聞こえますよねうーん勘違い


●野次喜多
あれは小学校の5年生頃。クラスでゲームをしていました。
ものの名前のを挙げ続けるというゲームです。
その時のお題はたばこでした。
マイルドセブンとかキャスターマイルドとか
小学生の思い付きそうなたばこが言い尽くされ、
つぎは、Sくんの番です。
彼は、これはちょっと思い付かないだろうなどと言い沿え、
自慢げに発表しました。高級スキンとの発表でした。
クラスは爆笑でしたが、先生は素知らぬそぶりで、
しかし震える手で高級と黒板に書いたのでした。
その後、クラスの女の子が男の子へ使い方など
説明していました。
テキパキと説明する彼女を私はちょっとかっこいいなんて
思ったのでした。


● まゆ
小学5年生の時、ウサギの飼育係だった私たち。
一匹ずつ箱に入っているのがきゅうくつそうで、
「出してあげたい」と先生に交渉しました。
「子どもにはわからないだろうけど、
 一緒にすると子どもができちゃうんだよ」
と先生に言われ、
「もう知ってるもんね」と言いつつ、出したのです。
そうしたら、なぜか子ウサギがいっぱい‥‥。
私たちは
「一度経験したら、数年おきに自然に神様から
 子どもを授かる」と思い込んでいたのでした。
子ども扱いされることに我慢できなかったけど、
やっぱり子どもだったんですねぇ。
子ウサギは、みんなで引き取って家で飼いました。


● m.a
保育園児の時、TVアニメ「サスケ」(もちろん再放送)に
魅了され園内いっぱい“忍者走り”を独り堪能していた。
傍らには、数人で砂遊びをする者、
数人でブランコ遊びをする者、数人で鉄棒で遊ぶ者...、
それらを、まるで山中の岩や木々をすり抜けるようにして、
キレ味鋭いサスケになりきって満足していた。


● maruchang
小学校の頃の事。
トイレが混んでて全ての便器(小)が使われてる時、
知ってるやつの顔を見つけたので
『オジャマしまーす』とそこに割り込んで
一つの便器を二人で使うという荒技をやったことがある。
2本の放物線でエックスの文字ができたのを見て
『カッコえぇ〜! クロスじゃあ!!』
などとしきりに感動したのです。
そのとき何だか不思議な友情がうまれたような気がする。


● つぶら
夜、外で救急車のサイレンが聞こえると、
うちに来るのかと思って
小学校に入る頃まで泣いてました。
今でも言われます。
「おまえはすごくサイレンの音が嫌いな子だったよ」
嫌いというより、誰かとられそうで怖かったんだってば。


● taksan
『大きくなったら、何になる?』
って子どもなら誰でも一度は聞かれるでしょ?
私はずっと『ぞうさんになる』と答えていたらしい。
ほんとばか。

1999-12-31-FRI

●にゃんこ先生
小学校のときの学校帰り、
対向車に手を振って振り返してくれるかどうか
毎日友だちと実験してました。
結果は、若いお姉さんは×。おじちゃんは○。
トラックの運転手は◎でした。みんなやさしかったのね。


● うい
小学校低学年のころ、手乗りインコにあこがれた私。
しかし、母は大の鳥嫌いで買ってもらえなかった。
そこで私は近所で「バッタ」を二ビンぶんあつめて、
部屋で放出!!
大量なバッタはタンスやらどこぞの隙間やらに入り込む上、
フンの量がすごい!!
後始末は大変だし、母には叱られるし、
二度とバッタを部屋で放牧しないと誓いました。


● タナコ
幼き頃に聞いた山口百恵の「プレイバックpart2」。
「みーどりーのなーかをー走り抜けてく真っ赤なポルシェ」
のところ、「走り抜けて熊っかなポルシェ」
だと思っていました。
何でしょう「熊っかなポルシェ」って。
作詞した人もびっくりだ。


● はは
白黒テレビの頃、実に衝撃的だったニュース。
「とうめいこうそくどうろ」ができる、できるって。
あの東名高速道路のことなんだけど、透明高速道路と思い、
このニュースだけは高い関心をもって
先行きを期待していたのに、出来あがった
というニュースの画面を見たら、普通の道路だった。


● okapod
潜水艦(せんすいかん)を(すいせんかん)だと思ってた。
水の中の戦艦だから。


● ☆の王様
船の科学館で「月の石」を見る行列に並んでいた時
父親が自分が頼んだアイスクリームを
買いにいっただけなのに不安になって列をはずれて
探してしまった。
結局「月の石」がどんなものか今も知らない。


● はしこ
おうちではよい子だった私、
小学生のころ、トイレでボーッとしてたら、
油性の黒マジックでトイレマットのゴージャスな
花模様の花びらを一枚黒く塗りつぶしてしまった。
見つけた母親、「あんたが塗ったでしょ?」
私は「違う違う」と意地になって泣きながら反論。
>

● TaM

キノコでえのきだけ、ってありますよね、
あのちっちゃくて白くて、ほそ〜いやつ。
あれのことを、私、赤ちゃんキノコって呼んでました。
つい最近まで。


● なをなを
けんかした。なんでか忘れた。
言い合いをしてるうちに訳のわかんない会話になった。
「バーカ!」
「バカって言う方がバカなんだよ!」
「うるせーサル!!」
「サル!?・・・証拠あんのかよ!」
そうだ、確かにサルだという証拠は無い。


● うなぎいぬ
小学生の頃、夜9時からのテレビ放映の洋画を観ていた私。
毎週出てくる外国人たちをテレビで観ながら、
「この人たちって、英語の他に日本語も喋れるんだ!
 さっすがスター! にしてもうまいなあ。
 両方喋れないと、スターになれないのかな、外国人は」
と、本気で思ってました。・・・バカですね。

1999-12-30-THU

●コリンズ・スミ
36歳になったばかりの私が小学生の頃は、
学校は木造校舎でした。教室の床は板張り。
でもって、板と板の間には隙間があり、
そこには小さなゴミやホコリに混ざって、
鉛筆の芯がたくさん落ち込んでいました。
小学生の三・四年生だったと思いますが。
その芯を鉛筆の先で、ほじくり出して集めるのが流行り、
休み時間ともなると競って床に這いつくばって
探したものです。
当時、貴重だった赤と青の二色鉛筆の芯なんかは、
とても価値が高く、それをたくさん
コレクションしている人ほど、偉くて地位の高い人でした。
中には、わざと芯を折って落としておいて、
自分でほじくり出す人もいたようです。
私も、その手口を一度やってみましたが、
それではなんだか価値が下がるような気がしたのを
覚えています。


