POMPEII
「ポンペイに学べ」
青柳正規教授と、鼠穴で対談しました。

第2回 どう伝えるか
    
[今回のみどころ]
ポンペイ展は、どうしてひとが入らないのか?
いいソフトが売れるというだけではないところ、
「どう伝えるか」についてふたりの話は進んでゆく。

糸井 こういう展覧会をぽんと投げ出して
お客さんに楽しんでもらうためには、と考えると、
ふだん古代ローマについて思っているひとも
おそらくそんなにはいないだろうし、
「火山でなくなった街だよね、イタリア?」
ポンペイにはそんなイメージしかないわけです。
「そんなところであのソフトをぽんと出して
 お客をひきつけられる要素ってなんだろう?」
と、ぼくは広告屋だから考えるわけです。

ぼくのホームページのなかには
いろいろなひとからいただいた
原稿を出す場所があるんですけど、
入り口から原稿につなぐところで
ぼくはいつも前口上を書いているんです。
それをうちでは隠語で「淀川」って呼んでて。
これ、何かというと、淀川長治さんなんです。
淀川さんの映画紹介のしかたは
たぶん日本独自のものだと思うんですけど、
「こんなところをわたしは楽しんだ」
「ここを見て欲しい」
どんな駄作でもほめる場所を探して
「こういう見方をするとぼくは楽しい」と。
ソフトとコンシューマーをつなぐ商人の役目を
映画の前に上手に嘘をつかずにやっているんです。
ぼくは淀川さんの紹介のしかたを見ていて、
「これのないものにはひとが来ないな」
と、小さい頃から思っていたんです。

それをうちでは「淀川」としてやっていて
「つまんなかったね」という紹介もあるんですよ。
そこでポンペイ展を紹介しようというときでも
「ポンペイのことなんか誰も考えてねえよ」
と言われているとしても、そんななかで誰かに
「あれ、おもしろいよ」とほめられたとたんに、
嘘をつかずにつながることができるんですよね。
メディアが純粋にいいところだけを
効率よく全部伝えようとすると、
うまく伝わらないんです。
新聞のやりかただと、
展覧会のいいところが8箇所あったとすると、
それを箇条書きにして8個全部出しますよね。
そのかたちをとっているかぎりは
「縁」ができないと思うんですよ。
テレビで紹介するかたちというのは
そうではなくて、誰かにその場所に行かせて
気配をそのまま伝えさせるんですよね。

ポンペイ展のようなイベントがあるときに
果たして新聞社の役割ってどうなのかなあ?
新聞には何の罪もない。主催してくれて
まったくいいことをしてくれるんですよね。
ただ、メディア特性の変化があるので、
「前の成功体験を追っかけていく」
というやりかたになると無理になるんです。
最初に青柳先生が朝日新聞と組んだときには
これはきっとうまくいくぞ、
という直感があったわけですよね。
そのへんはどのようなものだったのですか?
青柳 古代のひとが使ったフライパンや鍋や彫刻だとか、
それをただ並べるというだけではなくて、
今回のポンペイ展のように復元した家のなかだとか
道路であるとかそういうところに並べると、
普通のひとたちにどういう使われかたをしたのか、
彼らがどういう楽しみ方をしたのかが
もっともっとわかるだろうと思いました。
日常生活の感覚で古代を理解する、
「ああ、わかった」という瞬間がありまして。
よく考えてみるとこれは2000年も前のことで
しかも日本とイタリアとは離れていますよね。
時空のひろがりを少しでも感じてくれたら、
きっとスリリングな影響を与えられる、
そうしたらたぶん口コミで広がって、
お客さんに入ってもらえるんじゃないか、
というのが、第一点で。
糸井 そうすると制作物までは
青柳先生の中でイメージがきちんとあって、
ただ「伝えるイメージ」は模索中のままで
スタートしたとは言えますね。
青柳 その辺はほとんどチェックをしてなくて、
朝日新聞もついてるし、TBSも
どうにかやってくれるだろうとか、
そういうことを期待していたものですから、
おあずけになってしまったんです。
糸井 そっかそっか、じゃあ、
早く俺を入れればよかったですね。
つまり、いい小説を書いたときに
誰もが震撼するようないい小説があっても
それが伝わるかと言えば伝わらないですよね。
後年発見されるとかいうのがあって、
南米文学ではすごい小説が出たと言われるときと
書かれた時期には、すごい開きがあったりする。
紹介者のパワーで伝播するというそこのところが
今回はうまく機能していないというのが……。
青柳 典型的ですね。
糸井 普通の企画は「箱もの」の
ところで終わるわけですか?
青柳 我々の悪いところかもしれないけど、
何をどういう順序で並べて、
ある程度までの説明を入れて、
と、そこまで準備ができたらあとは
「いいものだから、もう絶対入る!」
ということだけしか考えませんからね。
糸井 素晴らしいハンドボールの試合があっても
野球のようにはひとが来ないというか。
ぼくは、生意気になるんですけど、
「もしポンペイ展チームにぼくが参加してたら」
と、おせっかいだけど考えてたんですよ。
展覧会に行かなきゃわからなかったことがあって、
会場に立ったとき、当時のひとの動きを
今の自分と重ねて見えるような気がしたので、
「これは素晴らしい」と思ったの。

