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【“写真を観る”編 第2回】
アンリ・カルティエ=ブレッソン
(1908〜2004)
Henri Cartier-Bresson


大阪芸術大学コレクション展のカタログと
映画「瞬間の記憶」のカタログ
(クリックすると拡大します)


前回は、ライカのお話をしましたが、
今回は、やはりライカといえばこの人、
アンリ・カルティエ=ブレッソンについて
お話ししたいと思います。

現在、そのブレッソンの貴重なインタビューを綴った
(彼は根っからのインタビュー嫌いだったようで、
 メディアにはほとんど出ていないのです)
ドキュメント映画「瞬間の記憶」が公開中です。


(クリックすると拡大します)

映画としては、ちょっと雑な作りで、
いわゆるテレビの特番のような感じではあるのですが、
とはいうものの、その画面の中で話をしている、
動いているブレッソンを観られるだけでも、
充分に観る価値はありますし、
こんなことを言ったら失礼ですが、
「きっとすごく神経質な人なんだろうなー」
と思っていたのですが、
その姿は、とてもかわいいおじいちゃんで、
しかも、そんなブレッソンが
老いても写真がとても大好きということが
画面から伝わってきたことが、
何よりもうれしく思えました。

その上、実はブレッソンという写真家は、
個人的にも特別な写真家だったりもするのです。
それというのも、ぼくが在学していた大阪芸術大学では、
今となっては、世界的に見ても
最も重要なコレクションのひとつだと思われる
ブレッソンの写真411点をコレクションしています。
先日も、大阪だけでしたが、
その全コレクションを一堂に会した
展覧会が開催されました。


(クリックすると拡大します)


そんな写真を、在学中に
何度も見ることが出来たわけですから、
ある意味で、それはとても貴重な経験だったとも
言えるのかもしれませんね。
だから、ぼくが大学に入学して、
一番最初に出会った写真らしい写真といえば、
幸運にもブレッソンの写真なのです。
そして、ぼくはブレッソンの写真を初めて見た瞬間から、
理由もわからないまま、
「好き」と思っていました。

そんなわけで、ブレッソンの写真は
こうやって自分自身がプロになっても、
常に無意識の中にあって、
しかも驚くことに、いつ観ても好きと思えるのです。

その上、先日幸運にもシンガポールにて、
そんなブレッソンと共に、
シンガポールの写真月間に参加する機会がありました。
そこで久しぶりに、生のブレッソンの写真を
観ることが出来たりしたこともあって、
改めて、なぜぼくはブレッソンの写真が好きなのか
ちょっと考えてみました。

ブレッソンの写真は「決定的瞬間」ではない。

ブレッソンといえば、何と言っても
『決定的瞬間』です。
これは1952年に、フランスとアメリカで同時に出版された
おそらく世界でもっとも有名な写真集のタイトルです。
その理由は定かではないのですが、
実はこの写真集、フランス版とアメリカ版では
タイトルが違うのです。
フランス版では原題は『Images a la sauvette』。
それを日本語訳すると「逃げ去るイメージ」。
それに対して、アメリカ版の原題は
『The Decisive Moment』。
これこそがまさに「決定的瞬間」となります。

ぼくも、原題のタイトルが違うことぐらいは
知っていたのですが、
今までは、あまり気にしていませんでした。
しかし実は、そのタイトルの違いの中にこそ
ブレッソンの写真の大きな秘密が
隠されていることに気が付いたのです。

確かに、この「決定的瞬間」という言葉は、
それまでの大型カメラに変わって、
ライカという新しい道具を手に入れたブレッソンが
生涯追い続けた「ピクチャー・ストーリー」を
言い表す上でも、決して間違っているとは言えないほどに
魅力的な言葉であることに違いありません。

しかし、ぼくには何度ブレッソンの写真を観ていても、
そこに「決定的瞬間」が写っているとは思えないのです。
むしろ、彼のすべての写真は、
どちらかというと、とても未分化だと感じるのですね。
でもこれは、写真にとって
決して悪いことではなくて、
むしろそれこそが、写真を“観る側”にしてみたら、
最大の魅力なのかもしれません。