● はち
元はといえば母がいけないんですが、
17ぐらいまで、浅野温子さんと浅野ゆう子さんは
本物の姉妹だと思っていた。
だって、お母さんがそういってたんだもん。
友だちに今まで自慢気に教えてあげてたのに、17の夏、
違うよーと大笑いされ、ショックを受けました。
お母さんひどいよ。


● うい
童謡の「ちーぱっぱ」。
あの歌詞の「お尻をふりふりちーぱっぱ」の部分を、
はじめは「お家を振り振り」だと思っていましたが、
子ども心に「それは無理では?」と思い、
その後「あ、あれはムチだ」と思った私。
すずめの学校は恐いんだなぁと思っていました。


● うい
童謡の「赤い靴」。
あの歌詞の「異人さんに連れられて〜」の部分を、
「いいじいさん」だと思っていたわたし。
なんて、幸せ者の女の子だろうと思っていました。


● カタクリコ
小学校低学年の頃、母に「片栗粉買って来て」
と頼まれたわたしは、なんの迷いもなく八百屋さんに行き、
「カタクリコくださいっ!」と叫びました。
偶然にも八百屋の前が乾物屋だったので、
おじさんに「片栗粉はあっちの店で買ってね」と教えられ、
大きな疑問を抱きつつも、
小麦粉のようなものを買って帰りました。
わたしのイメージでは
「硬そうな茶色の皮のついた栗のようなもの
 (今思うにそれは小芋?)」=「カタクリコ」
だったのです。
どうも「栗!」のイメージが強かったようです。


● ともたん
小学校1年生の8月31日。
「なつやすみの友」を持って隣の中学生の
お姉ちゃんの家に行き、勉強を見てもらったのですが、
毎日の天気を書いてなかった……。
ちゃんと書いてから持っておいでと言われて、
家に戻り、あれやこれやら一生懸命考えて、
書いて持って行きました。
頑張ったんだから、これでほめられる!
と自信満々だったのですが、
隣の家族一同大爆笑・・・。
ガキなりに試行錯誤して埋めたお天気欄。
晴れ、雨、みぞれ、くもり、霜、雪・・・。
ありとあらゆる記号を使えばいいっちゅう
問題じゃないんだよなあ。


● Bonita
小学生の頃、夢だと自覚している夢を見ました。
その夢には当時片想いしていた男の子が出てきて、
「同じ夢を見たという証拠に目が覚めたら電話で話そう」
と約束し、起きてから本当にその子の家に
電話してしまいました。朝6時前に・・・。


● ぶれねり
小学校の頃、戯れに白飯にファンタオレンジをかけてみた。
きっとおいしくっておいしくって仕方ないのだろうと
期待して食べてみたら、とてつもなくまずかった。
ああもったいないことを...。


● まゆ
よくTVのニュースで
「ただ今、○○線が事故のため不通となっております」
と言うのを聞いて、普通ならいいじゃん、
と思っていました。あと、夕刊という文字を見て、
「なんでタモリって書いてあるの?」
と母に聞いたことがあります。


● Maeda
小学生の時、僕の周りでは 「隠し武器」ブームでした。
最盛期には、分銅もどきやら手裏剣状の物やら、
かなりデンジャラスなアイテムを、
各自1個は常備してました。
僕らは当時「ひとさらい」にあったら
その武器でやっつける事を真剣に考えていたんですけど、
「やっつける」というのが
全然リアルじゃなかったんですね。
結局、一度も実戦投入される事はなかったんですけど、
いや、良かったです。本当に。


● 茶人の心
小六の夏、同級生の女子の脇毛を、偶然目撃。
それまで、女には、脇毛は生えないと思っていた僕は、
大ショック。一瞬、眼の錯覚かと思い、
「もう一回、よく見せてくれ。」
と、言ったら周りの女子に怒られた。


● BON
昔 「キョンシーごっこ」が 流行った。
昼休みは 必ずといって この苦しい遊びをしていた。
キョンシー(鬼)が 近づいてくると
息を留めなくっちゃいけないの。
ちなみに お決まりポーズでピョンピョン飛び跳ねて移動。
「あっちにいったなぁ」って思うと
一気に「ブファー」って息をつく。
まじめにやりすぎて死にかけた。


● bwm
ウチの近所のガキコミュニティーには
「ごっふ〜ん」という風習がありました。
どういうものかというと「ごっふ〜ん」といいながら
はいているズボンとパンツを膝丈までおろし、
フリチンでくるくると踊りまわらねばならないのです。
で、このコミュニティー内で遊ぶとき
必ず「負けたほうがごっふ〜んな」という具合に
勝負事の罰として機能していました。
由来は裸族の踊りとかだったと思います。


●ayako
ちっちゃいころは、今では見当もつかないほど野生児で、
よく、家の前の標識とか登ってました。
それも自慢げに。ふふんと言った感じで。
あと、家の中でもドアの枠のサイドに両手両足でふんばって
ペタペタと登っていました。
おばあちゃんちでもふふんとやってましたねー。
おばあちゃんは誉めてくれた。
両親は「お前の足の裏には吸盤がある」といって
時々「タコ」とよばれていましたっけ・・・。


● 悠
秘密結社をつくっていた。その名も「パンダちゃん」。
近所のうるさい家の靴を埋めたり、
ピンポンダッシュしたり。
他愛もないいたずら集団なんだけど、
ちゃんと連絡網まで作っていて、今思うとほんとうにバカ。


● ぶぶっち
幼稚園に通っていた頃、
父と兄の3人で散歩をしていたとき、
カマキリのタマゴをみつけた。
中身がどうしてもみたくなった私は
兄と二人でむしむしと開けた。
中からは小さなクモがウジャウジャと...。
恐ろしかった。
タマゴが似すぎなんだもん。
けど開けるなよ、私。叱れよ、父。


● TOM
いまだにトラウマになっている光景がひとつ。
友人の愛犬の散歩に付き合った時のこと、
どぶ板が1枚はがれているのに
老犬が気付かず突き進んで行ったため、
千里ちゃん(仮名)は老犬をバシッと横殴り、
一瞬宙を舞った犬が彼女の頬をガブッ!!
真後ろで見ていた私は、いまだに子犬でさえ
触れないのであった。 トホホ。

1999-12-29-WED

●ヤギめえめえ
うちのダンナのハナシ。
幼稚園の頃、家族全員が
「肉はこの白いところが美味しいんだよねぇ」と言われ、
「ちょうだい、ちょうだい」とみんなのところを回って、
アブラミだけを食べていたそうだ。
カナシイビンボー幼稚園児。


● ドラ子
小学校低学年の頃。
今は懐かし「連想ゲーム」を家族で見てた時、
画面の下に出ている答えを無意識に口にしてしまった。
すると家の者たちが
「あーあ、あんたが言ったのが
 聞こえたから当たっちゃった。どうするのぉ?」
と口々に。 純な私はシンケンに悩みました。