ぼくはコピーを考えるときには、
試作をいくつかつくるんですよ。その試作は
ちゃんとした文章になってなくていいんですけど、
ぼくがポンペイ展のコピーを書くなら
「ここに立つと、ローマまで
 出かけていったときよりも
 そのときのイメージが見えてくる」
そんなことをメモに書きつけるように思います。
展覧会場はそうやってできているんですけど、
「ポンペイ展」宣伝ポスターはそうではない。
「ミイラが見える」という見方になっている。
でもこれは方法論的には、ミロのヴィーナスを
呼んだときとおんなじ方法でできてるんです。
ひとには昔から当然にある種、
猟奇趣味のところを持っているから、
現物がそこにあればある程度のお客さんが来る、
あのポスターにはそんな想定があったと思う。
ただ実際にミイラを見ても猟奇趣味でもないし、
景色にあっちゃうんですね。

この展覧会でぼくが一番圧倒されたのは
当時の生活の仕組みがわかって
「え?俺らちっとも進んでないじゃないか」
というこの驚きだから、ぼくの場合は
それをまたメモに書きつける。
今2000年も経っているけど、
果たしてあのときから進歩してるのか?
これがショックだったから。

もうひとつは自分の今の興味で、
「この道標のないような時代に生きている
 ときに、すごい道標が見つかったぞ」
と。これをちゃんとわかったら
大きな未来につながる道がある。

展示会の軸はこの3つだろうなと思いますが、
伝えるときに軸があらわにならなかったから、
テレビ局が取材に来たときにでも
「こんなことが再現されているんですね」
という言葉の枠に押しこめられちゃうような
仕組みになってしまっているんです。
そうなると取材に来たひとの言うことも
「こんなふうに生きてたんですね」
という距離の出た感想になってしまいます。
この「どう伝えるか」という点で
もう一度プロジェクトを組まなければ
いけなかったんだろうなあ、と思います。
ぼくが今青柳先生としゃべっているのは
そのプロジェクトの後追いというか
泥縄的なことをやっているんですけどね。

先生の解説をききながらぼくが会場を
まわったというのがあるんですけど、
今ぼくが出した3つの視点は、主催者側の
青柳先生たちの側には全部あったことですよね。
箇条書きにしてしまうとあっけないんですけど、
そうじゃないやりかたで伝えたのなら、
ひとびとはきっと興奮すると思うんですよ。
ビジネスマンを誘うという軸も、
旅行好きを誘うという軸もあったろうし、
学生たち、あるいは単に悩みを持ったような
ひとたちが来るという軸もあっただろうし。
「ポンペイ展」をいまからしゃべる途中での
たたき台にして話をしていきましょうね。

[第2回目のひとくぎり]

日常生活の感覚で古代を理解するという
スリリングな影響を与えられるはずのポンペイ展。
主催者側の軸を伝えられさえすれば成功していたはず。
ところで、ポンペイの歴史はなぜソフトになりうるの?
明日はポンペイを語る意味に話が移行していくよ。

(つづく)

2000-02-02-WED

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