なぜなら、そんな写真だからこそ、
次の瞬間何が起きるのかが、
すべて“観る側”の想像の中で、
展開することが出来るからです。
だからといって「逃げ去るイメージ」となっても、
それはそれで、とてもわかりづらいものに
なってしまうかもしれませんが、
少なくとも、ぼくにとって
ブレッソンの写真の最大の魅力は、
「決定的瞬間」そのものというよりも、
ある出来事が、時間という動きの中で、
決定される前(あるいは直前)の瞬間を、
その時間の流れを保ったまま写されている、
ということなのではないかと感じています。
だから、彼のすべての写真は
“今にも動き出しそう”な印象を
与えるのではないでしょうか。

現に、ブレッソンは生涯を通じて自分自身のことを
写真家とは言わずに、
ジャーナリストと言っていたそうです。
そして、映画「瞬間の記憶」の中でも話していましたが、
とにかく、どこに行っても
「この後、こんなことが起きるのではないかなあー」
と様々なことを想像しながら、
その瞬間を待ってシャッターを切っていたそうです。
時には、その一瞬のために
長い時間をかけて待っていたと、
とても楽しいことを話すように語っていました。

もちろん、とはいったって、
時には突然そんな瞬間が訪れることだってありますよね。
だからかどうかは解りませんが、
ブレッソンは、露出計をほとんど使わなかったようです。
晴れていたら、シャッタースピードは“1/125s”、
絞りは“f8”、距離は“10feet(およそ5m)”に
固定していたそうです。
それを聞いても、
これはあくまでもぼくの勝手な想像ですが、
おそらくブレッソンはいつの日も、
むしろ瞬間そのものを撮るというよりも、
そういった時間の流れみたいなものをとらえることに
神経を注いでいたのではないでしょうか。

とにかく、皆さんにも一度、
知っている人も、知らない人も、
改めてブレッソンの写真を観て欲しいと思っています。
すると必ずその中から、写真にとっては
切っても切っても、切り離すことの出来ない
しかも、ブレッソンならではの
“時間”を見つけることが出来るはずです。
そして次に、そこに写っている“時間の流れ”を
感じることが出来るはずです。
そして、ちょっと想像してみてください。

この“一枚の写真”の中に写っている瞬間の次に
いったい何が起きたのかを。
それを想像したり、確かめたりするのも、
写真の楽しみのひとつなのではないでしょうか。

そして、是非ともブレッソンのように、
その前後の“時間”を意識しながら、
想像しながら、写真を撮ってみてください。

もしかしたら、ほんの少しそんなことを意識するだけで、
あなたにとっての、ひとつひとつの瞬間が、
一つの線上に存在しているかのような
写真が撮れるかもしれませんよ。
しかもおそらくその写真は、
きっと誰が観ても、いい写真なのではないでしょうか。




写真家を知る3冊



『アンリ・カルティエ=ブレッソン作品集』
(サントリーミュージアム[天保山])


実はぼくはこの写真展、
観に行くことが出来なかったのですが、
展覧会を観に行った友人が買ってきてくれました。
411点におよぶ大阪芸術大学コレクションの
すべてが掲載されていて、
しかも安いし(ソフトカバーで2000円)、
印刷もとてもいいのです!
写真集「決定的瞬間」は絶版ですから、
とりあえず一冊と言うことであれば
これがおすすめです。



『ア・プロポ・ドゥ・パリ』

これは、やはりパリジャンのブレッソンならではの、
パリが満載の写真集です。
その、時にはユーモアあふれ、それでいて知的な写真群は、
いろんな意味で、パリそのものとも言えるような気がして、
きっと後々、パリを語る上でも欠かせない
一冊になるのではないでしょうか。



『テト・ア・テト』

実はブレッソンという写真家は、
数々のポートレイトを撮影しています。
この写真集は、そんなブレッソンの
ポートレイトを集めたものです。
しかもそのすべてが、
どんな著名人でも他の写真家が撮影したものとは
明らかに異なった写真なのです。
観ていても、とても楽しい写真集ですよ。




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2006-07-28-FRI
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