● えつ
ちょうど「スケバン刑事」が流行っていた頃、
買ったばかりの家庭科裁縫セットの巻き尺(メジャー)を
ヨーヨー代わりに思いっきり投げて遊んでました。
ボタンを押すと巻き戻るものではなく、
手巻きで戻さなくてはならないものだったので、
カッコ良く投げた後の必死で巻き取っている姿は、
ちょっとまぬけだったかも・・・。
今思うと、おバカだったなあ。


● うぬ
小学校の頃冬になると校内マラソンと称し、
校庭をくるくる回った。
そのときのテーマソングはなぜかガッチャマン。
♪地球はひとつ♪ってところを
♪地球はひとつ割れたら二つ♪
ってうたってた。なつかしや。


● たかえ
小学校の高学年の頃、男女4人ずつぐらいで、
家で遊んでいるときに、服の脱がしあい大会に
なってしまった。男女混成2チームに分かれ、
居間の両隣の部屋を陣地として、
居間を舞台に突撃を繰り返し、
捕らえた相手のパンツをずらそうとするのだ。
完全に脱がされた人はいなかったと思うけど、
抵抗する異性のパンツを
数人がかりでおろそうとするときの興奮は、
忘れがたいものであった。


● たろきた
大人になると、自分の干支の動物になってしまうモンだと
ずっと思っていた。僕は犬になるはずだった。


● たかよ
「どうしておなかがへるのかなぁ〜♪」って
歌があるじゃないですか?
わたしは、その歌の「おなかとせなかがくっつくゾ」
てところをず〜っと(書き方が難しいケド)
お腹が空いてペッタンコになるのが分からなくて
お腹の皮膚と背中の皮膚がぐるりと向いて
くっつくんだと思ってどうしてお腹が空いただけで
そんな恐ろしい事態になるのか
どうしても分からないまま大人になってしまいました。


● かってに修羅
兄が5才。私が3才の頃だったか。
近所のオジサンがやって来てリヤカーに乗せてやると言う。
畳一畳半くらいの鉄の枠だけの荷物用2輪車。
兄はチャンと枠に足をかけて器用につかまったが
私は幾らやっても乗る事が出来ない。
5歳にはカンタンな事だが3歳にはそれが
出来なかったのだ。
「どんくさいのぅーー」という兄を乗せて
リヤカーは去って行ってしまった。
いまも、そのリヤカーと兄を、私は憎んでいる。


● 田中ちゃん
学校帰りの校門前で変なおじさんに声をかけられ、
男と女のヌード写真を見せられながら
「きみの両親は夜こんなことをしている」と教えられた。
その夜、両親の寝室前で朝4時まで張り込んだが
何もなかった。
翌日の授業中、頭が大きくグラインド運動していた。
あの夜、なにかあったら今頃いけない道に走ってるかも。


● みちこ
あれは父が明るい家族計画を買って帰宅したときのこと。
(わたしはたぶん小学2年生くらい)
なぜか、私の前で箱をあけて母とふたりで
中身を確認しはじめた。
2人は「ピンクのがいい」だの「緑のがいい」だの
言い始める。
わたしはてっきりそれらは食べるものだと思っていたので
「じゃ、緑のをふたりではんぶんこしたら?」
そのときは我ながらいい提案だと満足していた。
たしかにゼリーついてるけどね。
でも、いまだに疑問なのは
「わたしもたべたい!!」って言わなかったこと。
たぶん、小2のわたしはそれらを
大人のおやつだと思っていたのです。

1999-12-28-TUE

●坂元昭二
僕が子どもの頃の運動会。
速く走るためのこつは二つありました。
一つは足の指に輪ゴムを引っかける。
親指と人差しの間にかけて、甲まで通す。
もう一つは、当時そこら中落ちていた、
乾燥した馬の糞を踏むこと。
ある時間違って犬の糞を踏んで、
しかもまだ乾燥していなかった馬鹿な奴がいました。


● yoooo
5歳くらいの頃、快速列車とは別に
「海賊列車」というものがあると思い込んでいて、
もし間違えてそれに乗込んでしまうと、
想像もできないような恐ろしい目に遇うと、
乗る電車にいつもすごく警戒していました。


● えど
小学二年生の時、他人様の家で
ウ○チをしてはいけない、と、かたく信じていたので、
トイレから出てから友だちのお母さんに
「おばさん、ごめんなさい。今、○ンチしてきちゃった」と、
ドキドキしながらあやまりました。
おばさんはおばさんで「それで、ちゃんと流したの?」と、
問いつめてきました。


● 和葉
お中元や御歳暮が届いた時は、三姉妹そろってそれを囲み、
「びっくりばこ、びっくりばこ、びっくりばこ、ドン!」
(びっくりばこのところは右回りに回し、ドン!
で軽く両手でたたく)
とやらないと、中身を開けることは許されなかった。
これじゃ伝わらないだろうな。


● コリンズ・スミ
「赤い靴、は〜いてた、女の子、い〜じん(異人)さんに
 連〜れられて、い〜っちゃった〜」
という歌の歌詞を
「にんじん(人参)さんに連〜れられて・・・」
だと思い込んでいました。
しかも、この少女は、身寄りのない孤独な身の上で、
引き取り手もおらず、だから人参なんかに
引き取られていくのだと思い、
なんてかわいそうで淋しい話しなんだと思っていました。


● ジェレミー
天気予報の「台風一過」は「台風一家」で、
1号は父、2号は母、以下子どもたち……だと思っていた。
友だちは台風の号数は「サイズ」だと思っていたそうです。
ケーキじゃないんだから。って人のことは言えない。


● ぴぽ
食べ物を口いっぱいに頬張って食べるという事に憧れた。
食卓では親に叱られてしまうので、
友だちの家のこたつでみかんを食べている時に、
ふとその思いを語ってみた。
友だちもすごく賛同してくれて、
二人で「みかんでやってみよう」という事になった。
いつもだったら、一房づつ大事に食べるみかんを、
三房くらい口に入れて食べたら、
なんだかものすごくぜいたくな気がした。
二人ですっかりうれしくなって、
「何個まで口に入るか」の競争になった。
思い切って1つのみかんの半分を口に入れた時、
結構限界に近かったのだが、
友だちは2/3をクリアした。
意地になって、1つ丸々の外皮をむいたものを
口に押し込んだ。
口は閉まらず、大きく開いた口にみかんが
丸ごと一個入っているという
どうしようもなく間抜けな絵面を、
友だちは転げ回って笑った。


● 卍
学校帰り。春になるといつも通りに咲いてるつつじを
むしってその蜜を吸っていた。甘くてかなり好きだった。
家に帰ればいくらでも菓子がある、
飽食の時代だったというのに……。
流行の末、通りには無残に吸われたつつじの花が散乱。
学校側が御近所の皆さんに
「お宅の生徒さんつつじ吸いすぎ」と警告されたりした。


● わたまり
小学校のとき、給食のおかずにウズラの卵が入っていると
最後まで残して午後の授業になっても
ずっと口の中に入れてた。
体育のときとかものの弾みでかんじゃったりすると
すごーくショックになってました。バカッ。


● うにくらげ
小学校の頃、「セックス」や「性交」などを一生懸命、
辞書で引いていた。
そして、もどかしい解説にイライラしながら
すごく興奮していた。いまおもえばバカだったなあ。


● CFMama
子どもの頃って、妙な聞き間違えをしますよねぇ。
特に歌。「アタックNo.1」というアニメの
オープニングソングの最後の所
「アタックゥ〜、アタックゥ〜、ナァンバァ〜ワン〜」を、
「アタックゥ〜、アタックゥ〜、なぁ〜んまいだぁ〜」
と、歌っていたそうです。私は覚えてないんだけどさ。


● ペロンチョ
幼い頃のはなしです。
テレビの音がでてくるスピーカーは同時にマイクであり、
そこに喋るとテレビのむこうに届く、
つまり放送局に聞こえると思ってました。
くだらない番組に「もうやめろー」と
怒鳴っていたことを昨日のことのように覚えています……。


● どーも
小学3年か4年ごろ、
学校から家までの距離が結構あって
下校の時に友だちと「地面にかかとを付けたらダメ」
というルールを作ってつま先立ちで帰宅していました。
ただし、石の上は休憩所で
そこではかかとをついてもOKでした。
そんなに長い期間やったわけではないのですが、
今にして思えば、続けていれば足首細くなったかも、
と悔やんでます。
ただ、端から見たら「つま先立ちで下校する小学生」
ってシュールな風景だったかも。


● しろくま
近所のおばちゃんが「なんでも、料理できる」と言うので
バケツにいっぱいのおたまじゃくしを捕まえて
「料理して!」と頼んだら「出来ない」と言われ、
合点がいかず、おたまじゃくしはそこのお宅の(商店)
ガレージに一匹ずつ全部並べた。
嫌がらせのつもりはなかったの、ごめんなさい。


● howlin'wolf
ニュースや天気予報で聞く「大型で並の台風」というのを
「大型で波の台風」だと思ってました。
大きくて波がすごい台風で、
風の台風とか雨の台風なんかがかあると思ってました。


● みみ
私が小学校1年くらいの頃、
(18年前?)お父さんに肩車されている女の子と
そのお父さんの髪の毛が風になびいてふさふさしている
CM(=アデランスのCM)を見て、
てっきり整髪料の宣伝だと思いこんで、
うちのお父さんも整髪料をつけていたので、
近所中で「うちのお父さんアデランスだよ!」
と言い回ってしまった。お父さん、ごめん!


● いなかっぺ体操
あれは、ジョーズ3を観た直後の家族の風景。
ジョーズ3は、特殊な“めがね”をかけると
画面が飛び出してくる3D映画だった。
「家のテレビのゴースト現象(画像がぶれる現象)も、
 この“めがね”をかければ
 飛び出して見えるかも知れないよ」。
小学校6年生だった私の言葉を真に受け、
家族そろってその“めがね”をかけて
テレビの前に座った風景は、
ちょっとSFっぽかった切ない思い出。
世の中が自分の思い通りには行かない現実に
直面した日・・・。


● たまきいくお
昔(昭和50年代後半)、ボンカレーゴールドのCMソング中の
「Take it easy, Take it easy」という歌詞を、
「ヘイヘイ、人参、ヘイヘイ、人参」おもっていました。
カレーのCMなんで、納得してました。


● 熊川よしこ
小学生の頃、決まって冬になると「のっかり」
という遊びが流行りました。
「のっかり」ってただ寝転んでうつ伏せになり
その上に次々とのっかっていくだけの遊びなんですけど、
必ず前歯を折るヤツが2〜3人出て、
ホントバカだったよね。今思えば。


● わたまり
3、4才のころ、近所の女の子がキャッツアイの
主題歌(杏里)を間違えた歌詞で歌ってたので、
文句をいったらめちゃくちゃつかみ合いの喧嘩になった。
負けたあたしは腹いせにままごと道具1個盗んだ。
しかしすぐばれて謝りに行かされた。
今でもうらんでます。


● まみまみ
まだ幼稚園の頃、当時の宝物を入れた引き出しに
「みちゃだめ!」と貼り紙をしたのですが、
まだ紙が2枚余っていたので更に
「ぜったいにみちゃだめ!」、
「ほんとうにみちゃだめ!」と計3枚の貼り紙を
したところ、まんまと母と兄に開けられ、
大笑いされました。


● ふでまめ
反抗期真っ只中の中学生のころ、
先生に反抗して授業中に手紙をまわすのがはやりました。
自他ともに認めていた筆まめの私としては
これを逃すはずはなく、一時間目の国語の時間に
書き始めて3時間目の地理に至る2時間あまりを
クラス全員一人一人に手紙を書いてすごし、
まわりおわったころは昼休みでした。
そのエネルギーを他にまわしていたら
今ごろ詩集の一冊でも出ただろうに・・・なわけないか。

1999-12-27-MON

●どろちゃん
「春が来た」の歌で「野にも来た」という一節を
ずっと「“のに”もきた」と歌っており、
ずっと“のに”って何だ?!
どっから来たんだ!と思っており、
2番の「“のに”も咲く」では、“のに”は植物なのかっ!
どんなのが咲くんだろう。
やっぱり海苔の仲間で昆布みたいなやつかなぁ。
と、けっこう長い間思ってました。


● RIMO
日本の小学校に転校して間もない頃、
カルチャーギャップに困っているだろうと、
先生は気を利かせて、お友だちになってくれそうな
A子を敢えて紹介してくれた。
が、しかし……翌日の放課後、
A子と友だち4人から呼び出され、
「あたしたち仲良しトリオは、
 ○○さん(私のこと)に絶交宣言します!」
って、言われた。理由は、A子には仲良しトリオという
友だちグループが既にあるから。
しかし、彼女達は5人組だった。
トリオの意味が3人組だということを
知らなかったようである。
そして私も、ゼッコウセンゲンなんて
ムズカシイ日本語をまだ知らなかったのである。
子どもって残酷だけど、無邪気。


●VA
小学生の頃、学校で「大」の方をするのがタブーだった、
ってわたくしらだけじゃなかったのですね。
ある日、授業中に同級生が手を挙げてトイレに行くのを、
もう一人の悪ガキと一緒につけていって
(もちろん先生に断って)、便所で「個室」のドアを
ぱっと開けて「わあ、こいつクソしちょる」
と言ってやったことがあります。
スイドウ君(確かそうだったと思う)は
しゃがんだまま泣き出した。
何と残酷で馬鹿なガキだったんだ、俺たちって。


● M.hidaka
外から帰ってきて、晩飯中の親に向かって
「うんこっ」と叫んで怒られた。


● 茶人の心得
中学の頃「牛乳を飲んでいる奴を笑わせて、ふかせる」
とゆーのが流行った。おかげで、教室中が、牛乳臭かった。


●sakachi
自転車のことをず〜っと「じでんしゃ」だと思ってました。
これは子供の頃と言うより、大人になってワープロを
使うようになるまで間違いに気が付きませんでした。


● 栗
・風邪をひいて鼻水がたれるので、大豆をつめてみたら、
 大豆が鼻水の水分を吸って大きくなってしまい、
 泣きながら親に取ってもらった事がある。
・高速道路の料金は車輌1台づつではなく、1人につき 
 \2,000-だか\3,000-だと思っていたので、
 バス遠足の時お金が足りるのか心配になった。


● Yoro
中学1年の時のことです。
同じクラスの素朴なM君が、ある日私に向かって、
「俺さぁ、最近金遣いが荒くって
 自分でも反省してるんだけど・・・」と言うので、
「どうしてそう思うの?」と聞いたら、
「最近ハイチュウを一度に二つも買っちゃうんだよな。
 それも同じ味のを」だって。
深刻な顔で話す彼がとってもかわいかったです。


● うーちゃん
おいっ子が、3歳くらいの頃のハナシ。
まだ字が読めないにもかかわらず、
新聞の折り込み広告を熱心に見て
「安いなあ、安いなあ」とつぶやいてたそうです。
そーです、おかあさんの真似をしてたわけです。
姉は思わず赤面してしまったそうです。


● みんみん
今はあまり見かけなくなったが、
昔はトイレの外に通気のための煙突があって、
風が吹くとさきっぽの風車の様な物がガラガラと
音を立てていた。
私は子どもの頃訳もなくそれが怖くてしかたなかった。
それを知った母は、私を叱るときいつも
「ほら、ガラガラがくるよ」といって私を脅していた。
ばかだったなあと思うけど、実は今もちょっと怖い・・・。


● ヤギダイ
その昔、まだ「アボガド」が珍しかった頃、
テレビの洋画で主人公が美味しそうに食べてるのを見て、
親に無理言って一個買ってもらいました。
(地方でも、一応大きなスーパーには売ってた)
でも、食べた方がわからない!
煮るのか? 生で食べるのか?ど こを食べるのか?
もちろん親兄弟に聞いても知りません。
実を食べると思いっきりまずかったので、
(そりゃ子どもの口には合わない)
しかたなくタネを食べてみると、やっぱりマズイ!
実と皮とタネをちょっとずつ食べただけで捨てちゃって、
かあちゃんに怒られましたとさ。


● JALKO
すごーく小さかった頃「ウンコ」や「ウンチ」を連発すると
親によく叱られた。
ある時テレビの「運賃値上げ」ニュースを見て
「テレビでもウンチって言ってるじゃん。
 だから私も言っていいでしょー?」と親に抗議した。


● けろろ
小学生の頃、下校時に道端の野犬等の糞を
誰かがよく踏んでいた。
その度に周りの子は「○○がびちくそ踏んだ!」と言って、
ウンチを移されないようにチョキを出す。
チョキにしていない子はタッチされて、
ウンチがついたことになる。
次の子へタッチするまで、
その子は「ウンチ」がついたままなのだ。
そうしてスキを狙ってウンチをつけあっていた。


● どろちゃん
その1
4歳ぐらいの時、テレビの中には実際に
スタジオがあると思っていた。
事実テレビの中を細い溝の中から覗くと、
豆電球のような物がともっており
「あーあれがスポットライトか。
 でもちょっとロバ君は見えないなぁ。
 テレビから観やすいとこに立ってるから
 ここからじゃ観えないんだなあ」と、
いつも怪しいテレビの見方をしていた。

その2
家で一人で留守番しているときや、
夕方公園からの帰り道など何気なく寂しい気分に
なったとき、当時はやっていた日吉ミミさんの
「こいび〜とに〜ふられ〜たの〜
 よくあ〜るはなし〜じゃなぁいかぁ〜」
と子どもらしからぬ歌をモノマネ調で歌っていた。
しかも自分ではすごく似てる! と思っていた。
おじいちゃんに聞かせると「うまいうまい!」
と言ってくれたが、母には
「やめなさい!」と言われた・・・が、
しばらくやっていた。


●あああ
小学校の頃、友だちが家に遊びに来て、
一緒に絵の具でお絵描きしていた時。
ふと何か自慢したくなって、絵筆をさんざん洗った後の
灰褐色の水を、「えのぐあらったみず、のめるんだ」
と言って、顔色を変えずにいっきに
飲み干したことがありました。
そんなにまずくなかったよ・・・なんて言って、
ばかの上塗り。はぁ。


● たまごん
コドモの頃、けんかして追いつめられた弟は
「おまえのかぁさんデーベーソ」とよく言ってました。
「あんたと私のお母さんは一緒だよっ!
 私のお母さんがデベソなら、
 あんたのお母さんもデベソなんだからねっ!
 バーカー!」と言い返すと、
「お、おねぇちゃんのお母さんは、おばぁちゃんだよぉ」
と捨てゼリフを吐いていました。


● じーこたらむ
−赤い羽根−
・針の部分を、手のひらの表皮に刺して自慢していた。
・鞄に斜めに付けたり、名札の中に入れたり、
 野球帽に付けたりして一生懸命、羽オシャレしていた。


● じーこたらむ
小学校低学年の頃、クラスの男子半分以上が、
放課後、登り棒を登ったり、降りたりして
楽しんでいたのを覚えています。


● わたまり
その昔、金属製の、ジュース入れて凍らせる
アイスキャンデーの型がウチにあって、
それにカルピスとか入れて作ってたんですが、
型からはずす時、本当は型の周囲を水で濡らしてやるのを、
私ってばレロレロとなめて溶かしてました。
ある日なめてたらよく冷えた金属に唇の皮が
くっついてしまい、はがそうと勢いよく
型を引っ張った途端、皮がベロッと剥けて大量出血!!
晩ご飯は口痛くて食えなかった・・・まじでバカ。


●ちひろ
3〜4歳のころ、駅の階段にある『おり口』、
『のぼり口』の看板を『おりろ』『のぼりろ』と読んで
『お客に向かって失礼な』と憤っていた記憶があります。
『のぼりろ』という読み方にはなんの疑問も持たずに……。
なんなんだよ、『のぼりろ』って……ばかばか。

1999-12-26-SUN

●けこしぴー
小学校の時<おしりのお医者さんごっこ>ちゅうのを
やったことがあります。
友だちの家でお医者さん役一人と患者役が
約3名ほどでみんな尻だしてうつぶせに寝て、
お医者さん役が尻を診察する(尻に紙はさんだり……)
というなんともなぜ尻限定なのか、
なにを診察するのか疑問なあそびでしたが、
たまにウンコ拭き忘れを指摘される奴とかいました。
ウ〜ン、今思えばバカですねぇ。


● ゆかちゃん
小学校のころ、社会の時間に地図帳を見るたび、
「なんで実物大の日本地図ってないのかな」と思っていた。
ついにその思いは他人の前で語られることはなかったけど、
実は「そんなもんあっても見れない」
ということに気がついたのは、高校3年のときだった。


●彼の名は長かった
中学の時、好きな人のフルネームを緑のペンで
100回書いて持ち歩くおまじないが流行った。
小さくたたんだその紙を、こともあろうに
彼の親友に拾われてしまい、
「これ、○○さんのっすか〜?」と言われ、
あせった私は「ちがいんすよ」なんて答えてしまった。
更にその紙は彼の手に渡ってしまい、
ニヤニヤして見ていた彼の一言が
「あ、ここ。字が間違ってる」
うへー……バカだったなぁ。


● 詰め具
子どもの頃って、大人には見えない物が
見えてたような気がします。
それはおいといて、ガキの頃。
私は、月は太陽が海に沈んで
炎が消えた物なんだと思っていました。
だとしたら、太陽がいるとき月がいないのも合点がいく。
そして次の日に、月にマッチで火を付ける人が、
太陽にするんだと思ってました。
今考えると、ご苦労様な話です。


● ママ
中学生のころ大好きなセンパイの下駄箱をあけて、
運動靴のニオイをかいでなんとも言えない満足感を
味わっていた私は、ちょっとオカシイ。


● 佐藤真由美
「Patty & Jimmy」というサンリオのキャラの
「&」の意味を母親に尋ねたところ
「パティとジミーは仲良しだ」と教えられ、
歯磨き粉の「White & White Lion」を見る度に
「ホワイトとホワイトライオンは仲良しなんだ」
と心に刻んでいた。
母は、なぜそんなテキトウなことを???


● みか
小さいころ団地に住んでいて同じ棟の友だちと
交換メモなるものをやっていたのでぃす。
交換日記のようにだいそれた物ではなく
あくまでメモ程度でも内容は・・・
『昨日みなさんのおかげですみた?』やら
『バカ殿おもしろかったね』やらテレビネタばっか。
しかも放送されてたギャグ全部言葉にしてるの。
いまだにそれが手元に残っていてかなり懐かしいやら
恥ずかしいやら。


● 桑原
小学校の昼休みに
「太陽にほえろごっこ(鬼が複数いる鬼ごっこ)」
をやっていた。
その中で一番悲惨な役は「ボス」だった。
「ゴリさんは砂場、マカロニとジーンズは
体育館を調べてくれ」などと指示を出したら
犯人が捕まるまで教室でじーっと待っている役だ。
「ひょっとしたら図書室かもしれんぞ!」とか
一人で考えてるうちに昼休みが終わるという。
使えない奴の役ということに気付かず
嬉々としてやっていた俺はバカだったなあ。


● サンポ
プラモデルなどに付いていたマブチボーターのパワーが、
足りないと思った少年はふと家のコンセントに目を付けた。
「これなら、自動車が爆発的に速くなるだろう」
とコードを引き出し、コンセントへ……モーターが爆発し、
手がすすで真っ黒。
(ビックリはしたが幸い体に別状はなかった)
親から爆発的に怒られました。


● ナカジマじゃありません、ナカシマです。
女の子はお母さんから、男の子はお父さんから
産まれてくると思っていました。


● ウエハラ
「足にカラス瓜をぬると、かけっこ早くなるよ」。
ある日、友人のチーが言った。
まさか・・・と思いながらも早速塗ってみました。
ところが、どこからか変なニオイがする。
よくよく嗅ぐとニオイの素は私の足ではないか!
臭くて臭くて半泣き状態で走って帰りました。
その時のスピード、かなり速かったです。


●チエット
小学生時代、
「お墓を見たら、歯を隠してないと
 母親の死に目に会えない」、
「親指を見せてると父親の死に目に会えない」という
“定説”がございました。
遠足のバスの中では、墓地の横を通るたびに、
クラス全員が歯を食いしばり、拳をにぎりしめて
いたものでございました。ちょっといい話だ。
バスガイドさんはビビってたけど。


●おまけ・くろーどつながり
うちのお姉ちゃんはつまらないことで私をダマしたり、
「まゆ毛が薄い」と言って油性ペンで私の顔に
落書きをしたり、そういう悪い悪い中学生だったのですが、
「真木蔵人はクロード・チアリの息子だよ」というのは、
つい最近、「親子なら、名字が一緒のはずじゃん!」
と気がつくまで、信じちゃっていました。


● じゅんべい
ことわざ「灯台、元暗し」を「灯台、元暮らし」
だと思っていた。
逃走犯が灯台の元で暮らすと見つからないよ、っという、
ことわざだと思っていたが、当たらずとも、とうからず?


● ツジ
2、3歳の頃ですが、ピンポンパンのエンディングで
木の幹から子どもたちがおもちゃをもらうのをみて、
テレビの裏側にまわっては画面に映っているおもちゃを
探してました。裏側におもちゃがあると思って。
あと、小学4年生ぐらいまでは
「より学年の上の兄や姉がいるほうがえらい」
みたいなのがありました。
「あたしのお兄ちゃん、小6なんだよ」、
「うちのお姉ちゃんなんて中3なんだからねー」とか。
それが何なんだ?


● キーみ
小学校に入る前の健康診断で視力検査がありました。
よく覚えていないのですが、母の話によると
視力検査を受けたわたしは「わかんなーい」
を繰り返し、相当視力が悪かったようです。
でも実は、わたしの前に受けた女の子がかわいい子で
かわいく「わかんなーい」を言ってたらしく、
それをまねして「わかんなーい」を繰り返したらしい。
わたしは25歳まで両眼1.5でした。


● みっちー
「ピンポンパン」に出ていたカッパいるじゃん。
「カータン」とかいう。
一方、アメリカの大統領ってさ、
「カーター大統領」とかいう人だったんだよ。その頃。
私ってば「カータン」は日本の大統領で、
すっご〜く偉いやつだと思ってたんだよねぇ。


● 猿
友だちから聞いた話。
小学校のとき、授業中に答えのわかった人は
手を挙げますよね??
そのとき普通は手のひらをパーにして挙げますが、
そのこのクラスでは、答えのわからない人は
“チョキ”にして挙げるんだそうです。
そうすると、先生は当てないでいてくれたそうな……。
先生もずいぶんやさしいけど、
答えがわからず必死でチョキにして手を挙げてる子どもって
……ずいぶんとお馬鹿な気がしませんか?


● mido
小学校3年生のときのこと。
遠足の写真が廊下に張り出された。
何枚かほしい写真がある……。
私が悩んだのは、
「みんなが同じ写真をほしいと申し込んだら、
 一体誰のものになるのだろうか……。
 そして、それはどうやって決められるのだろうか……」
ということ。
じゃんけん? くじ引き? 
それとも一番大きく写っている人??
もしかして自分の顔だけ切り取られて
渡されるのだろうか……。私の悩みは大きくなるばかり。
どうしても答えが出せず、先生のところに
まじめな顔で聞きに行くと……
「何言ってんの?? 焼き増しするんじゃないの」
とかなり呆れ顔の先生。
家に帰って父にその意味を聞いて
はじめてそんな優れた技術があることに感動した私。
あぁ〜、バカだったなぁ。


● おほほほほ
小学4年生だった私は、沖縄返還と聞いて、
『アメリカからどうやって島を運んでくるのかしらん』
とマジに周りの上級生に質問していました。

1999-12-25-SAT

●巨泉今日子
とんでもないエロ小学生。
我が友、池田君は小学生にしてロリコン、
セクハラマジシャン。噂のロンリーガイでした。
彼はスカートめくりなどというノーマルな手法をとらず、
直に胸を揉むという大胆不敵な作戦を駆使して
校内をシンカンさせておられました。
彼の専らのターゲットは高学年の女子。
なんとも今考えれば、マニアなポイントです。
彼は「おっぱいタッチ!」などとひねりのないかけ声を
かけながらよく襲っていました。
晩年、彼はこう語っています。
「俺はもうそんなことはしない」。
当たり前です。


● なんでも屋シア
小学1年生のものすごく寒かった冬に、
担任の先生と生徒数人が「息をはーって吐くと白くなるよ」
とか言ってもうそんな時期なんだなぁと
確認していたであろう時に、先生から「やってみろよ」
と言われ、ホントに「ハー」と発音してしまいました。
息を吐くのではなく、言葉にして。


● Lisa
小学校の時に学校で飼っているも同然の
その頃は世界で一番可愛いと思い込んでいた
ただの雑種の白い小犬がいました。
その小犬がある日突然いなくなった!
どうしたんだ? どこに行ったんだ?
大騒ぎの中、ある噂が流れ始めました。
「校長先生が小犬を殺して校舎の穴に埋めてしまった」。
校長先生ごめんなさい。本気で全員信じていました。
急によそよそしくなった私たちに困惑していたあの表情、
今でもはっきり覚えています。


● おかっぱ
小学生の頃、2才下の弟とじゃんけんをして
勝った方がポテトチップス一袋食べてもいいという
[WIN or DIE]なおやつ事情でした。
スイカの時は半分に割って
「勝ったら真ん中、負けたら端の種だらけのところを
 ほじくって食べる」
という、いちいち極端な勝負をしていた。


● さのさの
小学生のとき、友だちとふたりで
夕暮れの田んぼ道をフラフラ下校していた時のこと、
「目をつぶってまっすぐ歩けるかなあ」と思い立った私は、
さっそそく実行し、まもなく小川にズボッ!
急に無口になり、斜めに歩き続けて自ら川へ落ちました。
そんな私を見て、友だちは
さぞかしビックリしたことでしょう。
「ど〜したん? ど〜もない?」と、
驚き&あきれていました。
その後のことはよく覚えていません。


● risa
私と姉は今でこそ仲は良いが、
小さい頃は毎日のようにケンカをしていた。
ある日いつものように些細なことでケンカが始まると
祖母が来て、
「そんなにケンカするならさおりちゃん(私)を
 サーカスに売っちゃうよ!!」と言った。
さすがの姉も「さおりちゃん(私)が売られてしまう!」
と焦り、私は「玉乗りも綱渡りもできん!」
と心配になっていた。
今では「サーカス人生の方が面白かったかも・・・」
と思いながら看護婦をしている。


● 鞠子
食べ終わったチョコレートのお菓子の箱は、
捨てずに引き出しにしまいこみ、
その後しばらくは、残ったチョコの香りを楽しみました。
香りが無くなった後は、小物入れとして再利用しました。
物を粗末にしないけな気な子どもでした。


● 満月堂
1、平たい石を探す
2、その上に木の葉をのせる
3、「2、」の木の葉を、他の石でまんべんなく、叩く
4、木の葉が、平たい石に張り付いたらば、
その石を土中に埋める。
5、1カ月ほどすれば、『化石』の出来上がり!
こうして、『化石』を「作って」いた。
しかも、そののち、掘り出すのを忘れてしまう。
(なぜか、絶対に忘れる。)
今頃は、丁度イイ具合の化石ができていることだろう…。
 
●ららった
「赤い靴」の歌がありましたよね。
その歌詞を、中学までずっと勘違いしていました。
「赤いくつはいてた女の子」は、
「いいじいさん」に連れられて行っちゃったのかと・・・。
なんだ、よかったじゃん。と勝手に思っていた。

1999-12-24-FRI

●夏ハゲ天使
僕らの仲間うちでは屁を放つとき、
リズミカルに元気よく「屁が出る3秒前、3、2、1」
と予告付きでしていました。
他には「チューリッ」と言った後で
プっとやる高級技もありました。
ピやビやスー、なかにはビヤーっという
実が出たような音もあり、笑うに笑えないことも
ありました。正真正銘のバカでした。


● みか
子どもっていうのはなんて夢のある生き物でしょう。
これは夢でもなんでもないです。
えんがちょ神戸バージョンなんでしょうか、
汚いもの、いやらしいことをした友だちに対して
『ミ−』というかけ声とともに指である形を作ります。
それがまた女の子男の子、異なってまして・・・
もうその形自体いやらしいものでした。
大人たちはどういう気持ちで
それを見守っていたのでしょう。
おそろしくて聞けません。


● 大竹@あほらしか
ちっちゃい頃、隣の家にカラーテレビを
見せてもらいに行っていました。(なんか貧乏くさっ)
すごいなあ、とか思っていました。
だいぶたってから、あれはカラーテレビなどという代物では
なくて白黒ブラウン管の前に3色のセルロイドスクリーンを
かぶせていただけだと知りました。
「子どもだまし」ってこういうことを言うのですね。


● きのぴこ
あんまり覚えていないんですが、確か小学低学年の頃。
私たちの間で、「かざぐるま」と呼ばれていた「側転」が
流行っていました。
私はすごく得意でよくしていたんですが、
ある日何を思ったか、近所の友だちの家
(自宅から直線50m)からずーっと側転しながら
家に帰ったのを覚えています。


● 陽ちゃんの罪
小学生の陽ちゃんは 校長室のおそうじ係。
陽ちゃんたちは 棚にあるコーヒー用のお砂糖を
ほぼ毎日 お口に運んで ジャラジャラと
なめておりました。たぶん かなりへってたと・・・。
ちなみに 私の家は 紅茶しか飲まない家だったので
あの透明のカラメル色に とっても感動したのでした。
冬は校長先生がストーブにかけているやかんのお湯を
バケツに入れてくれるしとっても居心地のいいとこでした。


● MON
今から30年以上も前のこと。
学生服の詰め襟には、
カラーというセルロイドの板がついていました。
同じ頃に、アルミニウム製の鉛筆にかぶせるキャップが
売られていました。
セルロイドというのは非常に燃えやすく。
で、そいつをこまかく切ってキャップに詰め、
キャップの尻を十字形につぶして、
その尻に火を点けるのです。これが、よく飛んだんです。
いまふうにわかりやすく言えば、固体燃料ロケットですね。
もちろん、うまく飛ばすためには
色々失敗もありましたけど。禁断の遊びでした。
こんな経験をしていればH2ロケットも失敗しなかった・・・
かもね?


● 雪中庵
「地球は自転している」と聞いて、その証拠を探していて、
“大発見”をした・・・雲が流れていくのは、
そのせいに違いなかった。
だがある日、その「流れ」が逆転しているのに気づいて、
ビックリ仰天して、家族にふれて回ったが
相手にされなかった。


● taka
小学校の頃、友だちから「これ、甘酸っぱくて美味しいよ」
と言って食べされられたものは、
「湿布のネバネバ」でした。
でも意外にホントに美味しいのよ。
甘酸っぱくてスースーして。


● kid
図工の時間。
隣の子の絵の具のフタが開かなくて、
男の子たちがよってたかって開けにかかった。
そうして誰も開けられなかったところに、
ふと私が開けてみたら開いた。
「すっげぇ〜!! お前百万馬力だな〜!!」
その一件以来、ついたあだ名が「ヒヒン」。


● ノザエミ
小学生の頃、
「休み時間が終わる予鈴が鳴ったら遊んでいても、
 やめなければいけない」
と校長先生に言われたので、ドッジボールや
鬼ごっこをしていてもチャイムが鳴ると、
ビデオの一時停止みたく止まったままのポーズを
とっていました、6年間。

1999-12-23-THU

●ゲノムちゃん
まだ、私が両親の間に挟まれて寝ていた頃。
お父さんもお母さんも大好き!
って思っていた私はどちらに背を向けていいか
分からなかったので、寝ている間も真上を向いて、
キョウツケの体勢でがんばっていました。


● Chaffet
小学校6年生のころ、
イヤホンを鼻の穴につっこんで口を開けると
音楽が聞ける、って話が出回りました。
実践してみると、確かに聞こえる気が!!
すげぇー。人間スピーカーじゃん!!!
かなり盛り上がりましたね。
鼻の穴に入れるプロセスも楽しかったし。
去年久しぶりに違う友人たちとやってみたら
「音漏れ」ってことが判明しちゃいました。
まぁ当然っちゃー当然やね‥‥。
でも相変わらず鼻の穴に入れるところは
すごく盛り上がりました。


● ゆぶね
ベランダに干してある敷布団の下にひくマット
(3つに折りたためるやつ)をコの字形もしくは
三角形にして、その中に入って秘密基地をきどっていた。


● みさえ
保育園年中の頃、お絵かきをしていた私は
なぜか赤いクレヨンを鼻の奥深くにつめた。
先生がびっくりして抜こうとしたがだめ
で親に連れられ耳鼻科の医者に。
溶かす薬でなんとか摘出に成功した。
なーんでそんなことしたんだろ、ほんとバカ。


● まっつん
中学生の頃、万引き好きな友だちの荷物持ちをやっていて、
収穫がパンパンに詰まったマジソンバッグを持ったまま、
僕だけおまわりさんに捕まった。
父に殴られ、母に泣かれた。


● てるみ
バッカだったのは弟なんですが。
弟が反抗期で、何を言っても一触即発な頃・・・。
私がちょっといじわるを言ってしまったのです。
すると、弟は私をギロっと睨み、
「おい。今の、シュニクかよ?」と言ったのです。
私はワケがわからなかったので、
「はぁー?」と聞き返すと、今度は思い切り大きな声で、
「いーまーのーはー、しゅーにーくーかーよぉっ!」
と、叫んでくれました。
「皮肉」のこと、「朱肉」だと思ってたそうです。


● michi
小学生のころの毎年春の密かなたのしみ。
猫柳の花(毛羽のヤツ)を集め、
通学路の電信柱数本の穴にしこたま詰め込み、
それを毎日毎日行き帰りに“よし! あるな”とか言って
チェックしてました。
あの一生懸命さはなんだったのか?


● 菜種ココ
クラスメートのカネゴンが、授業中にトイレに行った。
授業の後、トイレで男子が大騒ぎ。
「ししし、白いババだ〜!
 カネゴンは白いババだ〜っっ!!」
それから、カネゴンは排泄物が白いという性質(?)に
より、一躍スターの存在に。
いまになってみると、
「あ、それバリウムね」の一言なんだけど。
カネゴンは、いじめっ子グループに一目おかれ、
その年はチョコもかなり貰ってたみたい。


● HACHI
かれこれ30年近く昔になりますが、
私が小学校入りたてのころ「天才バカボン」の主題歌に
こんな台詞がありました。
♪「西から昇ったお日様が東に沈む・あったりめ〜!」♪
この最後のフレーズを・・・
♪「西から昇ったお日様が東に沈む・あったいへ〜ん!」♪
と勝手に勘違いしていた私は・・・
<西から昇って東に沈んだら大変なのだから、
太陽は東から昇って西に沈むんだ!>
と信じていました。バッカだねっ〜!


● 二人のミツル
お約束かもしれませんが、
小学生の時に好きな女の子に嫌がらせしたり
「お前なんか嫌いだ」と言ってしまったりした事ですかね。
ちなみに、その子の事は今でも好きなので、
とても悪いことをしたと後悔しています。

1999-12-22-WED

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